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『Breeder 』
白神・空0233


 白神空が呼び出された店はデザートと紅茶が売りの可愛らしい喫茶店だった。目の前にいる大柄で髭面の男には似合わないことこの上ない。
 初めは自分に気を使ってくれてこの店を選んだのかとも思ったが、キングサイズのパフェを一心に頬張る相手にそんな気遣いが出来るはずもないと思い直した。空の向かいに座っている男は、何を隠そう、人間に化けている熊なのだ。熊と言えば蜂蜜が付き物だから、意外に甘党なのかもしれない。
 パフェの容器を空にしてなお、未練がましく底のソースを掬い取ろうと苦心している様子に、空は呆れてため息を付いた。
 ねえ、と声を掛けると、熊はやっと顔を上げる。
「一緒にパフェ食べるために呼び出したんじゃないんでしょ?何の用なのよ?」
「おお、そうだったのう」
 今気づいたと言った風に熊は大笑する。空は脱力して肩を落とした。悪い人間――もとい、熊ではないのだが、何しろ単純すぎる。
 あたしも暇じゃないのにとぶつぶつ言う空の声は耳に入らない様子で、熊はずいと身体を乗り出してきた。そして真剣な顔になって言う。
「あんたぁ、しばらく山には来んほうがいいの」
「……どうしてよ?」
 空が怪訝そうな目で問い返すと、熊は渋い顔をして腕を組んだ。
「実はなぁ、今、山じゅうにあんたの悪い噂が流れとるんじゃ」
「――は?」
 何よそれ、と語気を強める空に、わしじゃないわい、と返して熊は続けた。
 噂は、空が狐や狸たちに取り入って山の土地を奪う気なのだとか、親切面をして近付き剥製にする動物を物色しているのだとか、そう言った根も葉もないものだった。
「もちろん、わしや鶴の嬢ちゃんや狐狸どもはそんなこと信じとらんが、山の動物らは人間というだけで毛嫌いするもんも多いからのう」
 わしらは色仕掛けでたぶらかされた阿呆と言われとる、と熊は呵呵と笑った。
 色仕掛けに関してはあながち間違ってもいないが、それ以外は酷い中傷だ。
 人間である空が自分たちのテリトリーで大きな顔をしているのが気に食わない、と言う気持ちは判るが、それならこの熊のように正面から勝負を挑んで来ればいい。影でこそこそと画策して人を陥れようとするなど論外だ。
 ふつふつと湧き上がる怒りを抑えつつ、空は低い声で尋ねる。
「……その噂、出所は判る?」
「狼から聞いたっちゅう奴らが多いようじゃが――」
 そこで熊は唐突に言葉を途切れさせた。空の銀の瞳に宿るきつい光に並ならぬものを感じたのだ。あんた、と言いかけて、またそこで口をつぐむ。
 空の性格からして、噂を流している大本を締め上げなければ気が済まないのだろうと察しは着いた。止めても無駄なのは判っているし、最初から止める気もない。
「……まあせいぜい、半殺し程度にしてやってくれや」
 熊はため息を付きつつ、スプーンに付いたソースを名残惜しげに舐めた。


 次の日から、空は噂を流している相手を探し出すべく山へ通い始めた。
 こういう時に、今まで培ったコネクションが役に立つ。情報収集能力に優れた狐と社交的な狸が味方に付いていると言うのは大きい。
 やはり空の悪い噂を言いふらしているのは狼らしいということで、程なく、その狼とやらの縄張りを突き止めることに成功する。狸や狐が住んでいる場所よりもずっと山奥、清流のほとりにある岩穴に狼は住んでいるらしい。夜行性の狼が起き出す時間を見計らって、空が暗くなる頃に空は当の岩穴へ向かった。
 わざと気配は消さないまま、むしろ堂々と殺気を放ちながら巣穴の前に腰を据える。岩穴の中からは低い唸り声が反響して、何重にもなって聞こえてくる。腐っても野生の狼。空が姿を見せる前からその存在に気づき、巣穴の中で警戒していたらしい。
 空は腕を組み、巣穴を睨み付けながら言う。
「あんた、あたしのこと悪く言って回ってるんだって?」
 凄みを利かせた声音に呼応したかのように、唸り声が一段と高まった。
「そんな姑息なことしてないで、出てきなさいよ。あたしに文句があるなら直接言いなさい」
 きっぱり言い切ると、空は身構えて狼が現れるのを待った。
 程なく、唸り声を止ませることなく現れた狼の姿は――。
「……なんだ、子供じゃないの」
 構えていた分余計に拍子抜けして、随分と呆れたような声が出てしまった。それが面白くなかったのか、狼は歯を剥いて勢い良く吠えた。敵意に満ちた瞳で空を睨み付けている。
 しかし、力が抜けるのも無理はない。岩穴から出てきたのは生後一年にも満たないような仔狼だったのだ。耳も丸く、まだ出来上がっていない身体はころころとして、まるで仔犬のようだ。それが懸命に牙を剥いて毛を逆立てている様子は可愛らしい以外の何物でもない。
 一瞬和みかけた空だが、この狼が噂の元凶だと思い出す。子供だからと言って何をしても許されるわけではない。
「あんた、人間の言葉は判るのよね?」
「当たり前だっ!!」
 文字通り噛み付く勢いで吠え、狼は一跳び、空との間合いを詰めた。その仕草がまた可愛らしく、空は思わず微笑む。
「何がおかしいんだよ!」
 狼に怒鳴られ、空は慌てて緩んだ頬を引き締めなおしたが、狼のさらに下降した機嫌までは引き上げられない。
「人間なんかやっつけてやるっ!!」
 狼は肩を怒らせて一声、咆哮を上げ、後足を蹴って空に襲い掛かってきた。
「!」
 思いの他、速い。
 避けるタイミングがほんの少しずれ、身体の軸を失ってよろめいた空の左腕を狼の牙がかすめる。刺すような痛みを伴って皮が薄く裂ける。
 走り抜けて着地した狼は得意げに一声吠えた。血の滲みはじめた左腕を一瞥し、空は呆れたように笑った。
「かすり傷負わせた程度で、何を得意になってるのよ?」
 言うが早いか、空も獣よろしく地面を蹴って跳躍し、一気に狼との間合いを詰めた。そのまま、思い切り狼の足を蹴り払う。
 いくら狼とは言っても相手は子供だ。空としては手加減したつもりだった。足を狙ったのもそのせいだが、思った以上に狼は子供だったらしい。空の突然の行動に不意を突かれ、避けも構えも出来なかったのだ。
 空の蹴りをまともに食らった狼の身体は弾むように宙に浮いて、キャンと言う悲痛な鳴き声と共に地面に叩きつけられた。そのまま気を失ってしまったのか、ぴくりとも動かない。
 いくら子供とは言え、これで狼とは。
 空は呆れるやら情けないやら複雑な気分で、頬にかかった髪を払いのけて長いため息を付いた。


 目を覚ました狼は空の顔を見るなり泣き出した。叱り飛ばしてやろうと思っていた空の意気を削ぐほどに大泣きし、合間に何事か喚く。
 何とか宥めすかして話を聞いたところによると、この狼の両親は既に人間の手にかかって死んでおり、それで人間が嫌いになったのだと言う。その嫌いな人間どもの一人――空が最近、山で大きな顔をしているのが気に入らず、悪い噂を流した、と。
「……そうだったの」
 そういう話を聞いてしまうと何とはなしに言葉少なになり、空はただ相槌を打った。
 親もいず、見れば兄弟もいないようだ。元々、狼自体がそう個体数の多い種でもないし、この山では一人ぼっちなのかもしれない。
 こんな小さい子が、と同情はするが。
「――でも、それとこれとは話が別よ」
 冷たい声音に狼がびくんと身体を震わせる。涙を拭いつつ恐る恐る見上げれば、銀の相眸が冷たい光でこちらを見下ろしている。
「そういう事情があったとしても、あたしが気に入らないなら直接文句言うのが筋ってもんでしょ。噂で評判落とそうなんて言語道断よ。それでも狼なの?」
 空の言葉に狼は一瞬噛み付く姿勢を見せたが、結局唸り声を上げるに留まった。空は狼の顔を覗き込んで続ける。
「あんたは狼、誇り高い獣なの。なのに、今のあんたには狼としての自覚もプライドも全然足りないわ」
 情けないったらありゃしない、と、空は銀の髪をかきあげた。そうしてしばらく狼を睨み付けていたが、突然、いい事を思いついたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「そうね、協力してあげてもいいわよ」
「……?」
「あんたが一人前の狼になれるように、特訓してあげる」
「は!?」
 なんで、と言うの無視して、空は狼の頭をがしがしと撫でた。
 そうして、空と狼の特訓の毎日が始まったのだ。


「今日はウェイトひとつ増やすからね」
 そう言って笑った空と対照的に、狼は思い切り嫌な顔をしたが、逆らっても無駄だと言うことは判っているのであえて反抗はしない。
 大人しく幾つかのウェイト――と言ってもただの石なのだが――をくくりつけたロープを引きずって山道を登っていく。登りきるタイムを計るため、空は狼がスタートトしたのを見届けると、天舞姫の能力を発動させて悠々とゴール地点まで羽ばたいていく。
 上空から手を振る空を恨めしげに眺めるが、狼は手を抜こうとはせずに黙々とウェイトを引いて行く。まずは身体を鍛えなければ始まらない、と言うのは空の弁だが、狼もその点には賛成しているらしく、特訓には熱心だ。特訓を始めた頃に比べると随分身体も大きくなった。
 狼は序列を重んじる仲間意識の強い種だが、この狼の場合は幼くして独りぼっちになったせいで序列や仲間と言うものに対する認識がまるで薄く、その部分を叩き込むのに随分時間がかかった。だが、今では空を師匠と認めたらしく、特訓のある日は山の麓まで空を迎えに来るほどだ。
 本当に成長した、と空はため息をつく。
 あと数ヶ月もしたらもう適わないくらいに強くなるかもしれない。
 そうしみじみと思い、空はものを教えるということの喜びを噛み締めた。


 特訓を始めてから半年ほど経った日が、狼の卒業式になった。
 動物は若いうちは成長が早い。半年の間に狼の身体は二倍も三倍も大きくなり、加えて空の特訓のおかげで筋肉もつき、随分と立派な体躯になっていた。
 空は満足げにその姿を眺め、微笑む。
「立派になったわねえ……」
 狼は得意げに胸をそらしたが、その後で多少照れたのか、頭を垂れた。身体は大きいが仕草はまだまだ子供っぽい。
「もう教えることは何にもないわ。あんたは立派に一人前よ」
 半分自分に言い聞かせるように、空は頷いた。
 『一人前』の基準が多分に空の趣味に拠っていることはさておき、
狼に必要であろう戦闘技術や生き抜くための知恵は全て教えたつもりだ。狼という種への誇りも、プライドも、およそ必要なものは揃っただろう。
 あたしって先生に向いてるわね、と内心で自画自賛しつつ、空は狼の頭を撫でた。
「今日で特訓は終わり、卒業よ」
 狼はぱたぱたと尻尾を振ったが、その表情は何ともいえない。嬉しいようなそうでないような表情でじっと空を見つめている。もう自分と会えなくなると思っているのだろうか。
「ちょくちょく顔見に来るわよ」
 だから寂しくない、と言いかけた空を遮って、狼が口を開いた。
「俺、この山出て別のところに行こうと思ってるんだ」
「…………」
 この山には自分のほかに狼がいないから、と言って俯く相手に、空は驚いて言葉が返せなかった。昨日までは出て行くなどと言い出す様子はまるでなかったのに。それどころか、この山のボスになると意気込んでいたと言うのに。
 狼は空の考えを察したように付け加える。
「もちろん、いつか戻ってきてこの山のボスになりたいと思うけど」
 そうして、別れの重苦しい雰囲気を振り払うように狼は明るく笑った。
 空も一瞬つられて笑い、それから自分の意思で微笑む。
 この半年、弟子とも弟とも可愛がっていただけに寂しくないと言えば嘘になるが、師匠としてはこういう時こそ背中を押してやらねばなるまい。
「帰ってきたら真っ先にあたしに挨拶しに来なさいよ」
「判ってるよ」
 空と狼は顔を見合わせて笑った。
「じゃあ俺、そろそろ行く」
「今から行く気なの?」
「早いほうがいいし」
 狼は空に背を向けて二、三歩歩いたところで振り返る。心なしか表情が硬い。二、三度大きく息をつくと、
「俺、あんたみたいな嫁さん貰うことにするからっ」
 早口で言い切ると、脱兎のごとく林の中へ走り去って行った。
 空はしばらくぽかんとして狼が去った方を眺めていたが、言われた台詞の意味を理解すると思わず笑みが漏れた。
「まったく、いい男になったもんね」
 空は空を見上げて日の眩しさに目を細めた。胸中を晴れ晴れとした寂しさが吹き渡っていった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
青猫屋リョウ クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2004年10月20日

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