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『例え愚かと哂われても 』
草摩・色2675


 昔。
 もっともっと小さかった頃に。
 俺は体が弱かった。病的な白い肌に、すぐに悲鳴を上げる心臓。同じ年頃の子供と駆け回る事も出来ず、毎日ベッドの中で咳き込んでは母と父を泣きながら呼んだ。
 いつもいつもただ、弱い幼子だった。
 死の恐怖と危険に襲われて、幼心に長くは無いと悟っていたけれど。
 小学校に上がる年、高熱に倒れた。
 両親がこの後俺に語った所には、医者に覚悟を求められたという。三日三晩死の淵を彷徨って、奇跡的に意識を取り戻した時。その時の両親の、笑顔だけははっきりと眼裏に焼きついている。

 多分あの一瞬が、『家族』としてあった全て。

 今俺の身体には手術の跡は無い。生まれ持った弱い心臓はまるで取替えでもしたかのように、もう俺に苦痛を与えない。
 良かったね。
 表面だけを見れば皆必ず言う。死の床から逃れて、健康な身体を手に入れたのだからと。
 その代償を、思う。


 ■ □ ■ □


『ごめんなさい』

 暗闇の中で、女が泣いている。

『ごめんね、色――』

 顔を両手に埋めながら、細い声が謝罪を繰り返す。

『ごめんね、アナタ……』
 
 細く白い腕に、色素の薄い長い髪がかかる。女の泣き声は次第に冷静さを失い、感情の乏しい声がただただ、続ける。
 闇の中、幽霊のような恐ろしくも希薄な姿で、女は永遠に止まらない。

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんごめんごめんごめんごめごごごごごごごごごごごごごご――――』


「っかぁさん……!!」
 悲鳴のように喉から迸った自分の声に驚いて、色は目を覚ました。
 荒い息と震えに己の身体をかき抱き、汗に濡れた身体を落ち着けようと、瞳を閉じなおす。そして、開ける。
 白い天井が見える。閉じたカーテンの向こうに薄っすらとした光が見えるのは、今の時間が朝方だからだろう。
 色は慣れた調子で呼吸を整えると、むくりと身体を起こした。
 部屋は広く、彼以外に人の気配は無い。
 部屋の中央にベッドを置き、調度類はチェアーとテーブルだけ。クローゼットを内包した部屋は白色で統一され、唯一壁にかかった学生服だけが濃紺色。
 ベッドの上に身体を起こした人物も色素薄く、彼の年頃と合わせてどこか違和感が感じられる。
 少年と呼ぶに相応しい彼――草摩・色はその部屋を合わせた3LDKのマンションに一人で暮らしていた。それは中学生である彼には不必要な空間であり、屈折した家庭事情を想像させるにも十分な状況であった。
 だがしかし彼の通う中学校を考えれば、当然でもあるかの様に認識される。
 暗い夢の淵から理性を取り戻した少年は、外ではけして見せぬ大人びた表情を自嘲に歪めた。奇妙な色彩を持った瞳が伏せられる。
「女々し過ぎ……」
 色にとってこれは珍しい朝では無い。毎日の習慣。けして慣れない、痛む記憶。忘れたい過去を夢に見て、浅ましくも望んでしまう自分を愚弄するように嘲笑しても、暖かな温もりを、家族という絆を求めて止まない。
 そこには自身の想像する未来などけしてありはしないのに。
「馬鹿じゃねぇの……?」
立てた膝に額を当てて、長い吐息を漏らす。
 自分で選んだ道が正しいか等知らないし、わからない。それでも、選んだ道を後悔してさえいる自分を『幼い』の一言で片付けてしまえればいい。
「ほんと馬鹿……」
言い聞かせるように紡ぐ言葉の端から、どっと押し寄せてくる自責の念に色はもう一度瞳を閉じた。


 ■ □ ■ □


 完璧に去った病巣を見て、医者は奇蹟だと言い、両親は喜んだ。俺も、もう二度と痛みと苦しみに喘ぐ日々が無くなるのだと嬉しかったし、何より両親の笑顔が嬉しかった。胸を押さえて日々泣き叫ぶ俺を見る時の母は涙を流していたし、父は痛ましげに顔を歪ませていた。だから、嬉しくて、嬉しくて、ただそれだけで。
 ――それは一瞬の幸せに過ぎなかったけど。
 しんしんと降り積もる雪に、寒い冬は白に塗り染められた。夜の帳を降ろした外界はこの世のモノとも思えぬ程美しく、幻想的で、俺は何故か涙で頬を濡らしてその景色を見ていたっけ。
 世界を美しいと思えた事は初めてで、満ち足りた気分に寒い空気の中でも身体は温かくて。穏やかな気持ちで生きていける事を、神に感謝すらして。
 夢を見る。
 これからの輝かしい未来に夢を。
 したい事。出来なかった事。これからは何もかもが自由。誰に咎められる事もなく走り回れる。俺は自由――。
 涙の理由は歓喜。
 これ以上無い程幸せだったのだと思う。

 翌日退院した俺が見たモノは、恐怖に戦慄する母の顔だった。にこやかに微笑む母の顔が狂相を浮かべ、太陽を背に俺を見ている。不思議そうに首を傾げる俺の手を強引に引いて、母は病院へと逆戻り。
 病院に入るなり何かを叫んで、やっぱり泣いていた。また母親の涙を見るのかと俺も悲しくなって泣き出して、宥めようと近寄って来た医者と肩に触れた看護婦を見て、もっと激しく泣いてしまった。
 動揺を向ける医者、看護婦、患者、そして母。
 俺にもわからなかった。わからなかったけれど、その異常事態に皆が正常を保っている事が恐ろしくて泣いて。収集がつかない事態に麻酔を打たれて睡眠を与えられた。
 俺がその時見たものは、血。血。血。四方八方を染めつくす紅の色と、医療器具という凶器の数々。聞こえてくるのは断末魔の悲鳴にも似た恐ろしい声。小さな子供が泣いて助けを求めていた。緊迫した表情で駆けていく医者と看護婦に連れられて、紅に染まった男の手が見えた。ぐるぐると頭の中を駆け巡り、強引に流れ込んでくる奇妙な映像達。今思えばそれは大したものでは無かったのかもしれない。自分の立っていた場所を思えば。それでも初めて目にしたものは病気で外界を知る術を断たれていた俺にはあまりにも無残で、抱いていた世界を悉く壊していった。
 次に目覚めた時は視界がぼやけて、何か色々なものが見えた気がしたけど、あまり良く分からなかった。
 ただ廊下の隅で母と父が言い合っている言葉はやけに鮮明に聞こえていた。
『だって、アナタ!!あの子のあの目――!!』
『落ち着くんだ。いいかい、医者も言ってたろう……?』
『でも、でも!』
『あの子の病気が治った事も信じられない事なんだ。医者が理由不明というあの瞳の変わりに病が治ったのだと思おう?それは素晴らしい事じゃないか』
『だけど、アナタ……。酷いわよ、こんなの!!やっと普通の子と同じように遊ぶ姿が見れるんだって思ったのに、あの瞳じゃ普通には暮らせないわ!!』
『そんな事無いよ。事情がわかれば……』
『会う人会う人に、説明するって言うの!?そんな事したら、色は永遠に苦しまなきゃいけないじゃない!!』
――メ……?
『……仮にそうなったとしても、僕達が守ってあげよう……?ね?』
――ボクノ、メ――――?
 両親の言っている言葉の意味が理解出来なかった。瞳がどうしたんだろう?病室には鏡の類は何も無かった。
 そして、それはすぐにどうでもいい事に変わった。
 次第にはっきりとしだした視界には、恐怖がまた現れたから。

 起きている時は絶えずそれが見えた。病院という場所が場所だけに血と悲鳴は少なからずあるもので、どうしてそればかりを受信してしまうのかと言えば、幸せに比べて不幸の数の方が、病院では勝っているからだった。だけどその頃の俺にはそんな事は理解出来なかったし、病の代わりに呪いであるかの様に現れたそれに、恐怖する事しか出来ず。
 やがて俺の悲鳴の理由が瞳にあると悟った医者に包帯で遮られてから、やっと落ち着きを取り戻す始末だった。
 俺はその時でも自分の瞳の変貌に気付く事は無かった。
 何時しか精神性患者だと思われていた俺は病院を移っていたらしいが、それ故に見るものは更に怖気を増し、包帯を巻き続ける生活が始まった。
 季節の移り変わりも時の流れもわからない生活は幼い俺にはかなりの疲労を強いるもので、見るモノが暗闇に変わってからは癇癪を露にした。
 何もかもが恐ろしくて、俺は死さえ望みこそすれ。
 カウンセラーに訥々と答えた末、全ての合点がいったのは手術から一年も後だった。
 

 ■ □ ■ □


 突然変異である瞳。それが映し出す何らかの情景。過去、あるいは記憶。

 病院が出した結論はそんなものだった。
 コンタクトや眼鏡などで遮断した視界には違和感はあるものの、変わったものは見る事が無いと知れ、カラーコンタクト着用をして帰った自宅は、やはり自分の見知ったものと異なる印象だった。
 両親の顔にさせ、違和感。
 引き攣らせる笑顔に、色も何も無い顔で笑った。
 けれど様々な情報と感情を知ってしまった少年は『普通』とはかけ離れた存在となり、どこか大人びた空気を見せるようになった。自分の体のちょっとした特徴と思おうとそれはやはり無理な話で、無論両親さえ同じ。
 必死に『普通』を装おうとする両親に応えて、色も『普通』を演じようとしたもののどこかしら違和感となって、続けば続く程『家族』とは縁遠いものになっていく様な気さえした。
 来る日も来る日も、色は同年代の子供を真似て明るい少年を演じたが、母と父の顔が本物の笑みを浮かべてくれる事は無かった。罪悪感と悲しみと恐れと。
 コンタクトを外しさえすれば、色には、両親の記憶や感情を鮮明に読み取る事が出来てしまう。
 似たような能力を持つものを【サイコメトリー】と呼ぶらしいが、色のそれはただ見るだけで良かった。
 瞳孔の色は銀に近い灰色。銀を帯びた眼は人に非ずもの。色素が薄いとは言い難い、一種の宝石でもあるかのような瞳。日中夜絶えずコンタクトを装着しているわけにもいかず、それを外した色を前に身体を強張らせる両親に、色は喪失を募らせていくしかなかった。
 時を重ねる程に一緒に居る事に無理が生じ、母はついに精神に異常をきたし始めた。自分が色を丈夫に産めなかったからこんな事になったのだと自分を責める母が、色を見つめる度に泣き出すようになって。
 もう駄目なのだと悟るのにそう時間はかからなかったが、それでも色にはその絆を断ち切る事が出来なかった。

――その時までは。

 病気の所為で一年留年。中学生である年で小学六年生であった色の元を、ある男が訪ねて来た。それは昔の主治医の友人だという人で、色の事を医者から聞き及びやってきたのだという。
 男はいわゆる超能力者という奴で、とある【組織】に属していた。超能力を悪用する者に対抗する【組織】として、超能力者が集うのだと男は言い、色の協力と力の育成を求めてきた。
 両親は突っぱねたが、色は、応えた。
 逃げる為に応えた。幸せの為に応えた。家族の為に応えた。
 それが最善だと信じて。


 ■ □ ■ □


 カーテンを開けると、そこには白銀の世界が広がっていた。
 どうりで冷えると思った、と溜息を漏らして、色は上着を引っ掛ける。白む世界の中で美しく輝く世界。
 けれど色には、いつか感じた極上の幸せはもう感じられなかった。
 あるのはただ寂々とした感情と、胸に残る悲しみだけ。
 銀の瞳が映す世界は制御を持って常と同じものだったが、けれど違和感が付きまとう。色は大きく首を振って、窓を離れた。


 親元を離れ【組織】に身を置き、己を偽り演じ、安息も幸福も遠い今を生きる。
 戒めに雁字搦め、自由など何所にも無く。
 選んだ筈の人生は、それしか選べなかった一生。本当に望んだものはただ、暖かな幸せだったけれど。
 これが最善だったと胸を張って言えないのは、何故か等問わなくとも胸に溢れている。
 それでも戻れない事はわかっているから、色はただ焦がれる。
 大きな力があるわけではない。世の中にとってはちっぽけで些細な奇異な力。それなのにそれ故に、だからこそ異質。『普通』になれず、『普通』から離れられない。

 心に残った蟠りも。
 消えない痛みも。
 消せない傷も。
 それら全て一人で抱えてでも。

 それでも。
 例え愚かと哂われても。
 願うのは。
 望むのは。
 例え愚かと哂われても。
 祈るのは。
 夢見るものは。



 銀色の瞳は物言わぬ主の代わりに、あらゆる物を映してゆくのだろう。



END
PCシチュエーションノベル(シングル) -
ハイジ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月24日

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