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ルパート・グリフィス0400)&真咲・水無瀬(0139)

「げっ、現在っ、旧エステルゴム国境付近にてUMEサイバー猟兵隊と交戦中! 至急応援を求むっ! なお、現在20名近い亡命者の警護をしたまま戦闘を行っている為、反撃を行う事が出来ない! 長期戦に持ち込まれると、完全に不利になる! 至急応援を……!」
 今から23時間前、真咲 水無瀬が指揮をとるナインス部隊は、常駐していた別部隊からの応援要請を受け、旧エステルゴムの国境付近でに辿り着いた直後だった。
 60日のサイクルで国境警備の警戒任務を命じられていたピースメイカー大隊のメンバーは、国境付近に常駐するチームと付近を巡回するチームに別れ、警戒行動を行っていた。そこに、UME領土内から旧エステルゴムを経由し、20名を超える亡命者がエヴァーグリーン領土内へと駆け込みがあったという一報が入っていた。
 過去の歴史では、亡命の引渡しは大使館や保護団体を経由して行われていた。だが国家組織間の繋がりが不安定になった現在では、引渡しを行う事が不可能になってしまっていた。その為、亡命を行うには『強引に国境を越えて隣国に渡る』以外方法は無くなってしまっていたのだ。
 亡命を良しとしないUMEの上層軍部は、正当な手続きを行う事の出来ない亡命者に対し『国家反逆罪』という冤罪を科せ、強制的に拘束しようとした。それに対しエヴァーグリーン側は、平和条約巡察士を国境付近に配備し『国境を越えた亡命者を強引に保護する』という強攻策をとってきていた。境界の戦いは熾烈を極め、両組織共に少なくはない死傷者を出し続けていた。

「西だっ! 崖を登って西へ上がれっ! 北西のエキスパート部隊の真ん中にホーミングミサイルをぶち込んでやれぇっ!」
「第2波来るぞ! バリア遅れるな! 別部隊は、攻撃に構わず国境を越えろ! 亡命者の安全を最優先にするんだ!」
 国境を挟み、傾斜のある旧エステルゴム付近で、両組織は正面から対峙する事となった。
 地理的に高台を占拠する事の出来た猟兵隊は、点在する小隊を見下ろす形で陣形をとると、実弾兵器の集中砲火を浴びせた。サイバー兵を主とする猟兵隊は、圧倒的な火力を持ち入り小隊の行動を断たせた。
 一方、エスパー兵を主とした小隊側は、複数のバリアをリンクさせ実弾兵器の雨を相殺する事は出来た。だが、亡命者を警護した状態での戦闘は困難を極め、守備を固めたまま前線を後退させていくしか、現状を打開する方法を見つける事は出来なかった。
 ナインス小隊が戦闘区域に駆けつけた時、戦局は劣勢を極めていた。国境を挟んで、一方的に攻撃を仕掛けている敵組織の猟兵隊と、一方的に守りに徹している自組織の小隊が対峙をしている。それは、戦局がどちらに優位に動いているかなど、戦いに明るくない者にさえ一目で把握する事が出来る状況だった。
「俺達が正面から突撃して、敵の注意を引き付ける! 全隊はその隙に、前線から離脱するんだ!」
 ナインス小隊が合流したと同時に、猟兵隊に向いていた戦局の流れは一気にピースメイカー大隊側へと逆転した。
 流れが変わった事により、猟兵隊内部には混乱の色が走った。火力のみに長けていたエスパー兵には、咄嗟の攻撃に対する防御手段が備わっていなかったのだ。その為、攻撃行動を捨て防御体制に入らねばならない状況に陥ってしまっていた。
「隊長! このままでは『予定時刻』まで耐える事が出来ませんっ!」
 猟兵隊側の兵士の間から、悲痛な叫びが上がった。バッハフントを盾にして身を隠す兵士達の頭上を、閃光の散弾が駆け抜けていく。弾け飛んだ火花が兵士達の頭上に降り注ぎ、バッハフントの表面に切り裂いた様な跡を残していった。
「バンハフットは捨てろっ! 『砲弾の準備が整ったら』、戦線を離脱するんだっ! 退避の準備、遅れるなっ!」
「逃がすかぁぁぁっ!」
 斜め前方の瓦礫の山から、真咲が地面を蹴り上げ高く跳躍した。左手にブレード状の光を纏わせ、バッハフントに隠れていた兵士へと振り下ろす。ブレードの切っ先が兵士の頭上に突き刺さろうとした瞬間、背後から砲弾が発射する音が地鳴りと共に響いた。
「打てぇぇぇぇぇっ!」
 1人の兵士の叫び声と共に、1機のバッハフントが戦闘区域のほぼ中央、上空200メートルの地点に2発の『閃光弾』を打ち上げたのだ。時間差で打ち上げられた『閃光弾』は緩やかなカーブを描き、地上120メートルの地点で轟音と共に炸裂した。白い軌跡を描き、空へと伸びて落ちるその様は、まるで旧世紀の花火の様にも見えた。
「伏せろぉーっ!」
 微かに聞こえた人の声に、真咲は反射的にブレードを反転させた。バッハフントの装甲に突き刺すと、体を大きく捻り全身に掛かっていた反動を強制的に相殺させる様にして着地をする。
「……な、っ!」
 受身を取り、体制を立て直そうとした瞬間、二度目の爆風が真正面から打ち付けられた。全身に張り巡らされた神経という神経が、瞬間的に体から引き剥がされる様な感覚をおぼえる。
 真咲の意識はそこで、強烈なノイズと共に断絶された。



 この夜を駆け抜けろ!


 1

 久方ぶり降り出した霧状の雨は、夜明けを前にしたダークブルーの空の隙間を埋め尽くし、地上に広がる瓦礫の街の中へと沈殿していった。雨独特の湿った匂いがモルタルとアスファルトの乾いた匂いに混ざり、粘膜を突く独特の匂いへと変わる。地上が冷却を求めて熱さを吐き出した結果なのだろう、辺りには咽る様な熱が充満していた。
 闇に内包された街を見渡すが、そこには人工的な光の根源となるものを見つける事は出来ない。時折、遠くの空の端で白い閃光が弾けては消えていく。
 そんな光景を視界の中に捉えながら、真咲 水無瀬は黒の大型二輪バイク(通称『Strafe』)に跨ったまま、7本目の煙草を口に咥え火を点けた。細く立ち上る紫煙が黒い空を焦がし、彼の視界を白く濁らせていく。
 真咲は、バイクのサイドに掛けた皮制のケースから、細く黒いコードを手の中に手繰り寄せた。その先端には、金属のヘッドセットが付けられており、彼はそれを頭部へと掛けると、手元の液晶を操作し周波数を合わせ、マイクのスイッチを入れた。
「フォーカス・オメガから、フォーカス・オメガ・ワン、フォーカス・オメガ・ツーへ。現在の位置と状況を報告せよ」
 少し早い口調で、真咲は言葉を告げた。ノイズとチューニングの電子音が重なる様にして聞こえた後、イヤフォンから少し濁った声が響いく。
『こちらフォーカス・オメガ・ワン。現在、旧英雄広場から東に向けて移動中。有力な情報、及び不審者等は発見しておりません』
『こちらフォーカス・オメガ・ツー。現在、旧ケレペシ墓地方面に向けて南東より迂回、移動しています。こちらも、有力な情報、及び不審者等は発見出来ておりません』
「ちっ。まだ見つからないのか……」
 無意識のうちに言葉を零すと、真咲は苛立ちから小さく舌打ちをした。火を点けたばかりの煙草を瓦礫の上へと落とし、ブーツの底で踏みつける。焦げたモルタルの匂いが僅かに鼻をついた。

 真咲が指揮するナインス小隊は、サイバー猟兵隊と共に行方が解らなくなっている亡命者の捜索を続けていた。
 猟兵隊側が使用した正体不明の閃光弾が炸裂した後、戦場跡にはピースメイカー大隊だけが残されたままとなっていた。
 科学班の調べによると、サイバー猟兵隊が離脱直前に使用した兵器は、従来の閃光弾を対エスパー仕様に作り変えたUME独自の兵器である事が判明した。それは、特殊な波長の光と音を爆発と共に拡散させる事で、特殊な伝達神経を著しく麻痺させるという効果を持っていた。
 爆発自体に大きな殺傷能力は無かったものの、神経の感度を上げて戦闘を行っていたエスパーにとっては、十二分とも思えるとも思える効果を発揮した。
 爆発後、戦場にいたエスパー兵の全てが、一時的ながらも感覚が機能停止し、20分以上に渡っての活動停止状態に陥ってしまったのだ。それは、平常な感覚を持つエキスパートにとっても大きなダメージとなった。
 エスパーほどの強い影響を受ける事は無かったものの、五感が麻痺したエキスパート兵は、数分の間立ち上がるどころか話をする事すらままならない状態となったのだ。
 サイバー猟兵隊は、エスパー兵が閃光弾の影響で意識を無くしている間に戦線を離脱していた。そして、猟兵隊と共に『亡命者も戦場からいなくなって』いたのだ。
 はじめは、猟兵隊が小隊を閃光弾で行動不能にさせている間に、国境に向かった亡命者を奪還するという作戦が行われたものだと考えられていた。だが、ピースメイカー側の兵士らから状況把握を行っていくうちに、状況が予想以上に複雑なものであった事が判明した。
 それは、閃光弾が爆発した地点から最も離れた場所で『亡命者と行動を共にしていた』兵士が、国境を越えた旧エステルゴム市内に『亡命者が入って行った』というものだった。
 それが確実なものだとしたら、サイバー猟兵隊は『閃光弾を爆発させた』後、『国境を越え、旧エステルゴム市内へと入り』、『亡命者を捕縛した後』に『戦闘区域から離脱する』という、酷く回りくどい作戦を行った事になる。
 閃光弾を使いエスパー兵を行動不能にする事が出来る時間は、僅かに20分程度。その時間で亡命者の捕縛から区域までの離脱を行う事は、キャリアを利用したとしても移動だけで時間を割かれてしまう。なおかつ、国境を越えて街の中に侵入するとなると、別の部隊に発見され戦闘に入る可能性もある。
 ならば、行動不能になっているエスパー兵らを殲滅させる部隊と亡命者の捕縛に向かう部隊とに分かれ、行動を行った方が得策と言えるだろう。
 猟兵隊が何の意図を持って、閃光弾を用いたのか。そして、猟兵隊が捕縛しようとしていた亡命者らは結果的にどこに行ってしまったのか。
 それらの疑問は、騒動から23時間経過した現在でも解明されてはいない。そして騒動から23時間もの間、ナインス小隊のメンバーは当て所なく行方不明になった亡命者を探し続けていたのである。

「フォーカス・アルファとベータからの連絡は?」
『はっ! こちらには、まだ連絡は入っておりません!』
『こちらも、何度がコンタクトを行っておりますが、同じく連絡は入っておりません!』
「そうか。……了解した。引き続き捜索に戻れ。後3時間で夜が明ける。それまでに仮眠をとっておくんだ。以上」
 眉を寄せたままマイクのスイッチを切ると、真咲は溜息と共にバイクのハンドルへと凭れ掛かった。気だるそうに目を伏せると、髪を掻き上げ指先で額に触れる。体が眠気を求めているからだろうか、額は少し熱を帯びていた。
「……こんな時に、手掛かりすら見つけられないなんて」
 きつく目を伏せたまま、苦々しそうに言葉を呟く。彼のその言葉には、重く圧し掛かる2つの意味が込められていた。

 国境沿いでの騒動が収束した8時間後(今から19時間前)、旧ペスト地区の中心部に存在しているイシュトヴァーン・バジリカ跡の一部が、何者かによって爆破されるという事件が発生した。その爆発に巻き込まれ、野宿をしていた市民3人が軽傷を負った。
 その7時間後(今から11時間前)には、旧地下鉄1号線の駅構内が相次いで爆破されるという事件が発生した。閉鎖されていた駅の為に中での死傷者を出す事は無かったが、地上に建てられた建物の1つ地盤沈下の為に倒壊した。
 さらに4時間後(今から4時間前)には、旧国立博物館と応用博物館の跡地で、相次いで爆発未遂(爆発物らしきものは設置されていたが、設置の仕方が不十分で倒壊した発電機が小火にあった程度)事件が起きたのだった。

 国境での後処理や亡命者の捜索を行っていたピースメイカー大隊のメンバーにとって、市内の爆破騒動はまさに寝耳に水の出来事だった。隊全体に1級の警戒態勢が敷かれ、亡命者捜索に裂いていた人員の大半を、爆破事件の犯人捕縛の為のメンバーへと編成し直す事になったのだ。
 それは、前線で戦闘を行い、亡命者捜索の指揮をとっていたナインス小隊にとっても例外では無かった。真咲と新人エキスパート兵を除いた全てのメンバーが、犯人捜索のチームに再編成される事となった。
 真咲は、自ら亡命者の捜索をを行う傍ら、犯人捜索のチームとの連携をとる為に、チーム間の情報収集をも行っていた。定期的に通信を入れて状況を確かめながら、個々のチームへと指示を出す。
 状況の見えない苛立ちが真咲に圧し掛かり、そんな彼をあざ笑うかの様に時間ばかりが刻々と過ぎて行く。
 今の体制が整い、20時間以上が経過した現在でも、その状況は好転する気配も見せず経過し続けていた。


 2

「旧エステルゴムから首都までは、50キロ弱。キャリアを使ったと仮定すると、移動は1時間弱。徒歩で移動した場合は、およそ25時間。亡命者の数は、20前後。……20人近い人間が一斉に首都に向けて移動して、住民や俺達に気付かれない訳がない……」
 真咲は新しい煙草を唇に咥えて火を点けると、紫煙を吐き出しながら言葉を呟いた。バイクの上で広げたブダペスト近郊の地図には、何本もの赤いラインが地表を横断する様に走っている。ラインは都心に近くなるほどに本数を増し、それは抽象画の様な形にも見えた。
「喩え20人全員が離散して首都に向かったとしても、必ずどこかで俺達の目に止まるはずだ。徒歩で移動していたとすると、そろそろ首都近郊で発見出来るはずなんだが……」
『ハロー、リーダー。ご機嫌いかがかな?』
 真咲の呟きは、突然の通信によって遮断された。イヤフォンから、低いノイズと共に男の声が聞こえて来る。手元の液晶を見ると、見慣れない周波数が点滅を繰り返していた。
『ハロー、リーダー。……レスポンスが無いなぁ。仮眠中かな? それとも、リアルタイムで戦闘中?』
 聞き覚えのあるその声に、真咲は思わず不機嫌そうに眉を寄せた。一瞬、ジャミングを装い通信を切ってやろうかととも考えたが、余りの大人気ない思考に、彼は内心溜息を吐いく。真咲は諦めた様にマイクのスイッチを入れると、イヤフォンの向こうにいる相手に向けて言葉を返した。
「こちら、真咲 水無瀬。……何の用だ、ルパート グリフィス」
『何の用だなんて、随分と素っ気無い返事だなぁ。用が無かったら、通信を入れちゃいけないんですか?』
 飄々と言葉を切り返す男、ルパート グリフィスは、赤のマーカーを指先で玩びながら口元だけで笑った。黒のオフロードカー(通称『Genziana』)のボンネットに広げたブダペストの地図には、真咲のものと同じ様に赤のラインが大陸を横断していた。だが、彼のものとは異なるように、ラインは数箇所にしか引かれてはいなかった。
「ルパート。今が緊急事態だと解っての通信なら、その根性には敬服してやろう。だが、解っていない上での通信なら……」
『こちらの現状について、少々気になる事がありましたので、それについてのお話が。この通信は独自の信号で行っていますので、同隊内のメンバーに聞かれる事はありません』
 急に声のトーンが低くなると、ルパートは抑揚の無い声でそう告げた。男の言葉に、真咲は眉を顰める。隊内全体で使用している共通回線ではなく、個人的に回線を繋げて通信を行うという事は、よほどの事情が話す内容の中に含まれているのだろう。
「……解った。通信を許可する」
『オーケイ。そうこなくっちゃなリーダー』
 真咲は、ルパートの意思を汲み通信を許可した。直後、彼の声音は明るいものに変わり、いつもと同じ軽い雰囲気を含んでいた。
「ルパート……」
 真咲はルパートの豹変振りに、してやられたという様に額に手をあて、低い呟きを洩らした。

『まぁ、真面目な話ではあるんですよ。といっても、大半が推測の域を出ない話ではあるんですけどね』
「前置きはいい。さっさと話を進めろ」
『はいはーい。了解でーす』
 真咲の言葉に肩を竦めると、ルパートはボンネットの上に置いていたミネラルウォーターのボトルを手にとり、キャップを開けた。温くなった液体を喉の奥へと流し込んむ。プラスチックボトルの独特の匂いに、彼は思わず眉を顰めた。
『美術館爆破未遂時刻から現在まで、オペラハウス付近に張り付いていますが、不信な人物を見かけた、聞いたなんて情報はひとつも入って来ていません。他小隊にも何度か通信を入れましたが、情報らしい情報を入手する事は出来なかったそうです』
「あぁ、それはこちらも把握している」
『けど、おかしいと思いませんか? あれだけ派手に歴史的建造物だの過去の遺産だのを手当たり次第爆破しておいて、やった当人の姿がどこにも見当たらないなんて』
「……どういう意味だ?」
『まぁ、ここからは俺の推測ですんで、話半分程度で聞き流して下さい』
 イヤフォンの向こう側で、ルパート軽い笑声を上げた。そんなルパートの態度に、真咲は僅かに眉を寄せる。決して短くは無い男との付き合いの中で、それが彼の見せる『確信を持った時のジェスチャー』である事を、真咲は理解していたのだ。
『まずは、犯人が外部の者であるのか、それとも内部の者であるのか。これは考えるだけ無駄な問題ですので省きます』
「無駄な問題?」
『相手にどんな意図があれ、『建物を爆破した』という結果には変わりません。動機なんて後から付いて来るものですから。内部であれば暴動を行おうとした、外部であれば侵攻の足掛かりや上層部暗殺を行おうとした、愉快犯なら目立ちたかった。動機なんてその程度のものです。それについてこちらがどう打って出るのか、それは相手を捕まえた後でも考える事は充分可能ですから』
 ルパートは、事務的とも思える口調でそう告げた。今の段階で動機の考察を行う事は、彼にとっては意味があるとは思えない行為だったからだ。
『では、ここからが本題です。今回の亡命騒動と連続爆破事件について、俺なりに考えてみた事をお話します』
「……亡命騒動と連続爆破事件? 2つの事件はリンクしているのか?」
 ルパートは黙ったまま、真咲の問いには答えようとはしなかった。話をすればその意味がわかるという、ルパートの真意がその沈黙の中に含まれていた。真咲は、言葉を噤んだ。
『まずは、犯人が『何者であるのか』という部分から。これについては面倒なので、今は『テロリスト』という通称で通します。
 ピースメイカー大隊の大半は、一般人から逸脱したエキスパートやエスパーといった『特殊な能力を持った者』によって構成されています。その『能力保持者』が、今まで一度も『テロリストの姿を見つけられていない』という事は、ある意味で異様とも思える状態なんです。
 単純な能力勝負をすれば、一般人よりもエキスパート、エキスパートよりもエスパーという様に、力の差が出て来てしまうのは必然です。その『エキスパートやエスパーの捜索を欺く事が出来る』者というのは、『何だからの能力を持っている者』である事が必然となってきます。
 『能力者に気付かれない様に行動をする』。言葉では単純な様に聞こえますが、それは『隠密行動が優れている』という意味と同列に値するという事ですから』
「……つまりは」
『シビアな話をすると、エキスパートは技術者であって能力者ではない。『能力を必要とするミッション』には『秘術者は必要無い』んです。それを踏まえると、敵は『エスパー並、あるいはエスパー以上の能力』を持った『隠密行動に優れた』者という事になります。
 ですが幸いな事に、今回のテロリストは『隠密行動』には長けていますが『工作活動』は素人同然のものと思われます』
「その根拠は?」
『根拠? あぁ、それがですねぇ……』
 今まで真面目な話が聞こえていたイヤフォンの向こうから、突然大きな笑い声が聞こえた。真咲は思わずイヤフォンを外すと、向こう側にいるルパートへ向けて反論の声を洩らした。
「……煩い。話を続けろ」
『あぁ、いやいや。すみません。思い出すだけで、あと3日は笑ってられる話なんですよ、これが』
 喉を震わせながら、必死に笑声を抑えようとするルパートに、真咲は飽きれたまま額に手を当て眉を寄せた。この様な状態に陥ると、誰もルパートを止める事は出来ない。気の済むまで笑わせた後、話を続けるのを待つしかないのだ。
 意味の無い感嘆符を呟きながら笑い続けるルパートに対し、真咲は飽きれた表情のまま煙草の煙を燻らせていた。
『……はぁ。いや、お待たせ。どこまで話しましたっけ?』
「本当に待たせるな。……3日も笑っていられる話だ」
『あぁ、そうそう。思い出した。いや、それが本当に面白いんですよ。といっても、俺が面白いだけでリーダーは全く面白くないだろう話なんですけどね』
 ルパートはわざとらしく姿勢を正すと、何度か咳払いをして話を再開した。
『こちらのリーダーの許可を取り、俺は3件の爆破事件の現場で倒壊の状態と爆発物の調査を行いました。
 そこで解った事なんですが、『爆発自体はそう大きなものではなかった』という事なんです。事実、初めのイシュトヴァーン・バジリカ跡地では怪我人が出たものの、それ以降の爆破では怪我人は1人も出ませんでした。結果としては、こちらは肩を撫で下ろしましたが、相手にとっては大きな誤算となった事だろうと思います。
 1度目は見せしめのごとく、倒壊しかけた教会を爆破。2度目は爆破で混乱する市民に向けて、過去の栄光であったメトロ1号線を心臓を挿し穿つが如く時間差で爆破していく。3度目以降は、混乱したままの住民達を追い込んでいく様に首都の有名な建物を順に爆破し、街は無残な廃墟と化す。……それが、テロリストの描いた爆破予定だったんだと思います』
「だが現実は……」
『えぇ。確かに予定通り『爆破は行われ』ました。ですが、結果は散々たるものでした。ですから俺は、テロリストは『隠密行動には長けている』が『工作活動は素人同然』だと言ったんですよ』
「だが、お前が笑っていたのは『それが理由だから』じゃないんだろう?」
『……ご名答。流石に解りますか』
 会話に慣れはじめたのか、真咲の返答にもウイットさが含まれるようになっていた。ルパートは口元に含み笑いを浮かべると、少しおどけた口調で言った。
『今回、建物の爆破に使われていたものは『時限式』と呼ばれるタイプの小型の爆弾でした。
 リーダーもご存知の通り、爆弾には大きく分けて2種類のタイプが存在しています。『時限式』と呼ばれるタイマータイプのものと、『遠投式』と呼ばれる投げるタイプのもの。他にも『遠隔式』や『投下式』、『リード式』といった派生が存在していますが、今回は関係が無いので割愛します。
 今回使われた時限式を簡単に説明しますと、これは、火薬を金属線と繋ぎ、予めセットしておいたタイマーが規定の時刻を挿した時、電流が流れ火薬に引火し爆発するというものです。
 利点は主に『爆破時刻を設定出来る』という事です。これだと、設置した側は爆発する時刻が把握出来ますので、連続した爆破を行う事や爆発時の避難行動に充分な時間をとる事が出来ます。
 その逆で、欠点という部分では『単体での爆発の量が小さい』という部分です。タイマー装置の電流から火薬に引火をさせますので、火薬の量と電圧を巧く調整しないと、暴発したり不発になったりと思う様に動かなくなります。
 特に現在の様な水素電池を用いる場合、アンペア数ではなく気体の圧縮率や濃度によって、一度に流れる電流の量が大きく変わってきます。この場合、『爆弾の中に何が入っているのか』を理解していなければならないんです。
 たかか爆弾、されど爆弾。空気中に含まれてる気体の成分や場所の温度、近くに何があって何が通っているのか。爆弾のスペックである破壊力や殺傷能力がどれほどのものなのか、自分の扱う武器の性能を熟知する。腕や感性もさることながら、それは戦闘において基本中の基本とも言える事ですから』
「……それが、今回の敵には大きく欠如していた」
『その通り。恐らく、モノ自体は俺の様なエキスパートが作ったんでしょう。悪い意味でのステレオタイプの爆弾でしたが、基本だけは忠実に踏まえていました。
 破壊力としては、5つあればビル1つを丸々倒壊させてしまうほど。決して低いものではありません。設置の状態が良ければ、2つ程度でも充分建物を傾かせる事が出来ます。ですが、今回は設置をする側に知識が無く、その能力の半分以下も出す事は出来ませんでした。
 建物を破壊する場合、『建物の心臓となる部分の根元』に置くのがセオリーです。ですが、その殆どが『入り口付近』に設置されていました。確かに、入り口を潰せば空間を遮蔽する事が出来ますが、今回の目的は『建物の倒壊』にあったはずです。もしも入り口を封鎖して中の人間の生き埋めにするなら、時限式にする必要も、無駄に破壊力の高い爆弾を作る必要もないはずです』
「つまりは何だ? ……今回の事件は、意図しない『相手の浅はかさ』が、偶然にも重なってしまった結果だったと?」
『……と、俺は考えています。内情がどうであったのか、その真意は蓋を開けてみるまでは解りませんけどね』
 そこで珍しく、ルパートが小さい溜息を吐いた。先が見えない状況を目の当たりにしたのは、彼も同じだったのだろう。それは、結果的には杜撰さと巧妙さが表裏になった敵の行動に、弄ばれる形になってしまっている事を認めざるおえないという意味だった。

「……ルパート。1つ気になっていた事があったんだが」
 短い沈黙が続いた後、真咲はずっと感じていた疑問をルパートへ投げ掛けた。
「敵は……テロリストは『どの様にして』首都に潜入したと考えている? お前はさっき、犯行の意図は関係無いと言っていたが、外部犯か内部犯かによって状況は変わって来るんじゃないのか? 外部だとすれば、『いつ』『どこから』侵入したのか、内部だとすると、一体『誰』なのか」
『あぁ。それ事でしたら、既に察しがついています。……といっても、これも推測の産物でしかないんですが』
 ルパートは、いともアッサリとした口調で真咲の言葉に返答をした。
『これは、2つ目の爆破……メトロの調査を行った時に感じた事だったんですが、爆弾の設置の仕方が『無茶苦茶だった』んです。簡潔に言うと、内部の人間ならば『必ず知っている事』を、その容疑者は知らなかったという事です』
 彼は空になったボトルを、軽いスナップで瓦礫の山の中へと放り投げる。プラスチックのボトルが短い放物線を描き、間の抜けた軽いと共に落下した。
『現在、メトロ1号線は電力供給が出来ない事から完全に封鎖され、一般人はおろか俺達ですら立ち入る事が難しい状態となっています。テロリストはこの駅の構内に入り爆弾を仕掛け、爆発しようとしました。
 特に街の中心にある地下は倒壊が酷く、事故の危険性がある事から、かなり厳重に監視が行われています。犯人は、倒壊した入り口から、偶然空洞になっていた中へと入り、そこに爆弾を設置しました。不自然な穴が入り口付近に出来ていたのと、空洞部分に動作していない爆弾が置かれたままになっていたので、それは確実だと思っていいでしょう』
「だが、それは合理的な方法じゃないのか? 中心部の爆破というのは、混乱の切っ掛けに繋がる」
『それが、機能している都市ならば……の話です。あの場所は状態が酷く、現在でも復旧作業が行われないまま手付かずの状態で残されています。その場所を爆破した所で、大きな打撃が与えられるとは思いません。
 もしも内部の犯行だとしたら、『もっと効率的な場所』に仕掛けるとは思いませんか? メトロは使えない。旧施設を爆破した所で意味はない。街の中にどんな施設があり、どんな立場の人間がいるのか。自分はそれを完璧に把握している。かつ、相手に気付かれずに行動し、任務を行う事事が自分には出来る。街を混乱させ、なおかつ俺達に痛手を負わせる方法。……内部の人間ならば、そのウィークポイントは的確に突けるはずです』
「だとしたら、敵は……」
『敵は、確実に外部の者です。そして、それは『つい最近』、街の中に潜入した』
 まるで、犯罪者に向けて死刑宣告を告げる裁判官の様に、ルパートは重くゆっくりとした速度で言葉を告げた。真咲はその言葉の意味衝撃から両目を開かせ、無意識に息を呑む。逸る動悸を落ち着かせようと呼吸する唇から、思わず声が洩れた。
「……まさ、か」
『えぇ、察しの通り。敵は……テロリストは『亡命者を装い』街の中に侵入した。あの国境での亡命者追撃騒ぎは、『仲間を街の中に送り込み易く』する為の方法だったんです。
 戦闘専門の部隊と隠密専門の部隊が、国境付近で『亡命騒動』を起す。すると、必然的に俺達ピースメイカーは『亡命者を助け』に『国境へ向かう』。戦闘専門の部隊が俺達と戦っている間に、隠密専門の部隊が別部隊に誘導され『街の中へと入る』。そのまま、別部隊と共に街の中に入ってしまえば、世紀の亡命者手続きを行わされてしまいますからね。途中で、俺達を撒く必要があったんですよ。
 それを見届け、戦闘専門の部隊が『閃光弾を発射』。俺達が麻痺して動けなくなっている間に、戦闘専門の部隊は『前線を離脱』し、隠密専門の部隊が『街へと紛れ込む』。恐らく、移動には事前に用意しておいたワイバーンか何かで山間近くまで移動し、そこから街へと降りたのでしょう。いくらサイバーの足を使っても、50キロの距離を一瞬にして縮める事は出来ませんから。
 そして、首都内の連続爆破事件が発生する。そう考えれば、時間も敵の意図も全て合致します。
 俺達は……初めから、UMEの犬に踊らされていたんですよ』
 ルパートの言葉に強い眩暈をおぼえ、真咲はゆらめく視界を堪えるかの様にきつく眉を寄せた。

「随分と……俺は、浅はかな考えをしていたものだな」
 短い沈黙が続いた後、真咲は自嘲するかの様に言葉を呟いた。珍しく弱気な雰囲気の真咲に対し、ルパートは苦笑いを浮かべ前髪を掻き上げた。
 正義感や責任感が強い反面、それを貫き通そうとする余り見失うものが増えてしまう。真咲の表層ばかりに目を奪われる者には、決して気付く事の出来ない小さな弱点。
 感情や人間的な思考というものを意図的に排除し、表層を繕いながらも思考を常に離した場所に置くルパートにとっては、不器用だと思える反面、可愛らしいとも思える部分だった。
『そう考え込まないで下さいよ。尤もらしい言い方をしましたが、これは全部、俺の推測でしか無いんですから。真実は、俺だって解ってはいません。ただ、可能性の話をしたまでですから』
 ルパート落ち着いた口調のまま、相手を諌める様に告げた。小型のペンライトを上部から掲げ、地図と共に広げた懐中時計を照らす。どうやら、手短に話をするつもりが、一時間近く話し込んでしまっていたらしい。時刻は、午前4時を13分ほど過ぎていた。
『リーダー、最後にもう1つ』
 ルパートは目を細め、地図を睨み付ける様にして声を落とした。
『……次に、敵が狙うと思われる場所の情報を傍受しました』
「ルパートっ!」
 真咲はマイクに噛み付かんばかりの勢いで、衝動的に声を荒げた。対するルパートは平静を保ち、真咲の勢いが落ち着くをのを待つ様に沈黙する。真咲は眉を寄せ、細く呼吸をすると、再度ルパートに対し言葉を掛けた。
「どういう意味だ? ルパート……」
『チャンネルをセットしていた時、偶然相手の会話を拾ったんですよ。拾われない様に巧く誤魔化していたみたいですが、信号の一部を間違えていたみたいですね。
 『次は国会議事堂を襲撃する。そこで仕切りなおしだ』と、言っていましたよ』
「……国会議事堂」
 繰り返す様に言葉を呟き、広げていた地図へと視線を落とす。赤い境界線の引かれた先、小さく空白になった箇所に書かれた国会議事堂という文字を凝視する。
「今度こそ……今度こそ捕まえてやる!」
 呟いた次の瞬間、真咲はインターカムを外すし強制的に回線を切断した。苦々しそうに眉を寄せると、咥えていた煙草を投げ捨て、ケースをジャケットの内ポケットに捻じ込む。バイクにキーを挿してエンジンを回転させのと同時に、キックレバーを蹴り上げ、アクセルをフルスロットルにまで入れ発進させる。
 真咲は、たった1人で次の爆破予定場所とされる国会議事堂へと向かったのだ。
「……っ、あっ! あの野郎ぉっ!」
 一瞬にして、真咲側の通信回線がインビジブルになり、ルパートは怒りの余り大声を上げた。ボンネットの上に叩き付ける様にしてインターカムを外すと、地図を掴みオフロードカーの運転席へと乗り込んだ。
「くっそ! 1人で走りやがってっ!」
 苦々しそうに叫びながらドアを閉め、当時にエンジンを掛けクラッチを切る。踵でアクセルを全開にまで踏み込むと、クラッチを繋ぎ車を急発進させる。地図を広げ進行方向を確認すると、煩く点滅するナビゲーターに北方向の目的地を叩き込み、一気にステアリングを切る。
 ルパートも、真咲を追いかける様にして、国会議事堂へと車を走らせた。


 3

 僅かに白み始めた空の色に、真咲は眼球の奥に痛みを感じ眉を寄せた。吸い込む朝の大気が空腹の胃を締め付け、本能的な嘔吐感に見舞われる。額の熱は下がる気配をみせず、肩や腕、指先にまで気だるい感覚が染み渡っていた。
 目的地の数メートル手前でバイクを停止させると、真咲はその場所を睨み付ける様にして見上げる。そこには、朽ちたコンクリートの建造物が静かに佇んでいた。建物全体の1/3だけが原型として残るその場所は、過去に国会議事堂と呼ばれた歴史の中枢を担っていた場所だった。
 建物の2/3が雨風や災害等で破壊され、辛うじて残る東側の建物だけが、その頃の面影を名残惜しそうに残している。剥がれ落ちたコンクリートや剥き出しになった鉄骨が、痛々しさと不気味さを含んだ物悲しい雰囲気を漂わせている。
 真咲はバイクから降りると、簡単な装備を整える為に皮のケースを開けた。リボルバー2丁にデリンジャー10丁、コンバットナイフを携帯し、9ミリパラベラムと44レミントンマグナムを携帯ケースへと詰める。
 劣化した建物の中では火力の高い重火器を扱う事は出来ない為、必然的に携帯出来る形の武器を選ぶ事になってしまう。敵の人数や所持する武器を考慮すると、かなり心もとない兵装とも思えるが、それは己の戦闘経験とPSI能力に頼るしかない。
(……ここで敵を潰す。応援を待っている暇は無い)
 真咲は旧エンフィールドタイプのリボルバーをショルダーホルスターから引き抜くと、左手に構え巨大なコンクリートの屍の中へと走り出した。

「いいか! リーダーは俺が見つける! リーダーのいない間に何があっても、絶対に持ち場を離れるな! 構わず捜索を続けろ!」
『ちょっ、ちょっと待てルパートっ! どういう意味だ! お前だけがリーダーを探しに行くなんて!』
「どうもこうもない! これは俺の責任なんだよ! いいから構わず任務に就いてろ!」
 メンバーとの連絡を繋げていたインターカムを助手席の上に投げ捨てると、ルパートは大きくステアリングを切った。車体が大きくぶれ、砂埃を巻き上げながら車が大きくドリフトを行う。片側に掛かる一瞬のGに眉を寄せながら、ハンドルをカウンターで戻すと、ルパートは苛立ちから唇を強く噛み締めた。
 元々、真咲という男が外見や口調に似合わず感情的になり易いという事は、以前から理解していた事実だった。隊長という肩書きがそれを必然的に抑制し、彼の思考のバランスを保ってくれていたのだと思っていたのだ。
 だが、その考えは甘いものであった事をルパートは自覚した。真咲という男の本心は、『頼れる誰かが傍でサポートをする』事が出来れば、誰よりも早く自分が戦場の中心に向かい、戦いを行いたいと思うタイプなのだという事を、改めて自覚させられたのだ。
 指揮を取る事も統括をする事にも、真咲の能力は長けている。ただ、彼の思考は常に戦場の中へと向けられている。戦いを好むという意味ではなく、『守る為に、己が戦う』という意思が過剰なほどに強いのだ。
「信じてくれるのは嬉しいんですけどね……! 付き合うこっちだって、そんなにタフじゃないんですよ……っ!」
 細く入り組んだ道を蛇行する様なかたちで走行しながら、目的地である国会議事堂跡地へと向かう。今回の爆破事件以降、主要道路の大半が意図的に閉鎖されてしまい、通常なら10分もかからない距離に倍以上の時間が費やされてしまっていた。
「貴方がザコ程度でやられるなんて微塵も思ってはいないですけどね……! 顔に傷でも付けられたら、責められるのは俺なんですよ……!」
 細い道を抜け切った先で、フロントガラスに見える世界が大きく開けた。同時に、ステアリングを大きく切りながら強くブレーキを踏む。
 汚れたフロントガラス越しに映る巨大なコンクリートの屍は、不気味なほどに静まり返って見えた。

 倒壊から免れた東側の建物は、不自然なバランスを保ちながら夜の闇の中に存在していた。 元々は中央の建物へと繋がっていたのだろう、1階付近から中央に見える瓦礫の山に向けて細長い通路が延び、その入り口が閉ざされる事なくだらしなく口を開けている。
 真咲は北側に見えた扉からではなく、その入り口から建物の中へと足を踏み入れていた。
 途端、滞積した瓦礫の黴臭さと、すえた火薬の匂いが粘膜の奥を刺激した。真咲は、倒壊から免れた東側の建物の室内を、目を細める様にして伺う。
 元々はエントランスか何かに使われていたのだろうか。大きくとられたホールには、中型のシャンデリアが骨組みだけを残して落下している。その奥には上階へと続く螺旋階段の姿が見える。元は美しい螺旋を描いていたのだろうか。石で作られた長細い螺旋階段は、今ではいびつな曲線を作り無残な形だけが残されていた。
「いる……」
 皮膚の表面を撫で上げられる様な不快な空気が、その場所には満ちていた。呼吸をすると肺の中がジリジリと焦がされていく様な感覚をおぼえ、呼吸をする事さえも躊躇われる様な気持ちになる。明らかに、その場所には人口的な『何か』が存在し、それが大気を汚染しているのだという事が明確に感じられた。
 真咲は崩れ掛けたフロアに肩膝を付くと、掌を床に当てて意識を集中させた。そこから、建物自体に残された新しい記憶を探し出していく。真咲の持つ千里眼の能力を、サイコメトリーの様に復元と再生というプロセスを踏まえ構成を組替えたものだ。
「……っ!」
 数秒の後、一瞬のイメージが網膜の裏側に映像として映し出される。そこには小さな子供が数名、小さな掌の中には不釣合いの大型の爆弾を手にして笑っている姿が見えた。
(こんな子供が。あの亡命者の中に混じっていたのか……)
 瞬間、脊髄を貫くかの様な冷たい痛みと同時に、真咲の瞼の裏に赤い光が広がった。

 鼓膜の内側に響く鈍い轟音に、ルパートは耳を疑った。それは爆発音にも似た音で、音は旧国会議事堂方向から聞こえたものだった。
「あ……く、っ!」
 こめかみを貫く様な痛みに、ルパートは思わず呻き声をあげる。強い『エスパー能力者が能力を発動させた』場合、同じエスパーに限らず近くにいるエキスパートにさえ、その影響は大きく現れる。それが特に『精神に干渉する能力』であればあるほど、影響は強く現れる現状にあった。
 頭を振り、音の聞こえた場所へと視線を向ける。轟音が聞こえたはずの場所は、数分前と全く変わらない姿で存在していた。そこには『何かが破壊された形跡』は無く、一瞬の轟音は余韻も残さずに『消えてしまっていた』。
「まさか……テレバスの一種? エスパーがいるのか?」
 呟いた声は僅かに震え、強く握り締めたルパートの掌には薄く汗が滲んだ。
 PSI能力の一種に『テレパス』というカテゴリが存在する。このテレパスとは人の精神に直接働きかけ精神や五感、あるいは記憶や神経情報といった箇所にまで強く作用する事が出来る能力を示している。通常、エスパーが持っている能力はこの中の1部でしかなく、複合的なテレパスを持ち合わせるものは殆ど存在していない。何よりも、範囲や状況が特定されるテレパスを、広域範囲で使用する事など原理としてはありえない事だとも言える。
「さっきのあれは……確実に『幻視』だった。あんなテレパス能力を使える奴が、向こうにはいるのか……!」
 ルパートは、己の浅はかさに苛立ちと激昂をおぼえ、無意識のうちに奥歯を強く噛み締めていた。直接的な能力勝負になってしまった場合、ルパートは加勢をするどころかサポートという立場であっても何もする事が出来なくなってしまう。下手をすれば足手まといとなり、戦局を悪化させる可能性も出てくる。
「今は……」
 己を責めそうになる思考を呟く事で相殺し、肺の奥から感情を吐き出す様に大きく呼吸をする。
(今の俺がやらなければならない事は、正面からリーダーを助けに行く事なんかじゃない。……俺が出来る事は)
 ルパートは、北側に見える扉に向けて走り出した。

「……っ!」
 不意に、立っていたフロアの床が抜け落ち、真咲の体が重力に従い地下へと落下しようとした。崩れかかった瓦礫を足で蹴り上げて跳躍すると、咄嗟に視界の中に映った窓の格子に手を伸ばしそれを握り締める。錆びた鉄筋独特の鈍い軋みに不安を抱きながらも腕に体重を掛け、壁の側面を蹴り上げる様にして、吹き抜けになっている2階へと跳躍した。
「いたよー! 何か『引っかかった』よー!」
「嘘だぁー。ここには何もいないって、大人達が言ってたじゃないかー」
「嘘じゃないもん! 本当に引っかかったんだもん!」
 まだ声変わりの気配すら見せない幼い少年と少女の声が、崩れ掛けたエントランスの中に響き渡る。軽い足音を響かせながら歩き回る2人の子供の姿は、倒壊しかけの建物の中には不気味なほど不釣合いに見えた。足音の1つが突然止まり、同時に少女の声が煩く響き渡った。
「あーっ! いたよー! 見つけたよー! やっぱりあたしの言う通りだったじゃないー!」
「……っ、ぁっ!」
 同時に、真咲の体の表面に重厚なタールの様な感覚が纏わり付いた。それは皮膚の表面に張り付き、呼吸が出来る全ての器官を塞ごうと蠢く。真咲は首や口の中に入り込む黒い感覚を必死に手で引き剥がそうとするが、なぜかその感覚を『手で掴む事が出来ない』。視界の中には黒い感覚が『存在しているはず』なのに、神経はそれを『認識する事が出来ない』。
(……まさか)
 真咲は、咄嗟にレッグホルスターに挿していたコンバットナイフを強引に引き抜くと、その切っ先を己の腕に向けて突き刺した。
「ぐ、ぁ……っ!」
 勢い良く引き裂くと同時に、真咲の腕から温かな鮮血が汚れた大気の中に拡散する。痛みが全身を貫いた瞬間、真咲の体を束縛していた黒い感覚が消滅した。
 真咲はナイフを握り締めたまま、2階のホールからエントランスへ向けて高く跳躍した。体が重力に従い落下しようとした瞬間、真咲は手にしていたナイフをフロアに立つ子供へ向けて大きく腕を振りスローングする。加速度を付けて投与されたナイフは、少女の腕を切り裂き鈍い音を立てて床の上に突き刺さった。
「きぁぁぁぁぁぁぁ! い、い、い、い、い、いたぁぁぁぁい!」
 少女は己の腕を押さえ付けると、床の上に蹲りのた打ち回る様にして悶絶した。少女の腕から吐き出される鮮血が瓦礫の積もった床の上に、いびつな赤い模様を描き出していく。
 真咲は、切り付けた腕を手で押さえ付けたまま、子供が立つ方向とは逆の壁際に着地し、ふらつきながら片足を崩す。
「うわぁ。あんたマゾ? マジで気持ち悪いんだけどー……」
 腕を押さえた少女が隣で泣き叫ぶ姿を一瞥する事もせず、少年は真咲に向けて不快そうな声をあげた。
「助けて……やらないのか」
 真咲は、僅かに怒気の込められたニュアンスで言葉を呟いた。そんな真咲の言葉が面白かったのか、少年は両手を大きく振りながらわざとらしい笑い声をあげる。
「あはははは! あんた何? コイツに攻撃しておいて『助けてやらないのか?』って? ばっかじゃないの? 何考えてんの? 頭おかしいんじゃない?」
「……仲間じゃないのか」
「ウザい。黙れ」
 自分の言葉に動じる気配を見せず、淡々と言葉を返す真咲に対し少年の声音が低く変わった。少年は泣き叫ぶ少女の長い髪を掴み上げると、そのままフロアの中心に向けて放り投げた。少女の体はいとも簡単に宙を舞い、そのまま落下する。
「いっ、いたぁぁぁぁぁぃ! いたいよぉぉぉぉ!」
「お前バカだろ? 切られたら痛いに決まってるじゃん。てか、もういい加減黙れよ。マジで煩いんだけど」
 少年は面白くも無さそうな口調で言い放つと、1段高くなった瓦礫の上に腰を下ろした。
 真咲は、そんな少年の姿を一瞥した。

「……つまり、お前らをこんな目に合わせたのは、全て『二人の子供』がやったという事なんだな?」
 痩せた30代前後の男の額に銃口を押し当てたまま、ルパートは抑揚の無い声で問い掛けた。男は口をだらしなく開け、ルパートの質問に首を縦に振る事だけで返答する。男には殆ど『言葉を話す事の出来る力』が残されていなかった。
 ルパートが北側の扉から建物の中に入り、直ぐ横に見えた部屋の中へと踏み込むと、そこには10数人の『大人』が折り重なる様にして倒れていた。その殆どが既に絶命しており、辛うじて生きていた者でさえ『生きている』というだけで身動きをとる事も会話をする事も出来ない状態だったのだ。
 そこにいた『大人達』は、ルパートが推測していた通り『UMEの隠密部隊』の者達だった。そこで、彼らは『子供』の手によって殺害されたのだった。
 ルパートが傍受した通り、彼らは旧国会議事堂を爆破すべく密かに行動を行っていたのだという。だが、今回『PSI能力がある』という理由で上層部から連れて行く事を命じられた子供が、突然大人達に反抗し大人を殺害した後にどこかに行ってしまったのだという。
 そこ子供は、異常なテレパス能力を所持していた。物理的にではなく神経や感覚に『攻撃』を加え、『肉体が攻撃された』と錯覚を与えた後に神経を『機能停止』させる事が出来るのだ。
 それまで大人しかった子供が、なぜ突然この様な行動に出たのか、大人達は状態を全く把握していなかった。ただ子供は『大人は頭が悪いから』と告げ、その後に大人達を殺害していったのだという。
「……その子供がどこに行ったのか、お前には解らないんだな?」
 男は再度首を縦に振ると、項垂れる様にして崩れ落ちた。男の姿を一瞥すると、ルパートは男に背を向け部屋を出て行こうとする。だが、ルパートが立ち上がろうとした瞬間、男はか細い声で言葉を告げた。
「……こ、ろし、て、くれ」
 ルパートは男の額に再度銃口を突きつけると、小さく言葉を呟きトリガーを引いた。

 真咲は冷たくなった少女の亡骸を壁際に横たえてやると、少年へと振り返った。結局、少年は最後まで少女を助ける事はせずに悪態だけを吐き続け、絶命した少女の体を蹴りつけ面白くなさそうな表情を浮かべていた。
「仲間? 友達? なにそれ? そういうのしたいなら勝手にすればって思うんだけど。いい加減、人に押し付けるの止めてくれない? 僕には関係無いんだけど」
 真咲は立ち上がると、感情の無い目で少年を見据えた。1度目を伏せ、再度目を開く。その目には、僅かに憐れみの色が含まれていた。
「確かに……な。お前の言う通りだ。仲間意識は他人に押し付ける行為ではない。個々が持つ認識、それで充分だ。……だが」
 左手を胸元まで掲げ、その掌に黒く鋭利なイメージを纏わせる。一瞬毎に増していくイメージは大気を震わせ、数秒後に真咲の全身には渦上の風が吹き起こっていた。
「だが、個人を冒涜する事、死者を冒涜する事は誰にも出来はしない。人は、誰かを冒涜する権利なんてものを持ち合わせて生まれてはいない。……誰かを侵害する事も、誰かに侵害される事も許される行為ではない」
「侵害? 許す? だれにー? そんなの、僕が知るわけないじゃん。大人ってのはそうやって、自分の都合の良い様に道理を捻じ曲げてるんでしょ? じぶんが傷つけられるのが嫌だから。……都合良過ぎじゃん。
 大人って、どれだけ無能で役立たずでも、人に頭を下げて媚びてれば、それだけで生きていけるんだよね。それってさ、プライドがないんでしょ? それでよく生きてられるよねぇ。そこまでして生きたいの? そんなに大事な人生なの? 僕だったら、誰かに媚びへつらうぐらいだったら、その大人殺しちゃうねー」
 笑い声を上げながら話をする少年に、真咲は1歩近づいた。その口元には、冷たく優美な笑みが浮かび上がっている。真咲は、少年と交わす最後の言葉を告げた。
「……だから、お前は子供なんだ」
 大気が凍りつく。少年は真咲の言葉に目を見開き、甲高い奇声を上げて激昂した。
「いっ! ……あぁぁぁっ! しっ、死ねぇぇぇ! お前なんか、死んじまえぇぇぇっ!」
 少年の体を取り巻く様に、赤く大きな渦が螺旋を描いて立ち上がった。大気が打ち震え、咽る様な熱を含み始める。少年は片腕を頭上へ掲げると、その手を勢いよく振り下ろした。
「死ねぇぇぇぇぇっ!」
 同時に熱を纏った赤い螺旋が真咲へ向かって突進する。だが、真咲は微動だにする事なく、左手に纏った黒のイメージでそれを切り裂いた。
「……な、んで?」
 瞬間、赤い螺旋は熱を含む大気の中へと溶け込む様に拡散する。少年は理解出来ない事態に全身を小刻みに震わせると、掌に赤い塊を作り出し、それを真咲へ向けて打ち出した。
 真咲は体制を低くし、黒のイメージを振りかざしながら少年に向けて突進する。赤い塊は一発も真咲の体に触れる事無く消えてしまった。
「なんでだよ、なんでだよ、なんでだよ! なんでなんでなんでなんでなんでぇっ!」
 少年は錯乱し、奇声を発しながら赤い塊を打ち出し続けた。だがそれも、真咲が距離を詰めた瞬間に意味をなさなくなってしまっていた。
「……所詮、『幻視』は『現実』になれはしない」
 真咲は呟くと、黒のイメージを少年の喉へと付き立てた。重い感触が掌から伝わり、同時に爆発した鮮血が逃げ出す場所を求めて外へと噴出される。少年の体は一度だけ大きく痙攣すると、直ぐに力を無くし項垂れ落ちた。
 真咲は黒のイメージを消滅させると1つ息を吐き出し、その場に膝を付く様にして崩れ落ちた。記憶が途切れる瞬間、なぜか彼の脳裏には作り笑いを浮かべる部下のイメージが映し出されていた。


 4

 ぶつかり合う轟音を聞きつけ駆けつけたルパートが見たものは、血に塗れた2人の子供と共に横たわる真咲の姿だった。ルパートはその光景に一瞬混乱し、言葉を無くした。この場所で何が起こり、何が終わったのか。彼には知りうる事の出来ない世界が存在していたからだ。
 ルパートはすぐさま真咲の止血を行うと彼の体を抱え上げ、車の中へと運んだ。無線を使い大隊へと連絡を入れると、真咲を病院へ運ぶ為に車を発進させる。既に冷たくなりはじめていた真咲の容態に、ルパートの表情からは血の気が完全に失われていた。
 真咲の状態は右腕殺傷による失血状態。神経等の腕を動かす為の箇所は傷つけられてはいなかったものの、出血の状態が激しく、一般人ならば失血死を起してもおかしくない状態だったと告げられた。
 真咲を病院へと運んだ後、ルパートは上層部からの尋問と会議に掛けられた。任務上での行動であったとはいえ、単独で行った行動に対しては処罰が与えられる事となったのだ。だが、ルパートにとっては己の処罰よりも、真咲の容態の方が気がかりとなっていた。
 3日後、ルパートは漸く、意識を取り戻した真咲に会う事が出来たのだった。

 瞼の裏に白い光の痛みを感じ、真咲は目を覚ました。視界の中では、見慣れない白い天井の中で白いカーテンが不規則なリズムでゆらめいている。少し冷たく感じられる大気が、薄曇が掛かった様にまどろむ意識を少しずつクリアにしてくれた。
「……おはようございます。目が覚めました?」
 不意に聞き覚えのある声に呼びかけられ、真咲はぼんやりとした視線をそちら向けた。そこには、いつもよりも少し物静かな雰囲気を纏ったルパートの姿が見えた。
「3日ぶり……ですね。覚えていますか?」
 問い掛けられたルパートの言葉に、真咲は目を閉じて眠っていた己の記憶を再生させようとした。だが、まだ意識は覚醒しきっていないのか、巧く思い出す事が出来ない。
 真咲は少し申し訳なさそうな表情を見せると、首を横に振った。
「仕方ないですよ。目覚めたばかりなんですから。……今は、ゆっくり休んで下さい」
 真咲は、ルパートの言葉に従う様に目を閉じ、ゆっくりと呼吸をした。体はまだ眠りを求めていたのか、意識はすぐに体の奥へと沈み込んでいく。規則的な寝息をたて眠りに入った真咲を見下ろしたまま、ルパートは小さく苦笑いを浮かべた。
「貴方もも、いつもこんな風に可愛げがあったらいいのんですけどね」
 額に掛かる髪をゆっくりと指先で撫でながら、ルパートは小さな声で呟く。
「……起きたら、2人で独房デートが出来るかもしれませんね?」
 慌しく過ぎた時間を思い起こしながら、これから始まる慌しい時間をイメージし、ルパートは小さく笑みを浮かべた。


..........................Fin
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
黒崎ソウ クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2004年08月30日

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