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『□■□■ Decency Junkey ---若すぎるウェルテル--- ■□■□ 』
緑川・勇0410


 休日。
 朝起きて顔を洗い、コーヒーを一杯飲んで息を吐く。朝のジョギングがてらのトレーニングが終わったら掃除と洗濯を済ませ、食事。洗い物が終わってからソファーに腰掛けて、ぼんやりとテレビを眺める。
 何気なくニュースを見ながら髪をいじっている自分に気付いて、溜息。疲れた身体を錯覚してソファーに横になった。倒れ込むようなことはせず、ゆっくりと。それでも軋んだスプリングの音に、眼を、閉じる。

 電話の音が聞こえたが、出なかった。面倒だ。どうせここの番号を知っているのなんて、あのエージェントぐらいしかいない。学校の教師が掛けてくる道理は無いし、クラスメートには家だって教えてない。暫くコール音が続き、いい加減苛々してきたところで、留守電に切り替わり。ピー、という発信音に続くメッセージ。

『こんにちは緑川君、多分居留守だと思っているんだがどうかな? まあ急ぎも用事でもないんだが。学校生活の様子に関して定期的に打ち合わせを行えと言われているのでね――月曜日の昼休み、職員室に来るように。では』

 ピー。がちゃ。

 思えば一応でも、俺の事を男として扱ってくれるのはあいつぐらいなのではないのだろうか。世間的な俺は女で、学校でも近所付き合いでも、『ちょっと内気だけど慣れると気さくな女子高生』というレッテルが付き纏っている。女子高生。女子。女。俺。私。
 敢えて見詰めるのを避けてきた場所であると言っても過言ではないのだと思う。内面の自我、一人称、言葉遣い。外面の自我、認知、世間体。それらはこれでもかと言うほどに食い違っている。俺は体育会系ではあるが、そういう難しいことだって考えられる――と言うか、自分に起こっている事なのだから、考えられないはずが無い。専門知識なんか無くても、自分の身に起こっている事を冷静に観察し、その上で思考を重ねることは出来る。むしろ、容易い。

 聞いた話に寄れば、この身体には一応妊娠・出産の機能は無いらしい。いや、あったとしてもそういうことは絶対にしないと思うんだが。無くても同上で。いくら現在のこの身体に慣れてきたとしても、そういうことにはまだ抵抗がある。最近はやっとシャワーや着替えなんかを抵抗無くこなせるようになったが、流石にそれは――慣れるほどに経験したくないし、知りたくも、ない。我侭な感性だとは思うが。
 一番に女性として特徴的な機能を欠いているとは言ってもこの身体が女性であるということには変わりなく、社会的な認知もまた同様だ。そこらを歩いている人間のどれだけがサイバーで、どれだけが出産機能を維持しているかなんて誰も知らない。それでも姿かたちを見ることで、その性別に沿った扱いをする。『男性』と、『女性』。人間の区別においてもっとも根源的な、それだ。

 俺の脳幹がいくら男性のもので、いくらホルモン分泌も男性のものだとしても、この外観――十四歳の少女の身体を持っている、という時点で、それは駆逐される。圧倒的に、凌駕される。内面と外面を比べれば、他人の評価や認識なんてのはあまねく外面に偏るものだ。人を見掛けで判断してはいけません、というありがたい言葉は、大多数の人間が他人をそれで判断するからこそ、存在する。アンチだ。
 だから俺がどんなに本来の粗野な言葉遣いをしようとも、男らしく振舞おうとも、男の制服で学校に向かおうとも、社会が俺に下す根本的な誤解は解けない。『女性である』という認識は崩されない。

 粗野な言葉遣い? 自分の中に生まれた言葉に違和感を覚え、俺は眼を開ける。煩いテレビを消そうと身を乗り出し、テーブルの上に手を伸ばした。リモコンの一番目立つ赤いボタンを押すと、途端に部屋は静かになる。外を走る電車や自動車の音、煩いのはサイレン。もう一度眼を閉じて、思考への没頭に。

 自分の言葉遣いに対してそう言った形容をする、ってのも妙な話だ。自分のものは自分の物で、客観的な判断なんかしてこなかった。普通の言葉遣い、ごく当たり前のそれ。多少ぶっきらぼうだったかも知れないが、別段粗野だとは思っていなかった。そう思っていたらちゃんと矯正しただろう。他人に不快感や無礼感を与えないために。そのぐらいの気持ちは、ある。あった。今も昔も。
 だったら何に対して、俺は言葉遣いを『粗野』と判断するのか。考えるまでも無い、現状との比較。女の子の演技をするために、女の子として振舞うために、俺は丁寧な言葉遣いにするよう心掛けた。イメージとしてはやっぱり、女の子ってのはお淑やかにあるべきだと思って。自然に出るようになったそれらの言葉遣いと比べれば、過去の俺は、確かに粗野なものだった。

 さて、俺の基準は現在どっちなのか。

 女の身体である現状。男として生きていた過去。どっちが、俺の中の自己イメージとして定着しているのか。思考の中では辛うじて男性性を保っているが、外面的なイメージとしては女性性の方が圧倒的に強い。それは外見の問題ではなく、他者から下される判断や社会的な認識、認知の問題だ。女性として扱われ、女性として接し、女性として。女性。女。そしてそれに慣れだした、自分。
 人間の適応能力。柔軟性のある脳髄。ルーチンワークの定着。異常の日常化。暇になると髪をいじるようになった自分、体育の後には水飲み場で髪を整えるようになった自分。朝、寝癖が直らないと少しだけ不機嫌を覚える自分。自分。自分自分自分自分――自分?

 そもそも自分とは、なんなのか。
 こうと示せるものなどどこにあるのか。
 これが自分だ、頭の中でイメージするのは二つの像。
 背の高い逞しい男か、華奢な少女か。
 どっちが自分か。
 その内面すらも。
 全く、異なる。

 変わらないと思っていたこの思考回路すらも、引き摺られている?

 そんな、ことは。





ピンポーン。




 響いたチャイムの音。ああ、また新聞の勧誘か。か弱い娘の一人暮らしだと知ってか、最近はやたらにそんな奴が多い。訪問販売も以下同文だ。居留守でも使おう、幸いテレビも消していたから中に人が居るとはばれてないだろうし。一応念のために、確認ぐらいはしておくか。
 覗き穴を目指して俺は立ち上がる、足音を立てないように注意しながら。
 今日の精神論は、この辺りでお終いにしよう。

 出来れば、永遠に保留で。



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哉色戯琴 クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2004年11月22日

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