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『咎狩り 』
咎狩・殺3278


 かつん、
 かつん、
 かつん……。

 ころん、
 ころん、
 ころん……。


 木を打つ音は、かの女形の立てる足音か。
 黄昏どきも過ぎた暗い町並みを、緋色の女が歩いていく。
 女というよりも少女なのであったが、彼女が持つのは、熟れた果実のような艶かしさなのである。彼女の着物の襟は、胸の谷間さえうかがえるほどにはだけられていたし――歩けばかつんかつんと音を立てているはずの足は、足袋さえ履かぬ素足なのだ。
 水桶を呆然と置く壮年の男の姿がある。着物といえば粗末なもので、かなり垢じみていた。
 その目は、緋色の女の白い肌に釘付けだ。
 視線に気づいた女は、ふわりと微笑み、しゃなりしゃなりと男に歩み寄った。
「なあに?」
「あっ? う――」
 小首を傾げるその仕草に、男は真っ赤になりながらうなじを掻いた。
「そう、用は無いのね」
 それならこちらも用は無い、と女は踵を返した。
 去り行く女の背中を、男の目はただ呆然と見つめているばかり。
 しかし、呆然と見つめるだけの男もいれば、赤鰯を手に少女に躍りかかり、裏路地に引きずり込む輩もいた。女はそういったことに慣れているのか、そもそもそれを望んでいるのか、着物を剥ぎ取られかけても、大した抵抗をしなかった。

 かつん――

 ぴくり、と女の長いまつげが震えた。

 かつん――

 確かにもう一度その音が聞こえたとき、女はその深紅の目を見開いて、恐るべき力でおのれを組み敷く男を押しのけた。あまりの力に呆然とするばかりの男に、女はひどく蠱惑的な笑みを投げかけた。
「抱かれるのも面白そうだったけれど、気が変わったわ。ごめんなさいね」
「お、おい――」
 男が手を伸ばす。
 女の白い手が伸びた。
 その薬指が――薬指の爪が――ぴちっ、と男の指を切った。
 ころころと美しい笑い声を上げながら、女は乱れた着物を直しつつ、足早にその場を立ち去った。彼女が姿を消す頃、腐り果てた骸が、ぐしゃりとその場に崩れ落ちた。骸は土に還るそのときまで、赤鰯をしっかり握りしめていた。

 かつん――

 確かに、音がする。
 ――なんて、なつかしい……。
 彼女は、その音を追った。追うのは、容易かった。人間にとってはよくある雑音のひとつに過ぎなくとも、彼女にとっては意味がある音だったのだ。
 のみによって木を削る音。木を削ることによってものを生み出すための音。
 やがて彼女がその音の出所に辿り着いたときには、中天に達していた満月も黒雲によって姿を消されていた。女の緋色の目にうつるのは、雨風もまともにしのげそうにないあばら家だ。
 ぼろぼろになった戸は半ば傾き、黴に侵されていた。その戸の向こうから、確かに聞こえてくるものは――
 かつん、かつん、かつん、かつん、
 がつっ。
 女はゆっくりと戸に手をかけ、ツツと開けた。
 あばら屋の中は、むっとした死臭に満ち満ちていた。しかし、どこにも死骸はない。獣の死骸も見当たらず、ただ囲炉裏のそばで、男がひとり木を削っていた。
 緋色の女は、何も言わず、あばら家の中に入った。幽鬼のようにも見える家主は、女がすぐそばに座っても、一瞥もくれなかった。
「こんばんは」
 そう挨拶をしても、返ってくるのは、のみが木を削る音。
「私、咎狩殺。殺める、の『あや』」
 名乗りに返ってくるものも、やはり――。
 くすり、と彼女は微笑んだ。
 男の手元がわずかに狂ったのだ。殺める、ということばに気を取られたか――あるいは、ようやく女の存在に気づいたか。
 しかし男はやはり女に一瞥もくれず、それまで彫っていたものを力なくそこに放った。殺と名乗った女は、それを拾い上げた。
「きれい……」
 そう呟いてから、女は顔を上げた。初めて、男と目が合った。男の瞳は、墨そのものであった――その二点の墨の沁みに、女は光のようなものを見出した。
 男が捨て、女が拾ったものは、子のようだ。
 それは恐怖で歪んだ表情の幼子を象った、人形の首であった。

 殺は、ぐるりとあばら屋の中を見回した。
 死骸はひとつもない、と思ったのは、闇が見せた悪戯であったか、芝居であったか。おばら屋の中は骸で満ちていた。
 木で出来た骸だ。
「これ、全部キミが作ったの?」
 中には、毛髪を植えられたものもある。しかし、どこかが欠落していた。山のような骸は、どれひとつ完成していなかったのだ。
 殺の問いには答えず、男はぼんやりとしていた。手は、のろのろとのみをいじっていた。
 沈黙が流れた。男は眠らず、食べず、話さず、ただ一点を見つめてのみをいじっていた。その横で、殺は手当たり次第に骸を象った人形を手に取り、熱心にあらためている。どれもが彼女の興味を惹いた。
「ふふ……かわいい……」
 赤子の骸の頬をつついたとき、不意に人形師が立ち上がった。
 そうして、ふらふらとあばら屋から出て行った。殺はしばらくその背を見つめていたが、やがて無言で男を追った。作りかけの骸は、投げ捨てられた。

 男はのみを振りかざし、振り下ろす。
 粗末な、麻の服を着た女が、呻き声のようなものを上げて倒れた。こんな夜半に女はこんなところで何をしていたのか、男も殺も気にとめない。
 人形師は、無言で、だくだくと血を流す女の骸を見つめていた。
 殺はその男の横顔を、じっと見つめている。
 女の死骸の下から、潰れたような泣き声を上げて、赤子が這い出してきた。女が倒れたときにどこかを折っていてもおかしくはないのに、赤子は生きようとしていた。
 男はその赤子にも、無言でのみを打ち下ろした。
 泣き声がやんだ。
 男はぼんやりとその死骸を見下ろしていたが、
 やがてその場にかがむと、のみを振るい始めた。

 かつん、
 かつん――

 否。

 ぐちゃっ、めちゃっ、みちょっ、げちゅっ、ぐちゅっ、にちゅっ、

 のみはまだ温もりと血を持つ肉を、荒々しくも器用に、骨から殺ぎ落としていった。
 月も見ていない闇の中で、ふたつの骸の顔から肉は残らず削り取られ、血みどろの頭蓋骨が生み出された。


 男はほとんど不眠不休で、木を削り、服を縫い、人形を作りつづけた。
 殺が見守る中では、人形作りはひどく順調だったようだ。すでに損じることもなく、着々と人形は完成に近づく。
 赤子に似ているようで、女のよう。か弱い女のようで、筋骨たくましい男のようだ。
 骸はすべてを象っていた。
 人形が美しく、まがまがしく、いびつに整えられていくのを、殺は目を輝かせながら見つめていた。その瞳はひどく純粋なのだが、恐ろしいほどねじ曲がってもいた。
 男が一言呟いた。
「できた」


 わずかばかりの時が移ろい、人形師は姿を消した。
 街の外れで、鋸挽の刑が処されたらしい。
 咎狩殺はそのときも、死臭に満ちたあばら屋の中にあった。精神を病んだ男では、罪を隠し通すことなど出来はしなかったのだ。
 ひとつの殺しでひとつの人形を作ろうと思い立っていたのだとすれば、男は一体どれほどの人間を殺めたのだろう。
 そこに、命名札がある。
 『蝕』
 ただ、一文字。
 その命名札を、殺の細い白い指が摘み上げ、完成された骸の懐に挿しこんだ。その頭を撫でながら、殺は立ち上がる。髪が揺れ、笑みがこぼれ落ちる。そうして骸の頬に口付けをした。
「私の子」

 かつん、
 かつん――

 かつん、
 かつん、
 かつん……。

 ころん、
 ころん、
 ころん……。

 殺の腕の中で、つめたい骸は確かに温もりを持っているのだ。
 殺はあてもなく歩き続け、その頭や胸を撫でては、
 ころりころりと美しい声色で笑うのだった。
 木が転がる音で、嗤うのだった。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年09月01日

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