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『酒は人類の友? 』
我宝ヶ峰・沙霧3994)&沙羅双樹・八識(4180)



 人生とは、幸運の連続である。
 けっ躓いて転ぶ種は、べつに探さなくてもいくらだってある。
「アンタとの出会いだってそーよねー」
 我宝ヶ峰沙霧が、じろりと酔眼を動かした。
「はっはっはっ」
 意味不明の笑声をたてる沙羅双樹八識。
「あに笑ってんのよ?」
「そんな昔のことは忘れましたよ」
「たいして昔でもないじゃん」
「私にとっては昨日は大昔です」
「へぇ? じゃあ明日のことは?」
「そんな先のことは判りません」
「てめーはボギーかっ!!」
 どげし、と、八識を蹴り飛ばす沙霧。
「はっはっはっ」
 やっぱり意味不明の笑声を、青年があげた。
 なんというか、実りのない会話である。
 ちなみにボギーとは、ハンフリー・ボガードの愛称だ。
 だいぶ昔の役者だが、その苦み走った演技で今もなお絶大な人気がある。
『風と共に去りぬ』といえば、さほど映画好きでもない人間だってタイトルくらいは聞いたことがあるだろう。
 どうでもいい話題で盛り上がっているが、これは酒精の悪戯である。
 良い頃合いに酔ってる二人にとっては、なんだって盛り上がる要因になる。
 大いに楽しんで欲しいものだ。
「つーかアンタには、これが楽しそうにみえるのか?」
 無責任なナレーションを続ける八識に、沙霧が白眼を向けた。
「いやぁ」
 そらっとぼけたりして。
 二人がこうして酒を酌み交わすのは、べつに珍しい話ではない。
 八識は未成年だという説もあるが、そんなことを気にしていては闇の社会は渡っていけないのである。
「そんなご大層なもんですか。酒飲みたがる中学生と一緒よ」
「ふふふ。沙霧さんはご存じない」
「あにをよ?」
「この国の法律は未成年の飲酒を禁じてはいますが、かといって罰則というものは設定されていないんですよ。喫煙と同じですね」
 勝ち誇ったようにいう八識。
「つーかそもそもアンタ日本国籍もってるわけ?」
 冷たい目を沙霧が向ける。
 なにしろ正体不明な男なのだ。
 身分詐称、学歴詐称、公文書偽造、数え上げればきりがないほどの罪を犯している。これに飲酒が加わったところで、さしたる問題はない。
 致死量を超えた毒ならいくら食べても同じこと、というやつだ。
 もちろん摘発されれば、ということであるが。
「ま、大学生は飲んでも言われないけどね」
「そういうことです。大人として見られますから。その一方で学生扱いもしてもらえます」
 確信犯めいた笑い。
 この国でどこかに籍を置くなら、大学というのが最も効率が良い。
 モラトリアム、などと呼ばれることもあるほどだ。
「大学生は気楽な稼業ときたもんだ、ってやつ?」
「無責任一代男ですか?」
 饗宴は続く。


 ハンター、と、称される者たちがいる。
 通称だ。
 狩る者、という意味で使われるようになったスラングだ。
 行動理念はいたって簡単。
 人類社会の安寧と福祉のため、魔の眷属や異能者を抹殺する。
 この星は人間のものであり、魔族やモンスターめいた力を持つ特殊能力者は必要ない。それが彼らの考えだ。
 歴史とは普通の人々が紡ぐのが本道であり、転機のたびに人外の力が作用して「正しい」方向へ導くとしたら、それは少なくとも人間の歴史ではない。
 だからこそ、その超常的な力の所有者を狩る。
 一般の人々に知られることなく。
 むろんそれは容易なことではない。
 闇に生き、闇に死す。
 そういう戦いに身を投じたのがハンターだ。
 たしかに一面の真理ではあるのだが、異能者や魔の眷属でも平和に生きたいと願う者がいるということを、まったく念頭に置いていない。
 ちなみに、この組織の構成員のほとんどは、大切な人を魔族などに害された人々である。
 そして組織の後ろ盾になっているのが、バチカンだ。
 世界で最も小さな国の名がどれほどの意味を持つか、表に生きる者だろうが裏に生きる者だろうが、判らないはずはなかろう。
 その組織と、沙霧は対立した。
 より正確にいうと、彼女の仕事とハンターの仕事がバッチングしてしまったのだ。
 こういう場合、流しの仕事師である沙霧が譲るのが暗黙のルールである。
 だが彼女にもプライドというものがあり、そしてたぶん、唯々諾々として不文律に従うには鼻っ柱が強すぎた。
 ハンターの一人を撃ち殺してしまったことで、事態は決定的な破局を招く。
 幾度でも確認しておくべきことだが、打算の絡まない組織は存在しない。
 不正のない社会が存在しないのと同じように。
 生きた人間が集まり、そこに金銭なり権限なりが介在した瞬間から、権力闘争という名の怪物が成長をはじめる。
 ハンターたちもまた人間の集団だ。
 仲間を殺されたことに対して、にっこりと水に流して仲直り、というわけにはいかない。
 当然のように、復讐と懲罰のために動く。
 そして、沙霧が二、三度それを撃退すると、彼らも本気にならざるを得なかった。
 ハンターたちの母体、つまりキリスト教の最大の力とは、世界各地に張り巡らされた情報網と、権力機構の頂上部にまで浸透している影響力である。
 たとえば秘密結社として「有名」なフリーメーソンもキリスト教系の組織だが、アメリカ合衆国の歴代大統領の半数ほどは、この出身者だという。
 いくら沙霧が卓抜したアサシンでも、アメリカという一国を相手にケンカができるはずがない。そしてバチカンの地下茎はアメリカのみに限定されたものではないのだ。
 彼女の生きる世界は、著しく狭くなった。
 とはいえ、ハンターも沙霧にだけかまっているというわけにはいかず、代理人(エージェント)を雇うことになる。
 それが八識だった。
 彼は、ありとあらゆる手段を使って沙霧を追いつめにかかる。
 八識が用いた策謀は、辛辣という名のパンに悪辣という名のバターをたっぷり塗ったような、容赦のないものだった。
 立ち回る先立ち回る先で沙霧は追いつめられ、窮地へと落ちてゆく。
 もちろんそれは、彼女の能力が低かったからではない。
 最初から使える力が違いすぎるのだ。
 全世界に影響力を持つ組織の力を惜しげもなく使う八識と、たかだか一暗殺者。
 巨竜と小鳥との抗争である。
 勝敗の帰趨など論じる価値もない。
 時間の経過とともに不利が大きくなることを悟った沙霧は、八識が居座っているハンターの支部のひとつを強襲する。
「はぁはぁ‥‥」
 弾む息。
 全身を彩る傷に、神経が悲鳴をあげているようだ。
「くっそ‥‥」
 女性らしからぬ台詞とともに、血の混じった唾を吐き出す。
 ハンターのアジトを掴んだまでは良かったが、トラップの多さと迎撃の的確さといったら、
「まるで奇襲を読まれてたみたいね」
 つぶやき。
 まるで、ではなく、おそらくは完全に読まれていたのだろう。
 ようするに誘い込まれたというわけだ。
「私としたことが、ぬかったわね」
 心理的に追いつめられた沙霧が事態を打開するために短兵急な行動を取る。考えてみれば、なんと読みやすい行動をしてしまったことか。
「‥‥いまさら逃げるわけにもいかなのよね‥‥」
 地でぬめる手で拳銃のグリップを握り直す。
 退却は前進よりも難しい。
 これは軍事上の常識だし、仮に逃亡に成功したとしても、次はもっと不利が大きくなる。
 ここまで事態が推移してしまった以上、死中に活を見出すしかないのだ。
「勝算は、二割ってところしら」
 シニカルな笑い。
 不条理だ、とは思わなかった。
 彼女は今まで多くの命を奪ってきた。
 今、自分の命が奪われる順番(ターン)が回ってきたのだとしても、誰を恨むこともできないはずだ。
「けど、この私をここまで追い込んだやつの顔くらいは拝んで死にたいものよね」
 走り出す。
 時間を空費してはいられない。
 もし沙霧に勝ちの目があるとすれば、相手の行動予測を超えて動くこと。
 それだけだ。
 狙ってピンゾロを振るくらいの確率だろうが。
 駆ける。駆ける。駆け抜けてゆく。
 脇目もふらず中枢部を目指して。
 敵のブレーンがチェス盤の駒のように兵力を動かしているとすれば、彼女の動きをモニターできる場所でなくては意味がない。
 そしてモニタールームは最上階か最下層。ふたつにひとつだ。
「一番下と読んだっ」
 根拠などない。
 戦士として、アサシンとしての嗅覚が告げている。
 沙霧はそれに賭けることにした。
 そして‥‥。


「おや? きてしまいましたか」
 飄々とした男の声。
 満身創痍の沙霧を出迎えたのは、彼女よりわずかに年少にみえる青年だった。
 少年と称しても良いほどの容貌だ。
 女戦士の銃口をまっすぐに見つめている。
「まともな戦術眼の持ち主なら逃げると思ったんですが。そのために退路を開けておいてあげたんですよ」
 やや皮肉な笑み。
 計算を超えるほどの突進力と無謀さを、沙霧が持っていたということだろう。
「配慮ありがと。でも、私の勝ちよ」
 自動拳銃から放たれる赤いレーザーが、正確に少年の額をポインティングしている。
 彼女が指先にわずかに力を込めるだけで、八識の個人史は終焉を迎えるだろう。
 むろん、沙霧の人生も。
 脱出に必要な体力も弾薬も、もはや残ってはいないのだ。
 ここで八識ひとりを倒したとしても、遠からず彼女も包囲され殺されるだろう。
 勝ちというより、相打ちだ。
 もっとも、この相打ち狙いの突進こそが、八識の計算を上回る結果となったのだが。
「生還してこその勝利だと思いませんか?」
 苦笑する少年。
「アンタを殺せれば充分よ」
 にこりともせずに言い放つ女。
「まあそういわずに、ちょっと私の提案を聞いてみませんか」
「???」
「じつは私もハンターと揉めていましてね。この際だから離反しようかと思っているのですよ」
「それで?」
「手を組みませんか?」
 お茶にでも誘うような気軽さだ。
 思わず苦笑しかかった口元を引き締め、
「私のメリットは?」
 沙霧が訊ねる。
「ふたりとも、生きてここから出られることを保証しますよ」
「‥‥不可能ね」
「そうでもないんですけどね」
 さりげない動作で、八識がコントロールパネルを操作する。
「動かないで」
「ご心配なく。全館に無力化ガスを流しただけです」
「‥‥‥‥」
「三分後には、ハンターは全員、眠りの園で散歩を楽しんでますよ」
「‥‥‥‥」
「どうです? 一緒に逃げませんか?」
「‥‥判ったわ。降参よ」
 今度こそはっきりと、沙霧が苦笑した。


  エピローグ

「思い出すと腹立ってくるわね」
 都内のマンションの一室。
 沙霧の機嫌は悪化の一途をたどっている。
 結局、八識の掌の上で踊っただけではないか。
「はっはっは。ふたりとも無事に逃げられたんだから良いじゃないですか。ちゃんと死なないように配慮して攻撃していましたし」
「抹殺しろって命令されていなかっただけでしょ。アンタは」
「そうともいいます」
 満面の笑顔で答えて欲しくないものだ。
 だいたい、逃亡劇に沙霧を巻き込んだのだって、その後のハンターの攻撃を退けるためだ。
 八識には知謀はあっても直接的な戦闘力は乏しい。
 沙霧にしてみれば、番犬にされたようなものである。
 まあ結局は、頭脳と力のコンビネーションでハンターたちの手が及ばない日本に逃げ込めたわけだが。
「結果オーライといやつですね。めでたしめでたし」
「‥‥‥‥」
「あれ? どうしました?」
「‥‥めでたいのはアンタの口だっ!!」
 沙霧の手が、八識の両頬を掴んで思い切り横に引っ張る。
 びろーん、と。
「ひゃっひゃっひゃっ。いひゃいへふひょう〜〜」
「この宿六がぁっ!!」
 東京の夜。
 一千万の人生を包む夜が、にぎやかに更けてゆく。
















                           おわり

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
水上雪乃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月01日

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