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『□■□■ ムゲンホウヨウ。 ■□■□ 』
夜木・幸4349


 夢幻に抱かれ眠りに落ちる。
 堕ちて行く意識を思う。
 暗い世界に抱かれる。

 それはいわば、夢幻抱擁。



 目の前にいるのが誰なのか判らない。
 長い黒髪を束ね、背中に流している姿。肌は白く、不健康なほど。細い面に不釣合いに巨大な角を頭の左右から生やしている。背中からは静かに炎が上がって、それは、三対の羽のようだった。酸素が燃焼されていく気配もなく、それは静かに燃えている。黒いそれは地獄の炎。煉獄を連想する。ゆらりと垂れた尾は先端だけがふわふわとした繊毛を持っていた。獅子の尾。人の形をしているのに、人ではないその姿。
 首を傾げる。距離は、十歩ほど。
 夜木幸は、そっと、脚を踏み出した。

 夢は無意識。認識や意識と関係の無い映像を見せることが在る。だけどそれは完全に切り離された関係の無さがあるのではなくて、見えない糸と意図で繋がれたなんらかの暗喩であることが多い――あの牧師がそんな事を言っていた、ような、気がする。だとしたら目の前の相手は一体何なのだろう。見覚えがあるはずなのに、分からない。思考に霞が掛かっている錯覚が邪魔で、軽く頭を振った。ちっとも晴れない。
 とても朧でふわふわしたものに抱かれているように。それが眼を覆い、耳を塞ぎ、感覚をすべて鈍麻させているように。不快感すら憶えられないほどの奇妙な感覚。一体それが何を意味しているのか判らない。ふらふら、くらくら。半ば操られるように脚を進めれば、憂いを帯びた視線を向けられ、立ち止まらされる。

「人間は、危険だ」

 ぽつん。
 聞き覚えのある声で、それは、彼女は、呟いた。

「あなた――だれ、ですか」
「人間は、危険だ」
「ここは――どこ、ですか」
「人と交わってはいけない」
「なにを――言ってるのか」
「人など信じてはいけない」
「答えて――下さい」
「何も、信じるな」

 噛み合わない独り言の連鎖。ふっと襲った不安感に、幸は微かな悪寒を覚える。寒くは無いはずなのに、背中がぞくりとした。なんだろう。鈍い感覚の中に、何かが、芽生える。何か。生臭い有機的な灰のニオイがする。どこで?
 ここには、何も無いのに。
 暗くも無い、だけど明るくも無い。何も無いその場所に、半ば浮かぶようにしながら自分達は対峙している。向かい合っている。互いを認識し合い、互いの眼を見詰め合っているはずなのに、何も意思の疎通はしていないけれど。
 いるのにいない。ざわざわと、身体を鳥肌が覆っていく。

「何故、人を信じてはいけないのですか」

 訊ねる。
 相手は、視線を伏せた。
 帯びられた愁いは増していく。
 何故だか、その様子に、寒気がした。
 震えが止まらないほどに、落ち着かない。

 頭のどこかで確実に響いてるシグナル。いけないいけない。そこに行ってはいけない。そこに触れてはいけない。目を合わせれば石になってしまう、ゴーゴンの印象。静かに黒く燃える煉獄が、暗く自分達を照らしている。
 ふわふわと抱かれている、感覚。
 何に遮られているのか、この感覚は。
 不安定で不確定で、気持ちが、悪い。

「人は、危険ではありません――俺は、そう思ってます。俺の封印を解いてくれたのは人間で、俺の友達になってくれた人達も、その大部分が人間です。怖いのは、悪魔です――俺を狙ってくる。それは良い。でも、人を巻き込みます。無差別に傷付けます、それこそが俺は――怖い」
「戯言だな」
「違います。本当の事、ですよ。人間は確かに、怖い人もいます。ですけれどそれは一面的な真実じゃありません、優しい人だって、もっと、たくさん――」

 有機的なニオイ。
 焦げるそれ。
 たんぱく質が焼かれる気配。
 どこかで懐かしく嘔吐感を誘う、それ。

 呼吸を、呑む。
 一瞬で喉が焼き尽くされる錯覚。
 相手の腕の中にあるのは、死体。
 黒焦げの――女性。

 一酸化炭素と結び付いたのか、滴る血は赤い。破けた腹の中から覗く内蔵も赤い。それを抱きかかえて無表情に眺める相手の気が知れなかった、どうして、そうしていられるのか分からなかった。眼を背ける。臭気が漂う。吐き気がした、胃がせり上がった。込み上げて来た吐瀉物が喉を焼く、胃液の酸いニオイと感覚。気持ちが悪い。何が。何で。何時の間に。視線をそらしても身体中に、ニオイが、纏わり付いて。

「そう思っていたさ――」
「ッ……ぐ、?」
「人は優しいものだと、綺麗なものだと、素敵なものだと。思っていた。思っていたさ、俺だってな。そういう夢を見ていた頃が、確かに、あったよ。人は素敵なものだと、俺だって、信じていた。本当は信じていたかった――でも、無理だ」
「な……ぜ?」
「人は残酷なものなんだよ」

 黒い炎が静かに照らす。黒い影をゆらゆらと落として。自嘲気味に笑った相手の顔が、わからない。熱に眼球が破裂したのか、死体の顔には眼窩と口の三つの穴がぽっかりと開いていた。どこか滑稽な印象さえ受ける。大きく開けられた口が何かを叫ぶように、訴えるように。
 何が起こっているのか、目の前のこの光景に何の意味があるのか。何の意味も無いのか。悪夢なのか、現実なのか、判らない。判りたくない。確定されるのが嫌だ、現実だと肯定されてしまったら、狂う。こんな。こんな状況。



――――――どうして?


 誰かが不思議そうに、尋ねた。

「人を愛していたよ。馴染もうとした。彼女と一緒に、馴染もうとしていた――この人間と一緒に生きたくて、人間になりたいと思って。人間になろうと努力したんだ」
「あなたも、人を、愛していたなら――判るでしょう? 俺が、人を愛したいって気持ち、判るはず、です」
「判るさ――それは、挫折する。お前は同じように大切なものを失って、束縛を失って、また封印される。もしかしたら、殺されるだろうな」

 くくくっと、相手は笑って見せる。だがその眼はちっとも笑っていない、ただ、暗い。炎の翼が映り込むように静かな激しい暗さがそこにある――どうしてそんな目をしているのか、判らないけれど。
 寒気がする、吐き気がする。知りたくないと身体が、脳髄が、拒否をしている。ビリビリと指先が痛むのは緊張の所為で末端の筋肉が収縮している所為か。血が回らなくて冷たくなっていく。気持悪い、逃げ出したい。でも、どこに行けば逃げられるのかが判らない。この炎から、暗い、眼差しから。
 膝が崩れそうになる、呼吸が上がる。酸素の過剰摂取で思考が霞む。鈍っていく。違う。知らない。赤い。紅い血が、頭の奥に、こびりつく。一酸化炭素と結合して鮮やかさを増した、文字通りの鮮血。自分の目の前で舞い上がったそれ。知らない。そんな記憶なんか知らない。思い出したい? いや、だ。
 思い出したくなんか、ない。
 そんな思い出いらない。

「人は、俺に彼女を殺させたよ。そして俺を異端にした。異端にしたがった。そのために彼女が死んだ。人は俺を敵とみなすために、俺に、彼女を殺させた――」
「それで、も――ひと、はッ」
「人は、残酷で、汚くて、恐ろしいものなんだよ。殺さなくちゃならない。だから俺は、殺したさ」
「ッあなたは!!」

 幸は顔を上げる。
 そして、絶句する。
 暗い炎の眼から。
 ほろほろと、涙が。

 死体を抱き締めて異形が涙を零す。どこが見たイメージ。知りたくない感覚。何も、何も何も何も何も何も何も何も。要らない? 望んだのは、自分。失われたものを求めたのは何よりも自分なのに、どうして拒否するの? 誰かの声が響く。誰か。誰かが自分の意識を落としていく。堕としていく。つぎはぎだらけの記憶がリフレインする。身体中を優しく抱き締める、夢幻の気配。意識が無くなっていく。泣きながら、相手は、笑った。慈しむような哀れみと、蔑むような愛しさを込めた視線で、彼女を包み込む。

「それでも、おれは、ひとに、なりたい――あいし、たいッ」

 相手は、寂しげに笑う。
 孤独ゆえか、それとも、悲劇の予感にか。
 愛したいと望んで、それでも、出来ないのにと。



 夢幻が身体を纏う。
 無間が身体を包む。
 無限が身体を覆う。



 抱かれて、目覚める。



 何も憶えていないのに、ただ、涙が流れた。



「さ、びし――ぃ、」

 胸元を押さえる。ぎゅっと身体を庇うように背を丸め。腕を抱く。零れだす涙が止まらない、寒気が、悪寒が、錯覚する焼けた人のニオイが、嘔吐感すらも連れてくる。気持悪い、気持悪い。誰か助けて。側にいて。痛い。寂しい。胸が痛い、痛いイタイいたい。

「たすけ、て――」

 狂いだしそうに、痛くて。
 刹那くて切なくて寂しくて淋しくて。
 壊れるほどに、それでも。
 世界が、愛しくて、哀しくて。



<<"Hold on me" over>>

PCシチュエーションノベル(シングル) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月25日

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