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『虚し世の夢 』
門屋・将太郎1522)&楷・巽(2793)

 俺は、一体誰なんだ。
 病室の窓から下界を見下ろしつつ、門屋・将太郎はそれだけを考えつづける。
 入院生活もそろそろ長くなってきた。頭の傷はほとんど治ったが、いまだ退院の指示は出ていない。体の傷は治っても、将太郎の中の大事なものが、まだ抜け落ちたままだった。
 それは、記憶。
 自分の名が門屋将太郎というのも、医師から聞かされて始めて知った。しかし、いまだに実感はなく、看護士に呼ばれても、自分だと気づくのに時間がかかる。
 ――後頭部に大きな衝撃がかかったのが原因でしょう。
 医師は、将太郎が記憶を失った理由をそう説明していた。しかし、何があればそこまで強く頭を打つのだろうか。まるで、誰かに殴られたような。
「う……」
 何かが、頭の中をかすめる。その記憶の残滓のようなものを掴もうとしたが、うまくいかない。
 俺は、一体誰なんだ。
 心の中で再び呟きつつ、将太郎はぼんやりとたたずんでいた。
「門屋さん!」
 扉が勢い良く開けられると共に、そんな叫びが聞こえる。
 振り返った将太郎の視線の先にいたもの。それは――。


 医大の学生に暇はない。早足で歩く偕・巽の耳に、周囲の会話が聞こえてくる。
 普通の人間なら聞き逃してしまう話し声も、巽の耳は正確にとらえていた。しかし、それが特に役に立つわけでもない。
 そう思っていた。あの一言を聞くまでは。
「門屋さんの処置、どうしたものか」
 ピタリ、と巽の足が止まった。周囲を見回して、その声を発した医師を見つけだす。つかつかと歩みよつ巽を見て、医師が思わず後ずさる。
 普段は能面のように表情のない巽の顔。そこに、何かの感情が浮かび上がろうとしていた。それが何か、巽自身にもわからない。
「門屋とは、門屋将太郎のことでしょうか……」
 そう言う巽の声は、自分でも驚くほど重い。目を見開いた医師が、カクカクとうなずいた。
「そうだ、門屋将太郎。今、304号室に」
 医師のセリフがそこまで耳に入った瞬間、巽の足は動き出していた。走るわけでもなく、しかし、早歩きとは思えないほどのスピードで、歩き出してく。
「門屋さんを興奮させないでくれよ、彼は今記憶を失っている!」
 医師の叫びに、再び足が止まった。記憶を失ったとは、どういうことだろうか。しかし、と考える。
 行ってみれば、わかることだ。
 巽は、再び足を動かす。今度は、早足ではない。早く行かなければ、確かめなくては。
 そんな思いを抱きつつ、巽は全力で走り出した。


「門屋さん!」
 柄にもなく叫んでしまった巽を、将太郎の視線が迎える。その目を見て、巽の心が重くなった。
 あの目は、何かを無くした瞳。
 鏡の向こうに映る、自分と同じ瞳。
 将太郎が遠くにいってしまった。それを悟って、巽の心のうちから湧き出してくるものがある。浮き出ようとしていた表情が、だんだんと形になっていく。
「門屋、さん……」
 ゆっくりと将太郎に近づきながら、声をかける。かけられた将太郎は、ぼんやりとした視線をこちらへ向けた。その口が、動く。
「誰、だ?」
 予想していた、そして、当たって欲しくなかった返答。偕の中の何かが、一気に壊れた。
「門屋さん……っ!」
「あ、あぁ?」
 自分に抱きついてきた巽に、将太郎が驚いた声を上げる。それも気にせずに、巽は将太郎をきつく抱き締める。
 腕から伝わる、体の感触。将太郎の体は、確かにここに存在している。しかし、心は。
「……何故」
 呟きが、降って来る。将太郎が、巽を見下ろして、困ったような表情を浮かべた。
「何故、俺のために、泣くんだ?」
「え……?」
将太郎に言われて、巽は始めて気づく。自らの双眸から、涙がとめどもなく流れていくことを。
 ――涙ってのは、悲しい時に流すもんだ。
 昔、はるか昔に、将太郎がそんなことを言っていた。それを思い出して、巽は更に泣きじゃくる。そして気づいた。
 これが“悲しい”という表現なのか。
 将太郎のおかげで、また一つ、思い出した。
 しかし、これでは、あまりにも。
 あまりにも、カナシスギル。
「うぅ……」
 将太郎の胸の中で、巽は涙を流し続ける。
 まるで、そうすれば将太郎の心が返ってくる、といわんばかりに。


「ったく、こういうのは警察の仕事だっての」
 悪態をつきながら、草間は体育館裏に現われる。少し苛ついた表情でそこを見回すと、ため息をついた。
「証拠なんて、残ってないよな」
 ――くれぐれも内密に、これが外に知られると面倒なのだ。
 理事長の声が頭の中にリフレインする。
 依頼されたのは、神聖都学園の生徒三人が意識不明の重体となった事件。それだけを伝えられると、詳しい話を聞く暇もなく放り出された。
「そんなこといったってな、警察の機動力がなけりゃ調べられるものも調べられないっつの」
 草間一人にできることなど、たかが知れている。草間がサイコメトラーなら話は別だが、あいにくただの探偵だ。
「まあ、やることはやるけどな」
 そう言う草間の手には、最近神聖都学園で起こったことをまとめた資料がある。
 草間はただの探偵だ。だが、探偵には探偵にしかできないことがある。
「さて、と」
 資料をめくっていた手が止まった。
 学園の非常勤カウンセラーが、負傷している。噂の上辺だけを集めているので詳しい事は分らないが、ここのカウンセラーは、確か。
「門屋か」
 将太郎なら、何かを知っているかもしれない。もしかしたら、同じ犯人に怪我させられた可能性もある。
 まずは話からだ、と、将太郎の居る病院を調べに歩きだす。
 もちろん、その事件の犯人が将太郎だったことなど、草間は全く気づいていなかった。

 END
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
凪鮫司 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月16日

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