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『夕餉と兎 』
春日・イツル2554)&春日・真紀(2845)

「おかえり」
 ……兎が描かれた白いフリル付きのエプロンと、耳には兎を模したヘッドドレス。テレビの中でしか見ないそれらを実際に目の当たりにして、少女――春日真紀は言いかけた口をそのままに、帰宅するなり笑顔で出迎える自身の兄に向けて、取り敢えず精一杯の不満そうな顔を見せてやった。そして沈黙を疑問に変えて問うた。
 一体何でそんな格好をしているんだ、と。
 答えは勿論ない。真紀の兄であるイツルは手で先に入っていることを合図し、長い廊下の奥に消えた。
 ……冗談じゃないわ。思って真紀は深く溜息をついた。兄貴らしいと言えば兄貴らしいが、どこまで本気なんだろう。考えても結果は纏まらないことに軽く失念し、真紀は後ろ手で、久し振りに人の増えた家のドアを閉じ、鍵と念のためチェーンもかけた。肩に掛けていた鞄をずり落ちないように精一杯平静を保ちながらイツルの消えた先に向かって、指をぴんと指し示した。
「…………」
 が、何も言わずに腕を落とし、
「……ただいま」
 漸く帰宅の返事を返した。
 真紀は自室に入って、手早く着替えを始めた。それから少し草臥れたエプロンを手に、キッチンへと向かう。
 口に銜えたゴムを落とさないように、器用にエプロンを締めながらキッチンへ向かい、髪をアップに括る。脇に落ちてきた髪をヘアピンで留め、準備は大体終えた。他にすることと言えば、心の準備だろうか?
 キッチンに続く扉から見える細い光に眼を細め、ノブに手をやり一気に捻ると、当然ながら軋み一つさせずに内側に開く。イツルの高い背中が視界に入る。
「手伝うよ?」
 真紀は言って、手にしているエプロンを掲げる。その仕草にイツルは拒絶の意を示してやんわりと断るのを見て、少し不満そうに、真紀は少し嬉しそうにテレビの前に腰掛けた。
 賑やかな画面に見えるのは芸能人“伎神楽”の姿。春日イツルのもう一つの姿。
「疲れてない?」
 何となく、真紀は訊いてみた。
「疲れてないように見える?」
 イツルの揶揄にも取れる発言に、真紀は意地悪く笑ってみせる。
「「見える」って言ってほしい?」
「それは真紀の判断で」
 ……ああ、これは疲れてるんだな。で、実はあたしのアシストに来てたんだよね。ここで自分が休んでいるってのは可笑しいな、と。そう思って真紀は立ち上がった。
「分かった。兄貴、手伝って」
 真紀は改めてエプロンを付けて、イツルの横に立つ。
「じゃ、野菜切り終えてるんならスープの方任すわ。あたしはメインの方作るから」
 肯定の意を見て、真紀はイツルに背を向け冷蔵庫から材料を取り出しにかかる。少し買い足されいるのは、恐らくイツルがここに来る前に買ってきた所為だろう。食後のデザートも用意してるのは流石だな、なとど思いつつ、真紀は冷蔵庫の扉を閉めた。
 ふいに視線に入ったイツルがエプロンの中に何かを突っ込んでいたのだが、そのときは特に意に介さず、調理に戻っていった。

「兄貴と料理なんて、久し振りだよね」
 笑顔で言う真紀は、手早く食器を並べながら愉しそうに言った。
「今日ってオン? オフ?」
「オン。“撮り”終えてから直接来たからな。この後も食べ終えたら、すぐ行く」
「そっか。お疲れ様」
 食事はさして特別にこしらえたものではなく、半分くらいは残り物をあつらえたものではあったが、一緒に並べると不思議と豪華に見えるものだ。最近取っていた一人での食事の侘しさに一人苦笑し、今の状況の儚さに寂しさを憶えた。憶えて、これからのことを考えるのを止めた。考えることはいつでも出来るから、今は愉しぬことに夢中になろう。
 ……と、無理にでも思い込むのって、やっぱり逃げかなあ。真紀は思って、もう一度苦笑した。その姿をイツルは正面で見据えて、
「そっちこそ、疲れてない?」
 問いに否定がされたのを見て、イツルは微妙な笑みを浮かべて流した。
 椅子に腰掛け、いただきます、と小さく唱和する。小学校以前からの習慣が抜け出ないのを、イツルは時折笑いのネタにしたが、それ自体もやや久しいものだった。
 付けっ放しのテレビから流れるバラエティを半分視界に収めながら、二人は会話を二、三交わしただけでそれ以上に何かを言うことがなかった。二人とも同じものばかり食べていることに最初に気付いたのは、真紀の方だった。
「これ、手付けないとね」
 そう言ってイツルの作ったスープを指差す。折角作ってもらったのに食べないのは悪い。そういう訳ではないが、くうと鳴く腹の虫は更なる食事を求めている。耐えかねて、真紀は手を伸ばした。
「では、改めていただきます」
 語尾にハートだか星だかを極端に付けて嬉しそうに言う真紀に、イツルは「どうぞ」と何の気なしに勧める仕草を見せた。そういうイツル自身もスープには一口も口を付けていない。食べる前に訊けば奇妙な笑みを浮かべるだけだったので、真紀は奇異には思うがこれもさして気にも留めず、スープにスプーンを伸ばした。
「…………」
 まず感じたのは、複雑な味A。どこかで食べたことあるな、と正常に思考が作用し始めたのはそれから間もなくのことだったが、それと反比例するように顔から厭な汗が流れるのが感じる。反射的にその場を立ち上がり、真紀は流し場へ向かった。
「何入れたの、莫迦兄貴!? コーラと麦茶とコーヒーを程よく混ぜた味するんだけど!?」
「メッコール」
 あっさりと答えたそれを、真紀は一層険しい顔で繰り返した。
「メッコール?」
「そう、メッコール」
 メッコールといえば日本各地で売っている健康飲料だ。確か値段もお手頃で、大韓民国が原産地だか何だか。確か含まれている栄養成分が高く、およそそういう飲み物にあるように、味はあまり美味しいものではない。はっきり言ってまずい。好きで飲んでいる人もいると言うが、真紀自身は「嫌い」というよりもむしろ「お目に掛かりたくない」部類に入れていた。
 何にせよ、スープに入れるようなものじゃない。その前に、人に勧めるものじゃない。
 口の中に残る不快感を水で流し込み、慰み程度にメインを胃に収める。
「……口の中がまだ変だよ」
「なら正常だ」
「いや、確かにそうだけどね」
 頬杖を付いて真紀はイツルを見やると、どことなく嬉しそうな表情だったので少し腹立たしくなってきた。目敏く気付いたイツルが、一瞬視線を彼方にやり戻ってきたのは僅か後のこと。
「まあ、気にするな。俺の気分転換だ」
「人で勝手に気分転換するなっつうの」
 そういえば、イツルはここ暫く仕事続きだった。故に、どこかで気を抜きたかったのかもしれない。それにしても、あたしを使うなよ、と真紀は内心で思いながらも、言うのをぐっと堪えた。
「でも、有難う」
 イツルのさりげない礼に、
「ええ、どういたしまして」 
 真紀も半分ぶっきらぼうに応じる。言って、笑った。
 まあこんな日もありかな、と思って、スープを少し遠くにやって、水をもう一口飲んだ。冷たいのは変わらなかったし、味も変わりがなかったが、その行為すら愉しむかのように、二人は会話とも呼べない言葉を続けた。

 後日気付いたのだが、冷蔵庫の横にメッコールの箱が置いてあった。箱は開けられていて、二本だけ少なくなっていた。一本は真紀だけのスープに入れたと言うのだから、一本はどこにいったのだろうか。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2004年11月12日

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