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『恋の季節 』
楓・兵衛3940

 拙者、既に齢六歳を過ぎ、酸いも甘いも人生の慶びも哀しみも全て味わい尽くしたと言っても過言ではないでござる。とは言え、まだまだ修行の途中の身、我が個人的な欲などは二の次、三の次でござる。趣味?遊び?勉強?そんなものは子供のする事でござる。ましてや、色恋沙汰などもってのほか。かようなものにうつつを抜かしているようでは、兵法師として恥を知らぬと言うより他ないでござる。拙者はそのようなうつけものとは違う、日々の大半を修行と鍛錬に費やしておる拙者が……。
 何故っ、何故にかような事態に陥ったのでござるかっ!?
 …しかし、これが恋と言うものでござろうか…拙者、これまでの人生には感じた事のない胸の高鳴りを感じているでござる。己を律しようとすればする程、拙者の目は引き寄せられていく。まるで、幻術かあやかしに出会ったかのようでござる。冷静沈着を旨とする拙者の鼓動は、かの場所へと近付くにつれて早く激しくなり、その前を通り過ぎる段になってそれは最高潮に達するのでござる。暖簾の向こうに見える、切り揃えられた前髪の涼やかさ、身に纏った小花柄の可憐さに、拙者は比喩ではく、心臓が口から飛び出しそうになり、そして通り過ぎてその気配が徐々に消えていくに従って、拙者は謂われようのない哀しみに捉われるのでござる。寝ても覚めても、と世の人は言うが、それが決して大袈裟な例えではない事を、拙者は身を持って知ったのでござる。愛刀・斬甲剣の柄を握り締め、拙者は必死でこの胸のトキメキを抑えるしかなかったのでござる。
 ああ、誰ぞ、拙者に教えてはくれぬだろうか?拙者の想いを伝える術を、そして、可憐なあの笑顔を、我がものにする術を!

 ……なーんて事を、兵衛は日々悶々とぐるぐる何度も何度も繰り返して頭の中で反芻していた。一回の思考につき要する時間はおよそ0.62秒。コンマ以下の短い時間内で、上記以上の膨大な量の想いを延々噛み締めているのである。それだけ、兵衛にとっては今回の心情の変化は、まさに青天の霹靂、寝耳に水、拾った宝くじが三億円、であったのだ。

 それは今から少し前の事。いつものように小学校からの帰り道、放課後の貴重な時間を、何の鍛錬に当てようかと思案しながら歩いていた時の事である。
 いつもとは違う道を、何とはなしに選んだ兵衛であったが、今から思えばあれが運命の分かれ道…ではなく、運命の出会いへの第一歩であったに違いない。周囲に人気のない、静かな道、そこにあったのは思いっきり場違いな何かの屋台。客の入りが殆ど臨めないような場所であるにも係わらず、その屋台からは目には見えない活気が漂ってくる。ついでに、大変食欲をそそる出汁の香りも。兵衛は前者のそれに興味を惹かれ(決して空腹であったからではない、と兵衛は言い張っている)彼は遠目から屋台の中を覗き込んだのである。
 その瞬間、まさに兵衛の全身を、稲妻が駆け抜けた。頭の天辺に落雷をし、そのまま足から地面へと電気が逃げたぐらいの勢いだ。それが事実なら兵衛は確実に即死だが、ある意味で、それは正解であった。兵衛はまさに、恋に魂を抜かれたのである。
 このクソ暑いのに、売れるとは到底思えぬのに、おでんの仕込みに熱中する少女。穢れのない額の汗を拭きつつ、茹でた卵の殻を剥いていた、その白魚の如き指先。純情可憐な項。身に纏った小花柄の着物でさえ、兵衛を魅了して止まなかった。歩く事を忘れた兵衛が、呆然と彼女に見蕩れている事にさえ気付かず、少女は黙々と屋台開店の準備を進めていた。ようやく我に返り、ふらふらと覚束ない足取りで、逃げるようにその場を立ち去った兵衛であったが、それ以降、少女の面影は脳裏から片時も離れる事は無く、想いは募る一方なのであった。

 女性は苦手で、そう言う点に置いては奥手な兵衛とは言え、元は元気な小学一年生。更に、いつまでもうろうろと動物園の熊のように、その辺を歩き回っている己自身にも呆れたか、ついには一大決心を、何とか彼女に自己アピールせねば、と思い切ったのである。
 「…とは言え、…拙者、修行に明け暮れる毎日故、如何様にすれば女性と知己の間柄になれるか分からぬでござる。かような時、頼りになる友人もおらぬ。はてさて、如何致すでござるか…」
 で、如何したかと言うと、兵衛は本屋に走ったのである。

 【これであなたも恋の勝ち組!お目当てのアイツ、ハートを確実にゲッチューvする技百選!】

 そんな見出しの女性月刊誌を見つけ、人目を盗んで立ち読みする小学一年生。見るからに目立ちそうで、すぐに店主に注意されそうな場面だが、兵衛の持つ、妙に渋い雰囲気が彼の身長以上に見た目を大きくさせ、何とか摘発?は免れていた。
 【オトコはオンナの色気に弱いもの。セクシーキュートなボディは惜しみなく曝け出そう!】
 「…と申されても、拙者は男故…しかも、かようなはしたない格好など拙者の望む所ではない!」
 【やっぱり何と言っても手料理攻撃!おふくろの味にオトコノコは弱いゾ】
 「おでんを商いとしている女性に対し、手料理は…厭味にはならぬでござろうか…」
 【オンナノコはちょっとドジなぐらいがカワイイよ♪あからさまにならない程度にコケティッシュなドジを演出しよう】
 「…それでは騙し討ちと同じではないか……!かような卑怯な真似、拙者には出来ぬでござる!」
 と言うか、それで男が落とせると、本当にこの雑誌の編集者が思っていたとするならば、世の男性も舐められたものである。それ以前の問題として、兵衛が参考にする資料としては女性雑誌は余りに不適切であったが。だが、そのしょーもない百選のうちのひとつだけ、兵衛の目を惹き、且つ真っ当なアドバイスがあったのだ。
 【なんと言っても輝いてるあなたが一番!自分の得意とするものをもっと伸ばしてアピールしよう】
 「…得意…とするもの…でござるか……」
 兵衛の得意とするもの。兵衛は、傍らに常に携えている、宝刀の柄を握り締めた。

 これでござる!


 場面は変わって、ここは兵衛お気に入りの修行の場。自宅近くの寂れた神社の境内である。
 ザシュッ!
 小気味いい音がして、地面に置いた大鍋の中に、何かがぽちゃんと落ちた。水を張った鍋に浮かんでいるのは、幅五センチ程の輪切りにされた大根。音も無く斬甲剣を鞘に仕舞い、チン、と鯉口が閉じる音をさせた瞬間、鍋の中の大根は、くるりと皮が剥けて仕込み完了、となった。
 「…まだ皮剥きの厚さが甘いでござる……食材を大切にする気持ち、それが見られないようでは何の意味もないでござる」
 口をへの字にして兵衛は首を緩く左右に振る。剥けた大根の皮は、向こうが透けて見える程に薄く均一なのだが、兵衛には満足できる出来ではなかったらしい。
 続いてははんぺん、おでんの定番である。こちらは難なく己自身で課した程度をクリア、続く茹で卵の殻剥き、じゃがいもの皮剥き、牛すじの串刺し(刀でやる必要があるかどうかはともかく、と言うか出来るのか?)等、日頃鍛錬を積んでいる兵衛にとっては、どれも他愛もない事であった。

 が。

 ザン!
 斬甲剣の切っ先が煌く。が、その輝きが一瞬鈍ったかと思うと、宙を舞ったそれは、投げられる前と全く同じ形のまま、べちょりと地面に叩きつけられた。
 「………ッく……!」
 悔しげに下唇を噛み締める兵衛。また同じものを宙へと放り投げ、一度は鞘に納めた愛刀を構える。目にも留まらぬ速さで居合い抜きを、刀は確実にそれを捉えた筈だった。
 べちょ。
 くゎん、と撓みながらそれはまた地面の落ちる。勿論、一筋の傷さえない。
 「…やはり…蒟蒻は切れぬでござるか……」
 兵衛の顔が歪む。脳裏に、おでんの花形である蒟蒻が切れない兵衛に、憐れみと期待外れの視線を投げ掛ける、かの少女の顔が浮かんだ。
 「由々しき問題でござる…蒟蒻のないおでんなど、骨のないカニカマボコと同じでござる!!」
 いや、カニカマには最初から骨はないから。
 がっくりと膝を折り、地面に両手を突く兵衛。未だ嘗て無い程の敗北感が、彼を押し潰さんとしていた。
 その時である。
 俯く兵衛の視界の端に、何者かの影が映る。その足は少女のもので、可愛い赤い鼻緒の下駄を履いている。兵衛は咄嗟に、あのおでん屋台の少女を思い浮かべ、勢いよく顔を上げた。
 が、そこにいたのはかの想い人ではなく、年の功は同じ頃だろうか、切り揃えた髪と幼い容姿とは裏腹に、ものを悟った目をした見知らぬ少女が立っていたのである。それは勿論、あやかし荘の嬉璃である。
 「…貴殿は……」
 「皆まで言わずとも良い。おんしの心の内は、全て分かっておる」
 嬉璃は大仰に頷き、兵衛の前に膝を突く。そして彼の手に、何かを握らせた。
 「…これは……」
 「案ずるな。おんしの腕なら、成し遂げられる筈ぢゃ」
 深く頷き立ち上がると、では、とそれ以上は何も言わずに立ち去っていく。兵衛は、改めて己の手の中にあるものを見詰めた。
 「これは…包丁……?」
 確かに、斬甲剣では切れぬ蒟蒻も、包丁なら切れるであろう。
 が、剣士に包丁とは……。幾らこの包丁が使い込まれ、研ぎ澄まされていると言っても。
 しかもこれは、どこからどう見ても菜っ切り包丁。
 ……どうせよと。

 夕暮れが近付く神社の境内、手渡された包丁を手に、ぴくりとも動けぬ純情であった。



つづく?
PCシチュエーションノベル(シングル) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年09月14日

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