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『焔葬 』
友峨谷・涼香3014


 夏になると、通り魔事件が起きるという。暑さで頭がいかれるからだ、と誰かが言った。
 少女はここのところニュースを騒がせている通り魔が、通学路付近に現れているという事実に戦慄していた。その夜は月も星もなかったから、急ぎ足だった。繁華街の光は遥か彼方にある。急ぎ足は、いつしか全速力の駆け足に変わっていた。
 今や乾いた恐るべき足音が、少女の背後についてまわっているのだ。
 からころ――からころと。
『き、こ、ぺか、てて、かかかかかかかかかかか』
 笑い声のような音があり、少女の悲鳴が残暑を裂いた。電柱が血と髪を浴びる――。


「もう、4件だ。4件だぞ。女ばっかり4件! まったく頭がおかしいよ。今年の暑さじゃ、納得できるけどな」
 居酒屋『涼屋』のカウンターでぼやくのは、常連のケイジだ。ここ一週間、ほとんど毎日やってきては、ビールを煽り、通り魔事件についての愚痴をこぼしていく。
「ねえさんも気をつけるんだぞ」
「おう、任しとき! ばっきばきにいてこましたるわ!」
「いや、人の話聞いてたかい、ねえさん?」
 威勢のいい声を張り上げ、右肩をぐるんぐるんと二度ほど慣らすのは、この居酒屋の看板娘。友峨谷涼香という彼女が、表と裏の顔を使い分けている不老の存在であることなど、この店の暖簾をくぐる客のほとんどは知る由もない。いつでも若々しいのは、その笑顔と健康的な小麦色の肌が見せる技であり、真実が呪詛であることを、客たちが知る必要はないのだ。通り魔をばっきばきにいてこますことも、実は彼女ならば出来る。
「昨日はここから100メートルもないところで殺されてるんだぞ」
「へえ、怖いねえ。噂じゃ、骨も残んなかったって……」
「左手首だけ残ってたよ」
「お客さん、ええの? そんな喋っちゃって」
「いいんだ。酒で口が滑ったんだよ」
 刑事は現場を見たのかもしれない。彼はそれきり、青い顔でビールを飲むばかりになっていた。

 その、昨夜の話を忘れたわけではなかったのだが――。
 いや、言い訳は何とでもなる。
 涼香は店の買い出しに行き、夕刻、裏通りを歩いたのだ。買い出しに行くにも武器を帯びる必要性があるだろうか。……彼女は、丸腰だった。
 ――何や、いやあな空やな。
 黒い夕焼けだ。明日の天気は大荒れになる。誰かから聞いた覚えがある。
 ――いやあな、雰囲気や。
 ばさっ、と抱えていたビニール袋が落ちた。八百屋で買いつけた新鮮なトマトが、どこまでも転がっていく。カボチャが潰れ、涼香は無傷だった。
 黄昏どきとは、もともと誰そ彼と書くという。少し離れたところにいる人間の顔も見えない刻、という意味だ。誰かから聞いた覚えがある。
 血と肉の臭いに、涼香はすぐに察しがついた。突然背後から襲いかかってきた、このようとして顔立ちも知れないものこそ、この界隈を震え上がらせている通り魔だ。
 奇妙な音が――乾いた音がした。
 ――あかん、うち、丸腰やん!
 涼香が焦りを感じたのはその一瞬だけだった。彼女はひらりと事も無げに、通り魔の第二撃を避けた。避けると同時に、蹴りを入れた。
 からころと乾いた音がした。
「えっ!」
 その音と感触に、涼香はもうひとつ察しがついた。
 通り魔は、人間ではなかった。
『かか、こぺ、て、たたたた』
 奇妙な音を立てながら、髪を振り乱し、通り魔は退いた。退き際というものを知っているらしい。だが、その知能は、かりそめのものだ。
 涼香が見る限りでは、通り魔は人形に過ぎないものだった。

 友峨屋涼香に命令じみた依頼が舞い込んできたのは、涼香が襲われて2日後、通り魔事件の犠牲者が5名になった直後であった。
 動き、考え、食らう人形の破壊。もしくは、封印。
 出来れば、その製作者の追跡。

 ずらり、と涼香は紅い刀を抜き放つ。
 あの人形の目を、見たか。
 ふるりふるりと、涼香はかぶりを振った。居酒屋の制服であるハッピを脱ぎ捨て、彼女は夜の町に駆ける。血と悲鳴が教えてくれるはずだ。

 ――なんで、うちは、わざわざ白い服着とんのやろ。
 ――なんで、うちは、あの人形が憎らしいんやろか。

 悲鳴があった。不幸中の幸いか、すぐ近くだ。涼香の足ならば15秒で行ける。
 ――15秒! 何とかこらえてぇな!
 10秒。
 からころ。
 5秒。
 からころ。

「はよ逃げぇ!!」

 怒鳴りながら、涼香は女(やはり、またしても女性だった)と人形の間に割って入った。今は手に、退魔刀『紅蓮』がある。無敵とまでは言わないが、負ける気はしない。
 女は座り込んだままだ。
「立ちぃや! 立って! 逃げるんや!」
 人形を蹴り飛ばし、涼香は腰を抜かした女の腕を引っ張って、強引に立たせた。女の背を乱暴に押すと、女のスイッチはようやく入ったらしく、わめき散らしながら走り始めた。彼女は、すり傷程度ですんだようだった。
「……さあ、仕切り直しやで」
 涼香は人形に向き直り、唇を舐めた。ころり、と人形の首が回転した。
 長い髪は、人毛であるらしい。空恐ろしいほどに艶やかで、整っていた。人形はかたことと歩き、街灯の光の下に来た。
 顔が、見えた。
 くるみ割り人形のようで、球体関節人形のようだ。無論表情はなく、ひどく汚れていた。かなり古いものであるらしい。
 人形の腹が、ごろごろと鳴った。飢えているのだ。この人形がどれほどの歳月を経たものか知る術は今のところないが、1日動くためにひとり分の女の血肉が要るというのだろうか。
 そう考えてみたところで、しかし、涼香のこころに怒りや使命感は大して沸かない。彼女は、この仕事が長すぎたのだ。
『し、ご、え、て、か、け、か』
 人形はぱかぱかと口を開き、そのようなことを言った。
『ぽ、て、たか、けま』
「狂っとんか」
 涼香は眉一つ動かさずに吐き捨て、ちき、と『紅蓮』を構え直した。
「親が誰か、聞いても無駄やな」
『こ、こ、こ』
「ええわ、楽な仕事になった!」
 涼香と人形の間合いが、一瞬で縮まった。間髪入れず、涼香は『紅蓮』を振り下ろす。唐竹を割る音がし、人形の腕が飛んだ。
 ばしぅ!
 涼香は驚きもせず、再び『紅蓮』を振りかぶり、振り下ろす。
 ぶしぅ!
 これは、人形だ。
 木製の、動く人形だ。
 命も感情も持たぬ、物体だ。
 だというのに、涼香が退魔刀の一撃を浴びせるごとに、人形の傷口からは血が噴き出す。

 ――会うたことあるきがするな。その目、その口、その『気』。
   ああ、うちは、だからあんたが憎たらしいんか。
   あんたの親、誰やねん?

 どう、と人形の胴体が崩れ落ちた。
 涼香は血にまみれ、人形は女の臓物と髪と血の中に沈んでいた。
『か か か』
 涼香はその首を見下ろして、すぐに目を背けた。
 ポケットから札を取り出し、ビと打ち放つ。短い囁き――詠唱が、札から火を生み出した。木製の骸は、たちまち燃え尽き、灰が生暖かい風にさらわれていく。
 血の臭いは、消えぬ。
 血が呼び起こすのは、古びた人形の顔。剥げた化粧、黴が生えた皮膚。
「……人形かて、年取るんか。……うちは、人形以下なんか」
 ぴゅん、と血を打ち払い、退魔師は刀をおさめた。
 そうして、闇が俯く彼女を包みこんでしまった。

 だが、明日の夕方になれば、そのいつでも若々しい姿が、あの居酒屋『涼屋』の中にある。
 常連の刑事が、通り魔事件の解決を喜ぶのは、先のことだろう。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年08月20日

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