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『湯気の温度 』
藤井・雄一郎2072)&藤井・せりな(3332)


 藤井・雄一郎(ふじい ゆういちろう)は、翠の目で家を見上げていた。特に珍しくも何ともない、極々ありふれた家である。中には灯りが灯っている、典型的な一般家庭。
「……まずいな」
 雄一郎はぼそりと呟き、溜息をついた。溜息に呼応したかのように吹いた秋風が、雄一郎の茶色の髪を揺らす。
「本当に、まずい」
 見上げる家は、何を隠そう雄一郎の家であった。雄一郎が帰るべき家であり、雄一郎が住むべき家である。つまりは、雄一郎がこの家に入ることに何も問題があるわけではないのだ。
 それなのに、家を見つめる雄一郎の顔は、暗い。
「灯りがあるという事は……なぁ?」
 誰に話し掛けるという訳でもなく、雄一郎は呟く。家の中にいる人物が、頭の中で鮮明に映し出されていく。
 さらさらの黒いショートカットに、澄んだ青の目。
 絶えない笑顔に、やんわりとした物腰。
 そして……いい音を響かせる、ハリセン。
(大体、なんでハリセンだ?どうしてハリセンなんだよ?)
 白いジャバラ体を持つ、自然と手にフィットする突っ込み道具。それを、何故だかいつでも手にしているのだ。
(何故……)
 藤井・せりな(ふじい せりな)は、雄一郎専用のハリセンを手にしている。ふと気付くと、いつでも。
(いや、今日は仕方が無いだろう。頼まれたら、断れないしな)
 雄一郎は家の前を行ったり来たりする。堂々と玄関から入ればいいだけの話なのだ。別に悪い事をしてきた訳ではない。別にせりなに言えないような事をやってきた訳ではない。そう、堂々と玄関から入り、大きな声で「ただいま」と言えば言いだけの事なのだ。
 しかし、それが容易には出来ない。
(……せりな)
 雄一郎は再び溜息をつく。堂々と出来ない自分にあるのは、せりなの手にあるだろうハリセンだけが原因ではない。
 妙な後ろめたさが、雄一郎にはある。
(ここ、俺の家だよなぁ)
 家の中に入っていくのに、何の後ろめたさがあるというのか。しかし、何故だか雄一郎にはその後ろめたさが奥深く根付いている。
(怒らせると怖いしなぁ。……だってほら、週一回子ども達に空手を教えられるくらいだしな)
 せりなの教えている空手教室は、中々にして評判がいい。裏を返せば、教えられるくらいの空手の腕を持っているという事なのだが。
「怒らせるようなことはしてない!……筈だが」
 語尾が弱くなっていく。雄一郎は家に入らないと始まらないというのも分かってはいるのだが、どうにも体が玄関へと向かわない。
 雄一郎は再び溜息をつき、玄関からくるりと踵を返して家の裏へと向かう。
「表が駄目なら、裏に行けってな」
 微妙に間違っている発言をし、裏口へと辿り着く。玄関から入るから、せりなのハリセンつき突っ込みを恐れないといけないのだ。
(こっそり入ってしまえば、ばっちりだな!)
 雄一郎はそう思い、力強くこっくりと頷いた。拳すら握り締め。勿論、結局の所見つかってしまうだろうという考えは頭に無い。そして、その時になんと言うかも全く考えてはいない。
(よし、行くぞ)
 ぐっと喝を入れ、そっと裏口の戸を開く。喝を入れた割には、情けない入り方である。そっと覗き込むと、中に人はいないようだった。
(しめしめ……!)
 雄一郎はにんまりと笑うと、そっと中に入った。ぱたん、となるべく音をさせないように戸を閉め、ほっと息をつく。
 と、その時。
「あなた?何をやっているのかしら?」
 ぱっと光がつけられたかと思うと、雄一郎の背中から声がかけられた。
「……何をって」
 振り返れば、せりながにっこりと笑いながら雄一郎を見ていた。雄一郎は目をそっと逸らしながら、ぼそりと呟く。
「何をやっているの?」
「何って……帰ってきたんだが……」
「あら、そう。おかえりなさいっ」
 パシーン!「おかえりなさい」の「い」の部分で、せりなの背に隠されていたハリセンが雄一郎にヒットした。せりなの持つ必殺技、突っ込み炸裂ハリセンである。
「あら、いい音ねぇ」
 自らが放ったハリセンの音に、せりなはにっこりと微笑む。
「……せりな」
「何?」
「俺は、別に悪い事をしていないと思うんだが」
「じゃあ、今まで何をしていたのかしら?」
「何って……」
 ふい、と再び雄一郎はせりなから目を逸らす。
「あなたは一体どういう立場にいる人なのかしら?」
「……せりなの夫だな」
「そうね。でも、他にもあるわよね?」
「……二人の娘の親だな」
「そうね。でも、他にも大事な事があるわよね?」
 せりなの問いに、雄一郎はぐっと言葉に詰まる。
「……長……」
「聞こえないわよ?」
 せりなに言われ、雄一郎は口を開く。
「フラワーショップの、店長……」
「はい、正解」
 パシーン!再びせりなのハリセンが綺麗に決まる。
「店長がどうしてフラワーショップからいなくなるのかしら?」
「ええと、それはだな……ほら、何だ」
「……何?」
「ええと、草間さんの所に行ってだな」
「良く行くわよねぇ。最近、頻繁に」
「事件というものがあってだな。それを解決に向かわせたくてな」
「それは良い事よね。確かに」
 そう、今日請け負った草間の依頼は、とてもいい方向に終わらせる事が出来たのだ。ちゃんと綺麗に解決させることが出来た。それはとても素晴らしい事だ。
「だろう?俺、嬉しくって」
 パシーン!心底嬉しそうに話す雄一郎に、再びせりなのハリセンが入る。せりなはにっこりと笑い、小さく溜息をつく。
「いくら良い事をしたとしても、こんなに夜遅くまでいなくなっていたら心配するでしょう?店は放っておいているし」
「……す、すまん」
 どう考えてもせりなの言い分の方が正しい。雄一郎は素直に頭を下げた。その様子に、せりなは苦笑して「仕方ないわねぇ」と小さく漏らした。
「じゃあ、ご飯にしましょうか。食べてきてないんでしょう?」
 せりなはそう言うと、椅子にかけていたエプロンをつける。雄一郎はこっくりと頷き、椅子に座ろうとした。その時、再びハリセンが飛んでくる。
「あなた、靴を裏口に置きっぱなしよ。ちゃんと玄関に置いてこないと」
「え?……あ、ああ」
 じんじんとじんわりとした痛みのある頭をさすりつつ、雄一郎は靴を玄関へと移動させた。再び食卓に帰って来ると、せりなは食卓に背を向けるようにして味噌汁の鍋を見ていた。ふわりとした湯気にのった味噌の香りに、思わず雄一郎のお腹が「ぐう」と鳴る。
「もう少しよ」
 せりなは雄一郎の方を振り返り、くすくすと笑った。テーブルには、小鉢に入ったホウレンソウのおひたしと大皿に盛り付けられたサラダがある。箸と湯飲みもちゃんと出している。
(暖かい)
 雄一郎はせりなの背を見つめ、しみじみと思う。せりなのいるこの家において、この場所はなんとも暖かく居心地が良い。
(食べずに、待っていてくれたんだ)
 遅く帰ってきてしまった雄一郎を、店を放って行ってしまった雄一郎を、せりなはご飯も食べずに待っていてくれたのだ。
(……俺も、少しでも手伝わないとな)
 雄一郎は立ち上がり、茶葉が入れてある急須に湯を注ぐ。そっと蓋をして蒸らし、せりなと自分の湯飲みに茶を入れた。
「あら、有難う」
 ご飯の盛り付けられた茶碗と味噌汁の入った椀を乗せた盆を食卓に置きつつ、せりなは言った。それぞれの前に、それぞれの茶碗と椀を出しながら。
「なぁに、これくらいは全然」
「そう?」
 茶を入れただけで感謝されたという事に、雄一郎は思わず照れる。
(せりなの方が、凄いじゃないか)
 にこにこと笑いながらラップをつけた大皿をレンジに入れるせりなを見て、雄一郎は思う。
(食べずに待っていてくれたんだからな、この俺を)
 ピン、とレンジの音が響いた。せりなは火傷をしないように気をつけながら大皿をレンジから取り出した。ラップを取り、食卓の丁度真中に置く。出てきたのは、麻婆豆腐だった。ぴりりとした辛味を含んだ湯気と匂いが、一杯に広がっていく。
「さ、お待たせしました」
 せりなはにっこりと笑い、そう言って椅子に座る。
(こちらこそ、お待たせしたな)
 雄一郎は照れたように微笑み、心の中でそっと呟く。二人合わせて手を合わせて「いただきます」をいい、箸を手に取る。
「それで、今日の依頼はどうだったの?」
 せりながレンゲで麻婆豆腐を小皿にとりながら雄一郎に尋ねる。
「おお。しっかりと解決させてきたぞ」
 小皿にとって貰った麻婆豆腐を受け取りながら、雄一郎は答えた。せりなはにっこりと笑う。
「それは良かったわね。せっかくあなたが行ったんだから、解決させないと」
 せりなの言葉に、雄一郎は「ははは」と笑う。笑うしかなかった、とも言う。せりなは一瞬何かを探したが、やがて諦めた。
 探していたのはハリセンで、食事中だから止めておいた、というのが真相なのだが。
「……せりな」
「何?」
 麻婆豆腐を口にしていた雄一郎が、にっこりと笑う。
「これ、美味いな」
 せりなは一瞬きょとんとし、それから柔らかく微笑む。「有難う」と言いながら。
 温かな家の中、温かな灯りをともし、温かな湯気を放ちながら食事が進んでいく。二人が共有する時間さえも温もりを帯びているような気がしてくるから不思議だ。
(こうして、二人で)
 雄一郎は、せりなの作ってくれたご飯を二人で食べつつ、思う。
(こうして二人でずっといられたら……素晴らしいな)
 大好きな子ども達は、それぞれが一人暮らしをしている。時々は帰って来るものの、それよりも断然せりなとの方がこうして時間を共有しているのだ。
(俺の帰る場所を作ってくれて、俺の居るべき場所を守ってくれて、俺をさりげなく制してくれて)
 ただ、制する手段がハリセンというのが何となくはひっかかるのだが。……まあ、それもご愛敬と言ってしまえばそれまでだ。
 雄一郎は妙に楽しくなり、思わずくつくつと笑った。せりなはそんな雄一郎を見て、小首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや、何でも無いんだ」
「そうなの?」
 何気ないやりとり、不変の生活。それでも全てが温かな温度を帯びて、そこに確かに存在するのだ。
「何でも無い、普通の事だよ」
 雄一郎は尚も首を傾げているせりなに、そう答えた。せりなは、しばらく雄一郎を見ていたがやがて「そう」と言って微笑んだ。
 温かな温度を、互いに帯びながら。

<湯気の温度を体内へと入れつつ・了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月04日

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