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『『 秋風にかきなす琴のこゑにさへ はかなく人の恋しかるらむ 』 』
橘・沙羅2489


 9月の終わり、もう月の前半には聞こえていたセミの鳴き声は、聞こえない。
 夏休み終了と同時に始まった学園祭の準備も終わり、準備の方がどこかしら楽しかったその本番も終わって、あとは然したるイベントも無い退屈な2学期。
 今日も授業。
 明日も授業。
 明後日も授業。
 授業ばかりの毎日。
 えっ? 学業が学生の本分?
 …………うっ、沙羅には聞こえない。
「と、いうのか、授業に集中できないのかな?」
 そんな事を沙羅はぼんやりと口にした。
 これはね、ものすごく茫洋な想い。
 気持ち、感覚。
 どこか………



 ――――――そう、それはどこか朝起きた時の感覚に似ているの。
 夢を見たその覚えはあるのだけど、
 でもその見た夢の内容は覚えてはいない。
 それはどんな夢だったのだろう?
 それを見ていた沙羅は幸せだった?
 それを見ていた沙羅は哀しんでいた?
 そういうのを沙羅は考える。
 ただ夢を見た事だけを覚えているだけの沙羅は明るい朝日を浴びながら、その朝を謳う歌を唄うすずめの声を聞きながら、涙を流すの。
 見た夢を、だけど思い出せぬ夢を想って。
 それが哀しいのか、嬉しいのかわらない、ただ茫洋な形をなさない想いだけがあって…



 そんな想いをうちに孕む沙羅の胸はその感覚すらも茫洋で、だからそれが痛いのか、くすぐったいのか、そういう感覚すらもわからなくって、だから………



 そう、沙羅の心は今、迷子になっているの?
 ――――迷子? それた道を見つけた時、その道の先にあるモノは、なに?



 沙羅の席は窓側の前から3番目。誰もが羨ましがる席。
 ほんの少し開けられた窓の隙間から吹き込んでくる風にこげ茶色の少しウェーブがかった髪を揺らしながら頬杖ついて沙羅は溜息を吐いた。
 今は5時間目。一日の授業で2番目にキツイ時間帯。無論、1番は4時間目。
「ふぅいー」
 と、退屈な古文の授業はそっちのけで沙羅は窓の向こうの風景に視線もぼんやりとした意識も向けている。
 探し物は自分の心。
 迷子の心。
 沙羅の知らない沙羅。
 ―――――――あなたは誰ですか?



 +++


「がんばってねー、沙羅ぁー。また明日♪」
「はいはい」
 沙羅はどこか楽しそうに手を振って沙羅にさようなの挨拶をして帰っていく友達にあっかんべーをすると、ふぅーっと溜息を吐いて、机に突っ伏した。
 胸にある沙羅にはわからない沙羅の想いの事を考えていたら、そしたら沙羅は古文の先生に当てられて、質問に答えられなくなって、それで苦笑する先生にただ一言、「居残りね、橘さん」だなんて言われて、
 ――――――それで今に居たる、ぶぅー。
「嘆いていてもしょうがないか」
 全開にしてある窓から入ってくる風に飛ばされてしまわないように机から出したプリントを机の上に乗せてペン入れで押さえながら、沙羅はまた吐いた溜息で前髪を浮かしながらプリントに視線を走らせた。去年の一学期の期末テストらしいそれはちんぷんかんぷんだ。テキスト自体は沙羅たちの使っているのと変わらないからやってる中身は同じなんだけど………
「吐血しそう〜」
 頬杖ついて、シャーペン握って、プリントに橘沙羅って、沙羅の名前を書いて、そして手は止まる。
 わからない。
 無理だ。
 覚えていない。
 ……………。
「はふぅー」
 吐いた吐息は形をなさない。
 今、沙羅の胸にあるモノと同じ。
 沙羅はまた窓の外を現実逃避するように見た。
 もうだいぶ日も傾き始めて、空はすみれ色をなしている。
 とても綺麗な、空。



「あっ…」



 そして思わず想ってしまった事に沙羅は顔を真っ赤にしてしまった。
 だって、だって、だって沙羅ってば、その空をあの人も見ているのかな? 
 ―――――ってそう想ってしまったから。



 今までの一番は、従姉妹同士で双子のように仲の良かった娘。
 ――――ううん、それは今も変わっては、いない。
 その後の順位というか友人や家族を大切だ、って想う気持ちもそのままなの。
 だけどね、その胸に抱く想いはその想いとはまた別なの。



 そう、このすみれ色の空を見ているかな?
 一番に思い浮かべたのはあの人の顔。
 彼女でも、
 彼女たちでも、
 家族でもない人。
 出会ったのは従姉妹の喫茶店。
 まだ少ししかお話をしたことがないその人。
 だけど会う度に沙羅は想うの。ああ、沙羅は普段以上に舞い上がっているって。
 ―――――その時の想いは、
 なんだか嬉しくって、
 なんだか恥ずかしくって、
 なんだか幸せで、
 とても嬉しいたくさんの色で、塗り染められるの、心が。
 胸のうちがぽぉーっと温かくなって、
 なんだか灯火が灯っているようで、
 そこは本当に温かくって、暗くない明るい世界。



 あれ?



 迷子になっている心は、
 その場に座り込んで、
 両腕で両足を抱え込んで、
 抱えた足に顔を埋めていたんだけど、
 その迷子になっていた心を、
 沙羅の知らない沙羅が触れた。
 ―――――触れた。頭を撫でてくれた。その瞬間に沙羅ははっとしたの。何かがほんの一瞬、見えたような気がして。



 ―――――――だけど・・・



「さあ、プリントしなくっちゃ!!!」
 ―――――――沙羅はその見えかけた、
 目の前にぽぉう、っと灯ったその明かりに伸ばしかけた手を、
 引っ込めた。
 指先に感じたその光りの温かみが沙羅の心を苛むけど、
 だけど沙羅はその手を引っ込めて、
 その温かみを忘れる努力をするの。
 それがどういう事かわからないけど、
 だけど心はまた迷子に、なった。
 …………。



 +++


「はぁー、沙羅ってば重症だわ」
「そんなに、言わなくっても…」
「よかったわね、先生にばれなくって」
「うん」
「ばれていたらプリント一枚で終わらなかったよ? 先生の持っているMOの中に入ってるテストのすべてをやらされていたかも」
「うはぁ〜、それは、嫌だな」
「とにかくはい、あたしの辞書を貸してあげるから、使って」
「すみません、部長」
「はいはい」
 古文の授業では必ず辞書は持ってこないといけない事になっている。だけど沙羅はその辞書を家に忘れてしまっていた。
 沙羅は合唱部に所属していて、今日はその活動があって、だけどちっとも練習に来ない沙羅を部長が見に来てくれたのだ。
「ってか、沙羅」
「はい?」
「部長はやめようよ。あたしはもう引退しているんだから」
 元部長はにこりと笑って言った。とても気さくで明るい彼女はとても頼りになって、同級生や後輩からもものすごく慕われていて、バレンタインには毎年たくさんのチョコレートをもらっていた。かくゆうこの沙羅も彼女のファンのひとりだったりする。
「すみません、先輩、ご迷惑をかけて」
「いいのよ。それよりも12月の大会は楽しみだね」
「はい」
 沙羅たち合唱部は地区大会、県大会を経て、全国大会へと進んだのだ。だから当然3年生もまだ合唱部には参加していて、それが沙羅にはとても嬉しい。
「あ、沙羅、ここ、違う。ここはね、この…って、沙羅、聞いている?」
「あ、はい、聞いてます。聞いてます」
 すみれ色の空をやっぱりあの人も見ているのかなー、などと想いながら見ていた沙羅は慌てて先輩の方を向いてこくこくと頷いて、その沙羅に先輩は苦笑を浮かべた。
 そしてその後に先輩は口元に手をあててくすくすと笑った。
 何がそんなに面白いのか沙羅は小首を傾げる。そしてその沙羅に先輩は、さらりとそれを口にした。
「秋風にかきなす琴のこゑにさへ はかなく人の恋しかるらむ」
「ほへ? それ、なんですか?」
 沙羅がそう言うと、先輩は沙羅の頭を撫でて、そしてそのまま顔を近づけて、そっと沙羅の耳に囁いた。
「秋風に誘われて誰かが掻き鳴らす琴の音にさえ、あの人が恋しく想われる、って、恋の歌。古今集に載ってる。今のあなたにぴったりかな、って」
「ほぇ?」
 そしてまた先輩はくすくすと笑った。
 とても楽しそうに。
「これは女子高の生徒の宿命かな? 付き合っちゃう女の子は女子高でも付き合っちゃうんだけど、まあ、女子高は華やかで、それでもって宝塚状態でもあるもんね。今度のバレンタインはいくつ貰えるんだろう? ちょうど、自宅待機に入る前日なんだよね、バレンタイン」
「あの先輩?」
 小首を傾げると、先輩は肩をすくめた。
「秘密の恋にしておくつもりだったのに、どうして私が恋をしているという噂はこんなにも早く広まってしまうのだろう?」
「へ? 先輩、恋をしてるんですか?」
「違う。これも昔の人が詠んだ歌の口語訳。わかっていないのは本人ばかり、って事だよね。面白いと想わない? 恋する女の態度は今も昔も変わらないのだから。まあさ、がんばりなさい。沙羅」
「へ、あ、はい、プリント、がんばって終わらせますね」
 沙羅がそう言うと先輩はまた何やらとても楽しそうに大声で笑った。
 そして目じりの端に溜まった涙を指で拭うと、先輩は赤い沈む夕日をとても綺麗な、同時にものすごく儚げな横顔を沙羅に見せながら見つめて、言葉を紡いだ。
「初恋は辛いよね」
「え?」
 ―――――初恋をした事が無い沙羅はどう言えばいいのかわからなくって困ってしまう。そもそも沙羅は女子高育ちのために男の人と話すのさえ苦手だし…。
「先輩は、した事あるんですよね?」
「あるよ」
「やっぱり辛かったですか?」
「うん」
「その人とは?」
「初恋は実らない、っていう言葉知ってる?」
「え、あ、すみません」
「いいって」
 先輩はにこりと笑った。
 そして沙羅はその先輩の笑みに悟ったの。
 ―――――ああ、その初恋は実らなかったけど、初めて大好きになった恋した人とは結ばれなかったけど、だけどその想いはとても大切で温かく綺麗な色となって、先輩の心を今も染めているんだな、って。
「先輩」
「ん?」
「沙羅もいつか先輩みたいな、初恋してみたいです」
 そしたら先輩はまた楽しそうに笑って、そして頬を膨らます沙羅にとても優しく微笑みながら言ってくれた。
「そうだね。沙羅はその人と結ばれるといいね」
 そして先輩は沙羅の額に口づけをして、
 額を両手で押さえて真っ赤になる沙羅に、
「おまじない」
 って、言って、そして今度は悪戯っ子のような顔で、プリントを指差して、
「なにはともあれまずはプリントをしましょう」
 と意地悪に言った。
 もちろん、沙羅は懇願する。
「な、なな。せ、先輩、教えてください」
「がんばりましょう、自力で」
「ぶぅー」
 そして頬を膨らませる沙羅とどうしてか恋の歌ばかりを詠う先輩はプリントに向った。



【ラスト】


 学校の校門の上で人形のような小さな妖精がお腹を抱えて座っている。
「どうしたの?」
「お、お腹が空いたでし」
「ほぇ? それは大変だ」
 沙羅は慌てて制服のポケットを叩いたんだけど、ビスケットは無かった。
 鞄の中にも何も食べるモノは無い。
「あー、えっと、もう少し我慢できる?」
「はい、でし」
「じゃあ、沙羅が喫茶店でケーキを奢ってあげる」
「わわ、本当でしか?」
「本当でしよ♪」
「うふぁー、ありがとうございますでし」
 顔をくしゃっとさせて喜ぶ彼女に沙羅も喜んで、沙羅はスノードロップの花の妖精を従姉妹の喫茶店に案内するの。
 ――――わずかばかりに彼もいるかな? なんて期待しながら。
 沙羅よりも年上で、遠い世界で活躍するあの人。
 彼の事を想うたびに胸のうちにある形を今はなさい茫洋な何かは、沙羅に茫洋な感触しか感じさせないけど、でも沙羅はそれを今はそれでいいと思えるようになった。それはプリントを古文の先生に提出して、職員室から音楽室へと向う廊下を歩きながら、先輩が言ってくれたから。



『沙羅の心が迷子になってるのは、沙羅がその迷子になっている感情の名前を知らないから。でもきっと沙羅はいつかその感情の名前を知るから、だから沙羅はね、その迷子になっている感情にこう語りかけてあげなさい。



 あなたはそこにいますか?



 って。そしてそこにいたのなら、その時はその迷子の心をぎゅっと抱きしめてあげて。その迷子の心の名前を知った時に、それが心に嬉しい色をつけてくれるようにね。今は焦らないで、それでいいんだよ』



 綺麗な音色を鈴虫やコオロギが奏で始めた9月の終わりの夕暮れ時、沙羅は小さな妖精さんを肩に乗せながら、空で瞬き始めた星を見上げながら、語りかける。



 あなたはそこにいますか?



 いつかその迷子の心の名前を知る事ができる日まで、沙羅はそうやって心に話し掛けるの。それがいつか先輩が言うように嬉しい色になるようにって。
 世界を満たす音色はものすごく美しく澄んで軽やかで綺麗な音色で、沙羅はその音色に合わせるかのように即興で作った歌を唄った。妖精さんと一緒に。もちろん、散々先輩に聞かされて耳に残った恋のフレーズを使った恋の歌を。



 あなたはそこにいますか?



 ― fin ―


 ++ライターより++

 こんにちは、橘・沙羅さま。
 はじめまして。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 プレイングでは嬉しいお言葉ありがとうございました。
 こちらも以前より沙羅さんの事は存じておりまして、逆ノミネートしてみたいPCさまのおひとりでしたので、こうしてノベルを書かせていただけて本当に嬉しいです。


 9月の終わり、気付いていない初恋、揺れ動く心、素敵なピースがたくさんありまして、それを組み立ててノベルを書くのは本当に楽しかったです。
 ちょっとおっとりというか元気いっぱいなお嬢さんになってしまいましたでしょうか。
 自分では形付けられない気持ちも先輩との触れ合いで、それをわからないながらも迷子の心の手を沙羅さんは繋げれたかな? という感じでしょうか。^^
 プレイングに書かれていたご希望に添えれていたらいいなーと想います。^^



 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 本当にありがとうございました。
 失礼します。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年09月14日

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