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『光は背を照らし 』
スイクル・ー3765

 死は怖い。
 スイクルにはそれを身に染みてわかっていた。
(死は……暗闇を、もたらそうとするから)
 スイクルの黒髪を、風がびゅう、と吹いて揺らした。丘の上の風は、心地よく、だがしかし少しだけ肌寒い。スイクルは眼下に広がる町並みを赤の目で見つめる。
(ああ、ああ……もうすぐ訪れるんだわ……)
 太陽は、目の前にある山の端に姿を隠そうとしていた。赤く、大きな太陽はゆっくりと、だがしかし確実に沈んでいっている。
(容赦、ないのね)
 どれだけ大声で待って欲しいと頼んでも、どれだけ手を伸ばして引き止めようとしたとしても、どれだけ顔がぐちゃぐちゃになる迄泣き叫ぼうが。太陽は沈むのをやめようとはしない。沈んでいく事を潔しとしているのか、それとも沈まない事を諦めてしまったのかはわからない。
 尤も、太陽自身は分かっては居ないのかもしれない。自分が沈んでいる事に。回りの風景が自分を沈ませているように見せているだけど、そう思っているのかもしれない。否、もともと意思など無いのかもしれぬ。見ている人たちが、勝手に太陽に感情を付け加えただけで。
(だけど……だけど、悲しいから)
 スイクルはそっと視線を太陽に向ける。未だその光は衰えてはいない。山の端からその赤き光を出来うる限り放ち、空を赤く染め上げる。これから訪れる夜を、少しでも阻もうとするかのように。
(止められない)
 阻もうとしても、沈むのは止められぬ。
(引き止められない)
 こちらも、太陽が沈むのを阻む事は出来ぬ。
「まるで……」
 スイクルはそう言いかけ、やめる。目線を沈んでいく太陽から逸らし、背を向けて歩き始めた。そうして、スイクルの背を赤く染め上げていた太陽はいつの間にか完全に消えてしまうのであった。


 スイクルの目の前にあるのは、何の変哲も無い一軒の家であった。
「……え?」
 スイクルはその家の前で、首を傾げた。何も考えず、何も思う事なく、ただただ足の赴くままに歩き、辿り着いたのがこの家であった。本当に、特に用事も無さそうな家。
(どうして、この家に……?)
 スイクルは家をじっと見つめ、それから回りも見回した。特に変わった様子は何処にもなく、自分がこうしてこの家の前にきた理由すらもよく分からない。
(分からない……分からないけど)
 足が全く動かなかった。特に何も無さそうな家の前から、スイクルの足は全くもって動く様子は無かったのである。
(何か……ある?)
 ちらりと、頭をよぎる。何も変哲も無い家に、用事があるとすれば一つだけ。自分が死神だという事を考えれば、答えは一つである。
(……もしかして)
 スイクルは、まだ死神になったばかりであった。だからといって、死神としての使命を果たせぬ訳ではない。ただ、足が自然と赴くと言う状況が、何となく飲み込めていないだけだ。
(きっと、そう……)
 スイクルは小さく溜息をついた。死は怖く、死は恐ろしい。それをよく分かっているからこそ、こういう状況に置かれた時にどうしたらいいのか全く分からなくなるのだ。魂が迷わぬよう、天に送らねばらなぬ。だが、それが分かっていたとしても現世にしがみ付こうとするのが人間なのだ。
「それでも……私は……」
 スイクルは小さく呟き、溜息を再びつき、家のドアへと手をかけた。ギイ、と、ドアは容易にあいた。
(無用心……)
 既に、夜になってしまっている。そのような時間帯に、ドアの鍵もかけずにいるのだ。スイクルは思わず鍵をかけようかかけまいか悩んだ。
(でも……この家の人は……それが習慣なのかも……?)
 そんな筈は無いと思いつつも、スイクルは考える。そして、暗い家の中をぐるっと見回す。驚くほど、何も無い家なのだ。
(普通なら……もう少し物があってもいいのに……)
 スイクルは興味深そうに部屋の中を見てから、再び家の中を進む。歩いていくと、すぐ正面に窓があった。カーテンも引いていない窓からは、三日月が輝いている。
「……月」
 小さく呟き、そして気付く。窓の近くに、ベッドがあったのだ。その上で、誰かが寝ていた。はあはあと、苦しそうに息をしている。
(ああ、この人……)
 スイクルの目が、ベッドの上の少女を捉える。顔は恐ろしく青く、血の気が無い。はあはあと息をする彼女の体は、恐ろしく細い。風が吹くと、飛んでいきそうなほど。
(この人は……死ぬ)
 それが、スイクルの結論であった。死神である自分が赴いた以上、そこに死を目前にした人間が居るのは予想していた。だが、それでもその事実を目の前にしたのはショックだった。
(死は、怖いから……)
 目の前の少女も、そうに違いないとスイクルは思う。いくら苦しいからと言っても、死を目の前にして恐怖を覚えぬ筈が無いと。
 スイクルが立ち尽くしていると、少女の方が気付いた。息を荒くしたまま、それでも小さく微笑みながら口を開く。
「誰……?」
「……怖く、ないの?」
 少女の問いには答えず、スイクルは尋ねる。少女は少しだけ考えてから、にっこりと笑う。
「怖いわ」
「でも、笑っている……」
 少女は再び微笑む。全てを達観したような、包容力のある笑みだった。
「怖い上に、嬉しかったからよ」
「嬉しい?何が?」
 どうしても腑に落ちないスイクルが尋ねると、少女はそっと家の中を見回す。
「ほら、見て。私は、ただ一人なの。本当に、一人」
「……家族は?」
「いないわ」
「……友達は?」
「残念ながら。……本当よ」
 スイクルはじっと少女を見つめた。少女の言葉を待つかのように。
「私は、このまま消えていく運命にあると、思っていたわ。雪が、溶けていくかのように」
「雪……」
 空から舞い降りる、白い雪。それらは地面に落ちると一瞬にして水に変わり、消えていく。雪が積もった上に降ったとしても、雪一つ一つの結晶が残っているのだと言う訳でもない。消えるか、埋もれていくか。ただそれだけなのだ。
「だけど、私はあなたと会えたわ」
「私は……」
 何かを言いかけ、口を噤む。そんなスイクルに向かって、少女は再び微笑みかけた。
「私は一人だったわ。だけど、あなたが私と話をしてくれるでしょう?」
「話、を……?」
「そう。私と……話してくれる人が、私にはいるから……」
 少しずつ、少女の声が小さくなっていく。心なしか、息も荒くなっていっているようだ。スイクルは気付くと少女の手を取っていた。ぎゅっと握り締め、じっと少女を見つめていた。
「……私……私ね……今、ようやく……ようやく一人じゃなくなって……」
 スイクルは少女の言葉に何度も何度も頷いた。止められない事実に、引き止められない事実に歯痒さすら感じながら。
「私と……友達になって……くれますか?」
 少女はそう言い、微笑んだ。はあはあと苦しそうに息切れをしている中、それでも微笑んだまま。
(綺麗……)
 スイクルは直感のように思う。窓から差し込む柔らかな光だけが、この暗い家を支えているかのようだった。その光にてらされ、微笑む少女。その光景が、一つ一つが、スイクルは美しいと感じたのだった。
 そして、一つ頷いた。ゆっくりと、一回だけ。
 少女は再び微笑んだ。花が咲き誇るように、ふわりと。大輪の薔薇が、一瞬にして咲き乱れたかのようだった。
「あ……」
 スイクルがそう小さく声を出した時には、花は散ってしまっていた。あれだけ咲き誇っていたのにも関わらず、二度とその花のような笑みは見ることが叶わないのだ。
 スイクルはそっと握っていた少女の力ない手を解き、もう片方の手で持っていた鎌を握り締めた。頬を、何かが伝う。
(月が……)
 少女は眠っているようだった。満足したように、口元に笑みを携えたまま。窓から差し込む月の光は、相変わらず少女に降り注いでいた。それらが、まるで一枚の絵画のように。
 スイクルは鎌を振り上げる。頬を伝う涙は、止まることを知らないかのように止め処なかった。それを拭おうともせず、スイクルは鎌を振り下ろした。
 少女を、天へと導かんが為に。
「……綺麗な……愛しい……」
 ぽつりぽつりと、スイクルは呟いた。少女の魂は、スイクルの手によって天へと導かれていった。後に残っているのは、少女の抜け殻だけだ。
 スイクルはゆっくりと背を向けて歩き始めた。頬を伝って流れる涙は、未だ止まってはいない。
(次の死が……また待っているのかもしれない……)
 死の直前に微笑んでいた少女を思い起こす。ただ怖いだけと思っていたスイクルに、それは革命のようだった。このようなこともあるのだと、思い知らされたようであった。
(それでも……私は……)
 スイクルは少女の家を出て、鎌を握り締めながら空を見上げた。少女の家の窓から見えた月が、同じように空に浮かんでいる。
「私は……それでも……!」
 スイクルは小さく呟くと、くるりと月に背を向けて歩き始めた。早く夜が明け、光が世界一杯に降り注げば良いと、願いながら。

<背中に月光を浴びながら・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年08月20日

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