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『教師と生徒と傍観者 』
綾和泉・匡乃1537)&綾和泉・汐耶(1449)

 カチャカチャと食器の運ばれていく音が聞こえる。綾和泉汐耶は下げられた皿の代わりに、テーブルに置かれたコーヒーへと手を伸ばした。
「で、兄さんは楽しいわけね」
「そう見えますか…?」
 見えないとでも思っているのかと肩をすくめたのは、汐耶の兄で、大学生を対象とした塾講師をしている匡乃だった。紅茶の白いカップを手にして口元へと運んだ。

 汐耶は都立図書館で司書をしている。平日の午後、休憩時間が合ったこともあり、4つ年上の兄匡乃と喫茶店で短い時間を共有していたのだった。本当はすごく美味しい珈琲専門店が近くにあり、珈琲に目がない汐耶はそこへ行きたかったのだが、匡乃が紅茶を好むので両方を置いている普通の喫茶店になった。
 たまたま入った店だか、都会でありながら中庭を設けてあるせいか和やかな気分にしてくれる。汐耶は斜向かいに座った匡乃の長い指先に何気なく視線を向けつつ言った。
「楽しそうに見えなくもないわね……。で、この間はよくも突然きてくれたわね。結構困ったのよ」
「ああ、彼と一緒に夕食をごちそうになった時のことですね」
 匡乃がその場面を思い出したのだろう、目を細めた。縁が上部にいくほど優美に広がっているカップを置くと、匡乃は顎の前で両手を組んだ。頬は緩くほどけ、揺らいで立ち昇る湯気を楽しんでいるといった表情。
 汐耶はそんな兄の顔を少し不思議そうに眺めた。なぜなら、兄はあまり執着する――ということがなく、人に対しては一貫して均一の距離感を持って周囲と接しているように感じるからだった。実際、兄の友人という人物をそう多くは知らない。

 ――兄さんがこんなに嬉しそうに微笑むことくらい、珍しいことなんてないわよね……。

 常に巨大な猫を飼っているのが匡乃という人物。人前に出る時はことさら丁寧に猫の皮を着込み、本来の気まぐれで狡猾な口調を封じ込め、完璧なイイヒトへと豹変する。初めてまざまざとその変貌ぶりを目にした時、妹として少し頭痛がしていたのは否めない。
 しかし、先日突然兄と一緒に連れ立ってやってきた少年に関しては違っていた。
「ね、美味しかったって言ってた? 彼」
「ああ、食べるという行為に、『美味しい』という感覚が同時に存在することを驚いていたよ」
「美味しいって感じたことがなかったの!? どんな暮らしをしていたら『美味しい』と感じる食事をしないでいられるのかしら……」
 食事にやってきた少年が、汐耶がテーブルに並べた料理の数々を、食い入るように見つめていたことを思い出した。食後に珈琲を出すと、苦いのにびっくりしていた。単に苦いものが苦手なだけだと思ったけれど、違うのかもしれない。「あの兄」が拾ったのだから、余程の理由があったのかもしれない。
「兄さん……あの時、聞かなかったけど、彼とはどこで知り合ったの? 生徒さん?」
 言ってはみたものの、生徒であるはずがないことくらい汐耶が一番よく知っていた。『生徒』は仕事として相対する人物。それに該当する関係の者に『教師』という顔以外、見せるような兄ではないのだから。けれど、年齢的に友人にもなりにくいだろうし、何より出会ったきっかけを汐耶は知らなかった。
 興味が湧く。あのどこか寂しげな憂い漂わせた青い瞳の少年。兄の家に居候していると言っていたが、妹である自分ですら捕らえ所のない兄なのだから、苦労も多々あることだろうと汐耶は思った。
「ふふふ、生徒…ですか。ある意味では正解ですね。でも、彼はもう友人ですよ」
「……そう、友人になったのね」

 珍しい。そんなこともあるのだ。汐耶は自然な相槌を返しつつ、匡乃に気づかれない程度に驚いていた。
 匡乃はそんな妹の変化に気づこうともせず、紅茶を飲み干した。カップとソーサーをテーブルの端に寄せ、すでにコーヒーを飲み終わっていた汐耶を店外へと促した。
 さりげなくレシートを摘み上げてレジへと向かう兄を見て、汐耶はそのスーツ姿の背中を見つめた。長身で中世的な横顔。女性の注目の的だろうに、本人にはそれ答えようとするわずかな素振りすら見えない。誰かに関心を持てばいいのに――といつも思っていた。年頃の妹としても色々思う所も多い。

 一歩前進、ということなのかしら?

 居候している彼には悪いけれど、あの兄の友人になったからにはずっとそのままでいて欲しいと汐耶は願わずにはいられなかった。

                          +

 仕事場である都立図書館への道のりを匡乃と汐耶は並んで歩いた。
 汐耶も女性にしては長身で、しかもショートヘアにパンツスーツを好んで来ている為男性に間違われることもある。おそらくは通りかかる人の目には、同性の友人同士くらいに見えているのかもしれなかった。
 街の中にある小さな緑地公園を横切りつつ、汐耶は疑問に感じたことを匡乃に問った。
「立ち入ったことを聞いてもいいかしら。彼は今何をしているの? アルバイト? 学校には行ってないのよね?」
「僕の家でですか?」
 そうだと汐耶が頷くと、匡乃は含み笑いをして次を続けた。
「そうですね……今日辺りは、因数分解を解いてるんじゃないかな? それと夕食の用意」
「……それって、兄さんが彼に家で勉強させてるってことなの?」
 肯定の笑みを浮かべ、匡乃は汐耶の問いに答えた。
「人生の勉強――といったところですよ。彼は何も世俗的なことを知らずに育っていますからね、料理ひとつ、掃除ひとつ取ってもすべて教育の材料となるんですよ」
「家でも教師をやっているなんて、兄さんの場合職業病なのかもしれないわね……」
 汐耶は呆れて溜息をついた。

 ――本当に楽しそうね……。人を育てるってことが好きなのかしら?
    それにしても…。

 匡乃はどの話題を話している時よりも、ひどく楽しそうな目をしていた。汐耶は一抹の不安を覚える。それは兄に対することではなく、兄の教育を受けることになった少年のこと。
 喫茶店で、匡乃は彼のことを『友人』だと言った。それは、これからもずっと――おそらくは少年の抱える問題が解決した後、匡乃の家を彼が出ていった後も、匡乃自身が自分の意志で関わり続けることを意味していた。
 それを思って、汐耶はわずかに同情の念を少年に抱いた。

 ――友人でいるには、かなり大変よね。

 匡乃の言動に振り回されている少年が思い浮かび、思わず苦笑してしまった。先日、ご飯を食べにきた時も然り。今後も同様の出来事が、少年に振り掛かるだろう。その時、彼がどう思うか。それが少し心配でもあった。
 兄のためにも、彼には友人でいて欲しいと、汐耶は思っていたからだった。どこか寂しそうな少年。それを匡乃が癒しているのかもしれない。
「どうかしましたか? ほら、そろそろ仕事場ですよ」
「…あっそ、そうね。じゃ、兄さんまたね」
 すでに自分の塾へと歩き始めている匡乃が手を軽く上げた。遠ざかる兄を目にして、汐耶は思わず駆け寄った。
「汐耶? ……何か言い忘れたことでもあるのですか?」
 息を切らせ、走りにくいだろうパンプスで駆けてきた妹に兄が首を傾げた。胸に手を置き、呼吸を整えてから汐耶は匡乃の目を見て言った。
「私は兄さんを信じてますからね。それを裏切るようなことは絶対にしないで下さい」
「…ふふふ。相変わらず信用がないんですね、僕は」
 匡乃は目を細めると、女性としては長身だが自分と比べれば小さな汐耶の頭を、ポンポンと軽く叩いた。
「何のことを言っているかわかりませんが、僕は自分の意志に従って行動するまでですから。…まぁ、おそらくは汐耶の期待に添えると思いますよ」
 口の端を上げて、優雅に背を向けると匡乃はアスファルトに革靴の音を響かせて歩いて行った。
 汐耶は腰に手をやり、わざとらしく肩をすくめた。
「ほんとに、相変わらずだわ……」
 毒づいてみる。けれど、嬉しい気持ちが湧いてくるのは確か。心を許せる相手に出会わずに人生を終える人もいる。その中で、自分をさらけ出すとの出来る人と出会えて兄は良かったのかもしれない。と、汐耶は感じていた。
「さぁ、仕事。仕事」
 爽快な気分のまま、汐耶もまた背を向けた。


□END□

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 大変ギリギリになってしまいすみませんでした。ライターの杜野天音です。
 今回は兄妹おふたり一緒のご参加で、すごく嬉しいです。今まで、別々の作品では書かせて頂いてますが、やっぱりふたりが一緒だと楽しいですね。匡乃の口調などが心配ではありますが、きっと妹相手にも飄々としてるんだろうなぁと、想像が尽きません。
 如何でしたでしょうか?
 一番の不安点は、匡乃さんと汐耶さんの仕事場が、お昼に喫茶店に行けるほど近いのか――ということです。ああ〜
 そんなこんなで、話題に昇っている人を私も心配しつつ、書かせて頂きました。ほんと、ずっと友人でいてもらいたいものです。

 では、素敵な兄妹物語を書かせて下さり、ありがとうございました♪
 また書かせてもらいたいですね(*^-^*)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2004年10月28日

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