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『不器用な沈黙 』
黒鳳・―2764)&威吹・玲璽(1973)

 以前、大陸で、訓練と指令に明け暮れていたあの頃。少しでも気を抜くと、それまで蓄えてきた技術や体力が、あっと言う間に削げ落ちてしまう事を何度も体験した。
 それに限らず、何かを築き上げる為には努力と時間が必要だが、ぶち壊すのはほんの一瞬だ。
 黒鳳は、日本に来て久し振りに、それを実感する事となった。


 ホームセンターでの一件以降、黒鳳は店の方に滅多に顔を出さなくなった。ママの周囲の人々は、元より他人の動向について常に気を配っている訳ではない。それが自分と同じ境遇にあるもの―――簡単に言えば『ママの側』に居る方―――であっても、何か変化があったからと言って、いちいち事情を突っ込んだりする事は無い。常連客は、少しは聞くかもしれないが、それも世間話の一環程度の事で、知らないと答えればそれ以上には追求してくる事は無い。ここに居る者達は大抵、何かしらの事情を抱えて来ている者達ばかりなのだから、痛くても痛くなくても腹を探られるのは、大なり小なり勘弁してくれ、と言うのも頷ける事。そう言う意味では、玲璽は、黒鳳の事をとやかく聞かれる事がなく、少しほっとしているのであった。
 その反面、誰かがしつこく突っ込んでくれれば、それを口実にして黒鳳にも追求できるのになぁ…等と、他力本願な事を思っていたりもしたが。

 玲璽が、バーの開店準備に追われている時、黒鳳は何をしているのかと言うと、自室に篭って膝を抱え、じっとしているだけだった。尤もそれは、夕方に限った事ではない。黒鳳が部屋から出てくるのは、一日に数回、或いは数日の間に数回、食事やそれ以外の日常生活に必要な事柄を済ます為に出てくるだけだった。
 膝を抱え、その上に自分の顎を置いて、黒鳳はぼんやりと染みの付いた壁を見詰めていた。夕日も美しい夏の夕暮れなのにカーテンは締め切り、電気もつけていない。カーテンの隙間から漏れるオレンジ色の陽光が、畳の上に長く伸びているのを見詰めてると、それは少しずつ左にずれていき、やがて夕闇の紫色の中に消えていく。それほど長い間、じっと硬直したままで居たと言う証拠なのだが、黒鳳にはそれさえも感じられない。時間の感覚は確かに鈍くなっているが、その分、音や光の刺激に対しては、妙に過敏になっていた。
 ホームセンターで、大陸からの追手と遭遇して以来、黒鳳は、ここに居着いたばかりの頃に戻ってしまったかのよう、居るかどうかも分からない刺客に怯えるようになってしまったのだ。ただでさえ研ぎ澄まされた感覚は、誰かがうっかりフォークを落とした音でさえ、銃底をあげる音に聞こえてしまう始末だ。幾ら厳しい訓練を積んできた黒鳳とは言え、そんな状態が四六時中続けば、体力的にも精神的にも限界が来ると言うもの。膝を抱えて座り込んだまま、うつらうつらと舟を漕ぎ始めた黒鳳が見た夢は、ここ最近の黒鳳の日常、玲璽との遣り取りだった。


 「つか、テメェ、分かって言ってんのか、それ」
 はん、と玲璽が鼻で笑う。それはあからさまな揶揄いの表情で、当然、黒鳳はカチンと来た。
 「レージ、おまえはいつもそうだ、自分だけ分かったような顔をして威張りくさって!」
 「実際に俺は分かってるんだっつーの。おまえみてえに一般常識が不自由じゃねえんでな」
 「不自由言うな!」
 がぁっと怒鳴り返す黒鳳に、そのリアクションは予想の範囲内だとばかりに玲璽が高らかに笑う。余計に悔しくなって黒鳳が、思わずその辺にあった何かを投げ付ければ、それが玲璽の額にクリティカルヒットする。今度は玲璽が大人気なく怒り出し、いつものようにコドモの喧嘩に突入し、やがて呆れ果てたママに一喝されて終わり…と言うのがパターン。

 だが今回は、いつまで経ってもママの一声は聞こえてこない。そのお陰で、黒鳳と玲璽は延々と怒鳴り合い続ける羽目になる。いつもと勝手が違うな、と思いながら黒鳳が口だけは動かしていると、やがて玲璽が疲れたように大きな溜息をつき、首を左右に振った。
 「ああ、もうこりごりだ。止めだ、止め」
 「…レージ?」
 「いつまでもこんな事やってらんねえよ、ガキじゃあるめえし。いーちぬーけたーっと」
 そう言うと、両手を頭の後ろで組んで黒鳳に背を向け、鼻歌など歌いながら向こうへと歩いて行く。ひとり取り残された黒鳳が、驚きから立ち直って玲璽の後を追う。
 「レージ!ちょっと待て!逃げるのか、卑怯者ー!」
 いつもならここで、誰が卑怯者だ!と怒鳴り返してくる筈だ。だが、その声はいつまで経っても聞こえてこない。玲璽の背中は、どんどん遠く、どんどん小さくなっていく。
 「レージ!レージってば!」
 俺を置いて行くな!
 そうは叫べず、黒鳳は言葉を大きな肉の塊のように、苦労して喉に下す。声にならない叫びが、黒鳳の身体を貫き、縦に二つに引き裂いた。


 「…………」
 気が付くと、そこはバーの階上、黒鳳に与えられた部屋の中だった。とっくの昔に夜になっていたようで、さっきカーテンの隙間から差し込んでいた夕焼けも、今はネオンのけばけばしい瞬きに取って代わっている。だが黒鳳の姿勢は相変わらず膝を抱えて座り込んだままで、何時間そうしていたのか、すっかり身体全体が強張ってしまっていた。
 ぎしぎし言うような関節を伸ばして立ち上がり、ひとつ背伸びをする。黒鳳は裸足のまま部屋を出ると足音を忍ばせ、店へと出て行った。

 既にバーは開店している時間だが、今日は閑古鳥が鳴いているようだ。さっきまで誰かが吸っていた煙草が火が付いたまま灰皿に置き離され、白紫の煙を細く天井へと巻き上げている。が、客どころか、従業員もひとりも居ず、まるでマリー・セレスト号のようだと黒鳳は思わず笑い掛ける。が、その時、背後から何者かの足音がして、咄嗟に黒鳳は身構え、全神経を緊張させた。
 「なんだ、なんだ。ンな、悪さが見つかっちまったネコみてえなツラしやがってよ」
 「……レージ」
 バーテンダーの格好をした玲璽が、物珍しそうな顔で黒鳳の方を眺めながら、奥から出てきてカウンターの内側へと入っていく。玲璽の悪態に対しても黒鳳は何も言い返しもせず、ただその行動を目で追って眺める。その視線を、玲璽は胡乱げな眼差しで跳ね返した。
 「…あんだよ。言いたい事があったら言い返せばいいだろ?ンなシケた面下げてねえで、いつもみてえに悪態ついてみろ。大人しいクロなんざ、珍妙過ぎて笑っちまうぞ?」
 そう言うと玲璽が、いつものように声を上げて笑う。その笑い声はいつものままだったのだが、黒鳳には妙に癇に障った。
 「それ以上俺を馬鹿にするな、レージ」
 「あーん?」
 玲璽は、黒鳳の応答がいつもの黒鳳のそれではない事に、内心では気付いていた。が、表情は平素を装い、揶揄するように片眉だけをあげて黒鳳の方を見る。自分を睨みつけてくる黒鳳の視線は、どこか切羽詰っているような崖っぷちにいるような、そんな頼りないとも言えるようなものだった。
 「レージ、お前は…何年生きてきたか知らないが、その間にどれだけの場を潜り抜けてきた?俺にとやかく言えるぐらいの修羅場を切り抜けてきたとでも言うのか?お前はすぐに俺は何かが下手だとか不自由だとか言うが、俺にだって何かしらを考えたくなる時はあるんだ。放っておいてくれ」
 そう言い捨てて、黒鳳は踵を返す。が、背後から聞こえてきた玲璽の溜息に、反射的に振り返ってしまう。
 「放っておくのは別に構わねえけど、大体普段からそんなに構ってやってた訳じゃねえだろうがよ」
 後ろ髪を自分で掻き乱しながら、玲璽が言う。ほんの少しだけ、黒鳳はびくんと肩を揺らした。
 「っつうか、俺はお前の名前と、外人だって事しか知らねぇ。だが、それだけ知ってりゃ充分じゃねえの?他はどうだっていいじゃねぇか。お前の事知ってりゃ、それはそれでイロイロ役に立つかもしんねぇけど、必要だとは思わないね」
 玲璽は、カウンターの傍にある椅子を一つ近くに寄せ、それに浅く腰掛ける。足を組み、その膝の上で頬杖をついて傍らに立つ黒鳳を見上げた。
 「それにな、俺だって二十ン年も生きてりゃ、いろんな事仕出かしてんだよ。何も経験してこなかった訳じゃねえんだぜ?それはお前だって一緒だろ」
 玲璽の言葉は問い掛けであったが、黒鳳からその返答を期待していた訳ではないらしい。その証拠に、黒鳳が言い返そうか止めようか迷っている間に、玲璽はその続きを口にした。
 「ま、マジいろいろあった訳だが…その、全てを独りで切り抜けてきた、なんて事は言わねえぜ?勿論、ヒトリで立ち直った時もあったが、誰かに助けられた時もある。みっともねぇ所見られた事もあるし、破って丸めて捨てたくなるぐらい情けねぇ時もあったさ。ンでも、今となっては、そん時はそれしか方法が無かったんだ、って思って自分で自分を慰めてるさ」
 そう言うと玲璽は、笑って肩を小刻みに揺らす。頬杖をついたまま、目線で黒鳳を見上げ、口元で笑った。
 「お前にも、同じ事が言えるような気がすんだけどな、俺は。だからお前も、もし何か助けがあった方が楽になれるっつうんなら、遠慮無く言え。俺なんぞに頼るのはイヤだっつうんなら、ババアでも誰でもいいじゃねぇか。お前が誰かに助けを求めたって、誰も笑ったりはしねぇさ。ここに居る連中は、みんな似たり寄ったりなんだからよ」
 だろ?と玲璽が空いている方の手をひらりとさせて笑う。黒鳳は何も答えない。ただ、雄弁な目線で玲璽の顔を見詰め返しているだけだ。

 言いたい事はたくさんあるような気がするのに、それが余りに多過ぎて何一つとして言葉に出来ない。だが、そのもどかしさは苦痛ではなく、どことなくこそばゆい。家族に守られて大事にされている、そんな赤ん坊のようだ。

 黒鳳はくすりと小さく笑うと、何も言わずに踵を変え、奥へと引っ込んでいく。その後ろ姿はついこの間までの怯えた弱々しいものではない。それを見送ってから、玲璽は立ち上がる。そのままサボリ決定とばかり、欠伸混じりで自分も自室へと戻っていった。


おわり。
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東京怪談
2004年08月23日

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