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『雲一つ、無い 』
児玉・麻理子0929










汗がつう、と喉元を流れ落ちた。
喚声がやけに遠くに聞こえる──否、本当に遠いのか、このマウンドからは。ゆっくりと溜息を吐いて、少女──児玉・麻理子はぎゅ、とグローブを構え直した。
見据えるのは、相手チームの四番。エースの肩書きを持つ、人物。

「本当に、面倒なこと……」

じりじりと頭を焼く緩やかな陽射しに、其れでも彼女は頭(かぶり)を振る。
緊張、している。とても。心臓はどくどくと脈打っているし、ボールを握る手にも汗をかいている。喚声は遠く、マウンドは真下で、相手は真ん前。其れだけは不変だ。不変なのだ。どうしようもない。

ツーアウトフルベース。相手は四番。其れが麻理子達に与えられた物だった。否、相手方に与えられた物か。

神様が本当に居るとすれば、何て悪戯をなさったのだろう──やれやれ。
此れで決まってしまう。この、投手としての麻理子の一投げで決まってしまうのだ、全てが。
しかも相手は強豪と名高い学校だ。勝てる筈も無い──実際、麻理子のチームメイト達も、大半がそう思って居るのだろう。失意と哀愁に満ち満ちた瞳で、試合の結果だけを認める為に、此方を見ている。



ざり、と砂を噛んで足を前に出す。
すう、と大きく深呼吸をする。落ち着くわけが無い。落ち着けないけれど、でも。
そうして大きく振り被って────



投げた。



一瞬、何が起こったのか判らなかった。
ただ、やけに澄んだ音が耳について──嗚呼、打たれたのだな、と知る。そうして麻理子はゆっくりと瞼を下ろした。終わった。きっと此れからあの四番選手はゆうゆうとベースを踏んで周り、ホームベースに辿り着くのだろう──そう、思ったのに。

「麻理子……っ!」

感極まったチームメイトの声と、どっと沸き起こった声援に、麻理子は慌てて瞼を押し上げた。
まさか。勝った? あの場所から。慌てて相手方を確認する。相手のチームは、既に皆でぶつかり合って、歓喜の雄叫びをあげている。ほら、勝ってなんか居ない──だけど、チームメイト達は目に涙を光らせながら此方へと駆け寄ってくる。

「負けた!負けたけど、あんた凄かったよ!」

あはは、と屈託無く笑いながらキャプテンがばしばしと麻理子の頭を叩いた。
負けたのに、笑っている。其の事態が把握出来なくて、麻理子はキャプテンのみならず、駆け寄ってきたチームメイト達に揉みくちゃにされながら、ぽかんと其の状況を見守っているしか無かった。

「……まっ、負けたんじゃ……」
「負けた負けた、豪快に負けたよ。でもあんた、カッコよかったのよー?」

あの姿勢の綺麗なことったら! キャプテンは嬉しそうに語る。
其れを聞いて、麻理子は自分の緊張していた全身から、急激に力が抜けていくのを感じた。結局この人達は、勝っても負けても騒ぐのだ。やれやれ、と溜息を吐く。

「綺麗だったでしょう?」

麻理子も小さく笑って、そう呟いた。
仕方が無い。──もう暫しだけ、この負け騒ぎに付き合おうか。



雲一つ無い、空の下。
麻理子は天を仰いで、大きく、大きく──満足げな溜息を、吐いた。





■■ 雲一つ、無い・了 ■■
PCシチュエーションノベル(シングル) -
硝子屋歪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月17日

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