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『活字中毒シンドローム 』
来栖・琥珀3962


 ちちちちっ、とスズメの鳴き声が窓の外を通り抜け、閉められたカーテンの隙間から一筋の朝日が零れる。その光は、ベッドでうつ伏せに寝ている女性、来栖・琥珀(くるす・こはく)の髪を梳き、覚醒を促した。
「ふわっ?」
 暖かな熱に、琥珀ががばりと起き上がる。その拍子に、ベッドの周りに高く積み上げられていた本がバサバサと崩れ、琥珀は慌てて眼鏡を探した。見た目は細いが柔軟性のある強度の高いフレームの眼鏡をかけた琥珀は、散らばった本を見て溜息を吐く。
「……整理、しないとなぁ……」
 呟いて、琥珀は部屋を見渡した。決して広いとは言えない部屋に、まるで高層ビル群の模型の如く、沢山の本が積み上げられている。中にはバランスが悪かったようで、周りのビルも巻き込んで倒れてしまっているものもあった。数えれば百を越すのではないかと思われる本で、部屋が埋もれてしまっている。これでは整理というよりは掃除に近い。
 琥珀は寝癖でぼさぼさになったショートカットの髪をおざなりに手櫛で整えつつ、崩れてしまった本を踏まないように気を付けながらベッドを降りた。本と本の間にある小さな隙間に足を入れるため自然に爪先立ちになるが、琥珀は苦ともせずひょいひょいと進んでいく。そして部屋を出てドアをゆっくり静かに閉めると、中で本が倒れる音がしていないかどうかを確かめ、ほっと安堵の息を吐いた。

 琥珀の住むこの家は、古書店である。古い木造家屋に付けられた昔風の木の看板には、墨で『銀月堂』と書かれていた。一般的に読まれるような本から価値の高い稀少本、果ては普通の人間には扱えないような魔力のある本なども置いてある、一部の人間には垂涎の店である。
 琥珀は廊下を通り、店先を覗き込んだ。閉店中の札が出され、扉の閉まっている店には当たり前に人がいない。琥珀は少し悩んで、今日は一日閉店にしておこうと決めた。あの部屋にある本たちを何とかしなければならない。
 寝室にあった大量の本は、昨日琥珀が古書市にて買い込んで来た本である。何か昼食を買って来ようと町に出たところ、珍しく商店街で大きな古書市が開かれていて、ついふらふらと入ってしまったのだ。そして帰るときには両手が折れんばかりに大量の紙袋を持ち、財布はすっかり軽くなっていた。
「ああいう古書市って、掘り出し物が多いのよね……」
 先月も似たようなことをして食事に苦しい思いをしたことを思い出し、琥珀は洗面台に手を付いて溜息を吐く。とりあえず顔を洗って適当に髪に櫛を入れて寝癖を誤魔化すとキッチンに向かい、冷蔵庫から昨日買って来ていたサンドイッチを取り出した。それにパクつきながら寝室に戻り、何とか本を避けてタンスから服を引っ張り出す。サンドイッチを飲み込み、黒のカッターシャツとジーンズに着替えると、琥珀はシャツの袖を巻くって気合を入れた。
「よし。やるぞ」
 言って、散らばった本を纏める。とりあえずジャンルに関係なく適当に集めて、持ち切れるだけの本を持つと、琥珀は店先へと向かった。趣味で購入したものもあるが、大抵は店に置こうと買ってきたものである。琥珀の場合、店に置く前にまず自分が読まないと気が済まない性質のため、こうして寝室に本が散らばってしまうことになるのだ。昨日もその性質のお陰で寝室に本が運び込まれ、昼食も夕食も食べずに部屋に閉じこもったまま本を読み続けてそのまま眠り込んでしまったのだ。さっき食べたサンドイッチは、実は昨日の昼食用に買ったものだったりする。
 琥珀は持ってきた本を床に置くと、店の本棚を眺めた。開店してからずっと、本棚の中身に隙間が出来ることはなく、むしろ少しずつ増えている。決して売れていないというわけではなく、きちんと顧客もいるし、そこそこ売れてはいるのだが、本が売れて隙間が出来るたびに、本棚に入りきらなかった分の本が代わりに入ったり、また新しい本を買って来てしまったりするため、本棚の負担が軽くなることはない。今だってもうぎゅうぎゅう詰めで隙間はなく、琥珀は仕方ないと言わんばかりに本棚の上に詰まれた『在庫』と大きくマジックで書かれているダンボールに本を仕舞っていった。そのダンボールも、これで五つ目になる。
「もう一個出した方がいいかな」
 そう呟いて琥珀は置くに畳んで仕舞ってあったダンボールを取り出し、組み立て始めた。ダンボールは引越しのときにしか使わないような、ホームセンターで売られている最大のものである。琥珀はまた寝室から本を持ってくると、組み立てたダンボールにどんどん詰めていった。
「よいしょっと」
 そうして、寝室にあった三分の一ほどの本を詰め込まれたダンボールを、琥珀は一声かけて持ち上げる。その細身のどこにそんな力があるのかと疑うくらい簡単にダンボールは持ち上げられ、琥珀はガタガタと小刻みに揺れる脚立の上にバランスを取りながら乗って、本棚の上にダンボールを置いた。脚立を降りながら手についた誇りを叩いて、店内にある時計を見上げると、整理を始めてから既に一時間が経っている。
「とりあえず……お昼まで出来るところまでやって、お昼になったら一度休憩しよう。うん。」
 と、一人で決めて一人で納得して、琥珀は肩を回した。寝室にはまだまだ本がある。頑張って終らせて、せめて午後からは店を開けられるといいな。琥珀はそんなことを考えながら寝室と店の本棚とを往復した。
「……あともう少し」
 ふうっと溜息を吐いて、琥珀は額の汗を袖で拭う。寝室にある本はもう数えられるほどしか残っていなく、今持ってきた分をダンボールに詰めれば一段落出来ると、琥珀は気合を入れ直して本をダンボールに詰め込んだ。そして、そのダンボールを持ち上げ脚立に上り、本棚の上に置こうとした、そのとき。
「え? あ、あわ、あわわわわっ」
 元々ガタが来ていた脚立が、ダンボールのあまりの重さにバランスを崩し、琥珀の身体が大きく傾いだ。
「あわぁっ!」
 これにはどんなにバランスの優れた琥珀でも体勢を立て直すことは叶わず、琥珀は本の大量に詰まったダンボールとともに、派手な音を立てて床に落ちる。蓋の閉じていなかったダンボールからはドサドサと本が傾れ落ち、琥珀がぶつかった拍子に後ろの本棚からも本が飛び出して、尻餅をついた琥珀の頭にばさばさと降りかかった。
「あいた、いたたた……ぶ、文庫本ばっかりで良かった……」
 落ちたのは柔らかい紙質の古い本や文庫ばかりだったのでまだ良かったが、辞書のような分厚い本や、ハードカバーなどがあったら更に大変な事になっただろう。それを想像して、琥珀は思わず頭を抱える。
「あーあ……また詰め直さなきゃ……うう、本棚の整理も増えちゃった……」
 増えてしまった仕事に琥珀は溜息を吐いて本棚に寄りかかった。と、丁度そのとき時計の針が十二時を指す。
「ちょっと休憩しよう……」
 呟いて、琥珀は殆ど無意識に傍らに落ちた本を手に取った。ちょっと休んでからご飯食べて、それからまた頑張ろう。そう思いつつ、琥珀の手は本を開き、目が活字を追い始めた。昨日一度読んだものだったが、とても面白かったのを覚えている。そう、このときこの人物がしたことが後の伏線になってああなるのだ。よく考えられている。本当に面白い本は、一読目も二読目も面白い。琥珀の意識はだんだんと本に吸い込まれ、目は活字しか見えなくなっていく。
「……はぁー、面白かった。……って、あら?」
 琥珀は手に持った本を読み終え、ぱたんと本を閉じて溜息を吐いた。そして、辺りが真っ暗であることに気付くと「あちゃー……」と呟いて、頭を抱える。
「またやっちゃった……」
 時計の短針は六時を示していた。十二時から六時。戻ったのではない、過ぎたのである。つまりは、午前から午後へ。
 本という道具を使って、六時間先の未来へタイムスリップしてしまった琥珀は、未だ片付いていない惨状と、きゅるきゅると鳴く胃に、自分の病気を少しだけ呪った。

 人はその病を、活字中毒という。










★★★

どうも! ハジメマシテコンニチワ、緑奈緑で御座います。
今回はシチュエーションノベルの発注、まことに有難う御座いました!
琥珀さまの所有作品を拝見させて頂いたところ、私が初めての小説ということで、正直緊張しております。PL様の想像なさっているキャラクターを壊していないかどうか、不安で不安で(笑)。
活字中毒者ということで、勝手に親近感を感じてしまいました。なので、活字中毒者なら一度は体験するだろうという出来事を書かせて頂きました。私もよくやります……掃除してる途中で本を見つけて、読み始めてしまって時間が過ぎるという……何でもない掃除の筈なのに、必ず一日がかりになっちゃうんですよね……という、作者自身の心も入ってますので、楽しんで頂けると幸いです(笑)。

以上、いつかは自分も本屋を経営したいと野望に燃えている緑奈緑でした。

★★★
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佐伯七十郎 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年09月14日

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