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『そのココロも共に 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)


 清らな水音に心癒されるのは、決して己が本性のせいだけではないだろう。
 乾いた本の表紙を指が辿り、同時に流れ込んでくる情報の波になかば身を任せるようにして、室の主であるセレスティ・カーニンガムは午後の読書を楽しんでいる――一見、そう見えたが。時折整った指先がトンと表紙を叩いたり、情報の読み取りが断続的だったりと、集中できていない様子が窺える。その最たる表れが、
「水芸の稽古ですか」
 部下の声に重なるようにまた続く、ぱしゃり、と小さな水の音である。
 モーリス・ラジアルは、視線を手にした書類から傍の棚に置かれた花瓶へと移す。飛沫が戯れている。水は花を中心に螺旋を描いて宙に昇ったかと思えば、くるりと花弁の周りで舞い再び元の瓶に戻る。
 水滴にそんな器用な芸をさせている主を見遣り、
「セレスティ様?」
 常なら、主の読書の時間を邪魔するような不粋なことはしない。
 しかし穏やかに保たれているはずの時間がそうではないことを知って、静かな声をセレスティの背に掛けた。
 呼ばれ、それが合図とでもいうようにセレスティは嘆息すると、車椅子を操作してモーリスを振り向いた。動きに、肩を背を流れる銀の髪が僅かな陽光を弾いて輝く。
「随分と、ご機嫌斜めのようですね」
 モーリスの言葉に、セレスティは常にゆるく笑みの形を作っている美貌に、微かに苦笑を滲ませた。
「そんなことは、ありませんよ」
「私が伺う前に、どなたかお見えになっていたようですが?」
 セレスティは答えなかった。
 代わりとばかりに水音が再び遊ぶ。
 ぱしゃ、ぱしゃん、
 と、幾度かに分けられて落ちた水滴が、静かな書斎に涼を齎す。もっとも、主を慮って室温はあらかじめ低めに設定されてはいたが。
「……彼の様子はどうですか」
 セレスティはようやく水の戯れを止めると、話題を変えた風を装い、モーリスに問い返す。『彼』は、セレスティのご機嫌斜めの理由と関係があった。モーリスはそれに気付いているのか、ふっと笑みを浮かべ――唐突な問いの『彼』が誰を指すのかはすぐさま分かったようだ――しかしそれについては追及せずに答えを口にする。
「元気ですよ」
「傷は」
「深い傷はさすがにもう少し完治に時間が掛かりそうですが、比較的浅いものは既に痕すら消えています」
「痕も、ないのですか……?」
 ええ、と頷いたモーリスから視線を外すと、セレスティは思案するように指で唇をなぞる。
『彼』は、先日草間興信所を通して請け負った調査依頼の依頼主である。自分で自分を傷付ける、という怪奇現象に見舞われた青年は、成人しているにも係わらず中学生の頃からほとんど成長していない身体や、異様な治癒能力など、人間とは違った自分の存在に戸惑っていた。モーリスは医師として、依頼解決後も彼と交遊を深めているらしい。
「医師として、だけなら良いのですけれど」
 ふと過ぎった部下のいつもの癖、というより性格に、セレスティはそんな呟きを洩らす。
 モーリスは意味ありげに笑みを深くした。
「勿論ですよ。……ただ、素直に診察に応じてくれない時に、少しからかっているだけです」
 少し。
 からかっている。
 だけ。
 ――セレスティは溜息を落とすと、
「遊びもほどほどに。あまり彼をいじめすぎないでくださいね」
 彼の置かれている状況を察したが、軽く窘めるだけに止めた。部下のプライベートの問題だからと割り切っているのだ。それに過ぎた戯れをいまだ不安定な状態である彼に強いることはないだろう。……多少、トラウマにはなるかもしれないが。
 とりあえず今後しばらくはモーリスに定期的に彼の様子を聞くことにした。
(……彼に関しては、他にも気になることがありますしね)
 先ほどモーリスが指摘した来訪者の件も含めて。
 思い出すと、また微かな苛立ちが湧いてくるような心地がする。
 セレスティはなにか気分転換になることはないか、と考えを巡らし、休日に行おうとしていたことを、ひとつひとつ思い出しては択んでゆく。そのほとんどが、ある女性に係わる事柄であることに気付くと、それだけでセレスティの胸の裡には甘くあたたかな風が吹いた。
「……モーリス」
「はい」
「買い物に、付き合ってくれませんか」

 ***

 カチャリと、磁器の触れ合う音が耳に心地好い。
 セレスティとモーリスは、セレスティの恋人へ贈る可愛らしい家に合う、食器類を購入しに店を訪れていた。
 店員の案内で店内に並ぶいくつかの棚を前に、相応しい品をゆっくりと探し求める。並ぶ食器の形や色合い、描かれた絵柄。様々あれど、そのどれもが素晴らしいもので、あらゆる状況を考えていっそ眼に留まったものすべてを購入してしまおうかとさえ考えた。
 たとえば、今セレスティが手にしているマロンの深い色合いが美しい皿は、室内でディナーを楽しむ際、きっと橙色の灯りに映えて、食事を一層楽しませてくれるに違いない。なによりこの色は、彼女の瞳の色によく似ている――。
 傍らからセレスティの手許の皿を同じように見るモーリスは、主の視線と表情で、それを察したようだった。
「その皿にいたしますか?」
「ええ、そうですね。これは候補に」
「セレスティ様、私も店内を少し見て回っても?」
「構いませんが……モーリスも、なにか買うものが?」
「セレスティ様の大切な想い人でいらっしゃいますからね。私からも、なにか贈らせていただこうかと」
 言葉だけなら大変好意的に取れるのだが、部下と自らの恋人との不仲を知っているセレスティは、軽く息を吐いた。主の了承を得たモーリスは、笑顔で一礼して別の棚を覘きにゆく。
 どんなものを、贈るつもりでいるのだろうか。
 少なくとも、セレスティが選んでいるような、彼女とその家に合う可愛らしい食器を素直に贈るような男ではないだろう。
(まあ、彼女に失礼になるようなものは贈らないでしょうし)
 セレスティはそう思い直して、店員を振り向いた。
「こちらを、いただけますか」
 マロン色の皿のセットを示し、店員の説明を聞く。ボーンチャイナの皿には、縁を囲む色の他には柄がない。先ほど愛らしい苺柄や小花の散るティーカップを見たのだが、あえてシンプルなデザインの、色合いや素材に気を配られたものを中心に択んでいた。
 花ならば、庭園にある。
 テーブルの上に咲かせなくとも、窓の外に、あるいは屋外に設えられた庭園でならばふと傍を見れば、そこにはより鮮やかに薫る花々の姿があるのだ。
 店員は皿の縁を軽く指先で弾いた。高く澄んだ音が響く。セレスティはその音にも頷き、店員の勧めに応じて同色のポットやカップも揃えることにした。
「あとは、そうですね……白やピンクのものも、見せていただけますか」

 セレスティが一通り店内を廻り終えると、モーリスの方も贈り物を決めたところだったようだ。
「なにに、したのですか?」
「これですよ」
 モーリスの前にあったのはペアのカップアンドソーサー。どのようなものかより詳しく知ってもらうためにと、モーリスはセレスティにカップを手渡した。
「これは……」
 幾分、装飾過多なようだ。
 持ち手の部分に、金色の蔦が優美な線を描いて絡みついている。いや、絡んでいるというよりは覆っているといった方が相応しい。蔦自体が把手となっているのだ。蔦の間に開いた隙間に、指を掛けて使うものなのだろうが、
「……少々、困りますね」
 小さく笑んだ。
 このティーカップ、どこを持てば良いのか分からないのである。
「これを、彼女に?」
「本来は観賞用なのだそうです。ティータイムには私自ら、そのカップで紅茶を淹れて差し上げようかと思いまして」
「困るでしょうね、彼女は」
 呆れたように言うセレスティに、モーリスはふふっと楽しげに笑う。
 セレスティの前で出された紅茶を飲まないわけにもいかず、どこに指を添えるべきか迷うティーカップと奮闘する――そんな彼女の姿が見れるかもしれない。
「……そういうものも、たまには良いでしょうか」
 閉じた瞼の裏、ころころと変わる彼女の表情が浮かぶ。微笑んだ。
 手のなかのティーカップの感触を改めて確かめる。鑑賞用というだけあって細工は見事だ。ひどく綺麗で繊細に見えるのに、こうして触れてみると容易には損なわれぬしっかりとした造りなのだと知れる。そして、使おうとすれば悪戯心を垣間見せるのだ。
(誰かに、似ているかもしれませんね)
 ふとそんなことを思いながら、店員にこのカップも併せて包装してくれるように頼んだ。
 やがて完成した家の食器棚に、本日購入した皿やカップたちが並ぶだろう。
 戀人への愛しきオモイと、ほんの少しの悪戯ゴコロと共に。


 <了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
香方瑛里 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年09月15日

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