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『Active Junkey ---例えば立ち位置--- 』
緑川・勇0410


 人間の適応能力が恐ろしいほどに柔軟だということは、大災害の歴史を学んだ身としては判っているつもりだった。いや、実際高校生当時には授業なんか寝ていたのだが、最近再履修状態で学んだことにより、改めて噛み締めていたはずだった。それにしたって、と思う。自分の柔軟さはむしろ、奇異だった。
 Tシャツはダボダボの過去の自分の物ではなく、新しく購入した、現在の身体のサイズに見合ったもの。邪魔な裾をこれまた新しく購入したトレーニングパンツの中に詰め、軽く準備体操を。腕の筋が伸びる感覚なんかは以前と何も変わっていない、精巧な器官にして機関。複雑な心地でアキレス腱を伸ばし、俺は玄関を潜った。

「おはよう勇ちゃん、早いねぇ?」
「あ、おはようございますっ! ゴミ捨てですか? 良かったらそこまで持ちますよ、袋」
「あらあら良いのよぅ、そんな気を遣わなくたって」
「大丈夫ですよ、これでも腕力あるんですからっ」

 近所のおばちゃんのゴミ袋を持って指定のゴミ捨て場へ。そこで別れて走り出す。向けた笑顔をゆっくりと引っ込めながら、俺は――少しばかり、憂鬱な気分になっていた。

 学校に転入をしてから――つまり、社会的に女性という立場を示し、認められてしまってから、早いことで一ヶ月が経とうとしていた。クラスにも馴染んで、ご近所の皆さんとも笑って話すことが出来るようになっている。女言葉と女の仕種を自然に出せる程度に身に付け、傍目には真っ当な社会生活を送っている。
 何も、問題は無い。傍目には、外面的には。
 それでも――

 ジョギングの折り返し地点である川原に到達し、俺はゆっくりとスピードを緩めた。呼吸が上がらないことで、やっぱりこの身体が機械であることを思い知らされる。慣れたと思いつつもたまに感じる些細な違和感は何時までも付き纏う感覚があって、それはやっぱりどこか落ち着かない心地にさせられた。土手を下りて軽く腕を広げ繰り返す深呼吸も、肺が広がる感覚も、リアル。
 リアル。それは偽物だからこそ、その精巧さを評して向けられる言葉。偽物。そう、俺の身体は、偽物だ。この華奢な身体は本来の自分ではなく、現在の自分だと認めたわけでもない、はず――だ。
 証拠にまだ身体の使いこなしにはそれほどの自信がない。だからいつも、こうやってトレーニングをする。身体の感覚を憶え込む必要があるなんてのは、それが偽物だからだ。腰に腕をため、落ち着くために一つ呼吸を。それも無駄なことだが、慣れて染み付いた行動の一つなのだから仕方が無い。それを止めて――脚を、振り上げる。

 眼の高さまで上がった爪先、小さなスニーカー。垂れたパンツの裾からは靴下に包まれた足首が覗く。基本的な蹴りのポーズ。
 以前はこの格好のままで止まることはおろか、振り上げた反動を流すことも出来なかった。バランスを崩して床に転げたこともある。だが、現在はこの通り。意識している限りはいつまででも挙げていられるのではないかと思えるほどの、静止状態。

 幾度か左右の脚でそれを繰り返し、片手での逆立ちもやはり両腕に繰り返す。手足が温まった頃合を見て、土手から道に伸びる石段に向かった。とんとん、と爪先で軽いジャンプ。それから、駆け上がる。
 まずは全力疾走に二往復。それから一段抜きで三往復。一二二一、という些か変調のリズムで四往復――間違えずにステップを踏むことが出来るようになっていることに満足し、これも終了。途中でいつも犬の散歩をしている老人に挨拶され、笑顔を返す。そんな時もやっぱり漏れるのは、女言葉だった。

 別段疲れてはいないが、休憩の時間を取る。土手に寝転がり眼を閉じた。
 草の感触、まだ儚い朝日が瞼を突き抜ける感覚。それらはリアル。俺の中のリアル。
 手に触れる風の心地、掴んだ草の湿った感触。それもリアル、俺のリアル。
 リアル――現実? それとも、虚構の中の?
 こうして眼を閉じていれば、あの頃と世界は全く同じもののようなのに。
 俺がこんなにも変質していることなんて、いっそ冗談みたいなのに。
 嘘みたいなのに。
 嘘じゃない。
 漏らした溜息に混じる声は、細い女声なのだから。

「おーい、勇ちゃーん?」
「え? あ、おはようございますっ」
「あ、やっぱり緑川さんだった。今日もジョギングー?」
「うん、みんなは練習? 頑張ってね、応援行くからーっ!」
「あはは、さんきゅー!」

 掛けられた声に眼を開け身体を起こせば、土手の上から見覚えのあるユニフォームの群れが俺を見下ろしていた。高校の野球部の連中だ。大会が近いからと最近は朝練に力が入っていて、よくここでも会う。これもまた、新しい日常の風景だった。

 慣れ切り掛けている日常、馴染み始めた身体、そして、演技。
 自分に言い聞かせるこの言葉の方が演技なのか、それともクラスメートや通りすがりの人間に接する女言葉が演技なのか。考えて、頭を振った。そんなことは考えるまでもなく、俺は、『俺』だ。『私』なんかじゃない。『勇ちゃん』なんて知らない。
 知らないんだ、本当に。俺は――俺は、そんなんじゃない。

 苦い唾を飲み込む、指に触れた石を空に向けて放り投げた。急な放物線に描いて俺の頭上に落ちてくるそれを、手を横薙ぎにして受け取る。動体視力と反射神経には慣れた、使いこなしている。そう、この外面だって使いこなしているに過ぎない。それだけのことだ。
 誰に言い聞かせているんだ、俺は?

 失笑が漏れる、立ち上がる。部屋に戻ろう、クローゼットにスカートが掛けられた部屋へ。シャワーを浴びよう、シャンプーとリンスがカラフルな浴室で。
 そして偽りの学校で偽りの自分を過ごそう。
 偽り?

 嘘しかない世界なら、それは本当だと、言ったのは誰だったか。

 寒くも無いのに悪寒が走った、サイバーの癖に。チッと舌を鳴らして毒づき、腕を抱く。自分の身体は硬く、ギシリと軋んだ音がした。


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PCシチュエーションノベル(シングル) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2004年11月18日

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