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『□■□■ ツキニノゾム。 ■□■□ 』
夜木・幸4349


 月に、臨む。
 眼帯を軽く押し上げて片目だけを晒し、月を見上げる。
 月齢十五の白い満月。
 うさぎが住むとは、どこの国の御伽噺だっただろう。

 夜風が通り過ぎて、夜木幸の長い髪をさらさらと鳴らした。部屋の窓を開けていると流石に冷える。それでも、少しでも月を近くに感じたくて窓を開けた。大気が邪魔をして霞ませてしまう光、だけれどだからこそ光は優しい――教えてくれたのは誰だったか、思い出して、幸はふるっと頭を振る。

 中々に、これは御し難い感情だ。思考の全てが帰結する先に、『アノヒト』がいる。その姿が思い浮かんでくるだけで、いつもは苦い疼きを持つ胸の中にふわりと暖かい感情が生まれて、どうしようもない。肩を竦めて笑い出したくなるぐらいの、気持ちのいい感情――多分それは、好き、ということ。
 胸が高鳴って、だけど切なくなる。なのに視線は追ってしまう、『アノヒト』を。見ていると嬉しくて楽しくて恋しくて、だけど少しだけ。恐くて。

 ふわり、月から吹く風が彼女の髪を揺らす。
 ほんの少し火照った頬を撫でる。
 同時に、警告を囁く錯覚。

 人でも無いのに。
 人に恋して。
 人を愛して。
 何か出来るとでも?
 何かになれるとでも?
 何かに変われるとでも?

 彼女の声がする、夢で見る知らない彼女。黒焦げの死体を抱いて静かに涙を流し、暗い炎を宿らせた瞳で哀れむように自分を見詰めた彼女。人で無い者はそれであるしかないと、それ以外を求めれば待っているのは破滅だと。交わりを求めて待っているのは悲劇、関わりを求めて待っているのは惨劇、変わりを求めて待っているのは――終劇。
 違う、と幸は頭を振る。最初は小さく、やがて激しく。髪が乱れて跳ね飛び、頬に当たる感覚でそれを止める。頭がくらくらした。
 違う、あれは夢。知らない女性。知らない人。知らない、だから、違う。同属なのかもしれない? 同族なのかもしれない? それでも別の人格だ、別の、個体だ。だから一緒になんかならない、一緒に考える必要なんてない。違うのだから。違う、の、だから。
 本当に? 失われた記憶の断片、孤独の欠片。そうでないと言う保障はどこにも無いのに、ただの願望に縋り付いて? 思考を否定する、月をも見上げる。柔らかな光の印象を『アノヒト』に重ねて、ゆっくりと心を落ち着ける。

「……どうして、俺は人じゃないのかなぁ――」

 呟いた言葉は誰にも聞かれないままに、消える。その言葉を発した事実すらも朧になってしまうような、静寂。教会の近くはひっそりとしていて、夜は殊更に静かだった。静寂が痛いほどに身体中を包み込んで。寂寥感を伝えてくる。孤独のように切なく、恋のように冷たい。風はさらさらと流れて、それだけが世界に音を伝える。

 どうして、自分は人ではないのか。目隠し、手枷、足枷――全ては人ではない能力を抑える為に、架せられている。だが、その封印を掛けられている状態ですら、異端だった。どうしようもなく、押さえていても人とは違う――他人とは違う、人間とは、違う。
 どうして? どうして人であってはいけないんだろう。同じ世界に存在して、通じ合う言葉があって、同じ事に悲しんで楽しむことが出来る。ただ根幹を担う部分が異なってしまっているだけで、自分達は同じもののはずなのに。幸い形だって近いし、笑うことも泣くこともできる。こうやって想いを移して、切ないような心地を味わう事だって。それはきっと、人と共通している。同じのはず。

 でも、人じゃ、ない。
 似ているからこそ、その差異が際立ってしまう。
 似ているからこそ、その違いが目立ってしまう。
 人間には、なれない。

 どうして? どうしてこんなに臆病になってしまうのか。『アノヒト』は自分を差別したりしない、自分が人で無いからといって何かを侮ったり、蔑んだりはしない。むしろそれをしているのは自分。自分自身を下にして、距離を置いてしまいがちになるのは、誰よりも自分。好きだけど恐いから。恐いけれど好きだから? どっちが先にある言葉なのか判らない、何か、おかしい。どうしてこんな感覚が生まれているのか。どうしてこんなに矛盾して螺旋になっているのか。くるくると、くるくると。
 会いたい、会える。だけど会いたくない。矛盾のサイクル。くるくると回るそれはメビウス。人になりたい、人になったらきっと何も考えずに愛せる。何も考えずに会える、何も考えずに笑える。こんな枷も何も要らなくて、人に混じって交わって人として生きて。笑って泣いて、そうしていられる。人だったら、人であったら。
 だけどそれを願うたびに夢がリフレインしては苛んでいく。人でありたいと望んで、人に馴染もうとして、だけど結局全てが壊されてしまったと。壊れてしまったと。殺されてしまったと、殺してしまったと。殺す? 殺される? 壊す? 壊される? 壊れる? 自分も?

 違う、そんなことない。
 自分は、違う。
 自分は、そんなんじゃない。
 彼女とは、違うんだから。

「ひと――に、」

 人に。
 人になりたい。
 どうして?
 だって、人なら。愛せる。
 人なら人を愛せる。

 魔物が人を愛してはならない道理なんて、どこに?

 魔物だから愛せない。魔物だから愛さない。『アノヒト』は、そんな事を言うだろうか。『アノヒト』は、そんな風に他人を差別するだろうか? きっと、しない。そんな分け目なんて『アノヒト』にはない、『アノヒト』は、もっとちゃんと――見てくれる。
 愛してくれないとしたらそれはきっと別の理由。
 少なくとも種族なんてきっと、関係ない。
 愛してくれる理由にも愛してくれない理由にも、人か、そうでないかなんて考えない。
 だって、そういう人だから。
 少なくとも、そう思っているから。
 だって、自分だってこうやって人を愛しているんだから。


 お前は傷付く人を愛せば壊れるそして殺し続けるだろう俺のようにそして何もかも失う


「違います、よ。俺は、そんなことしない」

 幸は宣言する。見上げる満月に挑む。
 向こう側の闇に潜む夢に対峙を。
 髪を靡かせる夜風を、真正面に、受けて。

「だって俺は、貴方じゃないんですから」



<<"I'm not you" over>>

PCシチュエーションノベル(シングル) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月26日

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