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『【Urgent×Situation】 』
セレスティ・カーニンガム1883)&綾和泉・汐耶(1449)



「そういえば」
 背後でしたそんな声に、僕はぎょっとして体を揺らした。
 その拍子に食い込む手首のロープが、今、自分が居る場所やその立場を知らしめてくるようで忌々しくも恐ろしい。話をしている場合ではありませんよと、声の主に注意したかった。
 しかし恐怖によって喉の奥に押し込められてしまった声は、出そうにない。
 主人一人ロクに守れやしないのか。ふと頭に浮かんだのは、嫌味を言わせたら世界一の美しい男の顔だった。自分のこんな失態を見せてしまっていたら、何を言われるか分かったもんじゃない。
 彼が居なくて本当に良かった、と思いかけ、いや。彼がいればそもそもこんなことにはならなかったんじゃないか、と考え直した。
「あれを覚えていますか」
 セレスティ・カーニンガムの、余りに穏やかな声がまたも耳を突く。彼の声はいつも、草原に這う緩やかな風のように、深海に差し込む一筋の光りのように、穏やかで優しくなめらかだ。
 しかし今日ばかりはそれが、余りに不釣合いで奇妙である。
「あれって、何ですか?」
 答えたのは、ショートカットの艶やかな黒髪を持つ、キャリアウーマンまさにといった態の綾和泉汐耶という女性だった。彼女の声もまた、この状況には不釣合いなほど、落ち着いている。
「以前に草間興信所で、自分の記憶を取り戻すために埋めたものを掘り起こしたいという依頼があったでしょう?」
「ああ。タイムカプセルの」
「ええ、そうそう」
「それが、どうかしましたか」
 二人の話はどんどん進む。
 全くこの状況とは別次元で。
 例えばお茶会の席で会話をしているような、そんな穏やかな運びで会話する。
 何を考えているんだ! と叫び出しそうになり、僕は一人パニックに陥った。
「あの時見た、友人のペットを覚えていますか?」
 セレスティの問いに、こともあろうか汐耶は小さく笑い声を立てた。
 笑う?! 驚き過ぎて、僕は思わず酸欠になりかける。
「人科のオスペットですね」
「ええ」
「あなたとじゃれてらっしゃった」
「そうです、そうです。きっとあの場面を見て苦笑で済ませるのは貴方くらいだと、今ふと思い出したんですよ」
「あれくらいで驚いていたら、やっていけませんもの。私の回りにはもっと驚くべき人が、たくさん居るんです」
「なるほど、おおらかですねえ」
「あなたほどじゃないわ」
「ふ!」
「え?」
 僕は足を動かして、体を反転させた。
「二人ともです!」
 声を荒げる。
「どうしました。そんな怖い顔をして」
「あ、あ、あ」
 落ち着き払った二人に驚いてしまい、喉に声が引っかかる。
「酸欠かしら」
 僕を見つめ言った汐耶は、まるで医者に同意を求める、熟練ナースのようだった。銀縁眼鏡の奥の切れ長の瞳には、全く温度が無い。
「あなたたちは今この場を何だと思ってるんですか! りょ。猟銃を持った男が居るんですよ!」
 大声を出したら眩暈がした。自分で言った言葉から、じわじわと恐怖が滲み出てくる。そうだ自分には今、命の危険が迫っているのだ。
「まあまあ。そう、興奮なさらずに。慌てず走らずですよ」
 これが慌てずにいられるか!
 セレスティに向かい目を剥きながら、だからやっぱり彼が居ればよかったんだ。と僕は思う。





 目の前に建つ屋敷は、何時見ても立派だと思わずには居られない。
 入り口に立つ黒い鉄の門にはバラをかたどったものが取り付けられており、周りを取り囲む塀には、植物の蔓が垂れ下がっている。メルヘン童話に出てくるかのような豪邸だ。
 汐耶はレンガの敷き詰められた庭の道を歩き、大きな扉の前に付けられたインターフォンを押した。そこだけはきっちり近代的で、いつも奇妙なギャップを感じる。
 ベルを思わせるかのような、豪華な音が響き、ドアは来訪者を中へと伝えた。しかし、暫くしてもインターカムから使用人の声が聞こえてくることはなかった。
 豪邸の主である、セレスティ・カーニンガムは、余り自分の周りに人をおくことを好まない。選ばれた人間だけ、それも少人数だけをこの屋敷の中で使用人として使っている。
 それにしたって、誰も居ないというのは変だ。汐耶はその場で小さく小首を傾げる。
 どうして誰も出ないんだろう。
 試しにドアを引いてみると、それは驚くほどすんなりと開いた。
 顔だけを出し、フロアを覗く。人影はない。
「綾和泉ですが」
 声が広いフロアにわんわんとこだまする。
 人が出てくる気配はない。汐耶は中へと入り、思わず空を見上げる。開放感のある高い天井に、豪華なシャンデリアがぶらさがっていた。
「綾和泉ですが」
 もう一度言った。
 返事は返ってこなかった。
 ちゃんと昨日、約束を取り付けたわよね。胸の中で自問自答する。昨日電話で「では明日」と言った記憶に行き当たる。
 彼は良い本が手に入ったので、借りに来ないかと言っていた。
 約束を守らない男ではないはずなのに。
 汐耶は左右廊下には目を向けず、フロアの真ん中から上へと伸びる、赤い絨毯の敷かれた階段へと歩く。一先ず彼の部屋を訪れることにした。
 階段に足を伸ばす。その時ふと、背後に人の気配を感じた。それと同時に、胸に嫌な予感が過る。しまった、油断してしまったか。
 階段の一段目に足を乗せたまま首だけ回し背後を振り返る。
 右側に伸びる廊下から、猟銃を持った一人の男が姿を現した。
「う。う、動かないで下さい」
 男は裏返った声を出した。
 声も声なら猟銃を構えるその姿も実に情けない。
 汐耶は顔の筋肉を一つも動かすことなく、ゆっくりと振り返り両手を挙げる。まるで尿意を堪えているかのような足取りでよたよたと近寄ってきた男は、猟銃を汐耶の鼻先に向け「言うことを聞いて下さい」という。
 抵抗もしてないのに「言うことを聞いて下さい」とは、何ともおかしい。前置きだろうか。
 強盗だとすれば何とも律儀な強盗だろう。
 歳の頃は二十代後半くらい。青白く細い腕に、猟銃は不釣合いだった。
 蹴りの一つでもかましてやれば、勝てる相手のような気がした。けれど、汐耶はそれをしない。本当にそれで勝てる相手ならば、この屋敷の人間がもうきっと勝っているからだ。
 セレスティもこの男に捕まったのかも知れない。
 何か考えがあるのかも知れないし。とりあえず捕まってみるのが妥当だろう。
 汐耶はそう判断すると、「抵抗する気はありませんけど?」と両手を挙げたまま肩を竦めてやった。





 人質を置いた部屋に戻って来た男は、とにかく先程からブツブツと一人で呟いていた。時折ヒステリックに声を荒げると、男は声帯が弱いのか声が裏返る。
 その裏返り具合が、僕の心臓を刺激する。寿命が縮む思いというのを、始めて本当の意味で知った気がした。
 頼むから。
 神にも祈るような気持ちで僕は思う。
 男が戻って来たんだから、暢気に喋り出さないで下さいよ。と。
 しかしそんな祈り虚しく、背後から落ち着いた声が言う。
「ところであなたは。どうしてこの屋敷に入ったのですか?」
 僕はぎゃあと胸の中で悲鳴を上げた。頼むからどうか。どうかあの男を刺激しないでくれよ。
「自殺……自殺したかったんです」
「答えになっていませんが」ピシャリと言ったのは汐耶だ。「それに。自殺したいなら一人で勝手にやって下さい。私達を巻き込まれると迷惑なんですよね」
「だ、だって!」
 男が顔を引き攣らせる。ああ、そうか。僕の寿命もここまでなんだな。
「まあまあ、汐耶さん。彼にも何かしら理由があったのかも知れませんし」
「ですが、明日も仕事がありますから」
「仕事!」
 その言葉に男は食いつき、目を剥いた。
「僕は仕事がないんだ!」
「それは可哀想に」
「お気の毒ですね」
「そこの男が奪ったんだ! リンスター財閥の人間なんだろう! お前!」
 男が猟銃を構える。目が血走っている。やばい。絶対、引き金を引く! と思った。
「に。逃げて下さい!」
 僕は言葉だけで言った。主人を守らねばとは思うが情けないもので、体は全く動かなかった。
「まあまあ。稀にあることです。そう焦らずに」
「ま。ままま。稀にあるんですかあ!」
「逆恨みなんて陳腐だわ」
 また、男を逆撫でするような言葉を汐耶が言う。
「汐耶さん。頼みますからちょっと黙って」
「ところでセレスティさん」
 僕の言葉を全く無視して、汐耶はセレスティに顔を向ける。
「なんですか」
「どうして大人しく縛られているんですか」
「ああ」セレスティは艶やかに微笑んだ。
「こういうプレイも。たまには面白いでしょう? どうですか」
 ありえないことを問われ、僕はブルブルと首を振る。
 汐耶はニコリともせず「なるほど」と頷いた。
「ぼ。僕を無視しないで下さい!」
 男は裏返った声でやっと口を挟んだ。
「はいはい、無視していませんよ」
 セレスティはニコやかに答え、汐耶は素知らぬ顔で明後日の方を向いている。
 今にも、お茶でも啜り出すのではないかと思うくらい、落ち着いた表情だ。
「僕は……僕は……」
 男は震える手で猟銃を構え、こちらに銃口を向けている。僕は思わずその銃口に目をやってしまった。
 その小さな穴に吸い込まれてしまうのではないか。そこに吸い込まれてしまったらとてつもなく深く、とてもつもなく暗い場所に落とされてしまうのではいか。と、そんなことを考えてしまい、僕はもう一歩も動けない。
「まあ。人生長く生きてればいろいろありますよ」
 セレスティの声が、脳の遠くで響いた。
「それでも」
 声と共に、僕の目に映る風景も動く。
「修正できるのも人間ですから」
 そして、僕は我が目を疑った。
 視界から銃口が消え、そこにセレスティが立っていたからだ。
「人を恨む暇があるなら、反省する方がよっぽど為になると私も思いますよ」
 さらにその隣に汐耶まで居る。
「い。い。イリュウジョ……ン?」
 僕はただ、惚けたように呟いた。





「もうあの時は……死を覚悟しました」
「殺すわけないでしょう」
「死体が増えたら面倒ですからね」
 汐耶は抑揚の無い声で言い、セレスティ家の新しい使用人であるらしい彼がいれた、深い紅色をした紅茶を一口すする。
 甘い香りが口腔に広がり、汐耶はやっと一息ついた。
「し。死体!」
 彼が声を上げる。いちいちリアクションの大きい男だ、と思った。
「でも。なんであの男、返しちゃったんですかあ? 警察に突き出さないでよかったんですか?」
「まあ。いいじゃありませんか」
「良くありませんよ。また来たらどうするんですか」
「もう来ませんよ」
「どうしてそういいきれるんですか?」
「私が彼のことを知っているからです」
「え? 知って、る?」
 目を見開く彼を他所に、汐耶は言った。
「人が悪いですね。今日来ることが見えていたなら、私には言っておいてくれれば良かったのに」
「すみません、汐耶さん。でも貴方なら大丈夫だと思って。どうですぐにカタがつく問題でしょう? その為にわざわざ、傑作の本を先延ばしにするのも惜しいではありませんか」
「まあ」
 溜め息を吐く。
「どっちでもいいですが」
「ちょ。ちょちょちょちょちょ」
「なんですか」
「ちょっと待って下さいよ。見えていたって何ですか?」
「ああ、占いで。それで全てが見えていたわけではありませんが。最近、傘下の会社が、他の会社を買収したもので。まあ、ビジネス業界というのもいろいろありますからねえ」
 セレスティは天使のような顔で、シビアな言葉をサラリと言った。
「彼はその買収された方の会社の人です。きっと、きられちゃったんですね」
 自分の首元に手を横切らせ、小首を傾げる。
「言ってることがめちゃくちゃだあ!」
 彼は乱雑に頭をかいた。
 そんな姿は漫画の中だけだと思っていたので、なんて表現力豊かな男なんだろうと汐耶は思う。
「ぼ。ぼぼぼぼ。僕は死ぬかと思ったのに! どうして言っておいてくれなかったんですか! ま。まさか。僕、僕くらいなら死んでもいいと」
「おやおや。またマイナス思考ですか」
「あら、クセなんですか。彼」
「クセなんです」
 やれやれといった風にセレスティが汐耶の顔を見る。
「からかうにも程がありますよ。僕、僕は本当に死ぬかと」
「まあまあ」
 セレスティは彼に向かい両手を差し出した。
「ちょっと来てご覧なさい」
「な。なんですか」
「さあ、ほら」
 促され、おずおずと浅海が近づく。セレスティはその頭を取って、自分の膝元に跪かせた。顎を掴み上向かせ、その頬に唇を落とす。
 またやってる。
 紅茶を口に運びながら、汐耶はぼんやりそう思った。
「落ち着きましたか?」
「おおお、お。おおおおお」
「どうしました?」
「と。トイレ行って来ます!」
 頬を押さえ、使用人は凄い勢いで部屋を出て行った。
 その背中を見送りながら、セレスティはにんまりと笑みを浮かべている。
 やれやれ、と思う。
「そういうの。楽しいですか」
「ええ、とっても」
 躊躇いもなく頷かれ、苦笑した。
 カップを置き、テーブルの上にあった本を手に取った。
「では、この本。借りて帰りますね」
 汐耶は溜め息と共に吐き出して、その悪戯好きの天使のような顔に向け、言った。






END








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2004年10月06日

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