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『中章―中核 』
桐崎・明日3138)&橋姫・ー(3976)

 全てが定められし運命というのならば。
 抗う事すら愚かだというのならば。
 ただその流れに身を任せているだけで、罪になるのかもしれぬ。


 鉄製の刃のついた卒塔婆のようなものが、命を奪わんとして大きく振り下ろされた。だが、それは虚しくも空を斬っただけであった。びゅん、という風の唸りは確かに聞こえたというのに。
「……!」
 卒塔婆のようなものを振り下ろした男は目を見開く。確かに捉えたと思っていたのだ。たかが子どもと侮り、心の中で巻き込まれてしまったことに同情するほどに。
 それなのに、鮮血の華は咲くことは無かった。
「……なっ……!」
 男の卒塔婆のようなものを避けた少年、桐崎・明日(きりさき めいにち)は黒髪を風に靡かせ、その黒の目で男を射抜いていた。肩ではあはあと息をし、男に対して恐怖を感じつつもその目の奥では確固たる意志の炎を燃やしていた。
 即ち、生き延びようとする意志。死を全身で拒否するかのような。
「……何故、避けられる?」
 男はごくりと喉を鳴らしながら、明日を見つめた。見た目は普通の中学生と同じ、ただの少年。しかし、先程卒塔婆のようなものを避けた立ち回りは、到底普通の少年とは思えなかった。まるで長年立ち回りを訓練されてきたかのような身のこなしであったのだ。
 もしそれが本能的なものならば、かなりの運動神経を持っていることになる。同時に、生への強い執着をも。
(このままだと、殺される)
 明日は震える体を叱りつけ、自分に言い聞かせる。男はまだ、動かない。
(このままだと、確実に殺される)
 目の前に立つ男が明日を殺す事に対して何かを考えたりはしないだろう。現に、明日の家族を事も無げに殺しているのだから。それに……明日が見てしまった、赤い人も。
(あんな風に、殺されてしまう)
 明日は男を睨みつけ、手探りで何か武器となるようなものが無いか確認する。目を逸らしてはいけないと、直感的に思っていた。
 目を逸らせば、その隙に攻撃をしてくるのだと。
 何故そのように思うのか、明日は疑問に思わなかった。知っていて当然のような、生きる為の必要な知識のようにも感じていた。知っていて当たり前。知らなければ、それは死をももたらす。
(目を逸らさず、隙を窺う)
 明日は手に何かが触れたのを確認し、男を睨みつけながらそれが何かを確認する。幸いな事に、それはカッターナイフであった。何処にでもある、至極普通のカッターナイフ。偶然にして、幸いに。
 否、それは偶然ではなく、必然。
 明日はカッターナイフの刃を片手で出し、手にしっかりと握り締めて構えた。男に緊張が走るのを感じたが、気にしないようにする。
(殺される……それは、嫌だ)
 男が卒塔婆のようなものをぎゅっと握り締め、再び明日に攻撃を繰り出してきた。明日は素早くそれらの攻撃を避け、男の近くに踏み込む。男の顔に、驚きが溢れた。
(それは……嫌だ!)
「……貴様……!」
 男がそう唸った時には、鮮血の華が咲いてしまっていた。明日が優しく撫でるように、男の頚動脈を薙いだのだ。一瞬の内に咲き誇る、赤い華。
「あああああ!」
 男は薙がれた頚動脈を押さえつけ、卒塔婆のようなものをがしゃりと床に落とし、その場に転がった。そのがしゃり、という音が明日を現実へと引き戻す。
(……今、俺は何をした?)
 手に何かを握り締めているのに気付き、そっと目線を下に降ろす。赤く染まったカッターナイフを、しっかりと強く握り締めている自らの手がそこにある。
(……何だ、この赤は)
 慌ててそれを離そうとしたが、手に吸い付いているかのようにカッターナイフは外れなかった。外れない赤いカッターナイフは、混乱を引き起こす。
(……何だ、何だ、何だ……!)
 途端に、手が震え始めた。ガタガタと、全身の震えを伴って。
 周りを染めるは赤き華。
 自らが内を駆け抜けるのは、絶対的な運命。
「は……!」
 床に転がっている男が自嘲する。その声に、明日はゆっくりと目線を男に移動させる。
「所詮……所詮ここまで、か……!」
 ガチガチと男は歯を鳴らしていた。男に訪れようとする死は、近い。
「さ、『最狂』を……み、みみ……見ることも無く……おお、終わるのか……!」
(サイクル……?)
 突如耳にした聞きなれぬ言葉に、明日は眉間に皺を寄せる。
「ははは……はは……ははははは!」
 男は笑う。自嘲のように、または叫びであるかのように。そして明日と目を合わせ、震えていた口元をぴたりと止め、小さく笑う。
「最悪、だ」
 それで、終わりだった。男には確実な死が訪れてしまったのだ。カタン、と明日の握り締めていたカッターナイフが床に落ちた。
 もう危険は無い。持っておく必要がなくなったのだ。
「最狂……」
 ぽつり、と明日は呟く。男が死の間際に言っていた、会う事も無く終わる事を悔いているかのような名前。
「最狂……!」
 明日の身のうちに、炎のようなものが燃え上がった。轟々と燃え、内側から焦がす。
(全ての元凶は、最狂……!)
 普通の生活をしていた。ゆらゆらと揺れていたが、それでも揺れは明日を落とす事は無かったのだ。普通に生活し、普通に時を過ごしていた。全てが普通に。
(最狂が、落とした)
 普通の生活から貶めた存在が、明日は酷く憎かった。その存在さえいなければ、今のように赤い華の中で立ち竦む事は無かっただろう。ゆらゆらと揺れつつも、完全に落ちてしまうようなことも無かったであろう。それが何より、苦しく憎らしい。
(絶対に、会ってやる。どんなに困難であろうとも、絶対だ……!)
 明日はぐっと拳を握り締める。会う事は難しい事なのかもしれないが、それ以上に明日には確信があった。必ず会える筈なのだという、妙な確信。
 そしてそれは、現実へと変わる。


 最狂こと、橋姫(はしひめ)に会う事になるまで、想像以上に時間はかからなかった。
「来て……くれたのですね」
 橋姫は黒髪をさらりと靡かせ、黒の目でじっと明日を見つめていた。明日は思わず見惚れてしまう。究極の美と言わしめた橋姫は、その場の空気を圧倒するかのように美しかったのだ。
「私達は……混乱と混沌を引き起こす要因なのです」
 橋姫は語り始める。鈴を転がすかのような、良く響く声で。
「私はどれだけ待ち望んだでしょう。私と会うだろう人を」
「俺は……お前を殺す為にここに来た」
 橋姫は頷く。さらりとした黒髪を揺らし、その絶世の美に彩りを加えながら。
「私は疲れたのです。このような混沌の中心にいることが」
 明日は何も言わない。ただじっと、橋姫だけを見つめている。
「本当に、疲れたのです……」
 橋姫はそう言い、長い睫毛を伏せた。憂いの表情さえも、橋姫を美しく見せるだけだ。
「でも、あなたが来てくれました。あなたが、初めて会えた人ですから」
 明日は一歩近付く。橋姫のいる位置まで、数歩歩けば届く。
「私を、殺してください」
 明日は全身の動きを止める。はっと一瞬息を呑みながら。
(俺は、彼女を殺す為に来た)
 全身を内から焦がす、憎しみの炎を原動力にして。
(俺は、普通の生活から落とした彼女を殺しに来た)
 戻れぬ日常に対して、言葉に尽くせぬ思いを秘めて。
(それなのに、どうしてこの足は進まない?)
 橋姫は全く動いていなかった。ただその美しい顔を明日に向けているだけだ。明日の内に燃える憎悪の炎も、内に秘めている言い尽くせぬ思いも知らずに。
「……!」
 明日は何かを橋姫に言おうとし、やめる。何も言葉は出てこなかった。何かを言いたくてたまらないのに、それを表す為の言葉を持たぬかのように。
 橋姫はじっと明日を見つめている。炎も思いも、見透かすかのように。
(知らないのか……それとも知っているのか……)
 橋姫の黒の目は何を映しているのかは分からない。知っているのか知らないのかすら、想像する事しかできないのだ。
「私を、殺してください」
 再び、橋姫は明日に向かって言った。それが望みなのだと、それがこの場の必然なのだと言うかのように。
 明日はぐっと拳を握り締め、再び橋姫に向かって歩き始めた。ゆっくりと、だが確実に。近付けば近付くほど、彼女の恐ろしいまでに美しい顔が近くなっていった。
「……最狂」
 ぽつり、と明日は呟いた。それだけが、自分が持っている全ての言葉であるかのように。そんな明日の言葉に対し、ただ橋姫は頷いただけだった。こっくりと、縦に。
 明日はそっと手を橋姫に向かって伸ばした。橋姫の頬は、思ったよりも柔らかく、思ったよりも滑らかで……そして冷たかった。


 全てが定められし運命というのならば、抗う事すら許されぬのかもしれぬ。
 抗う事すら愚かだというのならば、その思いを抱く事すら間違いなのかもしれぬ。
 だが確実に、罪は罪として降りかかってくる。
 触れた瞬間……否、出会った瞬間に、死は舞い降りてしまったのだ。
 気付かぬうちに、密やかに。ただただ……密やかに。

<核を為せし炎と思いが『死』を誘いつつ・了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年10月01日

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