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『自尊心と現実の狭間にて 』
藤木結花0941)&笠原直人(1401)
●悩み多きお年頃
 ずっと結花姉って呼ばれてたから。
 だから、ボクは‥‥。

「もぉ! どーしてあんな高い所に置いてあるのさ!」
 探し物は、彼女の手が届かない高い棚の上にある。
 踏み台でも無ければ届かない棚。
 当然、彼女自身が置いたわけではない。
 しかも、ここはカード大陸オルテリアの中枢、世界樹の上に広がる王都エクローゼのそのまた中心、オルテリア王族の住まいの奥の奥である。そんな場所に出入り出来る人物など限られている。
 その限られた人物の中から更に心当たりの顔を思い浮べて、藤木結花はぶんぶんと首を振った。
「ううん、違う違う。あの人はわざわざこんな所に来たりしないし、片付けなんてのも絶対にしないっ」
 断言出来る。
 奴は仕事が終われば、即帰宅する。
 寄り道なんてするはずがない。
「じゃあ、やっぱりあの人! あの人に違いないよ」
 マメで几帳面な性格をしている騎士団長ならば、こまめに見回って、散らかっているものを片付けそうだ。きっとそうに違いない。ぷぅと、結花は頬を膨らませた。
「バスケットボールなんだから、ボクのだって分かりそうなものなのに‥‥」
 発明好きの姉貴分に無理を言って作って貰った結花はともかく、バスケットというスポーツ自体が存在しないこの世界で、バスケットボールを持っている者が他に居るだろうか。
「‥‥や、そりゃ、いるかもしれないけど」
 ティエラに残る事を選択した地球人ならば、バスケットの事は知っているだろうし、中にはボールを作った者もいるかもしれない。だがしかし、結花の知る限り、このオルテリアでバスケットボールを持つのは結花だけだ。
「なのに、ひどいよ! あんな高い所、ボクの手が届かないって知ってるくせに」
 ぷんぷんと怒りながら、結花は棚へと手を伸ばす。
「あと‥‥少しなんだけどなぁ」
 もう少しで指先がボールに触れる。頑張って爪先立ってみるが、それでも僅かに届かない。
 届かない距離が無性に腹立たしくて、結花は心の内で配慮の足りない騎士団長に対する悪態を並べた。かの者は、きっと何気なくこの棚の上にボールを片付けたのだろう。ごく自然に、机に物を置くように。
―あの人にはこんな棚、どうって事ないんだろうけど! ボクには‥‥
 背が足りない自分が悔しくて惨めで、結花は顔を歪ませた。
 身長が伸びないのは結花のせいじゃない。
 でも、その為の努力を、自分は怠ってはいなかっただろうか。
 小さな姉貴分が一生懸命に作ってくれた料理を残したり、ゆきちゃんのミルクを飲まなかったりと、考えてみれば色々と思い当たる事がある。
「‥‥だから、背が伸びないんだ」
 手を伸ばしたままで、結花は息を吐く。これは自業自得というものだろう。
「でもっ! ボクだってまだまだ育ち盛りだもんねっ! まだまだこれからだよ!」
 過ぎた事を落ち込んでも仕方がない。
 これから身長を伸ばす努力をしていけばいいのだ。
 気を取り直して、結花は再びボールに向けて神経を集中させる。
 あと少しだ‥‥。
 自分を励ましたその時、横からいきなり伸びてきた腕と直後に響き渡った大きな音に、結花は驚きの声を上げた。

●弟の言い分
 棚の上のボールを取ろうと、一生懸命に手を伸ばす姉貴分の百面相。
 もともと表情豊かな彼女だが、あまりにころころと表情が変わるのが楽しくて、ついつい見入ってしまう。だが、次の瞬間、笠原直人は息を飲んだ。
「危ない‥‥!」
 爪先立って腕を伸ばしている彼女の体が、ぐらりと大きく揺れたのだ。前に倒れ込むと柱、後ろに倒れればテーブルに体を打ち付ける事になる。
 飛び出しかけた直人の目の前で、結花はなんとか体勢を整え直した。
 ほっとするも、やはり彼女の体はふらふらと不安定で見てはいられない。
―ごめん、結花姉
 床に転がっていたボールが生真面目な騎士団長に見つかったなら、間違いなくお説教を食らうからと気を利かせたつもりだったのだが、裏目に出てしまったようだ。
 申し訳無さに心の中で謝罪し、彼女に代わってボールを取るべく部屋の中へ足を踏み入れた彼の目の前で、結花がバランスを崩す。
 声を上げるよりも、考えるよりも先に体が動いていた。
 倒れかけた結花の体を支え、衝撃から彼女を庇うように腕の中に抱き込む。
 幸いにも、倒れるまでには至らなかったようだ。よろけた反動で、2、3歩後退ったが、それだけで済んだ。
 2人の代わりに倒れたのは木のテーブル。大きな音を立てたそれに、結花は身を竦ませる。
「危なかったね、結花姉」
「な‥‥直人くん‥‥?」
 うん、と弟分は結花の呼びかけに返事を返すと、直人はそのまま腕を伸ばす。
 後ろから抱きかかえられているかの状況に、数十秒ほど遅れてドキリと心臓が跳ねた。
―な‥‥何? このドキドキは‥‥
 頬に血が上る。
 これは、元の世界で読んだ少女漫画で例えるならば、背景にお花が飛んでいる場面ではなかろうか。
 そう思い至ったのも束の間、ほんのり漂った少女漫画的雰囲気は、彼が何をしようとしているのかに気付いて結花の中から吹き飛んだ。
 自分でさえ届かなかった高い場所に手を伸ばす弟分を慌てて止める。
「危ないからボクが取るって! 直人くんじゃ無理だよ!」
 けれど、制止の手は行き場を無くし宙で迷った。何の苦もなく、彼は棚の上のボールを手に取ると、結花へと差し出したのだ。
「嘘‥‥」
「? どうかした? 結花姉?」
 まじまじと見つめると、直人が困ったように首を傾げる。初めて会った頃の面影を宿した少年の顔を、自分はいつから見上げるようになったのだろう。信じられない思いが結花の内を巡る。
「直人くん‥‥背、伸びた?」
「え? ああ‥‥少し」
 結花は直人の頭に手を伸ばした。
 自分と彼の身長差を測り、再度の衝撃を受ける。
「いつのまに、こんなに大きくなったの? ティエラに来た頃は、ボクが手を引いてあげなきゃならなかったのに‥‥」
「結花姉‥‥記憶を改ざんしないようにね‥‥」
 だが、弾みで飛んだ青い帽子を被り直しながらの直人の言葉など、結花は聞いちゃいなかった。
 頭の中を駆け巡るのは、ただただ「背を追い越された」という(彼女にとって)非情な現実のみ。
 目を見開いたままで立ち尽くす姉貴分の姿に、直人は溜息をついた。真正直な彼女の考えている事はすぐに分かる。しかも、少し前の彼女の言葉を聞き、様子を見ているのだ。的中率は93%に上がっているだろうと推測できる。
 こんな状況下において、自分がどうすればよいのかは分かっていた。
 個性的な大人達に混じり異世界で生き抜いた彼には、10代の少年らしからぬ状況判断能力が身についていたのだから。
 いかんせん、判断は出来ても、歯に衣を着せぬ素直な言動に、何度も窮地に陥っていたが。そして、今日も、彼は「墓穴王」の名に恥じぬ率直な言葉を紡がんと口を開きかけた。
「それは成長‥‥」
「でもねッ」
 途中で遮られたのは、彼にとって幸いだったのか、それとも不幸だったのか。
「バスケは身長でするものじゃないんだ! それを証明してあげるよ!」
 ビシリと突きつけられた指先と言葉に、直人は思った。
 ああ、またか‥‥と。
 そして。
―結花姉、身長はおおいに関係あると思うよ‥‥

●姉弟対決!
 手から弾かれたボールに、結花はちっと舌打ちした。
 王族守護にあたる騎士団詰め所の前庭に作られた簡易なコートで、2人は無心にボールを追いかける。
 目指すのは、木の枝に固定されたゴールだ。
 オルテリアの守護士として、日夜厳しい鍛錬を受けている結花と、元の世界に戻った後、アクション俳優を目指した直人と。
 互いに1歩も譲らぬ意地っ張り同士の勝負に、ボールはゴールに到達する前に幾度も引き戻される。結花が姉に強請って作って貰ったゴールは、2人の激しい攻防から取り残されてぽつねんと佇むのみだ。さながら、ポートボールでゴール代わりのバケツを持たされた子供のように。
「甘いよ! 直人くん!」
 反射的に軸足の重心を移して向きを変える。振り向きざま、地面に跳ねたボールが直人の手に戻る直前に叩き落す。手から離れたボールを追って、2人は同時に動いた。
 ボールに触れたのは、結花が先。
 しっかと掴むと、ゴールリング目掛けて投げ入れる。
 しかし、狙いは彼女の思いよりもほんの少しずれていたようだ。ボールはゴール板に当たって跳ね返った。
 衝撃に木の枝が揺れる。
「貰った!」
 跳ね返ったボールを空中でキャッチすると、直人はそのままゴールへと押し込む。だが、着地し、落ちて来るボールを待ちながら勝ち誇った顔を姉貴分へと向けた直人は、綺麗なフォームでシュートを決める結花の姿に唖然とした。
 ボールは、今、自分が‥‥。
 疑問と困惑に混乱して、腕の中に抱えたボールへと目を向けた直人の顔に鋭い痛みが走った。
 トドメを刺すように、結花がシュートしたボールが頭上に落ちて来る。
「ま‥‥しろ‥‥?」
 きらりと光った爪が彼の更なる悲劇を示唆していたが、危機回避出来るほどに頭は動いていなかった。
 彼が我に返ったのは、頬に走る爪痕が数条増えた後の事。
 更に、自分がシュートしたボールが、結花の失投の衝撃で木の上から落ちて来た真白であった事に気付くのは、そのもっと後。
「直人くん」
 毛を逆立てた真白に謝り倒していた直人へ、結花は荒い息を整えながらにっこりと微笑んだ。
「まだまだだね!」
 得意満面に弟分へと宣告を下す結花と硬直する直人と。
 さわさわと風に揺れる葉陰から顔を覗かせていた猫達は、いつもと変わらぬ日常の光景に大きく欠伸をすると再び微睡みの中へと戻っていったのであった。
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聖獣界ソーン
2004年10月13日

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