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『去り行くものの灯火、翠の家にて 』
藤井・雄一郎2072)&藤井・せりな(3332)


 ヒグラシだろうか、鳴いているのは。
 そうだ、ヒグラシだ。ヒグラシが鳴いているということは、もうそろそろ夏が終わり、子供たちの長い休みが終わる。
 ヒガンバナは咲き誇っていて、ホトトギスも開花した。都会の片隅の野を覗けば、コスモスが咲いている。
 すこし彩度の低い色の花々が咲けば、ヒグラシは鳴き、子供たちの姿が、日中の自宅から消える。
 即ち、夏が終わり、秋が来る。
 あっと言う間の秋が去れば、冬が来る。死の季節がやってくる――翠のものにとっての、死の季節が。
 藤井家は、翠の家であった。冬が来ても、藤井を冠する人間たちが死ぬことはない。だが藤井家の軒先を飾る花々は、青々とした葉は、いとも容易く冬に殺される。
 だが、雄一郎とせりながそれを悲しむことはない。
 翠は不滅のものであり、冬が去れば、またもどってくる。
 藤井家に、戻ってこないものなど、ありはしない。
 訪れるのは、しばしの別れだ――寂しい別れだけなのだ。
 それにしても、暑い夏だった。

 盆も過ぎて、雄一郎とせりなの長女は仕事に戻り、次女は居候を伴って大学のお膝元へと「去って」いった。藤井家はひといきで静かになり、四十路も半ばを過ぎた夫婦だけが残され、いやにしいんとした日が幕を開けた。48になっても子供のような雄一郎はすっかり気を落としたか、或いは娘ふたりと居候にかまうことに疲れてしまったかで、ひどく静かだ。
 朝からつきっぱなしのテレビは、オリンピックでの日本人選手の活躍を報じている。つい昨日まで、藤井家全員がこのテレビにかじりつき、増えていく金メダルに大喜びしていた。ルールを知らない競技でも盛り上がった。スイカを食べながら、翠と蒼の目は深夜まで画面を見つめていた。オリンピックはまだ開催中だ。だというのに、藤井家の中ではとうに閉会式を消化したも同然だった。
 雄一郎は店に出て、商品の世話をしているはずだ。店の営業は今日から始まっている。せりなは無言でテレビを消すと、掃除機を引っ張り出した。すこし古びた掃除機は、ごうごうと夏の足跡を吸い込んでいった。
 スイカの種、蚊と蛾とガガンボの死骸、花びら、アイスの棒――は吸い込めなかった、海水浴場について書かれた記事の切り抜き、メロンの種、蚊取り線香の灰、線香花火。
「あら、あら」
 せりなは掃除機のスイッチをいったん切ると、吸い込み口でがんばっていた線香花火をつまみ上げた。見れば、部屋の片隅に放り投げてあったビーズクッションの下に、線香花火が何本か取り残されていたのだった。
 或いは、誰かが独り占めにしようとして、ビーズクッションの下に隠したのではないか。そうして、遊んでいるうちに隠していることを忘れたのだ。
「ふふ」
 その憶測に、せりなは笑った。線香花火をすべて拾い集めると、居間のテーブルの上に置き、掃除のつづきをした。掃除をしながら、線香花火以外にも隠された花火はないか、せりなは少し期待していた。だが、見つかったのは結局、ビーズクッションの下にあった5本だけだった。

 雄一郎が、遅い昼食をとりに家に戻った。
 しいんと沈黙しているテレビをつけると、画面に大写しになったのは、またしてもオリーブの葉の冠をかぶった日本人選手だ。
「お、また獲ったのか」
 反射的に呟いて腰を落ち着けた雄一郎は、まず、冷めかけた昼食よりも先に線香花火をみつけた。
「なあ、これ――」
「そこのクッションの下にあったのよ」
 冷たい麦茶を手に、せりなが台所から現れて、雄一郎の質問にすばやく答えた。
「やけに少ないと思ったんだ。3本しかなかったもんなア」
「よく覚えてるわね」
「あんだけモメたら覚えてるさ」
 しかしせりなは忘れていた。雄一郎のその一言で、ようやく昨晩の花火のひと悶着を思い出し、噴き出した。確かに、花火セットは「デラックス」を称するものを買ったのに、線香花火は3本しかなかったのだ。雄一郎と娘ふたり、小さな居候が3本を取り合って激しく争った。ケンカが血を見るものになりかねないレベルにまで達したとき、突然ひとりでに3本の線香花火に火がついて、慌てて3人が手に取った。あぶれたのは雄一郎だった。
「あれ、火つけたのおまえだろ。いや、それしか考えられないというか、物理的に不可能なんだが」
「あなた前に、私は物理法則に反してるとか言ってなかった?」
「言ったっけか、そんなこと?」
「肝心なことは覚えてないのね。私はあんなに傷ついたのに」
「い、いつおまえは傷ついた!」
「だから、あなたに失礼なこと言われたとき」
「俺がいつそんなことをしたァ!」
「きたないきたない、飛んでる飛んでる」
 雄一郎の口からポンポン飛び出したエビピラフの米粒を振り払いながら、せりなは露骨に顔をしかめた。
「それで、これどうします? 取っておいても湿気るだろうし」
「捨てるのもアレだ、勿体無いだろ」
 飛んだピラフの粒を拾って食べながら、雄一郎がものごとが面倒くさいときの声を出した。夫のその声色がせりなは嫌いだったが、いまは声色ではなく、雄一郎の行為に激怒し、電光石火の疾さで夫の脳天をひっぱたいた。
「ぐはあ!」
「落ちたもの食べないで!」
「勿体無いだろ?!」
「そういうことしてると、そのうち外でもついやっちゃうのよ! まったく!」
「わ、わかりましたよ……」
 残りの粒はティッシュでつまみ取りつつ、雄一郎は食事に戻る。せりなは乾いた洗濯物をたたみ始めた。
 日本人選手の快進撃は続いているそうだ。キャスターも興奮している。
「俺もおまえも、結局昨日は線香花火出来なかったろ。今夜、ふたりでやっちまおう」
「あら、そう?」
 花火なんて歳でもないでしょう、とせりなは言おうとしてやめておいた。
 雄一郎は、ピラフを咀嚼しながらテレビを見つめている。
 その背を見て、言うのをやめたのだ。

 金メダルの色が色褪せて見えるのだ。エビピラフは冷凍食品をフライパンで温めたものに違いない。
 輝く黄金のメダルと、手作りのつけつゆと一緒に出された冷麦、燃える赤のヒガンバナは、どこに行ってしまったのだろうか。
 午前中も、霧吹きを持つ自分の手が、いやにのろまに感じられて仕方がなかった。
 実際には金メダルは黄金であるし、せりなは冷凍食品のエビピラフに一味くわえてくれている。それに気がついているようで、気がつけない。
 すっかり静かになってしまった。
 これは、さびしいひとときの別れにすぎない。もう何年も前から知っている、再生の前の死だ――。
 雄一郎は線香花火を一本手に取り、勝手に火がつくことを期待してみた。
 ――いや……いや、待て。夜になってからだ。
 雄一郎は苦笑して、麦茶を飲み干した。


 もう、コオロギが鳴いているらしい。
 そして、日が落ちれば、風も涼しいものになっていた。
 今年の夏はひどい暑さだった。
 テレビはやはり、オリーブの冠をかぶった日本人選手の姿を映し出していた。
「また獲ったのね」
「ああ」
「今度は、何で獲ったの?」
「知らん。超人ばっかりだ」
「あら、超人なら、私たちだって――」
「俺たちは、超人なんて生易しいもんじゃない。――これ以上言ったら、おまえ傷つくか?」
「言葉にもよるわ」
「なら、言わん」
 苦笑しながら、雄一郎はライターを出した。庭でしゃがんで、彼はまずせりなが手にした線香花火に火をつける――。

 ……ぱ……ぱっ……ぱ……。

『わー、それなに、パパさんー』
『ねずみ花火だ!』
『ちょっとお父さん、庭の狭さ考えてよ!』
『そうだよ! どこ行くかわかんないんだよそれ!』
『これをやらなきゃ始まらんだろ! わはは!』
『あーッ! あー、つけた! つけやがった!』
『きゃー、ちょっとどいて! こっち来た! こっち来た! あんたじゃま!』
『いたーい! あーん!』
『こらそこ、何泣かしてるの!』
 パァァーン!!

 ぱ・ぱ・ぱぱぱぱ……。

『わー、これなに? おとーさん』
『ねずみ花火だ!』
『どんなはなび? ねー、どんなはなび?』
『みたーい!』
『これをやらなきゃ始まらないって花火だ! わはは!』
『あーっ! あー、こっちくるぅー!』
『きゃー! やー! おねえちゃん、どいてー!』
『やだー、けしてけして、おとーさん、けしてぇー!』
『あーん!』
『こらそこ、何泣かしてるの!』
 パァァーン!!

 しゅう、しゅしゅしゅしゅしゅ……。

『ほら、こうすっと綺麗だろ!』
『危ないお父さん! 振り回すなって書いてあるでしょ!』
『ぼくもふりまわすなの!』
『ああもう!』
『あなた、歳考えなさいよ』
『そんなこと言いながらお母さんまで振り回して……』
『綺麗なんだもの』
『……』

 ぱっ、ぱっ、ぱぱ、ぱっ……。

『ほら、こうすっと綺麗だろ!』
『あー、ほんとだ!』
『ちょっとあなた、振り回すと危ないって書いてあ――』
『おまえも振り回せ! こうだ!』
『ち、ちょっと!』
『きれい、きれーい!』
『おはなみたーい!』

 ぱっ……ぱぱっ……。

「上の子、そろそろ何かいい話でも持ってきたらいいのにね」
「そ、そうか? ま、まだ早いだろ」
「何だか来年の夏も、ひとりで帰ってきそう。下の子も」
「そ、それが当然だ」
「……来年はそんなに暑くないといいわね」
「そ、そうだな。今年は、すこし暑すぎた」
 ぽ、と線香花火の火玉が落ちた。
 思い出すのは、娘たちの笑い声だ。火玉を直接バケツの中の水に落として、じゅん、というあの音を聞くたびに、娘たちはくすくすと笑った。
 雄一郎とせりなは、黙って2本目に火をつける。
 今度は、火玉をバケツの水に落として、笑った。
 最後の1本は――
「そろそろ、柔道が始まるわよ」
「ああ、そうだったっけか」
 取り合うこともなかった。最後の1本は、雄一郎が手にとって、せりながライターで火をつけた。
「何キロ級だか、しらないけど」
「俺も知らん」
「スイカの残り、片付けちゃいましょ」
「そうだな」


 ……ぱ……ぱっ……ぱ……。
 ぱ・ぱ・ぱぱぱぱ……。
 しゅう、しゅしゅしゅしゅしゅ……。
 ぱっ、ぱっ、ぱぱ、ぱっ……。
 ぱっ……ぱぱっ……。
 ……。


 少なくとも、翠の炎は今日明日に死ぬものではない。
 いつかは永遠の別れが来るが、その別れまでに、藤井家はいくつの金メダルと火玉を見るのだろう。
 夏は必ずやってくる。
 ただ今は、しばしの別れ。

 夫婦は、静かな居間で、テレビをつけた。
 音がそこに生まれた。




<了>
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2004年09月06日

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