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『Overture 』
尾神・七重2557)&城ヶ崎・由代(2839)&デリク・オーロフ(3432)

「開発されることになったんだね、この場所も」
 数歩後ろを歩いている由代の言葉を耳にとめ、七重は言葉なく頷いて足を止めた。
由代は七重の返答がないことにはさほど気に留めず、強い主張はないが上質な作りをされたジャケットに指を滑らせる。
「穏やかではない最期を迎えた者達の念が渦巻く場所だ。……さて、どんなものが建てられるやら、だね」
 聞く者を魅了するバリトンでそう失笑してみせる由代に、七重は初めて口を開いて暗紅を宿した瞳をぶつけてみせる。
「……今日ここに来たのは、処刑場跡地を見学するためでも、これからここに建立させるだろうものへの想像を成すためでもありません」
 暗い瞳に鈍い輝きを乗せてそう呟く七重に、由代は肩をすくめ、笑った。


 七重がよく見に行くネット上のとあるサイト。サイト名をゴーストネットOFFというが、そこには日夜、全国あらゆる場所から怪異な情報や噂が寄せられる。
そのサイトの管理人と多少ながらの縁があるということも手伝って、七重は度々、怪異な現象があるとされる場所に足を運ぶ。
そのゴーストネットに、つい先日気になる投稿が寄せられた。

 東京湾近くのスズガモリ。かつて処刑場として使われていたというその場所は、その名の通りに数々の怪異が寄せられる。
しかしそれは大抵が何がしかの霊を目撃しただとか、そういった類に属するような情報ばかりだ。
ところが先日寄せられた投稿によれば、スズガモリの開発が決定した辺りから、時と条件を選ばずに鈴の音が聞こえるようになったのだという。
それはどこからともなく響いてくるものであって、果たしてそれが鈴であるのかなどといった確証は得られていないのだともいう。
その怪異を解明するべく足を運ぶことになった七重だったが、彼が家を出立しようとした矢先、玄関口で待っていたのが城ヶ崎 由代であった。
由代は七重がスズガモリを目指しているのだということを知っていて、自分もそっちへ用事が出来たから同行しようと笑んだのだった。

 空はあいにくの雲行きで、今にも土砂降りがきそうな天気だ。
ススガモリは開発を前にしてすでにさら地に整えられており、ところどころ着工工事のための準備が成されている。
「雨、が降りそうですね」
 厚い雲が広がる灰色の空を見上げて目を細める七重の言葉に、由代はフムと頷いた。
「傘を持ってきていないだろう? 降り出す前に片付けて戻るとしようか。……美味いコーヒーを出す店を見つけたんだよ」
 丁寧に撫でつけられた黒髪に片手をそえて空を仰ぎ、小さな笑みを浮かべる由代の顔を一瞬だけ見やると、七重は言葉を返す代わりにかすかに首を縦に振った。

 スズガモリにあるものがなんであるのかということは、事前に調査済だ。
この地の地中深くに眠るもの。それは



「箱、ですカ」
 所属している魔術教団の上層部からの通達書類に目を落としながら、デリク・オーロフは深いため息を一つつく。

 つい今しがたまでデリクを訪ねてきていた初老の男の顔と言葉を思い出しつつ、グラスの半分ほどまで残っているアイスティを一口すすった。
――――君が日本にいて本当に良かった
 老人は開口一番にそう言うと、白い飾り気のない封筒を一枚、デリクに向けてさしだした。
丁寧に蝋で封を施されたそれを開けると、中には几帳面な性格を見て取ることの出来る文字で、デリクに対する依頼文が記された紙が一枚。
否。それは依頼文という名を冠した命令文だ、と、デリクは小さく笑みをこぼす。

東京・スズガモリより回収してきてほしいものがある。

 手紙には用件だけが記されており、当然のことであるかのように、季節の挨拶などといった文句を見出すことは出来ない内容だった。
「箱ですカ」
 デリクはもう一度そう繰り返し、手紙から目をあげてチラと使者に目をあてた。
しかし使者はまるでネジが切れた人形のように、身じろぐこともなく、デリクの目線を意識している様子など少しも見せずに、ただじっと座っている。
ほんの少しでも目の奥を覗くことが出来れば、今回教団が自分を頼ってきたことの真意を知ることも出来るだろうけれど。
デリクは小さな笑みを顔に張りつかせて睫毛を伏せると、もう一度手紙の文字を目で追いかけた。
「それで、その箱はどういったモノなのですカ?」
 問いかけてチラと目を上げる。
使者は深く短い嘆息をつきながら体を前のめらせて、低く呟くように応えた。
「触媒だよ。それ自体は悪しき力を放っているわけではないが、それを手にした者の心を反映して悪しきものにもなりうる触媒だ」
「ははあ、なるホド。それで、上層部の賢人方はそれを手にしてどうしようというんでしょうカネ?」
 足を組みなおし、ゆったりとソファーに腰を据えて使者を見る。
しかし老人は再びネジの切れた人形になっていて、その心の底を覗き見ることなど、出来そうにもなかった。


 使者が帰った後、無遠慮にドアを開けて入ってきた少女が、デリクの前にあるグラスの中を見て眉根を寄せた。
上手に淹れられるようになったアイスティーの琥珀を、無碍に薄めてしまったことが気に入らなかったらしい。
淹れ直してくると言って踵を返した少女を呼び止めて、デリクは満面の笑みを浮かべた。
「ちょっと用事が出来たので出かけてきまス。なぁに、五分……いや、十分もすれば戻ってきマスから。今度はミルクをたっぷり淹れたやつをお願いしますネ」


 
 風の勢いが強さを増した。
湿り気を帯びた風が七重の銀髪を梳いて流れて行く。
「いよいよ降り出しそうだね」
 由代が重々しい雲が広がる空を仰いで眉を寄せる。
 七重は由代の言葉に耳を傾けつつ、しばらく無言でスズガモリを隅々まで眺めていた。
広大な土地ではあるが、このどこかに必ず”箱”はあるのだ。
七重の能力を持ってすれば、それがどこにあるのかを見出すことは容易い。
しかし見た事もないそれを、限られた情報のみに頼ってイメージすることは、決して容易ではない。
ぼんやりとするイメージを頭に浮かべ、それを元にスズガモリの広い土地を眺める。
「……どうかな、尾神君。場所は分かりそうかな?」
 離れた場所から由代が呼びかける。その言葉に振り向くと、七重は小さく頷いて瞳を細めてみせた。
「今、取り出します」

 それは拍子抜けするほどにあっけなく、地中から姿を現した。
どれだけの歴史を眠り続けてきたのか分からないほどの時間。けれども箱は確かに息吹いており、自分を呼び起こし、手にしてくれる存在を待ち続けていたに違いないのだ。

 リン リィン 
 鈴の音に似た声を立てて地表に現れた箱は、思ったよりも小振りで、七重の掌の中にもすっぽりと収まりそうな大きさだった。
箱を封じる鎖の代わりだろうか。真白な布が幾重にも重なって箱を包みこんでいる。
今まで土中にあったとは信じられないほどに、汚れの一つも見当たらない小さな四角い箱。
 箱を手にしようと伸ばした七重の腕を、降り出した雨の滴がポツリと濡らした。
一つ二つと降り出した滴に動きを止めて、七重はふと空を見やる。
気鬱を呼びそうなほどの重々しい雲。――遠くでは、時折雲間を走る雷光が、小さな怒声をあげている。
 リィン リィン
 宙に浮かんだままの箱が、自分を手にしてくれる誰かを呼び寄せるかのように、小さな声を響かせた。

 七重は極端に体が弱い。それには尾神ゆえの理由があるのだが、今はそんな事よりも七重の体を危惧したほうがいいだろう。
 由代は降り出した雨が本降りになる前に引き上げようと、空を仰いでいる七重の肩を軽く叩いた。
「風邪をひいてもなんだから、まずは引き上げるとしよう。……それが何なのかは、戻ってからゆっくり調べればいいじゃないか」
「……そうですね」
 由代の言葉を素直に受け入れ、改めて箱に手を伸べる。
しかし七重の指先が箱に触れようとしたその瞬間に、二人の目の前にあった景色が大きく歪み、その向こうから男が一人顔を覗かせた。
「あれエ? これはこれは、ひどく奇遇でスね!」
 男は不自然な場所から身を乗り出すと、人懐こい笑みを満面に浮かべて由代の傍へと近寄った。
それから着ているスーツを濡らす雨に気づき、空を見上げて間延びした声をあげる。
「ウハァ、降ってきちゃいマシたか。いやでスねえ。雨に濡れるとイヤな匂いがスーツに染み付くんデスよ」
 これは大変だと続ける男の口調は、しかしひどくゆったりとしてもいる。
「……デリク?」
 突如現れた男に目を見張り、驚きの声をあげたのは由代だ。
「デリク、どうしてここへ?」
「いやあ、ちょっとしたお遣いでスよ。この年でお遣いもないデスけどねえ」
 呑気な笑いをあげて金色の髪をかきあげる。それから由代の傍にいた七重の存在に気付き、メガネの奥の青をゆらりと揺らす。
「……おやおや、これはハジメマシテ。私、名前をデリク言いますネ」
 親しげに微笑みながら七重に右手を差し伸べながら、デリクはわざと怪しい日本語を使って挨拶を述べた。
七重は、ともすれば失礼な態度とも取れるデリクの挨拶に対し、眉を寄せることなく右手を伸べ返す。
「僕は尾神 七重です。初めまして、……デリク……さん?」
 がっちりと握手を交わしつつも、目の前にいる男の名前が判然していないことに気付いた七重は、紹介を請うように由代に目を向けた。
その視線に気付いた由代が改めて二人を紹介する。
「この子は七重君。僕のちょっとした……いや、何かとお世話になっている少年だ」
 デリクは頷いて七重を見やる。七重は小さく頭をさげた。
「彼はデリク・オーロフ。僕が昔魔術教団に属していたということは話してあったと思うが、その教団に関連する知り合いだよ」
「デリク・オーロフさん、ですね。よろしくお願いします」
 七重は由代の紹介を受けて改めて頭をさげる。対し、「これはご丁寧にありがとうゴざいマす」踊り出すかのような優美な動きで腰を曲げ、デリクがにやりと口の端を引いた。
 
 雨はいよいよ強く降りはじめ、雨避けになるためのものが一つもない場所にいる三人の体を、容赦なく叩きつけていく。
しかし不思議にも、地中から姿を現した箱は雨の滴一つ寄せつけず、ただ小さな声を響かせて宙に浮いている。
「雨が強くなってきましたし、もう戻ることにします」
 雨が切り揃えられた銀髪を伝って流れる。
七重は横にいる由代に顔を向けて頷くと、宙にある箱に手を伸ばした。
リィンリィンという、涼やかで小さな音が響く。
指先が箱に触れた。その刹那。再び目の前の空気が歪み、すぐそこにあったはずの箱が姿を消していた。
伸ばした指先が宙を掴む。いっそ青白くさえある七重の肌に、雨滴がパタパタと音を立てて降り注ぐ。
「…………」
 一瞬の間、七重は虚空に伸びた自分の指先を見やったが、そのすぐ後には視線はデリクに向けられていた。
 激しい風雨がスズガモリの地を叩く。それは容赦なく三人の上にも叩きつけられ――その中で、デリクは口の端を引き上げて笑みを浮かべていた。
「デリクさ」
 暗紅色の目に疑念を浮かべ、デリクの名を口にしようとした七重を、由代の手が制す。
「一つ問いたい。デリク、キミ今日、遣いのためにここへ来たのだと言っていたね。……教団の命令かね?」
 雨音の中にあっても変わらないバリトン。上質なジャケットが雨で濡れている。
デリクは由代の問いかけに対してわずかに睫毛を伏せてみせ、それからクツクツと小さな笑みをこぼした。
「そうでスよ。賢人方がこれを欲しテらっしゃるらしいノで。まったく、魔術の真髄を極めんトする方々は、どなたも強欲でいらっしゃル」
 応えながら伏せた睫毛をゆっくりと持ち上げて、見る者を凍てつかせるような青い瞳で七重を映す。
そこには先ほどまで見せていた涼やかな青ではなく、暗い海底を彷彿とさせる青があった。

 暗い赤と暗い青が交差する。
 七重は自分を見つめるデリクの視線から逃れることなく見つめ返すと、ゆっくりと言葉を確かめるように口を開けた。
「……それをどうするつもりなんですか」
 問いた七重の言葉に、由代はわずかに眉を寄せる。
 デリクの心にある暗部を知らないわけでもない。まして、彼の素養を――その恐るべき異能を、自分は誰よりも理解しているに違いない。
「尾神君」
 七重の肩に手を置いてため息を一つ。
しかし七重は懸念に囚われているせいか、由代の声に耳を傾けることもなく、ただ真っ直ぐにデリクを見据えている。
七重の視線の先にいるデリクの手には、真白な布が巻きつけられた小さな箱が握られている。
心なしか、鈴に似た声が大きくなっているようにも思えた。
 デリクは七重の問いには応えようとせず、スーツの裾についた滴を少し払い落として微笑んだ。
「尾神君」
 応えようとしないデリクの代わりに口を開いた由代が、再び七重を呼ぶ。
「デリクは教団よりの使者だ。あの箱を教団が手にした以上、もうキミの出る幕ではない。聡いキミのことだ。教団が関わっているという現状がどういったものか、解るね?」
 デリクが手にした以上、という言い方は敢えて避けた。教団の他の誰かであれば、それでもどうにか出来るかもしれない。
だが、今目の前にいるのは猟犬という二つ名を持つデリク・オーロフ。
このまま七重が引いてくれれば、事は大きくならずに済むだろう。――そもそも教団は世の裏に深く広い根を張る組織でもある。教団に牙を剥く事が賢明ではないことは、偽りのない事実でもある。
しかしその由代の思惑とは裏腹に、七重は応えようとしないデリクに向けて、さらに問いを続けた。
「その箱は手に取る者を悠久の時間の中で待ち続けていた。それにここはスズガモリ。この地に渦巻く念を思えば、その箱が負に寄っている事くらい、容易に見当がつくはずです。負を吸いこんだその箱を、デリクさん、どうするおつもりなんですか?」
「尾神君」
 由代が彼の名を呼ぶより早く、デリクが薄い笑みを張りつかせ、口にした。
「解りまセンか? この件には関わらないでほしいと言っているのデスよ」
 遠くで響いていた雷鳴が、デリクの真上の空で咆哮をとどろかせている。その閃光がデリクの金色の髪を鮮やかに照らし、瞬く。
 膝を曲げて目線を七重のそれに合わせ、張りつかせた笑みはそのままで、言葉を続ける。
「もう一度言いましょうカ? ……私は”お願い”しているのですヨ、尾神君」
 空を走る怒声とは異なる、静かな声音。デリクの手の中で、箱がリィンと謳う。

 由代の手が七重の細い腕を掴み、引く。
「正直言うとね、尾神君。……僕はデリクを敵に回したくはないんだよ。そしてキミをも敵にしたくない。……可能であるなら、面倒事にはなるべく関わらずにおこうよ、尾神君」
 深い嘆息と共に吐き出された言葉には、七重の気持ちを落ちつかせるための呪い(まじない)が施されていた。
それが功を奏したのかどうかは定かでないが、それまで食いつくようにデリクを睨みつけていた七重の目から、燃え盛っていた赤が姿を消した。
「…………すいません」
 どちらに謝るともなしにそう述べて肩の力を抜く。わずかにうなだれた顔には、デリクに対する懸念の色がかすかに浮かんでいる。

 途端。七重の耳元で”お願い”の言葉を述べていたデリクが顔を引き、いつものような屈託のない笑みに戻って首を傾げていた。
「もぉう、話の解る方で助かりマシた。今度はこんな殺風景なところではなくテ、美味しい食事の出来る場所デご一緒しまショウ、尾神君」
 端正な顔を崩して満面の笑顔を浮かべ、デリクは再び右手を七重の前に差し伸べる。
「ええ、是非」
 七重は俯いていた顔を持ち上げてデリクを見上げると、伸べられた握手に応じて首を縦に動かした。
デリクはその対応に満足を示し、魔法陣が痣となって刻まれている手を持ち上げて、大きな円を宙に描く。
するとその場所の空気がグニャリと曲がり、捩れて、その向こうに広がる異空間が姿を見せた。
その中に片足を突っ込んでから何事かをはたと思いだしたのか、デリクは少しの躊躇を見せてから由代に顔を向ける。
「訊くだけ無駄なのでショウが、教団に戻ってくるご予定はないんデスか?」
「……本当に無駄な問いだね、デリク。……残念ながら僕は動けない。今回の件に関しても、これからも出来る限りはね。あれだけ穏便に教団を抜けたのに、戻ったら無意味じゃないか」
 よく響くバリトンは、由代が教団に属していた頃から少しも変わらない。
「穏便に、ですッテ? いつのまにかジョークが達者になったんデスねえ」
 デリクはクツクツと笑うと、異空間の中へと体をねじ込んだ。

 スズガモリに現れた異空間の穴へと姿を消していくデリクを、七重は言葉なく見送った。
その視線に気付いていたのか、デリクは最後に七重を見やると、手にした箱をゆらゆらと振り、口の端を歪めて笑った。




―― 了 ――












 
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2004年08月23日

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