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『最終地獄・醜悪(前編) 』
夜切・陽炎3420)&幻・―(3362)

    一

 まどろみの中、幻は並列する二つの世界を同時に見ていた。
 一方では彼の良く知る人物が戦っている。一見互角に見えたが、幻を庇っているせいだろう、彼女の動きは精彩に欠けていた。
 対する男は指一本すら動かしていないように思える。彼はこの世界の法則、支配者なのだ。
 飛び交う影は二つ。
 黒い装束に身を包んだ忍と、黒い闇を纏った人形師。
 人形師によって歪められた空間は、今や異界と化している。幻の良く見知る人物――夜切陽炎は――敵地で戦うことを余儀なくされていた。故に彼女の立場は不利だ。
 陽炎が左へ飛べば、空間それ自体が意志を持っているかのように蠢き、形を変え、彼女の動きを封じんとする。
 右も然り。後ろも。
 どこへ逃げようとて同じこと。人形師の意のままに操られる異界は、確実に彼女を追い詰めている。
 人形師の攻撃を紙一重で交わし、陽炎は右手で空を薙ぎ払った。彼女の手から放たれた三本のクナイが人形師の眉間に向かって鋭い軌跡を描く。それを腕の一振りで男は無効化した。
「ちっ!」
 陽炎は忌々しげに舌打ちすると、軽く地面を蹴って跳躍した。新たに現出した無数の手裏剣が雹のように人形師の頭上を襲う、しかし結果は同じだった。
「どうした、夜切陽炎。貴様の力はこんなものか!」
 重力それ自体が変化し、陽炎の身体は吹き飛ばされた。
 だんッ! という鈍い音と共に陽炎は壁に叩きつけられ、その衝撃で、混沌と化していた異界は正常な空間に戻った。が、依然として病室には人形師の支配が及んでいる。
 一時的な呼吸困難に陥り、陽炎は酸素を求めて激しく喘いだ。口の中に溜まった血液を吐き出し、よろよろと立ち上がる。
「その程度の力でこの貴炎に挑むとは。血迷ったか、夜切陽炎」
 男の口から低い笑い声が零れた。
「まだ終わっていない!」
 陽炎は腰を沈め、低い位置に重心を保って疾走した。通常の動体視力では捉えられぬその速さは、夜を切り裂くという名に相応しかった。
 だが。
 いけない、と幻は直感する。
 その男の懐に飛び込んでは。
 駄目だ――!
 叫びは届かない。
 彼はこの場において傍観者であり、貴炎の異界に干渉することは許されないのだ。
 幻には陽炎が試みようとしていることがわかった。
 相手の身体に直接触れ、衝撃波を叩き込もうとしている。彼女が己の左手にかけた呪いだ。
 触れさえすれば、確実なダメージをもたらすだろう。だが――
「同じことだ!」
 再び見えない力が彼女を襲った。成す術もなく暴力の前に屈する陽炎。
 ――陽炎さん――!
 言葉は、声どころか音にすらならない。
 ――もうやめて下さい――!
 もどかしい思いで、幻は陽炎に呼びかける。
 思念さえも届かないのか。あるいは、聞こえているのに彼女は戦うことをやめない?
 あれほどの傷を負っていながら――
「っ、……貴……炎……!」
 彼女の、食い縛った歯の間から漏れた声は貴炎への憎悪に満ちており、まだ戦意は喪失していないのだと知らしめる。
 二度も重力を無視した力に蹂躙され、陽炎の身体はほとんど限界に達していた。
 肋骨と内臓に損傷を受け、痩躯は軋み声を上げている。
 皮膚を裂かれ、そこから流れる血が黒い装束に染み込み、
 肺に穴でも開いたように、呼吸が荒い。
 もはや立てるか立てないかといった状態であろう陽炎は、それでも目を上げて貴炎を睨み据えた。
「まだ目は死んでおらぬようだな」
 貴炎の低い声が幻の鼓膜を刺激する。
 不快だ、と幻は思った。
 そして歯痒い。陽炎が死に瀕しているのを目前で見ていながら、彼にはどうすることもできない。
 単に干渉を許されていないというに留まらず、幻はもう一つの世界に捕らわれているのだ。その暗鬱とした空間が、闇が、膨大な情報が、彼を捕らえて離さない。
 貴炎に触れた一瞬、流れ込んできた大量の記憶を……
 大量の記憶が形作る世界を……
 幻は同時に見ている。
 この幻想を振り払わぬ限り、どうあっても幻は陽炎を助けることができない。
「一度は志を共にした貴様を殺すのも、惜しいといえば惜しい。しかし、だからこそ――貴様の死は我が地獄の完成に相応しいと思わぬか、夜切陽炎」
 死の気配を引き摺って、貴炎は一歩一歩陽炎に近づく。
 陽炎は創造したクナイを己の頚動脈に突きつけた。とても良くできたとはいえない代物だった。痛みに集中力を削がれているせいか。だが一思いに掻っ切りさえすれば、クナイは十分にその役割を果たすだろう。
「貴炎……貴様に……、拙者の呪血を……」
 苦しげに喘ぐ。
 貴炎の死の鉄槌が下されるよりも先に、クナイが彼女の喉を掻き切るかに見えた、――
 刹那。
 幻を捕らえていた糸が解けた。
 ――貴炎――!
 異界から解放された幻は、慟哭にも似た叫び声を上げて、人形師のがら空きの背中に突進した。
「幻殿……!?」
 陽炎の手からクナイが落ちた。
 そして、幻は、陽炎と同じように吹き飛ばされた。


    二

「幻殿――!」
 陽炎は痛みも忘れて絶叫した。
 彼女を二度も翻弄したあの力に、幻が耐え得るはずがなかった。
 幻は呻く。叩きつけられた拍子に目深に被ったフードがずれ、滅多に表へさらされない素顔が僅かに覗いていた。その表情は苦痛に歪んでいる。戦闘を生業としない彼が、気を失わずにいられただけでも僥倖だった。あれはそういう力だ。
 懐にベレッタを探り当てようとする。が、遅かった。
 幻は、貴炎にがっしりと頭を鷲掴みにされた。
「くっ……!」
 抵抗しようともがく行為が、余計に彼を苦しめている。
「その手を幻殿から離せ、貴炎!」
 陽炎は壁伝いに立ち上がり、幻と貴炎の間に割って入ろうとする。もう一歩も歩くことができないほどに身体はぼろぼろになっており、精神も消耗していた。
「貴様はそこで大人しくしているが良い。――地獄の完成に立ち会う権利をやろう」
 貴炎は唇の端を持ち上げた。「気分はどうだ、道化よ」
 幻は答えない。否、正確には答えられない。浅い呼吸を繰り返している。
「ようやく憎き敵に辿り着いた感想は?」
「僕の……」幻は切れ切れに答える。「僕のやることに……意味なんてない。理由も……感情も――」
「その通りだ」くっくと、人形師は喉の奥を鳴らす。「貴様のその意思も私が作った幻想にすぎぬ。故に、貴様はただの『幻』なのだ」
 貴炎の手が幻の心臓に伸びる。
 幻が観念するように目を閉じるのを、陽炎は見た。
 ――たとえ作り物の意思でも――、
 ふと、陽炎はそんな声を聞いた。
 幻が直接頭に話しかけてきているのだ、と陽炎はすぐに悟る。
 ――意味などないとしても――、
「幻殿……?」
 思念は研ぎ澄まされている。そして冷たかった。陽炎は当惑して捕らわれの幻を見た。
 ――貴方に感謝するこの気持ちだけは本物です、陽炎さん――
 陽炎ははっとして顔を上げた。
 閉じかけていたかに見えた幻の双眸が、冷たい光を湛えて貴炎を見据えていた。
「……それは貴方も同じです」
 幻の口から冷たい声が漏れたのは、そのときだった。
 その声の冷ややかさに、陽炎までもが悪寒を覚えた。
「何?」
 貴炎は片眉を上げて幻を睨みつける。あの男の心を揺らがすだけの響きが、幻の言葉にはあったのだ。
「貴方を殴りつけたとき、貴方の記憶が見えた」
 傍目にも貴炎が狼狽したのが見て取れた。
 貴炎の力が緩み、幻は解放される。幻は貴炎からやや距離を取り、淡々とした口調でつづける、
「僕の能力は死人にしか使うことができない」
 幻は手を顔の高さに掲げた。
 貴炎の目が、驚愕か、あるいはそれ以外の何かの感情によって大きく見開かれている。
「『記憶の残滓』、それが貴方の正体」幻は冷酷に言い放ち、闇色の男の腕をつかんだ。「貴方自身を『略奪』する」
 無慈悲な宣告。
 異界を支配していた力の流れが一気に変わった。
 色濃い闇の気配は、貴炎から幻へ流れていく。
 幻の体内に闇色の男の“死”が流れ込んでいく――そしてその死は、少しずつ、だが確実に幻を蝕んでいった。
「何を……!」
 貴炎が声を荒げた。あれほどの力を自在に操っていた男が、幻の腕を振り解けずにいる。
 それはあまりにも危険な行為だった。
 一個人そのものを『略奪』するなど……、そのような無茶な力の行使をして、幻が無事でいられる保証があるのだろうか。
 あの人形師ですら、生贄を用いなければならなかった地獄を、
 完成させようというのか。
 外的な変化は目に見えなくとも、陽炎は、貴炎という男の存在が幻の中へ流れていくのを感じることができた。
 脳は黒く変色し、心臓には呪文が刻まれる。
 背中には貴炎の死の象徴であろう、捻れた角を持つ水牛の刺青が浮かび上がる。
 バキン、という鈍い音を夜切陽炎は聞いた。
 五つの地獄が揃い、幻が不老不死を手に入れた瞬間の、その音を。
「な……」
 目の当たりにしている光景を俄かには信ずることができない。
 それは貴炎も同じだったろう。
 むしろ、最後の最後まで地獄の完成を疑わなかったその男が、誰よりも困惑しているに違いなかった。
「道化が……」
 貴炎の身体に亀裂が走る。
「私の異界ごと奪ったというのか!」
 幻からすべてを奪い、そして奪い返された男は、驚愕と絶望が半々に入り混じった声を上げた。
「終わりだ」
 幻が宣言する。
 貴炎の体内に幻がいた。あぎとのような目を光らせて。
 闇色の男の身体に真一文字に走った傷が一気に裂け、
 ――赤黒い血の雨が、世界を染めた。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
雨宮玲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年09月22日

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