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『初冬の出会い 』
江戸崎・満1300)&弓槻・冬子(3769)


 そろそろあそこに行かないとなぁ……江戸崎満(えどさき・みつる)は土を練っている手を止める。
 とりあえず、今作っている土を練り終わったらすぐに成形に入り乾燥するまでにはまだしばらく時間はある。
 それならば、乾燥している間に行けばいいだろう。
 壁に掛けられたカレンダーに丸をつけて満は再び土を練り始めた。


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 満がいつも使用している陶芸専用の薪を作っている炭屋は遠方にある。そのため満は時期を見計らって数ヶ月ごとにこうやって何本も電車を乗り継ぎさらにはバスに乗ってまで薪を仕入れに行くことにしている。
 そこまでしてこんな静かな、町というよりも村と言った方が良いような山間まで遠路はるばる来るにはそれなりに理由がある。
 その炭屋の薪の質が大変良いと言うこと。その炭屋のものと別の炭屋のものを比べると仕上がりに明らかに差がある。その差に気付くのはそれなりの審美眼を持つものならば一目瞭然だ。
 昔ならいざ知らず、最近ではそれだけの良質のものを置いている炭屋は珍しい。いくつか付き合いのあった炭屋もあったのだが、今となってはここだけになっている。
「いつもすまない」
 満は店の老齢の主に向かってそう言った。
「いえ……こちらこそ江戸崎さんとは長いお付き合いをさせていただいていますから」
 代々続くその炭屋との付き合いももう長くなる。
 人の倍以上生きている満とその炭屋とは長い付き合いで、現在の主でもう6代か7代目になるだろうか。
 炭屋のほうでもすでに満が人とは異なる者であることが長い付き合いで判っているのが満を異端視することなく接してくれる。時を越えた付き合いで満が気を置ける数少ない人であるのだ。
 少し苦笑を浮かべた満だったが、久しぶりだからとお茶を勧められるがままに縁側に腰掛け、満は竹林を眺めながら主と世間話をしていた。
 笹をざわざわと揺らす風はすっかり冬の冷たい空気を含んだものになっている。
 一際強い風が吹き大きく竹がしなる。
 竹の隙間を歩く人影が見えた。
「珍しいですね、ここらで人を見かけるなんて」
 ここらの周囲には本当に民家は少ない。故に人の姿自体を見かけること自体少ないのだが―――
「あぁ、きっとこの先にある療養所に向かう方じゃないですかねぇ」
と、老人は下り道の少し先を指した。
「へぇ、そんなものがあったのか……」
 こんな山間ですら確実に時は流れ、少しずつではあるが日々変化しているらしい。必ず季節が巡るのと同様に。
 そう、はじめて出合った頃はまだよちよち歩きであった幼子が、今、目の前にいるような年老いた姿に変わってしまったように。
 時は残酷なまでに正直で、そんな時、自分が『人』とは速度の異なる時の中に身を置いているのだと実感する。それが、辛いとか寂しいとか、そんな時期はもうとっくに過ぎてしまっているのだが、それでも些細な変化に敏感になってしまうのは感傷的だろうか。
「……まぁ、都会の喧騒とは離れてこういう空気のきれいで自然に囲まれた静かな場所で養生した方がいいんだろうな」
 ざわざわと微かな葉音に耳を澄ませながら、満はゆっくりとした動作で温かいお茶を口にした。


■■■■■


 老人に礼を言い炭屋を後にした満は、何とは無しに帰りしな先ほど話に出た療養所へと足を向けた。
 自分が降りたバス停へまた戻れば良かったのだが、少し秋から冬へと移り変わる山道を歩いて見たいというのもあったからだ。
 しばらく続いた竹の並ぶ細い路を抜け、山らしい木々が並んだその奥に『白樺療養所』という看板があった。
 門扉は無用心にも開いていたが、塀の中の古い建物へたどり着くまでには広い整地された庭が広がっていた。
 夏とは裏腹にくすんだ色の芝生を踏みしめ歩いていた満が何気なく建物に目をやると、病室らしき一室の窓から外を眺めている女性がいた。
―――患者なんだろうな……
 淡い色の服に柔らかそうな大きなストールを肩から掛けて緩くひとつに結ばれた長く艶やかな黒髪は彼女の白い白い肌によく似合っている。ただ、その白い頬の赤みが薄く、彼女が完全な健康体ではないのだろうと言う事は一目でわかった。儚い微笑を浮かべる彼女に、満は軽くお辞儀する。
「こんにちは」
 彼女は臆する事もなく満にそう声を掛けてきた。
 彼女の視線の先をたどると、遠くの山々が移る。
 つい先日まで紅葉で鮮やかな色を見せいていたであろうその山は秋化粧から冬になるべくその葉が次々と散っているのだろう。
「紅葉ももう終わりなんでしょうけど……でも、きれいな景色ですよね」
 葉が散ってしまった山を見てもそう言って微笑む彼女の笑顔の方が数倍も美しく満の目には映った。
「……えぇ」
「どなたかのお見舞いですか?」
「いえ、ちょっと、この近くの炭屋まで用事があったので……あぁ、俺は陶芸をしているもので」
と、満が名乗ると。
「私の方こそ、名乗りもしないでごめんなさい。弓槻冬子といいます」
 名前のせいか、秋よりもこういう風に冬に向かおうとしている季節の方が好きなのだと言う冬子に満は頷く。
「わざわざ東京の方からはるばる来られたんですか?」
「やっぱり慣れ親しんだものでないと焼きも上手くいかないので。納得できるものが出来ないのでは意味がないから」
「やっぱり陶芸家さんって気難しいのかしら。気に入らなかったら投げつけて割っちゃったりするんですか?」
「否定は、出来ないかな」
 自嘲的に答える満に、悪戯っぽく尋ねてきた冬子はくすくすと口元を押さえながら笑っていた。
 だが、笑い声に続けて小さく何度か咳を繰り返した。
「あぁ、風景を鑑賞するのも良いがあまり長い間窓を開けっ放しにしておくと身体に良くない」
 堰き込む冬子の身体を慮って満がそう言う。
「籠の中の鳥には景色を楽しむことくらいしか出来ないんです」
 そういって変わらずに微笑んだ冬子は先ほどとは少し異なった寂しげな色が浮かぶ。
「今度来る時は景色以外に楽しめるような何かを持ってきますよ」
 都会の土産話を持ってくるという満に、
「約束ですよ」
と、冬子が小指を差し出した。
 その細くひんやりとした彼女の指に自分の小指を絡める。
「必ず。だから、ほら」
 約束をして満は彼女に窓を閉めるように促す。
 冬子は満に促されてようやく中に入り窓を閉める。
 それを確認して満はその場を後にした。
 門扉を抜ける前に振り向くと、見送る冬子と目が合った。
 その冬子にもう一度小さく挨拶して今度こそ満はその場を後にした。今度訪れる時はどんな土産話を持って行こうかと、そんなことを考えながら。
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遠野藍子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月06日

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