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『雪景色 』
皆奈月・りゆ4009)&葛弥・世都(4010)
 日が暮れてから急に気温が下がりはじめた。近くのビルの電光掲示板の天気予報では明日は雪。
 最近の天気予報は当たったためしがない。
 だってもう雪がちらついている。家まではまだ遠い。

 雑踏の中を駅へ向かって早足で歩きながら、皆奈月りゆは舌打ちをする。もちろん音など出さない巧みなものだ。
 日本の標準的な中流家庭に生まれ育った可愛らしいお嬢さんであるというのが本人の申告であり世間一般の評価である。得意技は猫かぶり。
 そんなりゆがぷんぷんと憤っていた。
 なんでこんな日に限ってちょっと遠くの繁華街まで買い物にきてしまったのか。上着は薄手のジャケット、手袋もない。つまり寒い。
 ほんとうは、そのへんの人気のない路地にでも入って『飛べ』ばあっというまに家へ帰りつくのだが、いまのりゆにそんな考えは露ほども浮かばないらしい。

 なんとかならないものか。

 らちもなく物思いに耽り、すれ違う人にぶつかりそうになって顔をあげ、意外なものを見て目をわずかに見開く。
「ありゃ」思わず声が出た。
「あら……?」かわいく言い直す。
 りゆより二十メートルは先、ひとごみの中に頭一つぬけて高い銀色の髪の男。
 にんまり、とりゆの顔に笑みが浮かんだ。

「せ、つ、サ、ン」
 猫を撫でまくったようなりゆの声に、アルバイト帰りの葛弥世都のクールな顔がさらに固まった。こんな呼び方、こんな声色の時は決まって何か「そのコートかしてっ?寒いの〜」
 振り向くとやや下方にりゆの見なれた金の髪の頭があった。きらきらした目は上目遣い、両手は合わさってお願いモードに入っている。
 そんな見てくれ小手先の技に篭絡する世都ではない。
 黙ってコートを脱ぐと、りゆにくれてやる。かわいらしい見てくれの中に秘められたりゆの本性を知るものはごくわずかだ。
「わーい、ありがと世都サン、ゴメンね寒くない?」
 りゆにコートを奪われた世都の上着は(安いので)有名な衣料ブランドのセーターだけだった。世都はゆっくりと首を横に振る。
「いや、寒くはない」
 セーターどころか、Tシャツ短パン姿だったとしてもーーそこまで身ぐるみ剥がされる気は毛頭ないがーー快適でこそあれ何ら痛痒を感じることはないのだ。もちろん分かっていっているりゆは、うんうんと頷く。
「そうよね、世都はゆきにんだから大丈夫よねー」
 男だから雪女でもない。毛むくじゃらの雪男(イエティ)でもない、だから世都は雪人だ。それがりゆの主張である。
 りゆの言い様にしかし、世都の口の端にごくわずかに笑みが浮かぶ。
(あ……笑った)
 目撃したのを気付かれる前に無理矢理視線を正面に戻す。そしてなんとなく空を見上げた。
 薄やみの中から幾ひらも幾ひらも舞い落ちてくる細かい雪。
 隣には世都。同じように空を見ている。
 りゆはなんとなく嬉しくなって、でも理由がわからないので表には出さないことにする。
 そうそう。
 世都はいまでこそ十七歳のりゆとの年齢差が二つくらいだが、あの時は遥かに大人に見えた。そのくせ人見知りの子供みたいな反応をしたっけ。
 薄やみは徐々に深まってくる。



  人の来ない山深く、雪原のただなかを歩く人影。
 世都だった。ちょっと時代がかった着物を着ていて、見た目はそれ以外は今と同じ。足跡も残さず、凍えるような風も意に介さず、勝手知ったる庭を散策でもしているかのように歩いている。
 じきに陽が落ちる。足元には長い影が落ちていた。
 世都の足が止まった。少し先の隆起の手前から、足跡が唐突にはじまっている。大きさからして鳥や動物のものではない。
 人間、だろうか。もしかしたら雪娘たちに連れてこられたのかもしれない。彼女らは気まぐれで残酷だから、連れてきた遊び相手を置き去りにしていってしまうこともたまにある。
 しばし躊躇して、それから生死だけでも確かめようと歩き出し隆起にさしかかると、唐突に目が合った。睨むようなつよい光の目が世都にむけられる。
 夕陽にきらめく薄い色の髪。毛先だけくるくるとしていて、顔もそれに見合うくらい可愛い、というのはずっとあとになってからの世都の感想である。むろん心の中だけの感想である。少女の服はセーターにマフラー、厚手のスカートと冬の装いではあるが、この雪山にはとうてい似つかわしくない軽装であった。
 隆起の陰のくぼみに座り込んで震えていたその女の子は世都より十歳くらいは下に見える年齢で、具体的に言うと八歳のりゆだった。

 ここだけの話、幼いりゆは自分の能力をおもうさま使って遊び回っていたのだ。街から街へ、山から山へ。
 そして世都の庭であるこの雪山であえなく力つき遭難したのである。恥ずかしくて世都には絶対にばらせないりゆの秘密である。

「あなた、だれ?」「……せつ」
「ここでなにしてるの?」「……」

 りゆの矢継ぎ早の質問にまごつく世都。遭難者と発見者の、立場がまるで逆であった。

 りゆは世都の戸惑ったような青い瞳を。
 世都はりゆの心の底まで見透かそうとするような赤の瞳を。
 おたがいずいぶんながいこと黙って見つめあっていたと思う。

 陽が落ち切った合図のようにごうと風が吹く。ふわりと舞い上がった雪片が視線をさえぎって、世都の思考が唐突に戻る。
 人間は凍え死ぬ。
「少しそこをどいていなさい」
 遠慮がちに差し出した手をためらいもなくりゆがしっかと掴む。鮮やかに赤くそのくせ芯まで凍えていたりゆの小さな手だが、長いこと誰かの手に触れたためしのなかった世都には確かな温もりが感じられた。
「どうするの?」
「雪室をつくる」
 問いに短く答えて、空いた片方の手をかざす。ひゅう、というかすかな音と共に小さな吹雪が渦巻いた。
 目を見張るりゆの目の前で雪が凝り、隆起の風下にちいさな雪室が完成した。
「すごい!かまくらね!」
 りゆがはしゃいだ声をあげて繋いだ手をぐいぐいとひっぱり自分もろとも世都を雪室の中に引きずり込む。風の届かない雪室の中は、とても暖かい気がした。りゆは目に見えて落ち着いたように、ふぅと小さく息をついた。
 世都は戸惑った。このまま少女には安全なここにいてもらって、自分は麓の人里にそれとなく知らせをしてこようとおもっていたのだ。
 けれど。この手を離してはいけない、そうも思った。いましがた見せた自分のちからにも怖れずにいれくれたこの少女の手を、離したくはなかったーー。



 自分の事家族の事住んでいる街東京のこと。世都が無口なのをいいことにずっと語って聞かせていたような気がする。
 ふたりで並んで座り、身を寄せあって舞い降る雪を見ていた。
 ときたま盗み見る世都の姿。白い着物に薄い色素。闇夜のなか玲瓏といっていいそれが消えてしまわないように、しっかりと手を……。

「つないでるけどいいのか」
「うおおうっ」
 世都の声に、かぶっていた猫がふっとぶ。
「あ、あっらーゴメンなさいね世都サン」
 ぱたぱたと振り切った手をふる。普段は人前では他人行儀なりゆである。あきらかにサイズのあわない男物のコートを着込んでいて他人行儀もなにもないが。
 とにもかくにも不覚をとった。どぎまぎしていると、
「そういえば今日みたいだったな」
「え、な、なにが!?」
 世都の何気ない言葉に声が裏返る。
「俺が街を歩いてたら、りゆが今日みたいに後ろから声をかけてきただろ。『せつサン』って」
 世都の言葉にりゆも得心がいく。
「ああ……世都が山を降りて東京に来た日のことだね。あれは偶然だったんだよ?」
 雑踏の中から頭一つ抜きん出ている銀の髪。衣服こそ現代風に改まっていたが、絶滅危惧種おのぼりさんそのままにたまにきょろきょろとしているその姿に、こらえきれない笑い顔のまま声をかけた。りゆを見て固まったクールな顔。

 おぼろな幼い日の思い出の姿はそのまま。けれど現在の自分の隣に世都は歩いている。

「せ、つ、サ、ン」
「……今度はなん」
「腕組もう、腕」
 言うが早いか、りゆは世都の二の腕に自分の細い腕を絡ませる。言葉の途中で黙り込んだ世都の腕からは激しい緊張が伝わってきて、思わず吹き出しそうになる。これだから世都をからかうのはやめられない。気のせいか、なんだか二人のいるこの近辺だけ雪が激しくなったようだ。

 
 石畳に、うっすら足跡が残る。
 すぐに大勢の足跡にまぎれたけれど、間違いなく二人で刻んだ足跡なのだ。



おわり
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東京怪談
2004年11月30日

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