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『二人で歩く路(みち) 』
羽角・悠宇3525)&初瀬・日和(3524)

 木漏れ日の斑が、長い黒髪の上を滑ってゆく。
 森の路を行く少女の、軽やかな歩調にあわせて肩の上で踊った髪が、不意にちらりと光を弾いた。その眩しさのせいだけではなく、羽角悠宇は目を細める。しかし投げかける言葉は、表情に反してぶっきらぼうだ。
「おい、そんなさっさと行くなよ。足元悪ィんだから」
 鼻歌でも歌い出しそうな調子で歩いていた初瀬日和が、あ、と声を上げて足を止めた。
「そうだね。つい、はしゃいじゃって」
 悠宇を振り向いたのは、少し申し訳なさそうな、しかし輝くような笑顔だ。なんとなく目のやり場に困り、悠宇は視線を下に向けた。
 落ち葉を踏む足音が、悠宇の隣に並ぶ。ジーンズにスニーカーの足元の横で、フレアスカートの裾がふわりと揺れた。秋物の、落ち着いた色合いだ。その下の靴は編み上げのブーツで、ほんの少しだけ踵が高い。
「……ったく。森に入るって言ったのに、なんでそんな動きにくそうなカッコで来るんだよ」
 言ってしまった後で、悠宇は平静を装いつつも、内心頭を掻き毟っている。スカートもブーツも、日和にとても似合っていた。待ち合わせ場所で会った時からそう言いたかったのに、何故そっちを先に言えないのか!
「ごめんなさい」
 しゅんと肩を落とす気配に、悠宇は慌てて顔を上げた。
「でも、あのね、……折角、悠宇くんとお出かけだからって、思っちゃって……」
 見ると今度は日和が俯いて頬を染めている。あ、とかう、とか言葉に詰まった末、悠宇は黙って日和の手を取った。
「しょーがねーな。もし転びそうになったら、助けてやるよ」
「……うん」
 小さい手に握り返されて、悠宇は耳まで真っ赤になった。
 右手には日和の手、左手には日和が作ってきたお弁当のバスケットの重み。なんかデートみたいだなあ、などと悠宇は思っているが、端から見れば「みたい」ではなく完全にデートである。
 しばらく落ち葉を踏む音だけが続き、沈黙が少々気まずくなり始めた頃、二人の頭上を囀(さえず)りが横切っていった。
「あ。鳥?」
 見上げる日和の視線を、悠宇も追う。常緑樹の緑と、落葉樹の黄や赤。幾重にも重なる梢には、木漏れ日がちらちらと揺れるだけで、翼の影は見えない。
 手で庇(ひさし)を作りながら、日和は息を吐いた。
「すごいね。ほんとに森だね。こんな場所が近くにあったの、私、知らなかった」
「ん? ああ、穴場だろ。人も少ないし、いいかと思ってさ」
「うん。ここなら、出してあげられそう。よかったね、末葉(うらは)」
 にっこり笑って、日和はジャケットのポケットから銀のピルケースを出した。日和の声に応じるように、掌の上で、こと、と小さくケースが揺れた。中に居るのは、先日草間興信所からもらってきた霊獣、イヅナだ。
 季節は秋、行楽にピッタリな時期。週末の天気予報が晴れなのを確認して、悠宇は日和をハイキングに誘った。
 たまにはイヅナたちを広いところでのびのび遊ばせてやろう、という名目で。
「ね、悠宇くん、もう放してあげても大丈夫かな?」
「そうだな」
 少し名残惜しく思いながらも、悠宇はつないでいた手を放して、ジーンズのポケットを探った。掴み出したのは、日和のものとお揃いの銀のピルケースだ。
「ほら、出て来い、白露(しらつゆ)」
 親指で弾いて蓋を開けると、ケースの中からするりと、銀色の体が飛び出した。長い尾をしならせて、地面に降り立ったのは狐に良く似た獣だった。
「わぁ。お久しぶり。元気だった?」
 日和が手を伸ばすと、ケン、と白露は挨拶を返すように小さく鳴いた。掌に鼻先を摺り寄せる仕草は、少し猫にも似ている。
「末葉も、出ておいで」
 日和のピルケースから飛び出したのもまた、銀色の獣だった。狐に似ているのも悠宇の白露と同じだが、その大きさが違う。毛並みはふかふかと柔らかそうで、顔つきや体つきがどこか仔狐めいているのだ。
 ピョンと手毬のように跳ねて、末葉は白露の足元にまとわりついた。白露のほうも、それを邪魔にするでもなく見守っている。そうしていると、まるで親子か兄弟のようだった。
「広い場所、久しぶりでしょう? 一緒に、遊んでおいで」
 日和の言葉を理解して、二匹は頷くような仕草をすると、飛ぶような速さで森の中へと駆けて行った。枯葉を踏む音が全くしないのは、彼らの足が宙に浮いているからだ。じゃれ合い、木立の中に見え隠れしながら小さくなってゆく、青みがかった銀色の毛並みを見送った後、日和は悠宇を振り返った。
「嬉しいみたい。よかった」
「ああ。いつもピルケースの中にいるのも、かわいそうだしな」
「不思議ね。こんな小さい箱の中に入っちゃうんだもの」
 ピルケースを仕舞い、二人は再び歩きだした。腕時計にちらと目をやり、日和が声を上げる。
「あ! もうお昼だね。お弁当食べられるところ、探さなきゃ」
「あれ、良いんじゃねえ?」
 周囲を見回して、悠宇はすぐにぴったりの場所を見つけた。
「俺が先に行くから、ちょっと待ってろよ」
 路から少し奥に入ったところに、まるでテーブルと椅子のように、大きな切り株が一つと、切っただけの丸太が並んでいる。深く積もった落ち葉を掻き分けて進み、歩きやすくしてやってから悠宇は日和を手招いた。日和が歓声を上げる。
「すごい。誰が作ったんだろ、森の食堂だね」
 切り株の上にレジャーシートを敷いて、日和は手際よくバスケットの中身を広げた。
「ちょっと、早起きして作ってみたの」
 渡されたお絞りで手を拭いながら、悠宇は感嘆に目を丸くする。
 メインはサンドイッチで、上向きに並べられた切り口に様々な具が覗いているのがカラフルだ。タッパーを開けるとサラダとオムレツが出てきて、魔法瓶からは温かい紅茶がカップに注がれる。
「どうぞ、召し上がれ」
 勧められて、悠宇はサンドイッチを一つ手に取った。
「……どうかな?」
「うん、美味いよ」
 頷くと、少し不安げだった日和の表情がぱっと明るくなる。
「良かった。オムレツも食べてみてね」
 サンドイッチはぱっと見ただけでも五種類くらいあって、それにどれも手が込んでいるようだった。ちょっと早起きと言っても、これだけのものを作るにはかなりの時間がかかっただろう。
 嬉しいのと同時に、なにやら照れ臭くなって、悠宇は食べながら話題を変えた。
「日和、イヅナの餌とかどうしてる?」
「うーん。最初は、犬や猫みたいに毎日、朝晩に食べるのかなって思ってたんだけど、そうじゃなかったみたい。なんでも食べるみたいだし。時々、食べたくなったら、ピルケースの中で鳴くから、その時に私のごはんを少し分けてあげると喜ぶの。今朝はね、一緒にお弁当の味見したのよ」
 日和もサンドイッチを一口かじり、悠宇のほうはどうかと問い返してくる。
「俺んとこも似たようなもん。特に夕食が豪華な時とかに、よこせよこせって言いやがるんだぜ、白露のヤツ」
 肩を竦めた悠宇に、日和がくすりと笑った。いつの間に近くまで戻って来ていたのか、二匹のイヅナが木陰から顔を出す。名前を呼ばれたが用があったわけではないとわかると、白露は身を翻して再び隠れてしまった。鞠のように跳ねながら、末葉がそれに続く。
「そういやさ、家族にはイヅナのこと、バレてないのか?」
「びっくりさせちゃうだろうから、できるだけ隠れててって、末葉には言ってあるの。でも、バドは気付いてるかも。動物って勘が鋭いから」
 名前に反応して、今度は末葉が顔を出す。悠宇と目が合うと、あっという間に引っ込んだ。なるほど、あの素早さなら、なんとか家族からは隠れおおせるかもしれない。
 友達のことや、明日の学校のことなどを話すうち、テーブルの上の料理は容器だけを残して消えてしまった。
 最後にバスケットから出てきたのは、デザートのフルーツだ。
 その頃には走り回るのに飽きてきたのか、末葉が戻ってきた。膝に乗り、キュウ、と喉を鳴らしてねだる末葉に、日和が葡萄を一粒取ってやる。
 梨を齧りながら、悠宇がそれを眺めていると、ケン、と背後から鳴き声がした。白露だ。鼻先を悠宇の手許に向け、盛んに匂いを嗅いでいる。
「何だ? 欲しいのか?」
 悠宇が取ってやろうとするよりも先に、白露はその隣をするりとすり抜けて、日和に擦り寄った。髭で手の甲を擽られて、日和はくすぐったそうに笑っている。
「ふふ、なあに? 悠宇くん、この子にも果物あげていい?」
「……ああ、いいぜ」
 日和の手ずから梨をもらい、頭を撫でられて、白露は嬉しそうに尾を左右に揺らした。
 末葉が日和になついているのは、当然だ。しかし、最近うっすら感じるのだが、なんだって白露も日和に懐きまくっているのか。
「一応主人は俺のはずなんだけど…」
 複雑な気分になる悠宇である。
 飼い主とペットは似るという。確かに、白露と食べ物の好みは似ている気がした。では、ひょっとして他の「好きなもの」も似るのだろうか。
「…………」
 考えて、一人で真っ赤になった悠宇を、日和が心配そうに覗き込む。
「どうしたの? 悠宇くん」
「いや。いやいやいや、何でもない」
 ぶるぶると頭を振って、悠宇は立ち上がった。
 切り株の食卓から、広げたものを片付ける。路に戻る二人を、二匹のイヅナがつかず離れず追いかけた。
「腹ごなしに、もうちょっと歩いてから帰るか」
「うん」
 歩きだす、悠宇の左手には、軽くなったバスケット。右手を、きゅ、と日和が握ってくる。
 日和の左手。掌は柔らかいが、弦を押さえる指先は硬い。練習を積んだ証拠だ。日和が、何よりも大事にしている手。
 強く、悠宇はその手を握り返す。
 森の中には、暖かな午後の日差しが差し込んでいた。

                                END
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東京怪談
2004年11月17日

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