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『『春になったらあなたとお茶を』 』
アイラス・サーリアス1649

 青年は、日付が変わる遅い時間に部屋に戻った。珍しく、酒を出す店に長居した。店の窓を叩く雨が引き止めたのかもしれない。予定より2杯ほど多く飲んだ。
 玄関前の石の階段には、濡れたたくさんの枯葉がべたりと張り付いていた。人にでも枯葉にでも、こんなに湿っぽく密着されたらたまったものではない。青年は階段に同情しながら、店で借りた傘をたたんで、水気を振り切った。
 鍵が回る金属の音は好きだ。扉を開けると、青年を『独り』に解き放つ、自分の部屋が迎える。それまで青年の唇に浮かんでいた優しげな微笑みが消え、表情が無機質に変わった。もう繕う必要は無い。
 激しい雨音の中から室内へ入ると、静寂にめまいしそうになる。だが、アイラス・サーリアスは、そういう瞬間が嫌いでは無かった。
 
 数カ所置かれたランプに灯りをともす。まだ寝るつもりは無い。読みたい本の続きがあった。2杯多く飲んだくらいで、酔いはしない。いや、彼は決して酔うことは無いだろう。
 部屋の空気はひやりと冷たい。それは、今まで誰もいなかったせいなのか、アイラスという青年が暮らす部屋だからなのか、答えは曖昧だった。
 本棚と机とベッドしか無い部屋。整然と清潔なその一室は、花一輪の甘さも寄せつけない。もちろん塵の存在も許されず、髪の毛一本落ちていない。
 アイラスは、暖を取る為、小さなコンロで湯を湧かし、香りのいい紅茶を煎れた。ポットごと机に運び、まずは一杯分カップに注ぐ。首の後ろで結んだ髪は、まだ濡れていて滴を床に落としたが、構わなかった。これから、ページを繰って『独り』を楽しむのだ。

 行間に面白いフレーズを見つけた時。意外な事実を発見した時。振り向いて、「ねえ、知ってましたか?」と、言ってしまいそうな夜がある。無意味なことだ、そこには(そして、どこにも)誰もいないのだから。
 2杯目を注いでも、ティーポットの中身はまだ残っていた。ポットで煎れる紅茶は、一人には多すぎる。アイラスはそのことを認めたくなくて、カップの茶を一気に飲み干した。
 最初のノックは気のせいだと思った。
 ひと呼吸あけて、ためらう空気の後、再度のノック。時間も時間だ。アイラスは左で釵の柄を握りながら、「どちらさまですか?」とドア越しに尋ねた。
「夜分すみません、でも昼は伺えないのです。お礼に参りました」
 若い女性の声だった。
「お礼?」
「助けていただいたでしょう?覚えていませんか?」
 怪しみながら、アイラスはとにかく扉を開けた。青緑色の質素なワンピースを纏った少女が立っていた。華奢というよりひょろりと細い。黒いまっすぐの髪、切れ長の目と薄い唇、美少女の部類に入るかもしれない。だがアイラスには見覚えの無い娘だ。
「どなたでしたっけ?」
「今日の昼間。悪ガキ達から救っていただいた『蛇』ですぅ」
「・・・は?」
 雨の音がうるさい。アイラスは聞き違えたかと思って尋ね返す。
「小さな緑色の蛇、助けましたよね?恩返しをしたくて、一晩人間の姿にしてもらいました」
「・・・。」
 あれは確かオオアオムチ蛇だった。成長すると長さが2Mを越える細い蛇だ。一応毒蛇だが、たいした殺傷能力は無い。
 ここはソーン。何があってもおかしくない。蛇の恩返し。頭を抱えたくなった。
「お礼が欲しくて助けたわけではありませんので」
 本当は追い返したかった。だが、雨は激しく、少女が悲しげに歪めた眉は胸に痛く、お茶はもう一杯余っていた。
「そこだと濡れます。とにかく、どうぞ」と招き入れた。

「いただきます。いい香りですねぇ。お礼に来たのに、お茶をいただいてしまって、すみません」
 蛇少女はさかんに恐縮していた。
 部屋にある唯一の椅子を蛇女に譲る。人を呼ぶこともないので、椅子は一つしかない。アイラスはベッドのへりに腰を降ろした。少女が唇をつける揃いの白いカップも、今夜初めて使われた。
「恩返しって、何をするんですか?」
 早く済ませてもらって、とっととお引き取り願いたいアイラスだった。
「蛇の皮を紡いで、蛇皮の服をこしらえることができます」
 少女はさも自慢であるように、胸をそらせて答えた。
「・・・それって、作業中は僕は部屋に入ってはいけないのでしょう?無理ですよ、僕のところにはこの部屋しかありませんから」
「ええと、では、蛇の楽園へご案内して、錦蛇やミルク蛇の舞いをご覧に入れるとか・・・」
「蛇の楽園!!」
 一瞬、身を乗り出してしまったアイラスだった。実は爬虫類は大好きなのだ。この蛇少女も、人間の姿でなく蛇のまま訪れたら、もっとずっと歓迎されていたことだろう。
「あ、でもきっと、3日後にエルザードに戻ると、300年たってたりするんでしょう?」
 ミルク蛇のダンスは魅力的に思えた。300年後に飛ばされたとしても、ここへ飛ばされた時と同じだ、そう困るわけではない。
 親しくしてくれる友人も多い。アイラスは彼らが大好きだ。それは決して嘘では無い。だが、彼らの居ない300年後でも、アイラスは眉一つ動かさず普通に生活を始めることができるだろう。そう思うと、一度カップを握って暖まった指が、再びかじかんでくる気がした。
「よくご存じですねえ。では、わたくしが夜伽でも」
「いりません」
「・・・そんな、即答しなくても。少し赤面するとか、照れるとかしてください。助けてくれたあなたに恋をして、魔法使いに声の代りに足を貰って、あなたに会いに来たのに」
 細面の輪郭をぷうと膨らませ、少女は不満を訴える。
「声の代りって、喋ってますよ、あなた」
「ばれましたか」
 ちろりと出した舌は、細く赤い。
「・・・。」
「では、掃除とか、お料理とかしましょうか?」
「掃除は、ご覧の通り必要無いです。料理を作れる設備はありません、お茶を沸かすコンロがあるくらいです」
「では、やはり夜伽を」
「その発想から離れてくださいっ」
「・・・せっかくお礼に来たのに」
 蛇少女は、しゅんと首を垂れた。
「いいんですよ、別に。お礼目当てで助けたわけじゃないですから」
「でも、本当に感謝してるんです。棒で叩かれて痛かったんです。握ってぐるぐる振り回されるし。あれは、目が回って吐きそうでした。あんな愛らしい坊や達が、酷いことをするものです」
 その言葉に、アイラスは笑ってみせた。唇の端が歪んだ。
「人間はね、自分より弱い者を腹いせに苛めますからね」
「人間、嫌いなんですか?」
 あまりに率直な質問に、アイラスは息を飲んだ。
「あ、ごめんなさい、なんだかそんな口調だったので。でも、失礼でしたね」
「好きな人間もいれば、嫌いな人間もいますよ」
 アイラスは当たり障りの無い答えで逃げた。少女から視線をそらせる。自分は今、どんな顔をしているのだろう。少しだけ、この少女の素直さが怖かった。
「では、今夜僕とのお茶に付き合っていただけますか?それでいいでしょうか?
 もう一杯、お茶を入れて貰えますか?」
 自分は『人間の代表』のような気になっているのだろうか。子供達がこの蛇にしたことを償う為に、蛇の願いを受け入れようとしている。
「はいっ!」
 少女は、細い目をさらに細めて勢いよく立ち上がった。お礼の作業を申しつかって、嬉しそうに鼻唄を歌いながらケトルを火にかける。
 
 新たにポットからカップに注がれた紅茶。アイラスにとっては3杯目で、腹が水音を立てそうだった。
 少女は、卵を割る時の肉体的な苦労のことや、穴から出て初めて緑の野や咲き乱れる花を見た時の感動を喋りまくった。細い指の掌でおおうカップ、その飴色の表面が興奮で時々波立つ。アイラスが苦笑しながら「紅茶がこぼれそうですよ」と注意する。
「紅茶っていうんですか、これ。こんなおいしいお茶を飲んだ感激も、決して忘れません!」
 そう断言した。
「そろそろ冬眠なんです。いい思い出ができました」
 蛇は冬眠の3か月、もちろん餌を取らない。冬眠する全ての動物に言えるが、死亡するリスクもある。蛇達は、覚悟を決めて冬眠に入るのだ。
「また、春を見られますようにと、祈りを込めて眠るんです」
 春。
 植物も動物も。生きるもの全てが伸びをして、深く空気を吸い込む季節。厚いコートを脱いだ子供が外を駆け回る。柔らかい風に花びらが踊る。
 その季節に想いをはせ、アイラスは微笑んだ。土に開いた細い穴から、蛇も顔を出すのだろう。

 少女は楽しげに話を続けていたが、さすがに夜は深く、何度も欠伸をかみ殺すようになった。
「12時過ぎたら、元の蛇に戻ってしまうんです〜。靴を片方置いて帰ります〜」
「来た時から過ぎてましたけど」
 アイラスは笑いながら応対する。初めに『一晩だけ』と言っていたので、本当は夜明けに元に戻るのだろう。今は、蛇の姿の方がよかったと告げる気は無い。蛇とは、お茶を飲みながら談笑することはできない。
「毒の紅茶を飲んだので、一時死にます。王子のキスで目覚めます」
 やがて、パタリと机に伏せて、寝息を立てた。
「やれやれ」
 アイラスは少女の肩を抱いて、ベッドに寝かせた。
「寒くて冬眠しちゃうとマズいですね」と、毛布をかけてやる。
 オオアオムチ蛇は美しい青緑の蛇だ。すらりと細いその姿も妖艶で、細面の顔も品がある。そのままの姿なら添い寝したい気持ちはあるが、少女の姿ではそうもいかない。
 人間の姿の蛇少女は、きちんと睫毛まであって、呼吸する度にそれがふるふると揺れていた。綺麗な寝顔だ。
 だが、このまま100年目覚めないかもと思わせる、爆睡っぷりだった。眠り姫はイビキはかかないだろうし、歯ぎしりだってしない。
「自分の牙の毒で痺れたりしないでくださいよ」
 アイラスは、自分は、床に真冬用の掛布団を敷き、コートを羽織り、バスタオルを何枚もかけて横になった。

 朝になると雨は上がり、窓から陽が差していた。
 床に寝たアイラスが、背中や肩の痛みを和らげながら起き上がると、ベッドでは小さな緑の蛇がゆっくりととぐろを巻いているところだった。王子の接吻が無くても目覚めたようで、何よりである。
 30センチくらいだろうか。まだ子供の蛇である。幼児の指より細いだろうという体で、まるで緑の糸を編み合わせた組紐のようだ。淡い緑や深い碧のグラデーションの背は、見とれてしまうほどだった。
「おはよう。あなたはかなりの美人さんだったのですね」
 そう声をかけると、言葉がわかるのか、蔓のように華奢な首を上げて赤い舌を覗かせた。

「気をつけて」
アイラスは両の掌で蛇を掬い上げ、扉から出してやった。
 外の道はまだ濡れて黒ずんでいたが、朝の太陽を浴びて所々が艶やかに反射していた。オオアオムチは蛇行しながら去って行く。コバルトグリーンの細い線がゆるゆると動いていた。時々、鎌首をもたげ、アイラスの方を振り仰いだ。アイラスは小さく手を振る。
「春になったら、またお茶しましょう」
『無事に冬を越すことを祈っていますよ』
 蛇は頷いたように首を揺らすと、街路脇の草むらに消えて、見えなくなった。草むらには昨夜の雨が残り、陽を浴びてきらきらと輝いていた。

< END >

PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2004年10月21日

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