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『ドロレス・ヘイズのゲーム 』
田中・緋玻2240)&神山・隼人(2263)


 いまは神山隼人と名乗る存在は、どうも、平和が続くと緊張の糸が切れ、要するに油断してしまうらしい。あらゆる物事に対して無防備になるのだ。彼は人間の姿をしていて、神山隼人と名乗ってはいるが、歳をとることも死ぬこともなかった。無防備であっても、彼に危険らしい危険は及ばないのであるが――
「来たわよ」
 するどくつめたい女の一声に、あくびをしながら伸びをしていた隼人は、一瞬で優雅な姿勢に戻った。長い髪をかきあげつつ、足を組みかえる。
「おや、田中さん。お久し振りです」
「今の、しっかり見たわ」
「ほう、何をです?」
「ものまねするのも恥ずかしい顔よ、あなたの」
「ふ、曖昧すぎて何を仰っているのかよくわかりませんね」
 隼人の便利屋事務所をこうして何の前触れもなく襲う脅威がある。それが田中緋玻なのだ。今もすでにまんまと隙をつき、隼人が焦りをひた隠すさまを見てにやにやしている。
 人間界での、人間との生活で溜まっていく鬼の鬱憤は、このようにして晴らされているのかもしれない。隼人にとっては迷惑な話だ。そう言えば、いちばん最後に緋玻と隼人がまみえたとき、この便利屋はたいへんな災害に見舞われたのであった。隼人はその思い出を反芻して思わず黙りこんだ。
 今日も何か、ろくでもないことになりそうな気がする……。
「バイト君借りるわよ」
「どうぞ」
 言ってから、隼人はぴくりと緋玻に向き直った。バイト君とは、隼人が雇っている学生であるのだが、緋玻の親戚だ。
「いや、やはりお断りします」
「なんで?」
「ジンクスですよ」
「なにそれ?」
「答える必要はありません」
「なんなの?」
「私ですか?」
「……」
 質問をはぐらかし、質問を突如つき返す。隼人の得意技だ。緋玻はきょとんとして口ごもったが、次の瞬間には、「またやられた」と口をへの字に曲げた。

 実際のところ、緋玻は目的をすでに達していた。世の平和が続き――もっとも、日本がとりわけ平和なだけではあるが――悪魔も退屈し、油断しているだろうから、驚かせば面白い顔のひとつでも見られるだろうという、実に単純で無邪気な目的だ。元来鬼というものは、ただただ純粋なのである。その純粋さが引き起こす結果は、人間にとって末恐ろしいものであるわけだが。
 いまは、悪魔にとっても末恐ろしいものであるのかもしれない。
 ともあれ、隼人ののびきった顔は面白かった。
 しかし、このまま帰るのも、少しつまらない。
 また、面白い顔のひとつでも見てみようか。

「いつでもそうやって警戒してるの?」
 きょとんとした顔のまま(心でにやにや笑いつつ)、緋玻は隼人に尋ねた。隼人は足を組み替え、ふ、と溜息とも笑いともつかぬ反応を見せた。
「油断はしないというよりも、出来ないたちなのですよ」
「なんだか疲れそう……って、疲れるわけないか」
「ええ、まあ、そうですね」
 ふっ……。
 隼人が髪をかき上げる仕草を見て、緋玻は心中で笑う。隼人と同じように、ふっ、と短く低く。
 隼人は思い切り油断している最中だ。
「バイト君借りられないなら、あなたにするわ」
「はい?」
「話し相手よ。あたしはあなたと違ってそんなに毎日余裕がないの。たまに、愚痴を聞いてもらわないとならなくてね」
「お気の毒です」
「ありがと。……ただ話をするっていうのも何だから……」
 どこから取り出だしたるか? 隼人のデスクにどんと置かれたのは、碁盤と碁石なのであった。優雅に脚を組んで座った体勢のまま、隼人は目を点にした。
「碁でも打ちながら積もる話を」
「……碁ですか?」
「まさか、やり方知らないなんてことないわよね? 隼人だもの」
「はは、まさか。将棋でもパンデモボードでも何でも持ってきてください」
「それに過去と現在と未来を見るくらいお手のものでしょ。あたしじゃ相手にもならないわよね?」
「はは、その力を使ってしまうと、何もかもつまらなくなります。局では封印しますよ」
「よしよし」
 思わずにやりと微笑んで、緋玻は白い碁石を手に取った。
「じゃ、あたしの手を読むのはなし。あたしは全力で行くわ。試合だもの、負けたら罰ゲームよ」
「いいでしょう」
 そのやりとりが、運のつき。

 緋玻は幼い頃こそ、手毬や札やお手玉で遊んでいたが、そのうち兄や同族と碁をさすようになっていた。碁盤は彼女の陣地なのだ。対する隼人は、いまの顔立ちと名前こそ日本のものだけれども、出身は海の向こうの宗教の中。
 黒の陣地が、ひょいひょいと囲われ、奪われ、白に塗り替えられていく。オセロのようなものだと頭ではわかっていも、試合開始5分後には、隼人の敗色はきわめて深刻なものになりつつあった。
顔は冷静でも、動揺は指先に如実にあらわれた。これはオセロ、オセロだ、オセロ――とばかりに、マス目の中に碁石を置いては、「何してるの」と緋玻が突っ込む。しまいには囲んだ白の碁石をひっくり返した。白の碁石は裏返しても、あくまで白だ。「何してるの」。
 冷静に突っ込みながら、緋玻は心の中で爆笑していた。
 ――勝てるわ。
 ――負ける。この私がぁ!

 巧みなシチョウによって隼人はまんまと盤の端に追いつめられた。そして、それに気を取られているうちに、いつの間にやら必死で稼いだ陣地もすっかり白に取られている。

 終局。

「ふっ、勝ったわ。そんなに手加減してくれなくてもよかったのに」
「……」
「ねえ、『契約』覚えてる?」
「……あの、碁盤を囲みながら積もる話をするのではなかったのでしょうか……」
「あらあら、あたし、必死になってて忘れちゃった。隼人相手に油断なんか出来ないものね」
「……」
 契約書を交わしたわけではないが、神山隼人というものは、『契約』によって縛られる存在だ。彼は、がくりとうなだれた。
「せめてチェスであれば……」
「さあ、罰ゲームとして女装してもらうわ!」
「何故ですか!」
「罰ゲームだからよ!!」
「何じゃそりゃアアアア!!」

 隼人は人々の記憶にいたずらに残らぬよう、姿と名前を次々に変えて生きてきた。
 緋玻も、人間界に上がってきてからは基本的に似たような生涯を送っているのだが、性別を変えたことはない。
 隼人は違っていた。もとより無性別の存在だ。それでも、男性の姿をとることが多いのは、彼が男性の姿のほうを好んでいたからだ。ここ数百年は、男性のままでいる。
 なぜ、そうそう好きでもない性別に化けなければならないのか。
 しかも、他者に強要されて。
 隼人が最も嫌う状況だ。
「ほらほらほら、これ着て、これ持って、そこに座る!」
「急かさないで下さい、集中が必要なんです!」
「早く集中しなさいよ!」
「そこまで強要しますか!」
 緋玻は一体どこにドレスや小道具やソファをしまっていたのか? 隼人にそれを突っ込む余裕はない。隼人は呪いの言葉を呟きながら、緋玻から服と小道具を受け取る。
 どろん、と煙を発しながら隼人は化けた。
 特殊効果のような煙の中から徐々にあらわれる姿に、緋玻が必死になって笑いをかみ殺す――だがそれも5秒の抵抗だった。
 若々しい黒髪の美女がそこにいた。髪は気合の入った縦ロール、恨めしげな上目遣い、きゅっと結ばれた愛らしい唇、何より白と桃色のフリルのドレスがすばらしくよく似合う。神山隼人よりは若いようだが、彼の面影を強く残したその顔かたちに、緋玻はたまらず笑い転げた。
「あは、あぁははは、あはははははは、あーっはっはっは、どぅわっはっはっは!!」
「……」
「あは、あは、あは、あはは、ひ、ひひひ、いひひひひ、あーははは!」
「……」
「ぐぬぁははははは、うぎゃははははは、ぶひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
「笑いすぎです」
 その声は実に美しい。鈴を転がすような美声だ。
 緋玻の笑い声は止まなかった。
 ちなみに黒髪のはーちゃん(緋玻命名)が抱いているのはブランドタグを耳につけたクマのぬいぐるみである。
 はーちゃんはげらげら笑い続ける緋玻によって化粧を施され、さらに美しく愛らしい姿になった。レースのカバーがかかったソファに腰かけさせられ、また笑われる。屈辱。
「いいわね、最高! 今日のあなたは最高よ! すっごくいい! ああっ、素晴らしいわ! いい! キてる! ああっ! ああっ!」
「ポルノ誌のカメラマンのような発言は控えてください!」
 怒鳴ってから、隼人ははっと気がついた。またしてもどこからか、緋玻がカメラを取り出したのだ(ひょっとすると隼人のいまの発言が引き金になったのか?)。隼人の瞳がぎらりと強い光を宿した。
「それはいけません! 撮影許可は出しておりません! 肖像権の侵害で訴えます!」
「いいじゃない、せっかくなんだからサービスしてよ」
「だめです! 拒否します! 無理です! 有り得ない! ホント無理!」
「『だめ』って言葉、囲碁から生まれたって知ってた?」
 パシャ。


「汚された……。私は汚された……。おうちに帰りたい……」
 ドレス姿のまましくしくと嗚咽を漏らす隼人の横で、ポラロイド写真をぱたぱたと振っている緋玻は、ものすごく、とても、たいへん幸せそうだ。碁盤を囲んで積もる話をするよりも、よほどこちらのほうがストレスも発散できるというもの。
「泣き真似しても無駄無駄無駄。『悪魔は涙を流せない憐れな存在』ってね」
 ぼんやりと、黒い画面に現れるのは――
 縦ロールの黒髪、薄化粧、クマのぬいぐるみを抱いたドレスの美女。だが、神山隼人だとすぐにわかる顔立ち。緋玻はすでに腹筋が痛くなっていたが、笑いを堪えることが出来なかった。
「あはははは! なにこれ! なにこのぬいぐるみ! あははは!」
「……」
「ほんとサービス満点ね! 誰も縦ロールまで頼んでないのに、あは、あぁはははは!」
「……」
「ネットに流そう」
「それはほんとにだめぇ! やめてぇぇ! いやぁぁぁ!」
「黙れこのメス犬がぁぁぁ!!」
「きゃああっ! いたぁはぁい!」
 隼人はまだ気づいていない。床に散らばる美女の写真の中に、一枚だけ男性の隼人の姿をおさめたものがあるということに。しかもその写真の中の隼人は大あくびをしていた。

 フリルのドレスを着た悪魔の写真が、WWWの世界を放浪することになるかどうかは、閻魔のみぞ知るところだ――。





<了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2004年10月06日

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