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『兎月夜に星の舟 』
池田屋・兎月3334

●執事の決心
「よいですかな、ご一同。これからわたくしたちの主人のために、本日『も』我々らしい仕事をしようではないですか!」
 拳握って力説したのは執事だった。
 屋敷の常駐スタッフは皆頷く。その中で、池田屋・兎月はメモを片手に、本日のメニューを考えていた。
 いつもなら、こんな風にテーブルを囲んで、仕事前のミーティングをしたりしない。普段は簡単な注意事項を、各設備担当者がロワーサーバントたちに指示を出すだけだった。
 何故、このようなミーティングをすることにしたのか。それはつい先日、館の主人が怪我をして帰ってきたからである。
 しかし、本当は怪我などはしていない。それを知っているのは、執事と庭師。そして、財閥総帥付きの秘書だけだった。執事は心配性な兎月を慮って、主人の具合が悪いとしか伝えなかった。
 自由を奪われ、散々好き放題嬲りものにされたなど、どうして他の者に言えようか。おまけに相手は棺に閉じ込めて花まで飾っていたのだとも。
 白い肌を包んだ黒いシルクのガウン。呪を施した黒檀の棺に横たわる絶世の美貌の主人。
 血色の薔薇で埋め尽くされた主人を想像して、背に戦慄が走る。時を忘れた主人の美貌と相まって、その赫の戦慄が兎月を支配しようと牙を剥いたような気さえした。
(わたくしたちが全力を持ってお守りするのです!)
 執事はそう心に誓うと、我知らず拳を握っていた。

●兎の決心
  1
 その日から、屋敷内は俄かに賑やかになった。
 …とは言っても、主人が起きてくる時間までに仕事の大半を片付けてしまおうというプロジェクトに必死になっているだけだ。
 食事やその仕込みは仕方ないとして、掃除や洗濯はその限りではない。修繕などを午後の仕事に回し、朝の七時半までに屋敷内の掃除を終了してしまおうとしていた。
 この屋敷の仕事の殆どは掃除が主だ。あとはリネンやカーテンの洗濯だろう。
 皆がてんてこまいになっている隣で、兎月は淡々と仕事を終わらせようと考えていた。詳しくは聞かされていないけれど、主様と庭師が仕事から帰ってきて以来、屋敷の中はどこか落ち着きがない。二人の様子が普段とあまりにも違うために気になっていた。
 今日のミーティングに庭師は出席せず、温室で花を摘んでいたのだ。
 いつもなら、意味ありげに笑ってからかってきたり、視線で自分に触れてきたりする彼が、花を手にして痛ましげにしているのははじめて見る光景だった。
 冷えた朝の空気の中に、朝露に濡れた彼と花。霞みがかる光景に、獣姿で散歩していた兎月は黙って見つめているしかない。
 自ら望んで契約した彼ならば、その思いは誰よりも強いに違いない。兎月はなんとも言えずにまた唇を噛む。
 絵皿の付喪神である自分は、術者の死により封印が緩んでいた所を今の主人に買い上げられ、封印を解かれて現在に至る身だ。
 きっと彼の気持が自分以上の思いなのだと思うたびに、兎月はなんとも言えずに黙ってしまう。その度に、主人が自分を買い上げた時の優しい手を思い出すのだった。
 月を見る兎の絵柄にそっと触れて微笑んだ人が早く元気になるように、精一杯頑張るしかなかった。
(だからこそ、わたくしめは、浮き足立つ方たちの分も頑張って、お二人に『いつもの環境』を提供いたしましょう…)
 そう心に誓うと、兎月は自分の仕事と他の者のお手伝いに取り掛かった。

  2
 キッチンに着いた兎月は今晩のメニューは何にしようかと考えつつ、自分用の控え室で料理の本を眺めていた。同時に自分のレシピノートも開いておく。
 上物の平目が手に入ったこともあるし、さっぱり系のものにすればいいのかもしれない。だが、こんな時ほどもっと美味しいものを届けたいと兎月は悩んでいた。
(はぁ…迷いますね…)
 人間の姿で今日一日、修繕やら生け花やら普段やらない仕事をしてしまった兎月は、少々疲れて溜息をついた。
(しかたないですね…ここはエネルギーを消耗しないようにいたしましょうか)
 この後、食事を作らなければいけない兎月としては、ここで力尽きるわけにはいかない。だから、普段、散歩に行くときなどにとる兎の形態に戻る事にした。
 兎に変化すると、机によじ登って熱心にノートやら、料理の本を見る。しかし、兎月は窓の外で見つめる執事の姿に気がついていなかった。
 鼻をひくひくと動かして顔を上げる。
「〜?」
「う、兎が本を…」
「!?」
 窓の外から聞こえた声に驚いた兎月は机から飛び降りる。しかし、その勢いで転げ落ち、床にどしん!と尻餅を着いてしまった。
「!!」
 ばたばたばた。
 お尻が痛い。
 そんなことにも目もくれず、兎月は机の下に潜り込むと物陰に隠れようとした。
(バレてしまいました、バレてしまいました、バレてしまいました、バレてしまいました。ああああ……わたくしめはどうしたら良いのでございましょう…@×@;)
 考えてみればここに来てそんなに経っていない。なのに、自分が付喪神とわかってしまったら居られなくなってしまう。絶望的な気持で床に蹲った。
(主様ぁ〜…)
 ばたばたとするのも疲れて様子を窺っていると、ドアをトントンと叩く音が聞こえた。
 慌てる兎月が返事をし損ね、少し怯えていればそっとドアは開く。執事が控え室に入ってきたのだ。
「兎月さーん…おや、いませんね。さっき兎が…それに市場から野菜が届きましたよ〜」
 そう言うと、執事は辺りを窺う。兎月は変身を解くのも忘れて机の下に隠れこんだ。その時に音がしてしまった。その音を聞きつけて、執事は机の下を覗く。
「おやおや…こんな所に隠れて…」
「!」
 じたじたじた。
(あっ…ゆ、床が!)
 綺麗に磨かれた床はつるつるして走ることが出来ない。
 大慌てしている間に、獣姿の兎月に手を伸ばし、執事は抱え上げてしまった。
 執事は、にっこりと笑うと暴れる兎を撫でた。
「しかたないですね。兎月さんはこんな所にペットを置き去りにして…」
「?」
 どうやら、兎姿になった兎月をペットと勘違いしているようだ。
「あぁ、懐かしい…故郷ではよく動物を飼ったものです。寒くなると、よく猫を抱いて寝て…今日当たりは冷え込みそうですねぇ」
 考え深く言うと、執事はまたにっこりと笑った。
「ご主人様の食事を考えたまま、兎月さんは出かけてしまったのですかね…。まぁ、こんな状態の時はうどんが一番だと思いますが…」
 確かに体の事を考えると、うどんが一番だ。兎月は執事をじっと見た。
(寒くなると、よく猫を抱いて?…)
 随分と難しく考えているのではないかと、執事は兎月を心配しているのだった。兎月はメニューをちょっと考えてみる。かき卵のあんかけうどんか、生姜焼きをのせた温かい肉うどん。あとは、油っこい天ぷらを抜いた鍋焼きうどんか、お粥だろうか。
 兎月には洋食が多い主人にうどんを出すのが躊躇われた。
(せめて、ポトフにしておいた方が…鮭のクリームシチューか、きのこミルクカレーシチューなんかも滋養があって良いかもしれないですねぇ。)
 兎月は頭を上げて執事を見る。ちょっと答えが見つかるような気がして、じっと見上げた。
 執事は真ん丸のお月様のように、柔らかい笑顔を返すだけだった。

●それはまるで揺りかごのように
 暫く執事に抱っこされていた兎月は、やっと解放されると庭に逃げ込み、人間の姿に戻った。
 今日の夕食は鍋焼きうどん。
 天ぷらは入れないで、その代わりに良く擂(す)って練り上げた鴨の肉団子を入れ、ふわふわ卵と白菜と水菜を入れることにした。味付けはみりんを入れた関西風味の優しい味付けだ。関東のは濃いから、疲れの残る今の主人の口には合わないだろうと考えたからだった。
 トレーに鍋敷きを置いて、小鍋を乗せる。そのトレーをテーブルワゴンに乗せ、兎月は主人の部屋に向かった。
「主様、お食事が用意できましたので、お持ちいたしました」
 コンコンとノックすれば、向うから返事があった。ドアを開けると、テーブルワゴンを部屋の中に入れる。
「夕食は何にしたのですか?」
 ベットに入ったまま仕事をしていた主人が声を掛ける。
 少しやつれた観のある笑顔に、きゅんと胸が締め付けられた。
「はい、今日は…鍋焼きうどんでございまする」
「珍しい…でも、暖かそうですね」
 主人はそう言って、にっこり笑う。
 ベット用の折りたたみテーブルの上に広げた書類を主人が片付けると、兎月は鍋つかみでもって鍋を机の上に置いた。
 楽しげに鍋のふたを開ける主人を見ていると、兎月は暖かい気持になる。部屋の中は暖かく、ぽかぽかするような光景に兎月はぽーっとなっていた。
 執事の言葉を思い出して兎の姿に変身すると、主人の下にててっと走っていき、ベットにぴょんとよじ登った。
「おや? 何をしているのですか、兎月君?」
(主様を暖めるのでございますよ〜♪)
 前足をぱたぱたと動かして訴える兎月。しかし、ふいに世界が歪んで見えた。
(ぁ…あれ? おかしゅうございますね〜…目が回って…)
 ぽてんっ☆
「兎月君?」
 目を回した兎月はベットの上で倒れてしまった。それを優しく膝上に抱き寄せると、主人は布団の中に入れてやる。
(す、すみませぬ〜)
「いえ、いいのですよ。疲れたのでしょうから、ゆっくり休みなさい」
(はい〜〜)
 ぐったりと身を横たえると、次第に意識は遠のいていった。
 暖かな布団と主人の膝枕は、まるでゆらゆらと揺れる舟のように心地良いものだった。
 その晩、兎月は満天の星空を舟で渡る夢を見たという。

■END■
PCシチュエーションノベル(シングル) -
皆瀬七々海 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月19日

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