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『愛の鞭 』
藤井・雄一郎2072


『あなた、最近どこで何してるの?』

 怪奇探偵こと草間武彦が切り盛りする興信所で話し込んでいるうち、雄一郎の脳裏にぐさりと蘇ってきたのは、妻の言葉だった。
 ついで、自分がその質問にどう答えたのか――ひいては、それに続いた会話さえも、ぐさりぐさりと蘇ってくる。

『どこで何って……いつも出かける前に言ってるじゃないか、草間興信所だって。そこでちょっと仕事を手伝ってるんだよ』
『どんな仕事?』
『どんな、ったってなあ……その都度違うんだなあ……鬼退治から猫探しまで、祭りの調査ってのもあったなあ』
『……』
『な、なんだ、俺は嘘はつかないぞ。そうだろう?』
『そうね。あなたは嘘つきじゃない。でも、あんまり妄想に夢中になってたら、そのうち事故るわよ。まっすぐ、何にも考えないで帰ってきてね』

 まずい、もう6時を過ぎた。
「――藤井さん? どうかしました?」
 突然虚空を睨んで黙りこんだ雄一郎の顔を、草間が覗きこむ。安い煙草の匂いに、雄一郎は現在に引き戻されたのだった。
 午後6時を過ぎている。
 草間と世間話や愚痴のこぼし合いをしているうちに、こんな時間になってしまった。今日の『ちょっとした手伝い』――東京の片隅にある幽霊屋敷の調査は、すでに何時間も前に終わっていた。また、まっすぐ、何も考えずに帰ることが出来なかった。
「ああ、いや、そろそろ帰らないと。長いこと邪魔したな」
「いえ、こうして藤井さんと話してると、妙に気が楽になりますんでね。助かります」
 草間はぷかぷか煙草の煙を吐きながら、ぼんやり苦笑した。
「そいつは嬉しいことだが、48のおっさんと話が合うなんて、おまえ本当に30か?」
「その辺の30よりは苦労してます……」
「だろうな。ま、頑張れ」
 ぽむ、と草間の肩を叩くと、雄一郎は興信所を後にした。

 もうすてに遅くなってしまったが、出来るだけ早く帰るに限る。少しでも時間を短縮するなら――、近道を通るが吉だ。実にオーソドックスな結論だった。
 じめじめとした暗い裏通りも、48歳であり、図体も立派な藤井雄一郎ならば、何の心配もなく通ることが出来る。親父狩りをねらう浅はかな若者どもも、大して怖くはなかった。ただ、妖怪や鬼や邪神といったレベルのものに襲われては困るのだ。
 雄一郎が何も考えずに歩くというのは、難しい注文だった。彼は短時間で実にいろいろなことを考え、その考えを突拍子もない方向にまで発展させるのが得意――というよりは、性分であった。
 ふたりの娘のことを考えていたときだ。
 娘と同じ年頃の女性の、悲鳴が聞こえてきた。
「ま、まさか!」
 冷静に考えてみれば、こんな時間にこんなところを彼の娘がうろつくはずはないのだが、すでに突拍子もないことを考えていた雄一郎は、
 娘が襲われている!
 その結論のもとに全速力で走り出していた。


「おまえら、よくも!」
 はたから聞くとまったく意味不明な怒号を発し、雄一郎は体当たりをお見舞いした。その猛タックルの餌食となったのは、柄の悪い青年ふたりほどだった。
 ふたりを吹き飛ばしておいてから、雄一郎はようやく、5、6人の男に囲まれて乱暴されそうになっている女性が、自分の娘などではありえないことに気がついた。自分がなぜ激怒しているのかが、突然わからなくなった。
 ――ま、まあいい。人助けには変わりない!
「なんだオッサン、死にてェんか!」
「おまえらは愛を知れ!」
「あァ?!」
 凄んだ若造が、ずびし、と吹っ飛んだ。
 雄一郎が懐から取り出した枝は、若者たちにとっては何の変哲もないものであったことだろう。はじめのうちは。
 愛を知れ、と怒鳴った雄一郎の手の中で、枝はSFXのように伸びた。凄んだ若造の鼻面を打ち、意思ある生物のようにしなり、ひょうひょうと雄叫びを上げた。
「な、なんだこいつ――」
 伸びた枝を見上げるひとりを、容赦なく雄一郎は打ち据えた。
 仲間を見限って逃げ出す者も、まだ行くなとばかりに足を払い、アスファルトに転がす。
「ここには他に緑もない。命拾いしたな」
 灰色のジャングルの中で、緑であるのは、雄一郎の双眸と、その手にある謎めいた枝ばかり也。
 わあっ、と叫んで男たちは全員逃げ去った。
 雄一郎は大きく溜息をつき、振り返る。
 ブラウスが乱れた女性がいた。おそらくは、これから仕事に出かけるところの、水商売の女だ。なぜこの派手な女を、自分の娘のどちらかと勘違いしたのか――。
「大丈夫かい、お嬢さ……」
 絹を裂くような悲鳴が上がり、手を差し伸べた雄一郎は思わず後ずさった。
 ホラー映画でよく聞く類の悲鳴だった。先ほど男たちに囲まれて、雄一郎を呼ぶに至った悲鳴とは、明らかに違うものだ。
 妖怪、鬼、邪神を見かけたときの悲鳴だった。
 その厚化粧の顔には恐怖がはりつき、狂気さえ孕んでいるようだった。
 雄一郎は手を差し伸べた体勢のまま、そこで硬直した。
 女は、あっと言う間に姿を消していた。男たちに脱がされたらしい、高そうなコートをそこに残して。

 ぴうう、と冬のもののように冷たい夏の夜の風が吹いた。

 藤井雄一郎は、とてもとても、傷ついた。身体だけは無傷だった。


 俺は怪物であるらしい。
 東京には怪物がいると聞く。しかも、人間たちのすぐそばに。
 人間たちは怪物の存在を知らない。人間にとって一番恐ろしいものは、人間だと思っている。だからあんなに怖がるんだ。怪物ってやつを。
 俺は、怪物であるらしい。
 怪物の血をひくあの娘たちも、多分怪物だ。
 おまえは怪物なんだ、わかっているのか。
 怪物が人間に好かれはしない。おまえのカレシも、怪物なんだろう。いるんだろう、カレシというやつが!


 シャッターが閉まったフラワーショップが見えてくる――。
 きっと彼の妻は、不機嫌な顔で夕食を温めなおしているだろう。雄一郎は、ずっと携帯電話を握りしめていた。1分おきに電話をかけていたが、一向に相手は出なかった。
 店先に座り込み、オリヅルランの葉をぺしぺしと例の枝で叩きながら、雄一郎は電話をかけ続けていた。相手が出たところで、何を言おうかは特に考えていなかった。ただ頭の中を駆け巡るのは、怪物怪物怪物。もしくは、化物。
 翠の目の怪物、化物、美しい翠。
「あなた、こんなところで何してるの?」
 ぱっと背後が明るくなって、雄一郎はぎくりとした。振り返れば、妻がいた。


「……あの子たちが心配なのもわかるけど、明日は月曜なんだから」
「ああ」
「あの子たちも色々忙しいだろうし」
「ああ」
「特に下の子は卒論と就職活動で大変なんだから」
「わかってる」
「……泣くことないじゃないの」
「と、年をとると涙もろくなるもんだ!」
 べしべしとオリヅルランを叩きながら、雄一郎は涙を飲んだ。


 その深夜に確認された、ある派遣社員の携帯電話着信履歴(なお、ある大学4年生の携帯電話着信履歴も同じような内容であったことを併記しておく)。

 8/19 18:30 お父さん
 8/19 18:31 お父さん
 8/19 18:33 お父さん
 8/19 18:35 お父さん
 8/19 18:35 お父さん
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「ちょっと何コレ、呪い?」




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年08月23日

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