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『Tomorrow Junkey ---明日は明日の--- 』
緑川・勇0410


 ゆとり教育が世間に浸透して随分になる。昔は土曜日も学校に行かなければならなかったらしいが、俺には信じられない世界だ。それは十年前も、今も、同じ。ある土曜日の朝、遅い目覚めを果たした俺の頭の中にはぼんやりとそんな言葉があった。
 いつものように顔を洗って、まずはコーヒー。着替えは昔の服を適当に。これもいい加減選ぶものが一定化してきていて、クローゼットの中の無用な服が邪魔になって来ていた。挙句、あのエージェントが女物を支給してくるものだから、服の置き場が無い。

 ぐるり、改めて部屋を見渡す。

 世話になったダンベルやジョギングスーツが無造作に放置してある。今までは別段気に止めなかった、それは日常の一部だった。あの日の朝も、どうせ明日も使うんだから、と放り出していた日常の必須用品たち。薄く被った埃は、それが既に『日常の』用具ではなくなってしまったことを示している。
 中々汚い部屋だ。いや、独身男性の部屋なんてこんなもんなんだろうけれど。それにしたって、最近は学校生活に慣れることを優先していた所為か、些か小汚い感がある。喉にも空気に舞う埃がいがらっぽい――すぽ、とシャツを被って髪を整え、俺は一つ息を吐いた。

「掃除、すっかな――」

 まずはトレーニング用具。サイバーの身体じゃ鍛える必要もないし、同様にジョギングスーツも廃棄だ。燃えるゴミ、燃えないゴミ、ダストシュートに放り込むそれら。あまり視界に映さないようにするのは、未練を感じないために。
 もう無理だと、過去の自分は戻らないのだと、『捨てる』という行為はそれを浮き彫りにされる。それを感じるのは正直嫌だった。もう何度も感じたことだけれど、慣れる事は無い――ゆっくりと自分を、過去を捨てていく心地。
 服。タンクトップなんて着れたもんじゃないだろうな、サイズが合わないにもほどがある。下着類も、日常用品も。男と女でこんなにも必要なものが違ってくるとは、正直思わなかった。髭剃りに、トニック。整髪剤もあったのか、年に二三度しか使わなかったから残量も結構あるけれど、これももう要らない。要らない――不要。

 ふっと、引っ繰り返した箪笥の中に白を見つける。
 いや、正確には白じゃない。黄ばんでいる。広げて、思わず苦笑が漏れた――高校時代からずっと使ってた道着だ。体格はあの頃から殆ど変わっていない、多少は筋肉で厚みが出たけれど、道着はずっと変えていなかった。あの頃は部活動を張り切っていたっけな。好きな女の子やら憧れる先生やらもいて、それなりに、学生生活を楽しんでいたような気がする。あの学校で。今も、その学校で。
 あまり楽しいとは――言いがたいけれど、現状は。
 ぱたぱたと綺麗に折り畳み、箪笥の奥に戻す。眼にするのは正直辛いけれど、捨てられるはずなんて無い。これは、俺の、大事な記録。大事な記憶。大事な、思い出。過去には戻れない、時間は現代の科学技術を持ってしても不可逆だ。だからこの道着に身を包むことはもう無いだろう。頭は理解していても、センチメンタルな心地ぐらい持たせて欲しい。それを感じる脳髄は、あの頃と何一つ変わっていないんだから。

 胸が締め付けられる心地。
 もう戻れない過去への憧憬。
 弛む涙腺の感覚はリアルに、鼻の奥を刺激する。
 ツンとするそれ。
 涙脆くでも作られてるのか、無理におどけた言葉を搾り出して、俺は掃除の続きに戻った。

「ふー……っと、こんなもんかな?」

 かちっ。
 手元のスイッチを切れば、ごぅっと低音を立てていた掃除機が止まった。あまり使っていなかった所為かこれ自体も相当の埃を被っていて、更にパックが満杯になっていた。改めて自分が生活に対して中々の無頓着だったことを思い知り、苦笑が漏れた。発掘したスペアのパックをセットして、ぐるぐると部屋を引き摺りまわって。なんとなくそのまま廊下やリビング、洗面所まで続いた。無駄ではなく、大分部屋はすっきりと片付いた感がある。裸足で歩いても、足に埃が付くこともない。それはある意味当たり前のことなんだが、まあ、所詮独身男性だからと逃げ言葉を。
 流石にちょっと歩き回りすぎて疲れたかもしれない、まあ、錯覚だろうけれど。サイバーの身体なんてそうやわなモンじゃない、毎日充電もしてるし。溜息を吐いて掃除機を投げ出し、俺はソファーに倒れ込んだ。ギシッと強い音が鳴るけれど、床が抜ける事は無い。まあ、当たり前だが。
 思うに、身体のサイズは小さくなったけれど体重が変わらない――と言うのがソファーに対して負担になっているのだろう。圧力の問題だ。体重に対して触れる面積が小さいが為、掛かる圧力が増す。一つのスプリングに対する負担が大きい。その内壊れるかもしれないから、丁寧に扱うか。せめてこれぐらいは部屋に残して置きたい、せめて、家具ぐらいは。
 サイバー用の頑丈な家具もあるらしいが、出来ればこれにしがみ付いていたい。これに、自分の残滓に。せめてそのぐらいは許して欲しい。誰に? もしもいるなら、信じていないけれど、神様とやらに。俺はせめて自分が自分であったことを忘れたくない、記憶は――過去は、誇れるものでもないけれど恥じ入るものでもないんだから。大切なもの、なんだから。

 眼を閉じる。すん、と鼻を鳴らすと、染み付いたニオイに気付く。少し酸っぱいようなそれは、今まで別段気にしないようにしていたけれど、乾いた汗のニオイだった。あー、そーいやシャワーも浴びないでここで寝たことも結構あったっけな。
 ソファーカバーも洗濯して、シーツもそろそろ。溜まってた洗濯物も。ああ、全部いっぺんには洗えないか――色落ちするものもあるし。昔は適当に全部一緒に洗ってたもんだけれど、流石に制服のブラウスに色落ちが移ったりしたら困るだろう。スペアもそうあるわけじゃないし。

 掛けられているのは女物の衣装。衣装なのか、私服なのか、少しずつ区別がつかなくなってきている色々な服。いっそ過去の自分の物が異質だった。高い位置にある収納に手が届かなくて買った踏み台、格好を見るための姿見の鏡。男の部屋には似つかわしくない、色々。
 殺風景な部屋は相変わらずだけれど、それらの所為で男の部屋とは一見判らない。それはつまり俺が、段々男から――過去から遠ざかっているということなんだろう。手櫛を入れた髪は、シャンプーとリンスのニオイがした。さらさらとした心地は、手に気持ち良かった。これが俺。細い腕も、俺。

 長く細い溜息が漏れる。
 もしかしたら諦めているのかもしれない自分の耳に、それが届く。
 こうして過ごしていく。
 明日も、きっと、ゆっくりと。
 俺は――俺から離れていくのかもしれない。


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哉色戯琴 クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2004年11月18日

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