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『分かれ道の、その先で 』
風野・時音1219)&蒼乃・歩(1355)
 逢魔が時のあやかし荘の外廊下を、蒼乃歩は音もなく駆けていた。
 物見高い連中が下の火事に気をとられているせいか、人影は見あたらない。
 無人の廊下を抜け、いくつかの部屋の前を通り過ぎ、ある部屋の前で立ち止まる。
 そして、その部屋の入り口に「椿の間」の文字があることを確認すると、彼女は無言でドアを開けた。

 部屋の中では、和服姿の女性が一人、こちらに背を向けて座っていた。
 おそらく、彼女で間違いないだろう。
 そうは思ったが、念のために、その背中に向かって問いかけてみる。
「歌姫というのはお前か?」
 返事はなかった。
 それどころか、歩が部屋の中に入ってきたことにさえ、気づいていないようにも見える。
「歌姫というのは、お前か?」
 数歩近づいてから、もう一度、先ほどよりやや大きな声で尋ね直す。
 さすがに今度は気づいたらしく、彼女は驚いたようにこちらを振り向くと、怪訝そうな顔をしながら小さく頷いた。
 やはり、彼女で間違いないらしい。
 それを確認して、歩は懐から銃を取り出した。
「悪いが、お前にはここで死んでもらう」

 しかし、銃を向けられても、彼女が取り乱すことはなかった。
 静かにその場に座ったまま、じっと歩の方を見つめ返す。
 逆光のために表情はよくわからなかったが、その目が悲しげな光をたたえていることを、歩は直感的に察知していた。

 今、ここで彼女を撃ったとしても、おそらく本当の目的は果たせない。
 そんな思いが、彼女の胸の中にわき起こる。

 歌姫に銃を向けたまま、歩は壁の時計に目をやった。
 まだ、時音が出て行ってからさほどの時間は経っていない。
 ならば、だいぶ余裕はあるだろう。

「どうして、って顔をしてるな。いいだろう、教えてやるよ」
 彼女の視線の意味を誤解したふりをして、歩は静かに語り出した。





 歩は、かつて時音とともに魔と戦っていた。
 戦うことを積極的に受け入れた歩と、戦いを肯定しきれない時音。
 二人の考え方には決定的な違いがあったが、その時はそんなことはどうでもよかった。
 幼なじみの時音と一緒にいられる。それだけで嬉しかった。

 しかし、そんな日々は唐突に終わりを告げた。

 戦乱を避け、退魔剣士たちを頼って避難してきた人々。
 その受け入れには賛否両論があったが、最終的には、彼らを受け入れることで決着した。
 だが、その避難民の中には、異能者を敵視する武装集団が紛れ込んでいたのである。
 そのことに気づいたときには、すでに全てが手遅れだった。

 背後からの不意打ちに、仲間の多くがなすすべもなく倒れていった。
 さらに、その混乱に乗じて、武装集団の本隊が姿を現す。
 その後行われたことは、もはや戦いと呼ぶにはあまりにも一方的すぎる虐殺だった。

 そんな中、時音は最後まで戦った。
 勝ち目のない戦いと知りながら、一人でも多くの人を逃がすために。

「ここは僕に任せて逃げろ」
 そう言われたときのことを、歩は今でもはっきりと覚えている。
 彼は全身に傷を負っており、特に腹部の傷は十二分に致命傷になりうるほど深かった。
 それなのに、彼は片手で傷口を押さえながら、気迫だけで戦い続けた。

 結局、無事に難を逃れられたものは一割にも満たなかった。
 とはいえ、時音の奮闘がなければ、その一割弱の人々すら助かりはしなかっただろう。
 彼らを無事に安全なところに送り届けた後、歩は全速力で戦場へと戻った。

 けれども、歩がたどり着いたときには、戦いはすでに終結していた。
 すでに人間たちは目的を達して去り、後に残されたものは廃墟と化した街と、誰のものかもわからないほどに焼かれ、刻まれ、破壊された無数の遺体だけだった。

 時音も、この遺体の山の一部となってしまったのだろう。
 最後に見た時音の姿から、歩がそう判断したのも、ある意味では当然のことだった。





『裏切り者の人類を見限り、異能者達の世界を』
 そう主張する過激派の異能者集団に歩が加わったのは、その数日後のことだった。

 憎かった。
 卑劣な手段を用いて、仲間を、家族を、そして時音を殺した人間が憎かった。
 だから、彼らの仲間に加わることを決めた。

「俺は、時音の仇討ちのために、人間と戦う決意をしたんだ……それなのに!」

 それからしばらくの後、とある幹部から聞かされた、部隊の謎の消滅。
 ほどなくして、問題の現場の映像が届く。
 そこに映っていたのは、紛れもなく時音だった。

「時音は生きていた……そして俺たちの敵になった!」

 人間に裏切られたはずなのに。
 あの時受けた仕打ちを、忘れることなどできないはずなのに。
 それでも、時音が憎んだのは、「人間」ではなかった。

 彼が憎んだのは、「戦い」だったのである。

 戦う術を持たぬ人々を、そして、戦うことをよしとせぬ人々を、彼は守った。
 そういった人々に危害を加えようとするものがあれば、それが異能者であろうと、人間であろうと、手にした光刃で切り伏せていった。

「時音は俺たち異能者の敵であると同時に、人間の敵でもある。
 そして、俺たちも、人間も、敵の存在を許さない」

 あれだけの目に遭いながらも、時音は全く変わってはいなかった。
 そのことを嬉しく思う気持ちが、全くなかったといえば嘘になる。
 しかし、それは同時に、歩と時音が敵同士になるということを意味していた。

 さらに悲しむべきことに、この戦いの勝敗は初めから決まっていた。
 時音はたった一人だが、異能者側も、人間側も、無数と言っていいほどの兵力と、それに見合った戦力を保持している。
 最終的に異能者が勝つか、人間が勝つかまではわからないが、少なくとも、時音に勝ちはない。
 いずれ、彼はどちらかの陣営によって倒され、今度こそ命を落とすことになるであろう。

「時音は……生きていてはいけないんだ」

 認めたくない現実。
 けれども、これが、現実。

「だから、俺はお前を殺す」

 その現実を受け入れるため。
 自分の想いを断ち切るため。
 歩は、引き金にかけた指に力を込めた。





 その時だった。
「そこまでだ、歩」
 背後から聞こえてきた声に、歩は危うく銃を取り落としそうになった。

 聞き慣れた声。
 もう一度聞きたかった声。
 そして、ある意味では、一番聞きたくなかった声。

 振り向く間もなく、その声の主が歩と歌姫の間に割って入る。
 その顔は煤で汚れていたが、まさしく彼女のよく知る時音に間違いなかった。

「もう……戻ってきたのか!?」
 尋ねる歩に、時音はかすかな笑みすら浮かべながらこう答える。
「僕一人なら、こんなに早くは戻ってこられなかった。
 けど、この世界にはお人好しが多いからね」
 お人好しといっても、時音はともかく、他はただの人間だろう。
 歩はそう反論しようとしたが、それより早く、時音の言葉が先回りした。
「ここは、僕たちのいた世界とは違うんだ。
 人間も、異能者も、ここでは一緒に生きているんだ」

 そう。
 この時代は、まだ人間と異能者の対立は表面化してはいなかった。
 だが、それもあとほんの十数年のことだ。

 それなのに、時音はそうは言わなかった。
 むしろ、この状態がいつまでも続くと、自分たちの知っている未来とは違った未来がくると、そう確信しているような様子でさえあった。

「時音……」
 彼の名前が、自然と口をついて出る。
 ところが、それに続けるべき言葉は、何一つ思いつかなかった。

 沈黙を破ったのは、時音の方だった。
「ともあれ、歌姫さんに危害を加えようというのなら、例え歩であろうと容赦はしない」
 そう言い放ち、じっとこちらを見つめる時音。
 その瞳には、ひとかけらの迷いもない。

 それに対して、自分はどうだろう。
 はたして、自分は何の迷いもなく時音と戦えるだろうか?
 できないとは言わないまでも、「できる」と言いきれるだけの自信はなかった。
 そして、そのわずかな迷いが命取りになりうることを、歩は当然のごとく知っていた。

「……ちっ」
 銃で時音を牽制しながら、一歩、一歩、ゆっくりと後ずさる。
 こちらが退く意志を見せれば、時音は追撃してこないであろうことはわかっている。
 それでも、そういった形で暗黙の停戦協定を成立させることは、歩にはできなかった。
 一度そうしてしまったら、迷いを断ち切るどころか、ますます強くしてしまいかねないから。





 ――悲しい人。

 去っていく歩を見つめながら、歌姫はそう思わずにはいられなかった。

 手を伸ばせば、届くはずなのに。かつては、届いていたはずなのに。
 それなのに、その手を伸ばせない。その手を伸ばすことは許されない。
 二人の距離は近くて遠く、間にそびえる壁は遙かに高い。

 それは、まるで――かつての自分のようだった。
 だからこそ、殺されかけたとはいえ、歌姫には彼女を憎むことはできなかった。





 火災現場に行っていた人々が戻ってきたのは、ちょうどその頃だった。
 そのほとんどは単なる野次馬であったが、中には、時音と同じように煤で薄汚れた人々も何人か見受けられる。
 時音と同じく、取り残された者の救出に向かった者。
 そして、彼らの手によって、無事に救出された者。
 その誰もが、笑顔を浮かべていた。

「この笑顔を守るためなら、僕は、いくら憎まれてもいい」
 その様子を見つめながら、時音がぽつりとそう呟く。
 その言葉は、明らかに、先ほどの歩を意識したものであろう。

 違うのだ。
 彼女は、時音のことを憎んでなどいない。
 むしろ、憎まなければならないのに、憎むことなどできないからこそ、あんな行動をとったのだろう。
 そのことに全く気づかない時音の鈍さが、今の歌姫には無性に腹立たしかった。

 ――バカ!

 そう言葉で伝えるかわりに、時音の胸に飛び込み、何度も、何度も、拳を胸に打ちつける。
 いつの間にか、歌姫は涙を流していた。
 少しの怒りと、悲しさと、そして抑えきれない愛しさと。

 歌姫が顔を上げると、時音は明らかにとまどったような顔をしていた。
 そんな時音に抱きつき、唇を重ねる。

 そんなことを言ったって、憎んでなんかやらないから。
 信じているから。
 私は、あなたを知っているから。
 あなたの過去も、あなたの想いも、みんな知っているから。

 やがて、歌姫の背中に、そっと時音の腕が回された。
 まるで、彼女の想いに答えるかのように。





 ……ちなみに、先ほど時音が戻ってきたときから、「椿の間」のドアはずっと開け放たれたままになっていた。
 そのため、この様子は数人の住人によって目撃されることになり、そのことでちょっとした騒ぎが起きることになるのだが……この時の二人には、そんなことは知るよしもなかった。

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<<ライターより>>

 撓場秀武です。
 歩さんの方は初めて書くキャラクターでしたので、雰囲気や、時音さんへの感情など、いくつか不安なところはあるのですが、こんな感じでよろしかったでしょうか?
 ともあれ、もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
西東慶三 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年10月22日

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