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『『Two Wolves (in Golden Moon)』 』
幾島・壮司3950)&雨柳・凪砂(1847)


1.
 
 蛍光灯に照らされた白いノートの上に、シャープペンシルが派手に転がる。
「……ダメだ、今日は。進まねえ」
 幾島・壮司は参考書を閉じ、首を周し固くなった筋をほぐすと、机に肘をついた。
 浪人生の身分の彼である。一念発起、というほどではないが、今夜は勘定屋の仕事の依頼もない。
 それなりのやる気をもっていざ机に向かった壮司だったが……。勉強というのは曲者で、どうにもこうにも手につかない、集中できない夜があるものだ。
 今の彼がまさにそうだった。気概が足りない訳ではなく、そういう巡り合わせなのだ。壮司自身もそれを自覚していた。
「こんなことならバイトのシフトいれとくんだったぜ、ったく」
 ぼやきつつ背もたれに体重を任せ……それでも片手を伸ばして参考書をぱらぱらとめくり最後の抵抗を試みる。が。
 ‥‥ぱたん。
「だめだな。どうにもノらねえ」
 多少の苛立ちをこめて床を蹴り、チェアを回す。膝を組み、両手を頭の後ろで交差させぼんやりと天井を眺める壮司。
 見慣れた、そして知り尽くした自室の天井。
 就寝前、床に着くごとに見上げては『神の左眼』で解析し、材質からその裏を走る鉄筋まで透視してきた天井。
 単に寝る前に能力のチェックを兼ねてやっていただけだったが、流石に飽きがきた。それにある時、制御が何かの拍子に狂ったのだろうか、一度上の階の住人の足の裏まで透視が届いてしまい、あわてて解析をやめた。仕事上他人のプライベートを見通しもするが、覗きの趣味なぞない。
 反省談とも笑い話ともつかないその時の事を思い出して、壮司は苦笑した。もっとも、そのどちらに類するにせよ誰にでも話せたものではないが……。それ以来能力のチェックに自室の壁や天井を無闇に使うことはやめた。
「ふう」
 ため息をついてみる。どうにも手持ち無沙汰だ。寝るにも早すぎる。
「そうだな、……ストック分の能力の確認でもやるか」
 もういちど机に向き直り、壮司は両肘をついて眼を閉じた。左眼に意識を集中させる。
「さて、と」
(左眼、それぞれの制御能力に問題無し。至極クリアーだな、――『グレイ・リトル・マン』、チェック。……ノーマル、緊急発動可状態。『骨抜き』、チェック……問題ない。両ストックの同時発動及び交互使用は――今のは何だ? いや、待て、これは……?)
  意識の中、イメージ化された左眼の能力の、五つのスポットライト。空きの筈の三つ目の光の片鱗をかすめ、何か走った影がある。
 壮司が一度忘却し、自覚が無かった為にストックには収まらず、いわば自身と同質の『神の左眼』の中へ幽体を溶かし好きなように漂っていたのだろう。
 今壮司自身の無意識下から解放されストックの光の中に形を成し始めたそれは、魔狼『フェンリル』の影、だった。
「あっ……!」
 思わず、声を上げた。
 以前ある依頼に同行した女性――名は確か、雨柳・凪砂とかいった――からその魔狼をコピーしていたことを思い出したのだ。
 その場で即座に必要であったとは言え、オリジナルの能力者に断りもなしのコピーをストックしたまま、というのは礼を失している。
 何よりも彼自身が、自分のそれを許さなかった。 
 ひったくるようにハンガーからジャケットを取り、急いで袖を通す。一番手近なサングラスを手に取った。
「おいおい、何が手持ち無沙汰だ俺は!」
 乱暴にスニーカーに踵を叩き込み、半分蹴るようにドアを開けると、壮司は細胞変質で運動能力を引き出し、駆けた。
 行く先は、アンティークショップ・レン。

2.

 
 ドアベルが割れそうな高く硬い音を立てる。
 碧摩・蓮はパイプからその薄い唇を離し、ゆっくりと頭を上げ闖入者に向け語った。
「お客さん悪いねぇ、今日はもう閉まいだよ……おやなんだ、あんたかい。まだあれから『右目』の情報はないよ?」
「そうじゃ、ない」
 主な照明は既に落ちていたが、蓮の座るデスクの上のアール・ヌーヴォ風ランプの淡い光が店内を照らしている。
 かすかに息を切らしつつ、幾島壮司がその光の中に立っていた。
「そのドアベルも年代もんで陶製なんだ、そう乱暴に駆け込んでこないどくれよ。でも」
 紫煙を細く吐き出し、蓮は壮司を見やった。
「相当焦った様子だけど、どうかしたのかい? お蔭さんであの刀ならここんとこ平穏無事だよ、まだやらかしそうではあるけどね」
「……違う、そうじゃないんだ」
 壮司の呼吸は既に平常に戻っている。一歩、蓮に詰め寄った。
「いや関係なくも無いけどな。以前あの刀の件で、俺と一緒に追跡をやった女がいたろう、確か、雨柳……凪砂……」
「合ってるよ。彼女かい。ウチの常連さんだよ――それよりまぁ、座んなよ。落ち着きな。どうしたってんだい」
 壮司は眼を閉じてひとつ大きな息をつく。
 蓮から見れば、いや、少し取り乱していたのかもしれない。
 グラスを一旦外し、走って乱れた髪を整えた。
「――そう、だな。とにかくその、急に思い出しちまったもんで、焦っちまったようだ。すまねえな」
「なに、閉めたとはいえ特にやる事があったわけでもないんだ。丁度、茶でも入れようってとこだったのさ。あんたもどうだい?」
「ああ、頼む」
 壮司は蓮が示したビロード地の椅子に腰掛ける。
「それで? 結局用事はなんなのさ」
 片方のカップを壮司の前に置いて、蓮が本題に入った。
「短刀直入にいうが――彼女の、雨柳凪砂の住所を教えて欲しい。知ってんだろ?」
「知ってるよ。しかしちょっと」
 蓮の眉間にかすかな、困惑したような皺がよる。
「相手があんたとはいえ、はいそうですか、とは教えるわけにいかないね」
「なんでだよ」
 問い返す壮司の声色にはまだ多少の焦りとも苛立ちともつかないものが混じっている。
「そうツンツンしないでおくれよ。この世界じゃ顧客の購入情報、個人情報は漏らさないのが仁義、というか暗黙の了解でね。まあちょっと聞きなよ、理由があるんだ」
 そう言って蓮は紅茶をすすった。
「美術資産ってのは登記がいらない。だから、景気のいい一昔前までは絶好の税金逃れの対象だったんだ。相続やらね。しかし税務署のお役人様もここ最近は血眼だよ。外から専門家――鑑定家や教授先生連中なんだけど――呼んででも市場価値をはじき出させて、搾り取ろうとする。そりゃアタシの扱ってるモノに、千万や億単位の税金がかかりそうなモノは殆どない。だけど悲しいかな、結構汚い世界でねえ、真作が贋作になったり、その逆になったり……絵でもドールでも宝石でも、どこで何が何に化けるか分からないのさ。とにかく」
 皮肉っぽく肩をすくめる蓮。
「アタシの店じゃまずありえないとはいえ、それでも顧客の個人情報をおいそれと漏らすわけにいかない」
「なーるほど、ねェ……」
 壮司は足を組みなおし、軽く舌を打った。
「……わかったよ。俺に彼女の住所は教えられない、そうなんだな」
「あっちのお許しがなければ」
「なら、蓮。あんたから凪砂嬢に連絡する分にはかまわないんだな?」
「ああ、勿論かまわないよ」
「彼女に、伝えてくれないか。『幾島壮司が貴女と直接会って話をしたい』と、……言っていると。それもなるべく早く」
「そりゃお安い御用さ。アンタには紅刻に憑いている因縁をハッキリさせてもらったし、あんときゃ随分世話んなった。なんか訳ありみたいだけどそこまではアタシが首突っ込むとこじゃない」
「じゃあ、頼む」
「ってちょっと、今すぐかい?」
 当然のようにうなずく壮司。
「電話にはまだ失礼な時間帯じゃないだろう。結果は携帯のほうに連絡くれ」
 立ち上がりざまに出された紅茶を一気に飲み干すと、壮司はドアノブに手をかける。
「それじゃ。邪魔したな」
 カラン。
「……振り返りもせず行っちゃったねえ」
 ウィンドウ越しに、去っていく壮司の背中を見つつ蓮は呟いた。
「何があったか知らないけどねえ、どうにもこうにも頑固というか。さて」
 受話器を手に、蓮は雨柳邸の番号をプッシュした。

3.

「我ながらキマってら」
 その建物の磨きあげられた反射ガラスの前で、サングラス越しの自分の姿を眺め、壮司は呟いた。
 謝罪に行くとはいえ女性と二人で出かけるのだ。
 壮司なりに気を遣った。サングラスは極力横から『左眼』の目立たぬよう曲がりの強い濃いものを選んだ。タックの強い、黒いナイロン地のリーバイスとジャストサイズのジャケット、足元はスニーカーながら革製のもの。新調したわけではないが、依頼や勘定屋の仕事では履きなれたものを選んでいたから、成り行きで新品同様の淡い光沢を放っている。
 それぞれのパーツは彼らしくカジュアルながらも、印象はかなりシックで統一された感がある。
 その絶妙なアンバランスさが、着る者のセンスの良さを間接的にかもしだしてもいた。
 さて、雨柳凪砂からは、蓮を通じて既にいい返事を貰っていた。
 今日はその当日である。
「しっかし待ち合わせが絵の前、とはな。好事家の彼女らしいとは言えるが……」
 指定された美術館の自動ドアをくぐる。まずインフォメーションへ。
 平日のせいか人影は疎らだ。
「失礼、サエキとかいう画家の絵はどこだ?」
 壮司は明らかに暇を持て余していそうな受付嬢に声をかけた。
「ええと、佐伯、ですか? それが佐伯祐三の作品でしたら当美術館では3階常設展示室の順路にひとつ御座いますが」
「ああ、それだ。ありがとう」
 味気ないつくりの階段を昇り常設展示階にたどり着く。
 左右に並ぶ大小の絵の画家名だけをグラス越しにチェックしながら、壮司は足早に歩を進めた。
 特に絵を鑑賞するでもなく早足で歩き、なにより濃いサングラスをかけたままの彼は少ない来館者の中でも流石に浮いて見えるのか、微妙な居心地の悪さを感じる。かと言って外すわけにもいかず――多少苛立つとともに、彼がグレイ・リトル・マンを使おうかとさえ考えたその時である。
「いた」
 時間ぴったり。
 指定した絵の前に佇んでいるのは雨柳凪砂だった。
 色良い唇に人差し指を立て、考え込むようにも、視線で愛でるようにも見える。絵に魅入られている様子だ。そのせいかまだ壮司には気付いていない。
 彼は声をかける言葉に迷ったが。
「……久しぶりだな」
 ふ、と現実に引き戻されたように壮司へと視線を移す凪砂の表情にはその名残りか、一瞬きょとんとした表情が浮かんだが――
「ええ、お久しぶりですね」
 すぐに柔らかい微笑を浮かべる。
「あの件、以来だな。例の刀」
「ええ……」
 凪砂は視線だけを落とした。
「悲しい、事件でしたね」
「ああ。ともかくその……蓮から聞いたとは思うんだが、急な話ですまなかった」
「いいんですよ。あたしはそれほど多忙な身でもありませんから」
 それが何かを知らぬ凪砂は元より、謝罪というあまり気分のいいものではない用件で出向いてきた壮司でもあったが、こうした言葉を交わす内に互いの緊張は急速に弛緩していった。凪砂の終始穏やかな表情に負う部分が大きかったろうか。ともかく壮司の先程までの苛立ちはすっぱりと消え去り、自然に本題へと入れそうな雰囲気に少しほっとする。こうして会えた以上はもう蓮の店で感じていたほどの焦りも彼の中になかった。
「いや、しかし待ち合わせが絵の前なんて、思いもしなかったぜ」
 その言葉を受けて少し申し訳なさそうに凪砂はくすくす、と笑った。
「ごめんなさい、久しぶりに見たくなったんです。あなたがこの絵を見てどう思うか、なんて少し好奇心もありますけど」
「この絵か?」
 グラス越しの視線を、凪砂の前の画に映す。
「佐伯祐三の風景画です。小品ですけど。どう思います?」
「な、どうって……ちょっと待ってくれよ」
 壮司は周囲にこちらへ向かう来館者の無いことを左眼の透視能力で素早く確認する。
 そしてグラスを上にずらしその絵を直に見た。
 異国の飲食店の入り口が描かれている。荒い筆使い。茶系の油絵の具で塗られた色彩は暗く、建物は多少歪んだような線で描かれている。
「どうと、言われてもな……。わかるのは、少なくとも俺には、風景はこんな風には見えない」
「ですよね。あたしもです」
 壮司は頭を掻いた。
「そうだなあ、それぐらいしか思いつかねえよ。なんで、俺にコイツを見せようと思ったんだ?」
「壮司さんの『神の左眼』でも、こんな風景は見えませんよね」
「ああ、見えねえ」
「そう。人間にしか、見えないものもあります」
「おいおい、説教かい?」
 が、凪砂に悪気のないのはわかっているので壮司の表情は柔らかい。
 困ったような笑顔で肩をすくめて見せた。
「ふふ、違います。ただ、あなたの神の眼に審美能力はあるのかな? なんて好奇心で。好事家のおせっかいと思って、笑ってしまってください」
「いいや、……一本とられたよ。サングラス無しで鑑賞できる、俺専用の美術館が欲しくなっちまった」
 そういって壮司はジョークであることを示すように、小さく笑った。凪砂もつられたのか、大声になりすぎぬよう手を口元に当て忍び笑いをする。
「ええと、それで用件というのは何でしょう?」
「おっといけね、そうだった。ただ、ここではちょっと……」
「では、2Fにカフェテラスがあるので行きましょうか」
「へぇ、そんなもんまであるのか」

4.

 
「俺はアメリカン」
「あたしはブルーマウンテンを」
 カフェテラスには夕刻近い冬の日差しが柔らかく降り注いでいる。
「さて、と、本題なんだが」
「はい」
 凪砂も幾分緊張した面持ちになる。
「まず俺は、あんたに謝らなくちゃいけない事があるんだ」
「何ですか? 私には心当たりがありませんけど……」
「前回『紅刻』の追跡をしたときだ。あんたの機転の一言で……あの刀の因縁に深く関わっている『蔵』での過去に起こった事象を、俺は透視した」
「そうでしたね。でも壮司さんの透視のお陰で、その因縁がはっきりしたんじゃないですか。私に謝ることなんて何も」
 ウェイトレスがカップを二つ運んできた。
 一旦会話を止める二人。
「……まあ、最後まで聞いてくれ」
 壮司は一度息をついて、再び話し出した。
「あのとき言ったように、過去の事象を“見る”のは、俺にとって初めての試みだった。緊急事態の手前、やってみるとはいったものの、実は透視精度にはかなり自信がなかったんだ」
 凪砂は冷静に耳を傾けている。
「その時間を越えた透視を完全にするためには、何か時間を越えた存在が必要だったんだ。だからその時に」
「あたしの“魔狼”を……コピー、したんですね?」
 壮司はコーヒーカップの黒い水面に視線を落とした。
「……そうだ。まさに時間を越えた存在といえるフェンリルの力を。急を要するとはいえ、無断で。……しかもその後しばらく、コピーしといた事を忘れっちまう有様だ。だから、とにかく急いであんたに会いたかった」
 壮司の視線は湯気を上げるアメリカンのカップに落とされたままだ。眼を上げたとき、凪砂がどんな表情を浮かべているのか……その不安が、彼の視線をそこに留まらせていた。
「これだけは、直接詫びたかった」
「なるほど、そういうことだったんですね」
「ああ。それと、あれ以来、無断で魔狼の能力を使ったことは、断じて一度もない。なんせ数日前唐突に思い出したんでな。ともかく、だ。謝る。すまなかった」
 壮司はやっと眼を上げ、凪砂を見た。
 グラス越しの彼女の表情は、不快でも怒りでもなく――壮司にとって意外なことに、にこにこと笑っていた。
「誠実な方なんですね、壮司さんは」
「な? 頑固と言われたことはあるが」
「誠実な方ですよ」
 少し戸惑う壮司。
「えっと、その、なんだ。許してもらえるか?」
「勿論です」
 笑顔を絶やさぬまま凪砂は頷いた。
「そ、そうか……感謝する」
 何かひとつ大きな肩の荷が降りた感じがして、壮司は大きく安堵の息をつく。
「そう、それで、壮司さんはどうするつもりなんですか? 今あなたの『左眼』にコピーされている、魔狼フェンリルを」
「ああ、それなんだが。図々しいことは百も承知だ。実は、俺自身は……このままストックしておきたいと考えている」
 凪砂はカップを手に取り口に近づけるところだった。壮司は続ける。
「当然だが、あんたの了承が得られればってことだ。だめならこの場で即刻、コピーは……消すよ」
 かたん、と凪砂がカップを置いた。
「いいですよ?」
「……え?」
 あまりにもあっさりした了承の言葉に、壮司は逆に面食らった。
「いいですよ、って……いいのか?」
「ええ。コピーしたままでいいですよ」
 凪砂は真剣な眼で壮司を見据えた。
「壮司さんはあたしに断りもいれず、無断で魔狼の能力を使い続けることもできたはず。ですよね」
「確かに、そうだが」
「それなのに、わざわざこうしてあたしに謝罪と了承を得に来ています。誠実ですよ。あたし自身は、フェンリルは友人だと考えています。コピーとはいえ、あなたにならもう一人の友人を安心して任せられる。あなたなら、悪用はありえないでしょうから……でも」
 凪砂の表情が一転して曇った。
「どうかしたのか?」
「このチョーカー……首輪です。『グレイプニル』。あたしはこれの力でフェンリルを制御しています。これがなければ、あたしは魔狼化して暴走し、罪なき人々や、存在すべき理にある事象を喰らいつくしてしまうところでした」
「なるほど」
「ですから、この『グレイプニル』も一緒にコピーした方がいいのではないかと思うんです。暴走して取り返しのつかないことにならない為に、何よりもあなた自身のために」
 しばらく、沈黙が続いた。
 壮司は手を顎に当て、何か深く考え込んでいる。
 心配そうな表情のまま、壮司の言葉を待つ凪砂。
 テラスに差し込む陽光が、既に赤みを帯びていた。
「……申し出は、ありがたいんだが」
 壮司が口を開いた。
「俺の『左眼』は、多少なりともストックした能力への制御能力を持ち合わせている。オリジナルの――あんたの能力の50%程度の力しか出せはしないだろうが、なんとか制御できると思う」
「でも、そんな……魔狼は神に近い存在なんですよ? 異常に感情的になれば、壮司さんの『左眼』で制御不能な程暴れだす事だって……! 『グレイプニル』をコピーしておけば、最悪それだけは起こりません。コピーしておいたほうが……」
 壮司の身を案じる彼女の優しさ。
 そこから来るその薦めは、哀願に近い響きさえ含んでいた。
「そうだ、わかってる。その危険度は……サンキュ。だがしかし、そこまで頼るわけにはいかねえ」
「わかりません……どうしてですか」
 凪砂はため息をついた。
「そこまで頼ったら、俺はただのコピー屋になっちまう」
「え?」
「フェンリルが危険度のある能力でも、なるべく俺の精神力と俺の『左眼』で制御していきたいんだ。そうでないと、俺自身と『左眼』の成長は止まってしまう。俺の『左眼』を、ただコピー・ストックするだけの入れ物にしたくないんだ」
 壮司の信念。
 凪砂はその強さの前にこれ以上の説得は無駄だと悟った。
「気をつけて、くださいね」
「大丈夫だ、そう心配そうな顔しないでくれ。制御できるさ、いや、やってみせる。信用してくれ」
「……わかりました。わたしの“友人”、可愛がってあげてください」
「ああ、仲良くやってみせるさ」

5.

 二人が美術館を出たとき、つるべ落としの冬の太陽は既に西の空でビル群の影をぼんやりと浮かび上がらせる程度のところまで沈んでいた。
 左右に彫刻やオブジェの並ぶ、広い芝生の中の道を、肩を並べて歩く。
「……おや、いい月じゃねえか」
 壮司のふと発した一言に凪砂が空を仰ぐと、眩しいほど黄色い満月が宙空に浮かんでいる。
「本当。あんなにハッキリと」
「明るすぎる都内の雑踏からじゃ、滅多にお眼にかかれねえな」
「そうですね、郊外の美術館の広場で、空気も澄んでいますし……。そういえば、壮司さんの眼に、似てませんか?」
 そう言って凪砂はいたずらっぽく彼の左眼を見て微笑する。
「あの月がか? はは、詩的だな。でもまあ確かに。」
 確かに、それほどの輝きを今宵この場の満月は放っていた。
 立ち止まってグラスを外し、じっくりと眺める。
「そう思うとあたしには、ウサギの餅つきには見えないかな」
「そうだな」
 思うところは二人とも同じのようだった。
「狼……。なんだか象徴的でいいですね」
「あんたにもそう見えるのか」
「ええ」
「ここは揃ってあれに向かって吼えるべきか?」
 壮司のその冗句に、凪砂が上品に笑う。
「さて」
 二人は芝生の終わり、美術館の門前に差し掛かっていた。
 壮司がグラスをかけなおす。
「今日はすまなかったな。能力の件、恩に着るぜ」
「いいえ、こちらこそ変な場所に呼び出してしまって」
「……じゃ、俺はこっちなんだが」
「あたしは逆ですね、あちらに車を置いてきたので」
「機会があれば、また会うこともあるだろ」
「ええ。それでは、お気をつけて」
 南北に分かれ歩き出す二人。
 大小二匹の魔狼を刻印された、金貨のような満月が彼らを見送っていた。

-end-
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
あきしまいさむ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月06日

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