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『散歩 』
マリオン・バーガンディ4164


 別に、迷っているわけではない。
 マリオン・バーガンディはその思いを念を押すよう頷いて、いつの間にか交通量の大分少なくなった道を振り返る。来た道だ。顔を前に戻す。見知らぬ景色だ。
(迷ってはいない……はず)
 風の吹くまま気の向くまま、足の向かう先を特に定めもせず歩いてきた。迷う、という言葉は進むべき道や方向が分からなくなるという意味を持つ。ならば進むべき先がなかったのだから、これは迷ったのだとは言わぬはずだと、マリオンはなかば強引にそう判断して、小さく吐息を落とした。
 吸気にからりとした風が、やわらかな黒の髪先で戯れては高く澄んだ空へと吸われてゆく。薄くブラウンの懸かる眼鏡の下からでも、道を通う秋風と、光だけは充分あるのにちっとも暖を寄越してはくれぬ秋の陽の様が窺える。何気ない風を装って自邸を抜け出そうとしていたせいで、この候にあってはマリオンの装いは傍目にも肌寒い。せめてコートぐらいは持って出れば良かったと後悔して、次の機会のために、ガレージに停めてある車の一台の内にコートを潜ませておこうと決意する。
 そんな無駄な工作を考えねばならないのは、偏にマリオンが道に迷う確立が限りなく十割に近いからである。マリオンの邸に働く使用人や、友人知人に部下、それに上司に至るまで、マリオンの特徴を挙げよと問われれば、そのひとつにはきっと声を揃えて「迷子になる」と断言してくれるに相違ない。
(……日本はごちゃごちゃしているから悪いのです)
 言い訳をする相手も今はいないが、マリオンは一本逸れればたちまち様子を違えてしまう日本の道へと、そう不満を洩らす。
 最近は車で出掛けるにも運転手付きでなかなか運転させて貰えぬし(尤も、これはマリオンがスピード狂であることが主な理由であった)、今日こうして散歩へと出るのにだって挙りて止められたのである。お蔭で出掛けようと思い立ってから、邸を出るまで小一時間ほど要してしまった。それだって、軽い鬼ごっこの末に使用人の目を掻い潜り裏口から抜け出してきたのだ。
「何もあんなに必死になって止めなくてもいいじゃないですか」
 呆れを声に出してみれば、果たして風が舌先にひやり絡む。不意の渇きに、マリオンは軽く眉を顰めたが、すぐに何事もなかったかのよう、ちろりと唇を舐めると、その愛らしい容貌の隠れた金の瞳を瞬いた。
 今、視線の先には一軒の店がある。
 恐らくは外壁に塗装を施し、その上から板を積み重ねていっただけの、単純な仕事で造られた建物なのだろう。併し長い時間晒されて所々剥げ落ちたその風合いは、微かな郷愁めいたものを伴ってひっそりと、取り残されたように其処に在った。こういった雰囲気は、嫌いではない。マリオンは軽やかな足取りで店に近付く。薄いカーテンの懸かる飾り窓を覘いてみれば、小さな対の人形がそれぞれ扇と笛を持ちての宴の様、そのきらびやかな衣装の質感を見るに和紙で作られたようである。敷かれた布の上に桜花ふたひら舞人ひらりと立ち姿、その出来も配置も見事なもので、つと窓に指添え更に覗き見た。
 と、カランとベルの響き、窓脇の店の扉が開かれて、「おや」と声が降る。マリオンは驚いて窓を離れ、自分より高い背丈の相手を見上げた。銀縁の眼鏡を掛けた老人が、にっこりと、マリオンへ挨拶して、
「何か気になるものがありましたか」
 穏やかな声音で問う。
 マリオンは反射的に頷いて、さらりと飾り窓に視線を走らせた。
「此処は、アンティークを取り扱うお店ですか」
 今度は老人の方が頷き、マリオンの隣で窓の中を同じように覘いて、ああ、と感嘆にも似た息を洩らすと、すいと先ほどの人形を指差す。
「ご覧になっていたのは此方で?」
「ええ、紙で作られているのにしっかりした造りで、それに何よりバランスが素晴らしい――」
 対の人形の各位置、間に落ちる花びら、敷物の皺も、何気なく配置されているようで、それでいて、すべて計算し尽くされているかのような、妙。
 普段から数多くの美術品を取り扱っているマリオンは、店頭の隅に置かれた小さなそれにも美を見出す。並びに置かれているのは変わって洋の骨董だが、本日気になるのは和の方であった。
「日本のものは、他にも?」
「御座いますよ。ちょうど、面白いものが入っています」
 面白いもの、とだけ老人は言って笑った。
「……と言うと、購買意欲を起こさせて、とも思えますかね。何、此処は私の店ですがね、暇にしているのですよ。宜しかったら、中へ入って爺の話の相手でもしてみませんか」
 マリオンは眼鏡を外し、
「お邪魔します」
 露わになった面に人懐っこい笑みを浮かべて、共に店内へ入った。

「それだけ、心配されているということでしょう」
 店主である老人は目を細めて、マリオンの話にそう答えた。
 店の中は外から見た通りに小ぢんまりとして、けれど窮屈に思えぬのは縦に長い構造のせいなのか。壁には整理の行き届いた棚が、中央には様々な大きさ形の椅子や机に、雑多な小物が累々と、橙色のランプの光を妖しく反射している。
「……分かっているのですけどね」
 マリオンは呟いて、手の中の中国茶の淹れられた茶杯を眺めた。
 話は、マリオンが外出する際の一騒動の件である。実際の年齢に較べ幼すぎる外見のせいなのか、余りに過保護が過ぎるのではと零したのだ。
(迷子になったって、すぐに“戻れる”から問題ないと思うのですけど)
 これは店主には、説明を求められると困るので胸の裡に留め置いた。
 店主はやはり笑みのまま、やおら立ち上がり店の奥へ消えると、平らな箱を携えて戻ってきた。
「先ほど言っていた、『面白いもの』ですよ」
 そう言ってマリオンの前に箱を置く。
 マリオンは少々悄気ていた心持ちも、眼の前の興味の品にさっと消え失せたとみえて、弾んだ声で店主に箱を開けても良いかと問う。店主が頷くのを見ると、早速と厚紙の箱の上部を上げた。

 色彩は少しばかり褪せていて。
 けれど細かに書き込まれた絵柄に文字が、画面いっぱいに所狭しと詰まれている。
 朱色の太い線が、直線のみで表された蛇のようにうねって、中でも一等目立っていた。

 刹那それが何か判じかねて、マリオンは蓋の部分を除けると、まじまじと見詰める。日本の、それも古い言い回しの言葉が、線に添えられるように連なっていた。線の両端を見れば、それぞれ『ふりだし』『上り』とある。線の途中、折れる所はこれには『日本橋』やら『新宿』やら、東京の地名が書かれていて、ざっと目を通すと現在の地図と重なるか。だが聞き覚えのない地名も中にはある。
 ふと視線を上げると、金魚柄の杯に二杯目の茶を注ぎながら、店主はマリオンの様子に満足げに頷いていた。
「珍しいものでしょう。歌留多なんかは結構出るのですが、絵双六はあまり見ませんからな。それは確か昭和の初めの東京名所を巡るとかいう、ほら、裏もご覧になって下さい」
 言われてマリオンは、ひらと古びた紙を反した。
 裏面には、二色で印刷された広告が並んでいる。広告主には現在も有名な企業の名が見られたが、漢字表記であったりと、やはり時代の古さを感じさせた。
「双六……ですか」
 店主の言うように、歌留多――いろはガルタ、歌ガルタ、カードの類は海外でも広く紹介されて、マリオンの管理する中にも見られた品だ。併し双六となると、それほどは――
「あ」
 そうだ。これはいいかもしれない。
「どうしました?」
 マリオンの声に店主は首を傾げた。
「これは、どの程度の稀少価値を持つものなのでしょう?」
 稀少、と繰り返して、店主が悩んだのを見ると、マリオンは「ではずばり値段としては?」と言い換えた。
「……そうですねぇ、まだ店には出していませんから、相場を考えても……それに、其方は何枚かあるものですからね」
 マリオンの捲ったその下にも、同じ絵柄の印刷された紙がある。折り目もなく収まっていたところを見ると、どこかの店の倉庫にでも眠っていたのかもしれない。
 それを見て、何かを決心したかのようにマリオンは軽く頷く。店主に向け、やわらかに微笑み、はっきりと宣言した。
「この箱の中身すべて、言い値で買わせて頂きます」
 ――それは外見十代の少年の発言としては、齢七十を過ぎた相手には些か、否相当に、過激な内容であったに違いない。

 結局、呆気に取られた様子の店主へカードで全額支払いをするには、マリオンは童顔で既に成人していること、それに勤めている会社で美術品を取り扱っており買取を頼まれていたことなど、説明しなければならなかった。微妙に、嘘である。だが既に成人の件や勤務先で美術品を扱っているのは真実なので、老人への説明は良心を咎めずに済んだ。
 嵩張るので何か袋にでも、と店主は慌てたように店の奥へ戻り掛けたが、マリオンは会社が近いのでと断った。これ以上気遣われるのも困る。が、せめてと箱を藍色のリボンで開かぬよう括られたのを見て、マリオンはふと、何かを思い出し掛けた。店主は不器用であったとみえ、結び目が早くも綻びている。
「……そういえば、此方、店名は何と?」
 店を去り際に、看板すら表に出しておらぬ店主へ問うと、覚えのある名が返ってきた。

(確か、総帥が前に贈り物を購入したとか言っていた……)
 違うかな、と首傾ぎ、店を出てから数分後。周りの景はまったく記憶にないものだ。元より体力のなさは誇っても良いほどで、店で休憩したとはいえ、さすがに疲れが足に絡む。ううん、と呻いて立ち止まった。曲がり角、今度は見覚えがある。但しほんの数分前に。あれに見えるはアンティークショップではなかろうか。
(……迷いましたね)
 今度は素直に認めた。
 最初からこうすれば良かったと肩を落として、手許の箱を見、ふっと表情が緩んだ。“彼ら”は日本の遊びを、気に入ってくれるだろうか。
 解け掛けたリボンの端が、風にふわりと舞い上がる。薄い水色の空に融ける前に、空間は違え、やがてぱさりと箱の上に戻る時にはもう其処には風のない。その先に待つ人々に、お土産だと告げ渡そうか。それでこの先容易に出掛けさせて貰えるとは思わぬけれど。ああ、その前にとりあえず。
「――ただいま」


 <了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
香方瑛里 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月08日

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