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『振り切れ! ハングリーメーター 』
モーリス・ラジアル2318)&守崎・北斗(0568)


 もしも空腹の度合いを計測する装置があったら、とモーリス・ラジアルは思った。守崎北斗のそれは、
 ――とっくの昔に、針が振り切れて使い物にならなくなっていることでしょうね。
「う……飢え死ぬ……」
 守崎北斗はがくりと床に膝をつき、空に向かって腕を伸ばした。
 そんな北斗少年を見、モーリスはにっこりと天使の――否、悪魔の微笑を浮かべる。
「まだ三時間にもなりませんよ? さぁ、私の観察日記が終了するまであと四時間十五分二十四秒です。頑張って下さいね」
 と、北斗少年にとっては極刑にも相応しい宣告をするのであった……。

    *

 事の始まりは都内の某ファーストフード店。
 部活帰りの高校生に混じってダブルチーズバーガーをひょいひょい消化していた守崎北斗は、窓の外に知った顔を見つけてこんこんと窓ガラスを叩いた。
『庭園設計者』の前に『リンスター財閥専属の』とくっつく優雅な青年は、その整った顔におや、という表情を浮かべた。
 彼は来た道を引き返してきて店の扉を潜ると、
「北斗君ではありませんか。誰かと思いましたよ」
 北斗の向かい側に腰を降ろした。
 青年、ことモーリス・ラジアルは仕立ての良いスーツを纏っており、金髪に翡翠色の瞳という容姿も手伝って、ファーストフード店の中ではいささか浮いている。店に一歩踏み込んできたときから周囲の視線を集めていた。
 同じく桁外れの食欲旺盛っぷりで注目を集めている北斗は、ダブルチーズバーガーの最後の一口をごくんと飲み込んだ。
「こんなところで何してんの?」
 こんなところ、とは東京の繁華街である。十代の若者で賑わう街はお世辞にも洗練されているとは言えず、貴族然としたモーリスには不釣合いな感が否めない。
「この先にレコード店がありますでしょう? 主人からストラヴィンスキーのレコードを取ってくるように頼まれておりましてね。その帰りです」
 モーリスが目の高さに掲げてみせたストラなんとかとかいうレコードの包みを見て、なるほど、と北斗は頷いた。とにかく、彼のご主人様とやらが高尚な趣味の持ち主なのはわかった。
「それにしても、相変わらず食欲旺盛ですね、君は……」北斗の前に山になったハンバーガーの包みを見て、モーリスは呆れとも感心ともつかない溜息を漏らした。「その身体のどこにそんな食べ物が入るんですか? ――お兄さんより上背はあるようですが」
「あ、それ兄貴に言うなよ? 兄貴、身長のこと気にしてっから」北斗は人差し指をモーリスに突きつける。「ま、成長期だし? 動くとすぐ腹減っちまってさー。きっちりエネルギー消費してるから、その分食わないと一日持たないんだよね」
「難儀ですね。守崎家の家計簿を見てみたいものです」
「……家計簿か。兄貴の胃痛の原因になってるアレな……」
「啓斗君も何かと苦労していらっしゃるようで」
 モーリスは笑いを噛み殺した。
「買い食いしてるの、兄貴に内緒にしといてくれるとありがたいんだけど」
 北斗は顔の前で手を合わせる。彼の双子の兄こと守崎啓斗は、買い食い一回につき華麗な足技一回を見舞ってくれるのだ。
「ふむ。でしたら口止め料として、少し私の実験にお付き合いいただくということでどうでしょうか?」
「へ?」
「まあ、つまらないことですよ」
 モーリスはにこりと感じの良い微笑を浮かべる。その十人中十人はくらっと来てしまいそうな微笑に、北斗はなぜか本能的な危険を覚えた。
「実験って……何の?」
「まあまあ。ケーキもありますし、いかがですか?」
 身構える北斗の前に、モーリスは美味しい餌をちらつかせる。彼の場合、文字通り『餌』だ。
「け、けーき?」
 案の定釣られそうになっている雑食少年。
「ええ。お茶もご用意致しますよ」
 いやいやいや、と北斗は首を振った。「――食べ物で釣ろうって魂胆だろ!?」
「とんでもない。何でしたらフレンチのフルコースはいかがですか? 学生さんではそうフランス料理をいただく機会もないでしょう?」
「フランス料理……フルコース……」
 北斗は生唾を飲み込む。ダブルチーズバーガー三個で満たされるほど、彼の胃袋は健気ではない。モーリスはとどめの一言を口にした。
「食欲の秋。――まさに北斗君のためにあるような言葉ではありませんか」
「…………」
 食欲の秋。栗。熟れた柿。脂ののった秋刀魚。
 兄の怒り狂った顔が一瞬脳裏を過ぎったが、
「……しょーがねぇなぁ、付き合ってやるかー」
 結局、食欲の秋の誘惑には勝てない雑食忍者であった。

    *

「うお……すげー屋敷……。何坪あるんだよ、一体」
 モーリスに(そうとは知らず)拉致されて、彼の主人の屋敷までやって来た守崎北斗は、目と口をぽかんと開けてホーンテッドマンションみたいな豪奢な作りの門を見上げた。
 凄い屋敷、というか、凄い敷地、である。門を潜ると『不思議の国のアリス』に出てくるようなシンメトリーの西洋庭園が広がっており、今にも時計を持った兎がぴょこんと飛び出してきそうだ(喩えがいちいち庶民的なのに突っ込んではいけない)。
「美しい庭でしょう? 私の芸術作品ですよ」
「おお、凄げぇなー。これだけ敷地があるんなら、何か食い物がなる木も生えてそうだよな」
「……実に北斗君らしい感想ですね」
 実の鳴る木、ではなく食い物の鳴る木、と表現するところが、北斗が北斗たる由縁である。
 庭園を抜け、二人は屋敷の扉を潜った。『普通の』来客ならそのままサロンへと案内するところだが、今日に限っては日当たりの良いサンルームへ連れていく。
「いちいち調度品が金持ちくせー」無遠慮に部屋の中を見回し、北斗は率直な感想を述べた。「こんな屋敷で、毎晩豪勢な料理食べてんの? 専属シェフがいたりしてさ」
「毎日フォーマルな食事というわけではありませんよ」
「でもファーストフードなんて食わないんだろ?」
「私は嫌いではありませんがね」
「うわ、ハンバーガーに被りついてるモーリスって……ある意味シュール?」
「それは、ほら」
 これがありますから、とモーリスはどこかからすっとメスを取り出した。手品師か何かのように。
「……メスでハンバーガー切り分けってるのも、相当シュールだと思うんだけど」
「冗談です」モーリスはさらりと真顔で返した。「さて、ファーストフード談義はさておき。――実験を開始しましょうか」
「そうそう、その実験って何? まさか俺を使って、妙な薬の治験でもやろうってんじゃないだろうな」
「それも面白そうですが、……新薬を投与しようが毒を盛ろうが、被験者が北斗君では……」
 同じ結果しか得られないのでは、と何気に失礼なことをほざくモーリス。何しろ脅威の消化器官である。
「それじゃ一体何を――」
「まあ、ともかくお茶とケーキをどうぞ」
 モーリスはお手伝いに運ばせた紅茶とケーキをテーブルにセッティングした。
 チョコレートケーキ、ワンホール。どこからナイフを入れようか迷ってしまいそうな、美しい円形。そのものが芸術作品のようなデコレーション。
「うわぁ、すげぇ、美味そう!」北斗はきらりと目を輝かせた。「これ食っていいの!?」
「ええ、好きなだけどうぞ。まだたくさんありますよ」
「マジ? なんか逆に悪いなー。俺、底なしに食うぜ?」
「知っていますとも」
 モーリスは頷くと。
 おもむろにすっと両手を空中に翳した。
「それじゃ、いただきま――」
 北斗がケーキに手を伸ばそうとした瞬間。
 がっしゃーーーーん、と凄まじい音がして、北斗の頭上から鋼鉄の檻が落ちてきた。
「……はへ?」
 皿に手を伸ばしたままの格好で固まった北斗は、間抜けな声を上げた。
 モーリスは檻からやや離れた場所で、にこりと微笑すると、
「実験開始です」
 かち、と手にしたストップウォッチのボタンを押した。
「……え? 実験って……」
 北斗は困惑の表情を浮かべている。テーブルに手は届かない。
「はい。『北斗君観察日記』です。六時間を予定しておりますので、頑張って下さいね」
「え。あの。俺のケーキは?」
「目の前にありますよ?」
「手ェ届かないんですけど……」
「実験ですから」
「つまりそれって、」と北斗はモーリスの涼しい顔を見上げた。「俺の耐久実験……?」
「ご名答」
 モーリスはどこかからさっとデジタルカメラを取り出すと、北斗の姿をぱしゃりと収めた。
「一分経過。あと五時間五十九分です」
 ――雑食忍者・守崎北斗の頭の中が真っ白になったのは、言うまでもない。

    *

 三十分耐えただけでも上等と言えよう。
 北斗の腹の虫は、実験開始から僅か四十分で盛大に鳴き始めた。腹の虫で合唱できるんじゃないかという勢いである。
「あのさ……モーリス。これ、拷問って言わね?」
 腹を抱え、北斗は恨めしげにモーリスを睨む。
「ハンガーストライキというのをご存知ですか、北斗君?」
「はい……?」
「非暴力抵抗運動の一つです」
「で……?」
「飲食をしないことで何らかの主張を通そうとする、要はストライキの一種ですね」
「だから……?」
「北斗君にはできませんね」
 できませんね、とモーリスは笑顔で結論した。北斗はがくっとうなだれた。その様子をデジカメに収める。
「……目の前にあるのに食えないってのがいけないんだよな!」北斗はぐっと拳を握った。「そうだ! 食べ物なんて見なけりゃいいんだ!」
 実に安直な思考回路である。
 しかし、エネルギー供給を絶たれて極端に稼働率が落ちている北斗少年を、誰が責められよう。わりと誰でも責められるかもしれない。四十分だし。
 ともかくも食べ物が存在しないものと思い込むことにした北斗は、ぷいっと顔を背けた。モーリスはそんな彼を見て、歌うような調子で言う、
「さて、次は焼き立てのアップルパイをお持ちしましょうか、北斗君」
「持ってくんな!」
「まあ、そう言わず」
「この性悪……ッ! 猫被り……ッ!!」
 ええ、性悪ですが何か? とモーリスはアップルパイをテーブルの上に置いた。
 焼き立ての香ばしい香りが、林檎のとろけるような甘い匂いが、北斗の鼻腔をくすぐる……
「無心! 俺はケーキにもアップルパイにもフランス料理にも露だくの牛丼にも動じない!!」
「どれ、味見してみましょうか。――ああ、これは美味しいですね。熱いうちに一切れいただくとしましょう」
「…………!」
「ああ、この舌触り。焼き立ての生地の絶妙な食感。たまりませんねぇ……」
「…………!!」
「北斗君にも食べさせてあげたいものです」
「……世間ではあんたみたいな奴のことを鬼畜って言うんだぞ、モーリス……!」
 ええ、ですから鬼畜ですが何か? とモーリスは首を傾げた。
「食べ物の恨みは怖いんだぞ〜〜〜……」
 で、腹の虫はいよいよ我慢ができずに騒ぎ立て始めている。
「――一時間経過しましたね」
 匂いだけがするというのは、音しか聴こえないホラー映画のようなもので。
「ようやく六分の一ですか」
 つまり余計に想像力を刺激されてしまってだな。
「あと五時間ですよ、北斗君」
 あと五時間。三百分。
「…………」
「どうしましたか?」
「……無理! ぜってー無理!!」
「健闘を祈ります」
「祈らなくて良いからさっさと出せ! ここから出せ!!」
 北斗はがしゃーん、と檻に体当たりする。
「おやおや、まるで腹を空かせた猛獣のようですねぇ。『一時間経過、北斗君はさながら飢えたライオンのようである』、と……」
「つーかそんなこと手帳に書き込むんじゃねー!!」
「落ち着いて下さい、北斗君。食べ物は逃げませんよ?」
「逃げませんよとか言う傍から自分で食ってるし!!」
「甘いものはそれほど好まないのですが、ええ、これは美味しい」
「ぐああぁぁぁぁぁッ!」
 ――断末魔である。

    *

 で、結局。
 予定時間の半分が経過した時点で、実験続行は不可能、とモーリスは判断を下した。……北斗の行動が半ば獣と化していたためである。
「北斗君、大丈夫ですか?」
 ぐるるるる、と唸り声が返ってきた。
「残念ですが、この辺りで切り上げますか。『三時間経過時点で実験終了』、と……」
 モーリスはぱちん、と指を鳴らした。すると、
「……腹減った〜〜〜〜!!」
 空腹で半ば判断能力を失った北斗が、檻が解除されるなり飛び出してきて、
「えっ?」
 ――モーリスの右手に、かぶりついた。
「…………」
「…………」
 間の抜けた沈黙がつづく。
「北斗君。……それは私の手なんですが」
「んあ?」
「カニバリズムに走る前に、目の前のデザートを消化していただきたいところですね」
 つい、と空いているほうの手でテーブルを指差すと。
「食い物ーーーー!!!!」
 北斗はアップルパイに驀進した。
「……ふむ。雑食忍者という異名に恥じない食べっぷりですね」
 北斗に食われた右手には、くっきり歯型がついていた。
 皿どころかテーブルクロスまで消化しかねない勢いの北斗を、モーリスは満足げにデジタルカメラに収めた。

    *

 後日。
 守崎家で、ちょっとした――否、盛大なハプニングがあった。
「北斗、おまえってやつは……食べ物に釣られるなといるも言っているだろうッ!」
「や、兄貴、それには事情が……」
「問答無用ッ!」
「わ、兄貴、そんな物騒な――、ああっ、俺のせいじゃないのにぃぃぃ!」
 モーリス・ラジアルから送られてきたメールには、例の、デジタルカメラで撮影したらしい写真が大量に添付されており。
 それを啓斗が受信してしまったのが運のツキ。
「勘弁してくれよーーーーーーッ!!!!」

 秋の夜長に、北斗の悲鳴が尾を引いた。




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雨宮玲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年10月22日

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