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『明けない夜を彷徨う 』
ティナ2447

 変わってしまった世界の中で、唯一、変わらない物がある。
 ――夜の、闇。
 野山でも人の町でも、夜には変わらぬ闇がある。もちろん、野山の闇と町の闇ではその深さに大きな違いはあるけれど。
 それでも。
 夜は少しだけ、安心する。
 少しだけ、人の気配が遠のくから。

 願いはひとつ。

 ……カエリタイ。

 ここは違う。

 コワイ。

 そんな想いを抱えて眠れば、いつも同じ夢を見た。
 夢の中でくらい野山に帰りたいと思うのに、ふわりと包みこむような幸せな時間はあっという間に過ぎてしまう。
 じくじくと癒えない傷は、眠りの時にまでも侵食し、さらなる痛みを齎した。
 そうして、何度も、何度も。
 同じ時間を繰り返す。
 目覚めればそれは夢だとわかるけど、少なくとも、眠っている間は。
 夢は紛れもない現実であり、リアルな痛みを伴っていた――。

† † †

 野山は獣の領域であるけれど、時たま、そこに人間がやって来る事がある。
「うう〜……」
 右足首に深く食い込んでいるのは、肉食獣の歯よりもさらに凶悪で鋭い、銀の刃だった。
 人間が仕掛けて行ったらしいそのトラップに気付かない自分の迂闊さに少々苛つきながらも、動く両手で刃を外す努力をしていた。
 けれどギザギザの刃のどこに手をかけても痛くて力が入れられないし、それで思わず手を離すと、刃は勢いよく戻ってきて、もっと深くまで食い込んでしまう。
 このままここから動けなくなったら、飢えて死ぬことになる。
 痛みと恐怖でボロボロと涙を零しながらも、それでも諦めることはしなかった。
 そうして何日くらい過ごしただろう。
 永遠とも思える時間は、唐突に終わりを告げた。
 自分にとって、もっとも最悪な展開で。
 ガサリと、遠くに聞こえた不自然に繁みを揺らす音がこちらに近づいてくるのに気がついて、動けないながらも警戒の視線を向けた。
 これが人間の罠だということはわかっていたのに。
 いつ、人間が様子を見に来るかなんて、頭からすっかり抜け落ちてしまっていた。
 罠に捕まっているものは、その人間にとっては予想外のものだったんだろう。
 しばし目を丸くして茫然として、けれどそいつは次の瞬間、ニヤリと――なんとも嫌な感じの笑みを浮かべた。
 伸びてくる腕を払いのけようと両手を振りまわしたけれど、数日間飲まず食わずの身体では、そうたいした抵抗はできなかった。

 ――何か、言ってる。

 人間の発した音の意味は、ほとんど理解できなかった。なにせずっと人里離れた山奥で静かに暮らしてきたのだ。
 人との接触など皆無。せいぜい、遠くからほんの少し見かけたことがあるくらい。
 当然人の言葉など聞く機会はなかったのだ。
 捕まれた腕が乱暴に引っ張り上げられて、体も一緒に持ち上げられた。
 まだ罠に捕まったままの足が酷く痛んだが、向こうはそれを気にする様子もなく、薄ら笑いでこちらを見つめる。
 それが、ものすごく、嫌だった。
 なんだかわからないけどすごく嫌な感じがして、足の痛みも掌の痛みも気にせず、とにかくこの人の傍から離れたくてめちゃくちゃに暴れた。
 けど。
 唐突に、意識は途絶える。
 それが衰弱のためだったのか、それとも人間がなにかしたのか。
 その時は、そこまで思考をめぐらせることはできなかった。



 次に目が覚めた時、そこは小さな檻の中だった。
 もう痛みはほとんどなかった。見れば足にも手にも白い布があてがってあり、どうやら手当てをしてくれたようだった。
 入れ替わり立ち代わり人間たちがやってきて、こちらを無視して何か話して去って行く。
 そうして次の場所に移動するころには、なんとか、人の言葉を理解できるようになっていた。
 見よう見まねの言葉はなんともたどたどしいものだったけれど、少なくとも、現状を理解し意思を交わすにはそれでも充分だ。
 ――『ティナ』
 何度も呼ばれて、人間たちが自分を呼ぶ時の言葉なのだと知った。
 けれどそう呼ばれるのは、大嫌いだ。
 だって、呼ばれた後には必ず、痛いことが待っているのだ。
 首にはものすごく窮屈な革をつけられて、そこから繋がる鎖がジャラジャラと耳障りな音をたてる。
 嫌だと、何度言っても聞き入れてはもらえなかった。
「いい加減に――っ!!」
 ぐいと鎖ごと引きずられて、喉が閉まる。
 空気を求めて喘ぎ、身体から力が抜けた瞬間を見計らって引きずり出された。
 強すぎる光と、大きすぎる沢山の音。
 耳を塞いで目を閉じて。
 そうしてやり過ごそうとしたら、背中でヒュッと風の唸る音――次の瞬間。
 バシィッ!!
 大きな音と焼けるような痛みが同時にきた。
 音の余韻を残すかのように、背中がズクズクと熱い。心臓の音が一つ鼓動を打つたびに、内側から痛みが襲ってくる。
 叫んでも泣いても止めてもらえなくて。
 結局最後には、彼らの言う通りにした。
 いや、させられたと言ったほうが正しいか。
 怪我に体力を奪われ、動くのも辛いのに、彼らは無理やり引きずりまわすようにして見世物の舞台の上へ乗せたのだから。

 ――パチン、と。
 身体に限界がきたのか、意識が弾けた。
 自分で動かそうとしても動かない身体を、彼らはそれでも動けと鎖を引く。
 まだうっすらと見えていた視界がどんどんと暗くなって、そして――。

† † †

 目が、覚めた。
 心臓がバクバクと大きく撥ねている。
 周りを見渡して、ここはあの見世物小屋じゃあないのだと自分に言い聞かせた。
 隙を見て逃げ出したは良いけれど、ティナには、ここがどこなのかもわからなかった。
 何度も似たような目に遭いながら、今も、いつ同じような目に遭うのかと怯えながら。
 ずっと、願い続けている。
 カエリタイ、と。
 どこをどうやれば自分の住んでいた野山に帰れるのか。
 ここは、自分が慣れ親しんでいた世界とはあまりにも違いすぎる。
「帰して……」
 まだ夜の闇は深く冷たく冴えている。
 まだ、暖かな陽が昇る気配はなかった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
日向葵 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2004年11月08日

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