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『 コクハク 』
高柳・月子3822)&都築・秋成(3228)

 石畳風の歩道を駆け抜ける1人の女性――高柳月子――。
 時折行き交う人々に肩をぶつけている。
「ごめんなさい」
 ぶつかっては謝りながら、月子ははやる気持ちに押されるかのように走った。
 白線で描かれた横断歩道が見えた。
 ふと、視線を上げると、歩行者信号が点滅し、赤に変わろうとしている。
 高級デパートや、個性的な個人店が建ち並ぶこの通りは、人通りが多い。
 その為か、視線の先には、人々がふくれあがっていた。
 日本の平均身長が、欧米人に追いついてきたとはいえ、男性と女性では差があり、必ずしも、全ての人が長身な訳ではない。
 現に、信号待ちをしている人々の身長はさほど高いとはいえない。
 だからであろうか、長身の男性は頭1つ飛び出していた。
「見つけた」
 肩で息をしながら、月子は口を真一文字に結んだ。
 一大決心をしたのだ。
 そう、あの日出会ってから――。

   ◇---◇

 月子は、アパート近くにある、小さな和菓子屋で働いていた。
 基本的に販売が仕事であったが、制作の手伝いなどもしている。小さな和菓子店などでは、忙しい時は従業員総出で和菓子作りの手伝いをさせられるのは、ごく当たり前のことである。
 月子にとって、それはとてもありがたいものだった。
 なんせ、 和菓子作りは趣味なのだから。
 兎に角、この和菓子屋で働くこと自体、月子には満足出来る選択であった。
 そんなある日、1人の男性がやってきた。
 こんな小さな和菓子屋に来るには珍しい人。
 若い人達は洋菓子店へと足を運ぶ。観光客などは、有名店がひしめくデパートの地下や、観光雑誌に紹介された店舗へと向かう。
 古い民家が並ぶ中にひっそりと建っている、小さな和菓子屋になど、一見で来ることは珍しいのだ。
 だから、月子には、彼が印象的に映っていた。
「いらっしゃいませ」
 きつい顔立ち――自分の顔が、人に与える印象など、解りすぎていた。だから、店にいる時は、営業スマイルを心がけていた。
「あ、こんにちは」
 月子の耳にすんなり入ってくる、ゆったりとした口調の、優しい声音だった。
「えっと……」
 そう続けると、ショウウインドウに飾られた、生菓子を物色し始めた。
「お土産用の水羊羹はありますか?」
 男性は視線を上げることなく、色彩豊かな生菓子に生唾を飲み込んでいる。
「こちらでいかがでしょうか」
 月子は、ショウウインドウの端に飾られていた水羊羹のかご盛りを取り出し、男性に見せた。
「ああ、それ、そういうのを探していたんですよ。それ下さい」
 ふわりと笑うと、ズボンのポケットを探って、財布を取りだした。
「2100円です」
 そう言うと、月子はてきぱきと商品を包み始めた。
「千円札2枚と、百円玉で……ここに置きます」
 チャリンと小銭が音をたてた。
「はい。ありがとうございます」
 ニッコリ――と、営業スマイルを向けると、紙袋に入れた商品を男性へ手渡した。
「ありが……」
 そこで、男性の言葉が途切れた。
 よく日に焼けた、精悍な顔つきをした男性。年齢は20代後半か30代前半であろうか。
 黒く澄んだ瞳が、月子を直視した。
 いや、正確には、月子の後ろを――である。
「……」
 またか――と月子は思っていた。
 26年生きてきて、イヤという程遭遇している場面に、月子は内心溜息を吐いた。
 物心ついた頃から一緒にいる後ろのモノ。それは、月子を護っている先祖であり、霊狐なのである。
 とはいえ、強力な妖力を誇る狐が憑いているのだから、その力は彼女を通して発揮される。故に、周囲に何故か近付きがたい印象を与えてしまっているようである。
 だから、いいな、素敵だなと思う男性がいても、避けられてしまうし、少しでも霊感がある人物なら、白くぼやけたそれに驚き、腰を抜かすこともあるのだ。
 どちらかと言えば、美人の部類に入る月子なのだが、それのお陰で男性には縁がない。
「……何か?」
 瞳をスッと細めると、冷ややかな口調で問いかけた。
 好きになっても結局はコレのせいでふられてしまう。だったら、最初から寄せ付けなければいい。
 いつの頃からか身につけた、心に傷を負わない為の処世術。
 少しつり上がった瞳は、細めることにより、更に凄みが増す。
 そして、睨み付ければ、眼力に気圧され、たいての男は逃げ出すのだ。
「うっわぁ」
 男は顔をパッと明るくすると、感嘆の声を上げた。
「?」
 月子の目の前で、男は少年のような屈託のない笑みを浮かべている。
 自分の眼力が足らなかったのだろうか――そう思い、更に睨み付けようと、瞳を伏せた瞬間だった。
「綺麗ですね。うっわぁ、艶々の毛並みをしているんだ。思ったより、柔らかい」
 そう言うと、右手を月子の後ろに伸ばし、そこにいる『狐』を優しく撫でている。
「……え?」
 白い影として見られることはあっても、その実体を認識することは誰にも出来なかった。ましては触るなどという行為が出来るなどとは、思ってもみなかったのだ。
 月子の後ろで、『狐』は、瞳を細め、気持ちよさそうに頭を下げている。
 なついている? ――『狐』が視えたことも意外だったが、見ず知らずの男に心を許していることの方が、もっと意外だった。
「見える……の?」
 紡ぎ出した声が、思った以上に掠れていて、慌てて1つ咳をした。
 そんな月子に、男はやんわりとした笑顔を向けた。
「見えるもなにも、これだけの存在感なのですから、十分気付きますよお」
 男っぽい顔立ちには不釣り合いな程に、優しく笑う。しかし、その笑みは、とてつもなく優しく、月子の凝り固まった感情を解きほぐしてくれるのだ。
 つられるように月子にも笑みが浮かんだ。
「あなたは……不思議な方ですね」
「そうですかあ?」
 おっとりとしたしゃべり方である。きつい性格の月子からしてみれば、頼りなく感じてしまう。
「おっと、お仕事中にお邪魔してしまって……」
 そう言うと、買ったばかりの商品を握りしめ、軽く会釈をし、店を出ていこうとした。
 ガシッ
 気付けば、カウンターから身を乗り出し、腕を捕まえていた。
「はい?」
 そんな月子に、怪訝そうな表情を向けることなく、首を傾げる。
「あ、ごめんなさい。その……お名前……を……」
 衝動的とはいえ、自分の取った行動が、急に恥ずかしくなり、言葉がしどろもどろになる。
「都築秋成です」
 やはり、優しく微笑むと、「それじゃあ」と言葉を残し、店を出ていった。
 その後ろ姿を見つめながら、月子は呪文のように、彼の名前を口にしていた。
 胸の奥がドクンと跳ね上がった。
 思わず胸元を手でさする。
 不快ではないが、不思議な感情が、徐々に広がり、体中を包み込む。
 それがなんなのか、月子は知っていた。
 恋――気付けば、彼を好きになっていた。
 少しの会話しかしていないのに、脳裏に残る彼の声に、頬が緩む。
 全ての感覚が、彼の存在を求めている。
 
 ふと、現実に戻る。
 自分を受けて入れてくれるのだろうか――こんな自分を。今まで、誰にも受け入れられなかった自分を――。
 しかし、彼は見つけてくれた。
 後ろの存在を。そして、綺麗だとそっと腕を伸ばしてくれた。
 
 月子は、ゆっくり瞳を閉じた。
 信じよう、自分の感覚を。そして、大切にしよう、この感情を。
 瞳を開くと、いつもと変わらぬ内装が視界に入る。
 しかし、いつもより世界が輝いて見えるのは、彼女の心が弾んでいるからであろう。
 月子の営業スマイルが、自然なモノへと変わる。
「また来るかしら……」
 ふと、そんな疑問が浮かぶ。
 この町に住んでいるなら、もう一度会うこともあるだろうが、もし、ただの通りすがりなら?
 たまたまこの町に来ただけで、もう二度と来ることがないのなら?
 月子の胸中に、不安が過ぎった。
 追いかけようかと思った時だった、裏から月子を呼ぶ声がした。
「は、はい」
 店の外を気にしつつも、呼ばれた方へと向かった。

 あれから、月子は眠れぬ夜を幾日も過ごした。
 なぜ、あの時追いかけなかったのだろうか――と、何度後悔したことか。
 和菓子がよほど好きか、和菓子を必要としている家業でなければ、頻繁に商品を求めに来ることなどない。それは、十分解っていた。
 それでも、もう一度来てほしい――と、毎夜、空に輝く月に願っていた。
 その願いが通じたのか、初めて出会ってから一週間後、ふらりと彼が現れたのだ。
 秋成は、茶菓子にするからと言って、饅頭を数個買い求めた。
 おっとりした口調、のんびりした仕種、全てが不思議と輝いて見える。
 自分の感情の全てが、彼へと注ぎ込まれる。

 恋しい――そして、切ない。

 2つの感情が、月子の中で交錯する。
 胸の奥をかき乱す憎らしい存在――秋成を、軽く睨み付ける。
 しかし、そんな月子には全く気付いていないのか、「おいしそうですねえ」などと、ふわりと笑う。
 その笑顔1つで、全てを許せてしまう。
 好きになってしまったのだから、しょうがない。
「本当に、こちらのお菓子は美味しいですね。また、寄らせて頂きます」
 そう社交辞令ともとれる言葉を残すと、秋成は買った商品を手に持ち、店を出ていってしまった。
 今度こそ追おうと決意していたのに、いざとなると、足がすくんで動かない。
 もう、二度と会えないかもしれないのに、「待って」という一言が咽の奥につかえて出てこないのだ。

「バカ月子」
 思わず、自分を叱咤する。
「こんな時に、なんで怖じ気づいているの」
 そう、異形のモノと対峙した時だって、ビビったことなどないのだ。
 それを、たかが男1人を前に、これほどまでに消極的になるとは――これも、恋という魔法にかかったせいなのだろうか――と、深い溜息を付いた。
「月子ちゃん、休憩に入っていいわよ」
 裏から、店主の声が聞こえた。
「は、はーい。じゃあ、後はお願いします」
 そう言うと、白いエプロンを外した。
 ふと、硝子張りの扉を見つめた。
 若いカップルが、絡み合いながら歩いている。
「……」
 白昼堂々と、ベタベタくっつきあって、恥ずかしくないのだろうか――そう思いながらも、好きな人が側にいると、周りが見えなくなる感覚なら理解出来るのだ。
「……」
 後ろの『狐』が一生懸命何かを訴えている。
「……」
 何かが月子の脳を刺激した。
「ちょっと、出かけます」
 裏に向かって、そう叫ぶと、月子は店を飛び出した。

   ◇---◇

「見つけた」
 かなり走ったせいか、額にはうっすらと汗が滲んでいる。
 息が弾む。それでも、息を整えるその時間さえ惜しいと言わんばかりに、目指す場所へと向かった。
 艶やかな黒髪の乱れなど気にせず、真っ直ぐその人を見つめた。
 歩行者信号が青に変わり、人の群れが一斉に前方へと移動する。
 
 ガシッ

 動きだそうとする男性の腕をしっかりと捕まえた。
「え? あれ?」
 誰かに腕を取られ、歩き出せないことにキョトンとし、秋成は振り返った。
「あ、和菓子屋の店員さんじゃないですか」
 相変わらずののんびりとした口調に、気持ちが萎えそうになる。
「こんな所で、奇遇ですねえ」
 この男は天然なのだろうか――くじけそうになる気持ちをしゃんとさせるため、軽く唇を噛みしめた。
「あたし、あなたが好きだから」
 歩道の真ん中に立ちつくしている2人に、周囲の通行者は、迷惑そうな視線を向けてくる。
 が、そんなことはお構いなしと言わんばかりに、月子は続けた。
「好きになったの。だから、覚えておいて」
 掴んでいた秋成の袖を引っ張り、顔を自分の方へ近づけされると、はっきり言いきった。
 端から見れば、厳しい顔をした月子が、秋成に文句を言っているように見える。
「それじゃあ」
 掴んでいた袖を放すと、踵を返した。
「はあ」
 月子の耳に、間の抜けた返事が聞こえた。
 ちらりと後ろを振り返る。
 戸惑うと言うより、今起こった状況が理解出来ていない表情をしていた。
 それでもいい。兎に角思いは伝えたのだから――そう、月子の恋はこれからなのだ。
 ふと空を見上げた、夏の太陽が眩しくて、思わず瞳を細めた。
「あたしを好きにさせてみせる」
 決意を込めて口に乗せると、足取りも軽やかに、月子は店へと戻って行った。

END.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
時丸仙花 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年08月26日

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