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『戻れない場所から切り取られた風景 』
リネア・ヴェディアント2368

 澄み切った青空。
 透明で柔らかな日差しを注ぐ陽は空高く上り、歩き続けて来た道は乾き、長くリネア・ヴェディアントの前後に伸びている。立ち止まった足に感じるのはずしりと重たい疲労。何気なく空を見上げて、澄み渡る空の青さに一息つくのもいいだろうかと思い視線を巡らせると、それまで気にもとめなかった光景が自分を包み込むようにそこにあることに気がついた。
 目的もなく彷徨う日々のなかで辺りの風景に身を任せ、ただそこにあることを受け止めるように眺めたことなどなかったような気がする。ただ前だけを見て歩き続けて来た日々だった。懐かしさや淋しさを感じることもなく、何に追い立てられているというわけでもないというのにがむしゃらに歩いて来た日々のなかにこんなにも鮮やかな光景があっただろうか。
 細く吐息を零して、リネアは自分が立ち尽くしていた道をそれる。すくっと空に向かって伸びる大木の下の木陰に近づき、その下にそっと躰を滑り込ませて腰を下ろすと自然と躰が休息を求めているということがわかった。脱力した躰はごつごつとして、それでいてどこか温かみのある木の幹に吸い寄せられて、まるで心から休息を求めていたことを伝えるかのようにリネアに安息を与える。
「……疲れた」
 思いがけず言葉が漏れて、導かれるようにして生じた苦笑が唇の端を飾る。
 ゆっくりとした時間の流れがひどくやさしかった。今はただ流れに身を任せてどんなものにも焦ることもなく、安らかな心地に浸ればいいと云っているような滑らかに流れる時間が肌に感じられる。さらさらと揺れる葉の音がまるで子守唄のように温かく、重なり合う葉の影に隠れているのであろう小鳥のさえずりはささやかな物語を紡ぐようだった。
 リネアは目蓋を閉じて、幹に頭を預けてこんな安息は随分昔になくしてきたものだと思った。否、初めからこんな安息とは隔てられていたのかもしれない。覚えているのは過去の風景。目蓋の裏の闇に浮かぶのは、切り取られた村の風景だけだ。そのなかに自分の姿はない。自分だけではなく、家族の姿も、友人と呼べる者の姿もない。ただ風景だけが、涙が溢れるほどの美しさと共に残されている。閉じ込められた檻の、格子の向こうにあった風景。それは独り、監視の目のもとで生きなければならなかったリネアにとって心安らぐものだったのだということに今更ながらに気付く。
 たとえどんなに暗く冷たい時間を過ごした場所であっても、あの場所が自分の故郷であることは変わらない。
 小さな村だった。
 白い幹の枝と鮮やかで透けるような薄い緑の葉が茂る美しい木々に囲まれた村。古い法を守り、逃れることのできない因習に縛られていた。微笑みと平穏な空気に満たされ、争いごととは一切無縁なささやかな平和を慈しむ村だった。
 だからこそ自分のような者は受け入れられなかったのだろう。
 今だからわかる。平和などささいなことで崩れていく。なんでもないことだと思っていたようなことが、いとも簡単に平和というささやかで愛すべきものを奪っていくのだ。
 だからといって村が自分にしてきたことを許せるのかといったら、答えは出ない。
 けれど今感じている想い。それを懐かしさとして受け入れることはできる気がした。
 しかし同時にそんな自分に違和感を覚えもする。
「村が厭で出たというのに、未だに忘れられないというのか……」
 呟きは本音を音にする。
 自然が生み出す温かな音のなかに絶望的に響く声は冷たい。
 銀の瞳に白い肌、銀の髪を持つ種族のもとに生まれながら、リネアの瞳以外はそれとは馴染まない。艶やかな黒い髪も健康的な小麦色の肌も、明らかにリネアが異端であることを伝えていた。生まれた刹那、両親は一体どんな思いで自分を見たのか。考えるだけで絶望的な思いを抱く。
 この世に生れ落ちたその時から虐げられ、疎んじられることを約束されていた。疎んじられながらも村を出ることは赦されず、まるで初めからなかった者とするかのごとく檻のなかに閉じ込められた。格子の外には常に監視の目。感情のない硝子球のような目が常にリネアを監視し、少しでも妙な行動をとれば何をされるのかわからない不安を感じていた。
 何かに押し潰されそうだった。一体なんであるのかはわからない。けれどあの頃のリネアを包み込んでいた総てが、時分を押し潰そうとしているように感じられたのだ。
 格子の外の風景があまりに美しいものだったから余計に、自分が置かれた薄暗い場所にどうしようもない絶望にも似た何かを感じたのかもしれない。まだ十にも満たない時分からずっと、死が寄り添っているような心地で日々を過ごしていた。いつか殺されるかもしれないとさえ思っていた。
 だから十を数えた時に神域を犯すという最大の禁忌を犯す決断をしたのだ。人目を掻い潜り、追手を振り切って、自由がなんであるのかもわからなかったというのにただ自由という漠然としたものを求めて手を伸ばした。檻のなかにいては掴み取れないものを自らの手で掴み取ることしか考えられなかった。
 幼すぎたかもしれないと思う。
 けれどあのまま茫漠とした時間にただただ流されていくにはもう我慢の限界だった。
 思い出されるもののなかに肌の温もりはない。 
 両親さえも触れることはなかった。
 常に肌に感じていたのは檻の無機質な冷たさだけ。
 人がやさしいものであるということさえ知らなかった。
 ずっと独りで、淋しさを抱えて生きていかなければならないのだと思い込んでさえいた。
「……親でさえ、触れもしなかった」
 呟くと、あの村では誰も自分の存在を望みはしなかったということを思い出す。
 幼い頃、ずっとそれだけを抱えてきた。小さな檻のなかで、手を伸ばしても空を切る淋しさに包まれて誰にも望まれないならどうしてここにいるのだろうかと途方もない自問を繰り返し続けた。
 もう二度と村に迎え入れられることはないだろう。
 けれどどこかであの場所に戻りたいと思っているのかもしれないような気もする。
 いつかあの村で自分が望まれた存在だということを確かめるために、今こうしてここにいるのかもしれないと思うのはただの感傷なのだろうか。
 本当の答えなどわからない。
 ただ懐かしさだけが明瞭だ。
 遠く記憶の彼方に霞むからこそ懐かしく感じているだけなのかもしれないと思う心と、帰る場所を失ったわけではないという心がせめぎあう。似た風景の中に身を預けて、そのなかに過去を見て、とりとめがなく触れられないものだからこそ懐かしく思うだけなのかもしれないと思っても答えが出るわけではない。
 これからもずっと繰り返していくことになるだろう。
 行く先々で触れる人のやさしさに触れて、人恋しさを感じる度に。自分は決して独りではないのだということを確認する度に。似たような風景の中に身を預けて、どうしようもない疲労を蓄積した躰を明け渡すその度に、何度でも自らの手で捨てた村を思う筈だ。
 目蓋を開くと透明な光が銀色の瞳を突く。
 ぼんやりと輪郭をぼかす風景を眼前に確かめ、繰り返す自問は永遠に自分と共にあることだろうとリネアは思った。
 この瞳の色が変わることがない限り、いつまでもあの村を忘れることはかなわない。
 たとえ自らの意思で追放されることを望んだのだとしても、あの美しい場所が故郷であることは変わらない。
 だから今は懐かしさと共に暫しの休息に浸ろうと思う。自らの意思で失ったものを遠くに感じながら、それに浸って、出口のない迷宮を彷徨うように考えることなどはせずに、ただ純粋にその懐かしさに触れていよう。


PCシチュエーションノベル(シングル) -
沓澤佳純 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2004年09月17日

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