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『TRIO ROLL〜memories〜 』
朱束・勾音1993)&威吹・玲璽(1973)&黒鳳・―(2764)

 いや、そりゃもう驚いたの驚かないのって。俺だけじゃなくって、そん時店にいた常連客全員の目が点になっちまってたから、やっぱりかなり特異な事だったんだろう。俺が酔天に来る前からジジイだった程(年は関係ねぇか…)の昔馴染みの常連客も、ババアが声を荒げるのを初めて見たとか言ってたな。っつう事は勾音の奴、紀元前から怒鳴ってねぇって事になるな…って、んな事言ってると、またクロの奴にどやされるか。
 事の始まりは…何だったっけ。忘れちまった。つまりは、すげえ下らねえ事で口論に…って、ああ、思い出した。あれは、俺がいつものようにカウンターの内側でグラスを拭いていた時だった。

 その日は普段よりも若干客が多く、ついでにもういっこ、珍しく騒ぎの無い日だった。いつもは誰かかんかが喧嘩してたりして(誰だ、それの大半は俺とクロの喧嘩だろって言う奴は)賑やかしいのだが、その日はまるでフツーの飲み屋みたいに、ただ喋る声と笑い声だけが店内には響いていた。俺はいつも通り真面目に(ツッコミは不可だ)働いてたし、クロは店の角っこで椅子に座って珍しく静かにテレビを見てた。そこへ帰ってきたのは勾音だ。滅多に店に姿を見せねえ癖に、その日に限っては裏口じゃない、表の出入り口から帰ってきた。その時点で、何か様子がおかしい事に気付くべきだったかもしれない。が、そんなのは後からなら何とでも言える。普段はどうあれ、ここはババアの店なのだから、オーナーが姿を現わしたからってわざわざ騒ぎ立てるような事じゃねえんだからな。

 まぁとにかく、勾音が店にやってきたんだが、その登場の仕方も今から思えばヘンだったな。壊れるかと思うぐらい勢いよく派手にドアを開けると、靴音も高らかに大股でフロアを横切った。しゃんと真正面を向いた顔もきりりと引き結んだ赤い唇も、眼光鋭い血のような瞳もいつものまんまだ。ただ違う点があるとすれば、普段は恐らく意識して隠しているだろう、勾音の【気配】と言うものが、何も遮るものが無くて垂れ流しになっているような状態だった事だろう。ありゃ、感受性が高くてちっと気が弱い奴なら、勾音が横を通り過ぎただけで気絶しちまったかもしんねえな。
 その雰囲気は、その場にいた者全てが瞬時に感じ取ったらしい。勾音の姿を見てオカエリナサイと即座に駆け寄ろうとしたクロでさえ、立ち上がろうと椅子から腰を浮かせた状態で硬直しちまってたからな。そんな店内の空気を知ってか知らずか、勾音は素知らぬ顔で俺の前を通り過ぎようとした。俺も、当たり前のように勾音が通り過ぎるのを視線だけで見送ろうとしたのだが。
 「ちょいとお前。襟が曲がってるよ」
 「へ?」
 不意にそんな刺々しい声が掛かって、俺は目を瞬かせる。片手をシャツの襟元に宛がってみると、確かに右の襟が内側に曲がって中途半端な格好になっていた。おう、と返事をして俺は襟を直し、再び仕事に戻ろうとした。が、勾音がそれを許してくれなかったのだ。
 「全く、どうしてそうお前はだらしないのかねぇ。バーテンダーは店の顔なんだ、もうちょっと自覚をして欲しいものだね」
 「…あんだよ、今日はやけに突っ掛かるじゃねえか。俺がだらしないのなんて、いつもの事だろ」
 俺はてっきり、いつもの勾音の軽口だと信じて、冗談混じり笑み混じりのそんな言葉を返した。俺としては、その後は勾音が「そうだねぇ、女にもだらしないしねぇ」等々の揶揄い言葉を返してくるから、俺がまた冗談を返していつもの通り、の予定だった。少なくとも、俺の中では。そして多分、周りで聞いていた奴らの中でも。
 だが。勾音の反応は、俺の予定を大きく覆しやがった。はん、と鼻で笑い、口端を歪めて憎たらしいような笑みを浮かべる。腕組みをし、肩をそびやかして俺の顔を真正面から睨み据えた。
 「分かってる癖に直せないのかえ。情けない男だねぇ」
 その言い草にはさすがの温厚な俺もカチンと来た。乱暴にグラスをカウンターの上に置き、勾音の目を真正面から跳ね返した。
 「なんだよ、その言い方はよ。それがなんかあんたに関係あんのかよ。っつうか何カリカリしてんだっつうの」
 「私の何がお前に分かるって言うんだい!」
 びぃんと張りのある声が響く。店内の壁が、ビリビリと微振動したように感じた。それだけ、勾音の声は物理的にも精神的にも迫力があったと言う事だ。だがそれ以上に、勾音が声を張り上げたと言う事自体が驚きであり、俺を初めとして店の中に居た奴らは皆、一往に言葉を失ってしまう。これが面食らうって奴か。と俺は頭の端っこで思った。
 さて、ここで俺はどう返すべきか。さっきのようなシミュレーションはもう頭には浮かばない。突発的な状況変化には慣れてるつもりだったが、今回ばかりはその域を越えてしまったらしい。混乱していたと言うよりはまさに頭ん中が真白になっていた。で、俺が取った行動はと言うと…。
 「あっ、レージ!どこへ行くんだ!?」
 遠くでクロの声が聞こえたような気がした。それにも俺は引き止められる事は無く、そのまま俺は裏口から外へと、店を出て行った。その後、店がどうなったかは知らない。俺はと言うと、まるで母親に叱られた子供みたいに、ほとぼりが冷めるまで、と近くの公園に行って年甲斐も無く滑り台の天辺で星を眺めていた。

*************************** ***** **

 全く、最近の若いもんは世間知らずが多くって困るったらありゃしない。
 …って、そんな事を言い出したら、もう年寄りの証拠かねぇ……ま、実際に幾歳生きたか自分でも分からないのだし、愚痴っぽくなってもしょうがないのかね。
 まぁ尤も、若いもんと言った所でそれも私と比べて、だから、社会的には既にトウの立ち尽くしたいい年の親父だったんだ。それでも物を知らない事にかけては、そんじょそこらの愚か者の比じゃなかったね。あんなんでよくもまぁ今までこの商売をやってこれたもんだと、いっそ感心しちまったじゃないか。
 そんな輩の相手で妙に疲れちまった私は、いつに無く暗く湧き上がる苛立ちを抑え切れなかったのさ。私とした事がどうしてしまったんだ…ウチの若造に言わせれば「まさに鬼の霍乱だな」とかなんとか言って笑うところだろうけど、その当の本人にしてみれば、私の八つ当たりの標的になっちまったんだ、笑い事じゃ済まなかっただろうね。

 玲璽が私との口論の後、ふらりと店を出て行くその後ろ姿を見ていたら、遠い遠い昔の事を思い出しちまった。どれぐらい前の話かなんて覚えちゃいないさ。その記憶が幾年月を越えてきたからって、必ずしもそいつが色褪せているとは限らない。ようは、それが自分にとってどれだけ重要な記憶か、って事さ。そう言う意味では、私が胸の奥で温め続けているこの記憶は、私のこの、気が遠くなる程の長き生の間でも一等級の重要性を誇ってると言う事になるさね。
 これだけ長く生きていれば、出逢っては分かれゆくものの数も半端じゃない。当然、中には私の内側に強く印象を残すものだって現われる。それは味方だったり手下だったり敵だったりと、実に様々な立場の者な訳だけど、だが、私が心底、心を動かされた他人は、あの男たったひとりだけ。

 そう。私に断りもなく先に逝っちまった、私の唯一無二の旦那。

 喧嘩するのは仲の良い証拠、なんて言うけれど、確かに私達もよく口論をした。今回と同じように、原因は大抵下らない事ばかりだったけど、逆に言えば、下らない喧嘩だからこそ、済んでしまえば蟠りも残らず後腐れも無いのさ。いつもは二人とも疲れて黙り込むまで怒鳴りあうのだけど、一回だけ、口論の最中に旦那が何も言わずにふいっと私に背を向けて家を出ていってしまった事がある。後からその訳を聞いたら、不意に喉が渇いたから水を飲みに行っただけらしいが、その時の私の気の焦りようと言ったら。そんな事知る由もないから私は、生来の気性からその背中に追い縋る事だけは決して出来なかったが、このまま旦那が帰ってこなくなるんじゃないかと、この身が引き裂かれんばかりに、物凄い後悔の念に苛まれた。その時改めて私は、この男が、まさに私の一部になっていた事を思い知ったのだった。
 娘が、大切な存在であるのは当たり前。まさに私の一部なのだから。だが旦那は違う。元は他人のこの男が、これ程までに愛しい存在になるなんて思いも寄らなかった。まぁ考えてみれば、こう言う感情は得てして自分の思い通りにはいかないものだからね。これが当たり前なのだろう。

 そんな事をつらつらと思い返していたら、さっきまでの苛立ちは綺麗さっぱりなくなっていたが、その代わり、妙に空虚な空気が私の周りを取り巻いていた。これが俗に言う、『寂しさ』って奴かねぇ…。
 と、その時。微かな音を立てて店の扉が開いた。店じまいしてかなりの時間が経過したこの時刻、今更ここにやってくる輩はたった一人しかいない。黒ベストの前ボタンを全部外し、シャツの襟元も崩してすっかり見た目はただのチンピラに戻ってしまった、玲璽だけだ。
 「………よぅ」
 どことなく居心地悪そうに、玲璽が唇を尖らせる。そう言う仕種も、旦那に似ているような気がする。旦那と過ごした日々はあまりに昔過ぎて、そう言う細かい仕種とか口調とかは忘れてしまっていたけれど、それでもやはり、玲璽は旦那と似ていると思えてしまう。
 「仕事をほっぽり出して何処ほっつき歩いてたんだい。その分は給料から差っ引かせて貰うよ」
 私がそう言うと、ますます玲璽は唇を尖らせる。誰の所為だよ…と小声で呟くのが聞こえた。
 「何か言ったかい」
 「いーえっ、何にも言ってませーんっ」
 「まぁ、そうは言うものの、私にも多少の情ってもんがあるからねぇ…今回の事は見逃しておいてやるさね。私に非が無かった訳じゃないからね」
 「それはそれは有り難き幸せ。恐悦至極に存じます」
 わざとらしい丁寧語に、私は思わず苦笑をする。さっきの口喧嘩はテメェの所為だろうよ、とはっきり言ったって構やしないのに、玲璽は言わない。言っても無駄とか詮無いとかいろいろ思っているんだろう、相手が誰であろうと、理不尽な事には決して引き下がらない男だけれど、私に対してはどこか弱い部分があるような素振りを見せる。そんな所も、旦那と似ているような気がした。
 「…玲璽」
 「んあ?」
 玲璽は、なにやら気の抜けたような返事をする。名を呼んだ私の声が、多少いつもと違って聞こえたのだろう。さっきまでの教訓か、少々身構えるように私の顔を見た。
 「なんだよ」
 「……れでないかい」
 「あ?なんだよ、聞こえねえよ。はっきり言えよ」
 自分の耳に手を当てて私の方へと身を乗り出す玲璽、その耳に今度ははっきりとした声で私は言った。
 「一瞬で良いんだ。一瞬で良いから私を抱き締めておくれでないかい」
 「……………。はぁ?」
 思ったとおり、玲璽は鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔で私を見た。私はと言えば、一度口に出したものを今更引っ込める訳にはいかない。悪い、今のは聞かなかった事にしてくれと言えるようなら、あの時だって旦那の後を即座に追い掛け、その背中を抱き締めていたさ。唇を引き結んだまま、じっと見返す私の瞳を、玲璽は暫くは同じように微動だにしないで見つめ返す。やがて、ゆっくりと両腕を持ち上げると、そっと私の背を抱いた。
 それは恐る恐るの、ぎこちないまでの抱擁―――と言える程のものではなかった。玲璽は、私の背中に回した両手で軽く私の背を叩く。それは激励しているようにも見え、また赤ん坊を宥めているようにも見えた。椅子に座る私と立ったままの玲璽、その身長差から、私の両頬を玲璽の二の腕が斜めに横切っている。その暖かさ、厚さ、逞しさ。目を閉じ、その全てに、己の記憶を重ね合わせる事は無く、私はただそれに浸った。

*************************** ***** **

 ………一体あれはなんなんだ。勾音様とレージは、一体何をしてるんだ?
 いや、抱擁しているんだと言う事は幾らなんでも俺にだって分かる。男と女がどう言う時に抱擁するかってのだって知ってるさ。だが問題は、その相手が何故レージで勾音様でなんだって事だ。
 これは一種の盗み見なんだろう、と俺は思いつつ、店と奥とを繋ぐ通路の物陰に居た。言っておくが、最初っから盗み見しようと思ってた訳じゃないぞ。俺はただ、勾音様の事が心配だっただけだ。とは言え、俺が何か言ってもそれで勾音様の気が晴れる訳は無い事は重々承知、だから、勾音様が自分でどうにかするのを、俺はここでじっと待とうと思っただけだ。勿論、勾音様の邪魔をしようとする奴が居れば、人知れず闇から闇へ葬ってやろうとは思っていたが。
 レージは、なんかフクザツそうな生真面目そうな顔で勾音様の背を抱いている。その胸元に緩く凭れ掛かった勾音様が、物陰の俺の存在に気付いた。俺は一瞬ビクッとして身を竦めたが、何も悪い事をしている訳じゃないんだからと己に言い聞かせ、そのまま息を潜めていた。勾音様は、口元に静かな笑みを浮かべたままこちらを見ている。その目は、何でもないんだよと俺に向けて語っているような気がした。

 「よう、クロ。今日はやけに早いじゃねえか」
 レージの声に俺は、柄にもなくビックリして椅子から飛び上がった。
 次の日の朝、俺は結局眠らずに朝を迎えた。別に、考え過ぎて眠れなかった訳じゃない、理由は特には思いつかなかったが、ぼんやりとしていたら気が付いたら朝だった、と言う訳だ。そのまま店でカウンターに頬杖を突いていたらレージが現われたのだが、何故か俺はレージの顔をいつも通りに見る事が出来ない。ソウカ?と適当な返事をして、そそくさとその場を離れようとした。
 「おや、朝から何やってんだい、黒鳳」
 げっ!と俺は無意識に目を剥いてしまう。折角レージを無難に遣り過ごした(と思ってるのは俺だけかもしれないが)と思ったのに、次に現われたのはもうひとりの張本人(何のかは俺にも良く分からない)勾音様だったのだ。ナンデモナイ、とまた適当な返事をして勾音様の横を通り過ぎ、自分の部屋へと向かう。背後で、勾音様とレージが顔を見合わせ、首を捻って肩を竦めるような気配がした。
 なにか、モヤモヤとしたものが俺の内側にある。それが何なのかは俺には分からない。ただ、そのモヤモヤはレージと勾音様を見た時に夏の入道雲みたいに湧き上がり、特に二人一緒だと一層強くなる。そしてそれは、例の場面を目撃した時から始まっていたのだ。
 レージはともかく、俺の存在に気付いていた筈の勾音様は何も言わないし何もしない。きっとそれは、あの行為に何の他意も無い事を言い表しているのだと思う。だけど、理解するのと納得するのは別物らしい。俺の中のモヤモヤは暫くは晴れる事無く、俺は、勾音様をさり気なく避けると言う、大変不本意な態度を取らざるを得なかったのだ。(レージはどうでもいいんだが)

 が、人の感情なんてものは容易いものだな。喜びだろうが悲しみだろうが、日にちが経てば大抵の感情は水に落としたインク雫のよう、すぅっと薄らいでいく。ましてや俺のモヤモヤなんてのは、悲しいような悔しいような羨ましいような、そのどれとも言えない、そんな得体の知れない感情だったから、そんなのは早々に薄れて当然だろう。俺は、あのモヤモヤが、レージや勾音様を見ても沸き起こらなくなった事に安堵を覚え、それ以降は、あの正体が何だったかなんて詮索は一切止めた。

 だが、たったひとつだけ。どうしても遣り遂げなければならない事がひとつだけある。

 ある日の昼下がり、レージは店先でご自慢のバイクを磨いていた。ご機嫌な様子で鼻歌なんぞ歌いながら、立ってハンドル部分を布で擦っている。その背後に、俺は近付いた。
 「ふんふん、ふふん〜♪〜……ん?」
 レージが俺の存在に気付き、後ろを向こうとする。それを許さず、俺は素早く背後からレージの胴に両腕を回し巻き付けると、強く……
 バキバキバキ!
 「ぐっ、ぐえぇえッ!!」
 レージが奇妙な声を上げて息を詰まらせる。俺が腕の輪を解くと、そのままへなへなとしゃがみ込み、バイクに寄り掛かったまま暫く動かなかった。何か手足の末端が、ピクピクと微痙攣をしているようにも見えるが、きっと気のせいだろう。
 「………ふぅん」
 俺は納得をし頷くと、へたり込んだままのレージをその場に放置し、踵を返した。なーんだ、こんな事か。何でもないじゃないか。そりゃ確かに、勾音様も何も言わない筈だ。
 今度は俺がご機嫌で鼻歌を歌いつつ、通りの向こうへと歩いて行く。その後、夕方近くまでレージは動けなかったとか何とか……まぁ、俺には関係ない事だけど。


おわり。
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年10月18日

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