『お囃子を聴きながら 』

ぺんぎん・文太（2769）

　煙管から立ち上る紫煙がゆっくりと空へと消えていく。
　茜色に変わりつつある空は、街に今日最後の柔らかい光を投げかける。
　日差しが煙管の金属部分に反射しきらりと光った。
　その輝く煙管を口にするのは、イワトビペンギンに酷似したもののけであるぺんぎん・文太である。
　再び、ぷかー、と至福そうに煙管をくゆらせる文太だったが、余裕があるように見えて実は全く余裕がない状況だ。
　何故自分がそこにいるか覚えていない。
　何のためにここにいるのか、どうしてここへきたのかも。
　これはいわゆる迷子というものではないか。

　文太が立っているのは何故か商店街のど真ん中。
　暫くのんびりと自分が何処にいるのかも解らない状態のまま紫煙をくゆらせていた文太だったが、立ち上る煙が細くなる頃、漸く辺りを見渡してみる。
　すると物忘れの激しい文太にしては珍しく、今自分のいる場所が何処であるのか解った。その場所を覚えていたのだ。
　それもこれも前方に見える銭湯の高い煙突を文太は目にしたからだった。
　その銭湯は時々文太が通っているところである。銭湯や温泉そういった場所はきっちりと覚えているのだ。

　文太はついっと空を見上げる。
　もう夕焼けも終わろうとしている時刻。
　橙色から藍色へと空が変わりゆくのを見つめ、文太は手にした檜の湯桶をがっちりと抱え直した。
　もうこれから温泉を探して彷徨うには遅い時間だ。
　文太は今夜の風呂は目の前にある銭湯にしようと心を決める。
　そしていざ銭湯へ向かおうとしたのだが、歩き始めようと商店街の道へと出た途端、溢れかえる人に文太はぴたりと動きを止めた。
　いつもは閑散としている商店街。夕方であってもこれほど人が行き交うことはない。
　どうしたというのだろう。
　テレビに映るスタァなるものが寂れた商店街へとやってきたからなのか、はたまた何かのお祭りがあるからなのか。
　珍しく道を埋め尽くす人、人、人。
　文太は硬直したままただその行き交う人を眺めるばかり。
　するとどこからか賑やかな音楽が流れてきた。
　それはピ〜ヒャラララ〜と高い音を鳴らす笛であったり、小太鼓や大太鼓。そして鐘の音が街に鳴り響いた。
　懐かしい音色。今も昔も変わらず地域に残るお囃子の音色だ。
　文太はそれに少し聞き惚れながらも、この人混みは秋祭りせいだということに漸く気付く。
　よく見てみれば、あちこちに秋祭りの御神輿が出ていた。
　これが今からこの人混みの中を動き回るのだろう。
　それはちょっとした凶器だ。
　ペンギンの姿をした文太には少々きつすぎる。

　文太はとりあえずこの人混みを抜け、銭湯を目指すべく歩き始めることにする。このまま此処にいては危険だった。
　しかし、人混みも文太を放っておいてはくれなかった。
　御神輿を見ようと集まってきた人々でぎゅうぎゅうと文太は押しつぶされる。
　思うように身動きも取れず、人々にもみくちゃにされ、足の間をくるくると回転しながら文太は進んだり後退したりを繰り返していた。
　上ばかりを向いて歩いている人間達は、足下にいる小さな存在など気にもとめない。
　このままでは命が危ない‥‥、と文太は危険を察知しひとまず人間の居ない物陰に逃げ込むことにした。
　そして丁度良く隣に祠のようにも見える物体を発見した文太は、迷わずその中へと飛び込んだ。
　人混みで危うく無くしてしまいそうになった湯桶も無事にその中へと持ち込むことが出来た。
　ほっ、と一息吐いた途端、一安心かと思いきや更なる危険が文太を襲う。
　突然動き出す文太の逃げ込んだ祠。
　動くことはないと思ったその祠の様な物体は、実はたまたま次に出る予定だった御神輿だったのだ。
　地面に降ろされ放置されていた御神輿に文太は自ら逃げ込んでしまった。
　これはもう人混みに揉まれて潰される程度の危険では済まない。
　その中から落ちないようにするだけで精一杯だ。

「わっしょい、わっしょい！」

　かけ声と共に大きく揺れる御神輿。
　その中では文太が、ごろん、ごろん、と転がり、壁や床に、どん、どん、と打ち付けられる。
　文太と共に滑る湯桶。
　中に入ったものを落とさないよう、文太も必死だ。
　ころころと回転しすぎて目も回る。
　普段のんびりまったりと過ごしているだけに、急激な衝撃には弱いのだ。
　高さ的には飛び降りられないこともないのだが、酷い乗り物酔い状態になってしまい、文太はその御神輿から飛び降りることすら出来ない。
　ただそのまま転がされるばかり。
　危険は感じるもののどうすることも出来ず、文太はそのまま転がり続ける。

　文太の脳裏に浮かぶのは湯けむり温泉。
　そう。大好きな温泉の事ばかり頭に浮かぶのだ。
　そして今夜行こうとしていた銭湯の煙突が思い出される。

　転がり続けて数十分も経った頃、衝撃に耐えられなくなったのか御神輿の扉の部分が文太の当たった衝撃で開いた。
　人々の目の前に突然さらされる文太の姿。

　煙管を手にし、湯桶を片手にごろんと転がり出た文太はそのまま宙を飛んだ。
　ペンギンだというのに飛んだ。

　人々は呆気にとられそのまま文太の行方を見守る。
　勢いよく飛んだ文太は向かい合っていた御神輿の中へ。
　そのまま扉を破り、ごろん、と転がり込んだ。
　すぐに担ぐ手を止められる訳もなく、そのまままた御神輿の中で転がり続ける文太。
　しかし勢いが付いていた御神輿の揺れで今度は後方から文太は飛び出す。

　再び文太は空を舞った。

「おかーさん、ねぇねぇ、ぺんぎんが空飛んでるよ？」
「‥‥‥ぬいぐるみでしょ？」
「だって動いたよ！」

　そんな声が微かに文太の耳に聞こえたような気がしたが、文太はそれどころではない。
　何でもないような顔をしつつも、空を飛んでちょっぴりドキドキしたりしていた。

　空を飛んだ文太は何処へ行ったのか。
　これまた運がよいのか文太は地面に叩きつけられることもなく、屋台のテントの上へと落ちた。
　何度かバウンドして、上手い具合に着地に成功する。
　回りから拍手が湧いた。
　皆御神輿に群がっており、屋台の方は人がまばらだった。
　それが幸いしたかもしれない。

　文太は誰にも気付かれないように、‥‥く、と鳴くと煙管を取り出し紫煙をくゆらせる。
　渋い、渋すぎる。
　今まで人混みでくるくると回転し、御神輿の中で回転し打ち付けられ、そして空を飛んできたとは思えないほどの落ち着きぶりだ。

　文太は一服し気持ちが落ち着いたのか、煙管を銜えたまま何事もなかったかのように歩き出した。
　もちろん、目の前に見える大きな煙突を持つ銭湯へと。
　何があっても湯に浸かってしまえば癒えてしまう。
　賑やかな喧噪に包まれた商店街を文太は今日も歩いていく。
　きっと銭湯では威勢の良い親父さんが迎えてくれることだろう。
　文太のくゆらせる紫煙は、お囃子の鳴り響く夜の闇へと融けていった。

PCシチュエーションノベル（シングル）

紫月サクヤ

東京怪談

2004年12月06日