▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『響いた声に束縛の気配 』
多岐川・雅洋3655)&葛井・真実(3671)

【?T】

 久しぶりの休日を満喫するべく、何気なくテレビのスイッチを押すと聞き慣れた声が響いて葛井真実ははたと動きを止めた。滑らかな美声が日々の出来事を読み上げていく。付き合いが続くなかで慣れたつもりになっていても、慣れることができない。こんなふうに不意に鼓膜を撫ぜるように響く時は、特に強くそれを自覚する。
 テレビ画面のなかには落ち着いた面差しの多岐川雅洋の姿がある。ゆっくりと正確なイントネーションで読み上げられるニュースよりも、多岐川の声が響いてくるというそれだけにひどく緊張している自分がいた。ニュースの内容は日々の他愛も無い変化で、つまらないと一蹴することもできるものであったけれどそれを読み上げている声がいけない。
 低く響く声はひどく滑らかで、余計な棘の気配など全く感じさせないものだ。敏感な鼓膜を撫ぜる柔らかな低音はひどく葛井の気持ちを掻き乱し、ふと気を緩めるとどうしようもなく動揺する自分がいる。
 初めてあの声を聞いたのはいつだったろうか。
 秘密を分け合うようにして距離を縮めた日のことを思い出すと、不思議な心地がする。
 多岐川がニュースのキャスターに決まった日のことだった。葛井は新人レポーターとして多岐川の前に立った。テレビなどで多岐川のことは以前から知っていた。声が苦手だと思っていたのも出会う以前からだ。
 葛井の耳は人のそれよりも敏感に音を拾い上げることができる。どんな些細な音も、音として響いた刹那に葛井の鼓膜を震わせるのだ。時に煩わしく感じる自分の能力に辟易することもあったが、ある程度の馴れで上手くやってこられたつもりだった
 それが多岐川の声に出会ってから少し狂いはじめている気がする。
 いつか駄目になるのではないだろうかという確信のない危機感すら感じるほどに、多岐川の声は葛井の平静をいとも簡単に乱してみせた。
 何が原因なのだろうかと、自分に冷静になれと心の内で呟きながらテレビ画面に映る多岐川の姿を眺める。さりげなくヴォリュームを下げながら、答えなどないと再確認する。
 多岐川が多岐川の声で言葉を発するたびに、自分は動揺し続けるのだろう。
 きっといつになっても馴れることはできない。
 戸惑いながら、その動揺を抱えて多岐川と付き合っていくほかないのだ。
 思うと不意に初めて顔を合わせた夜のことを思い出した。

【?U】

 ニュース番組の初顔合わせ兼打ち合わせとして、初めて多岐川の前に立った。葛井は新人レポーターで、メインキャスターの多岐川とは全く扱いは違っていたけれど、打ち合わせの末席で多岐川の声が響く度にどこか居た堪れないような妙な気持ちになったのを覚えている。
 打ち合わせは滞りなく進み、場の勢いと時間帯もあって親睦会という名目の飲み会をしようということになったのは誰が云い出したことだったのだろうか。プロデューサーか誰かだったような気もするが、その辺は定かではない。場の雰囲気のせいでなんとなく断ることもできずに葛井は誘われるがままに、近場の居酒屋に連れて行かれたのだったが、落ち着いて酒を飲んでいられるような状態ではなかった。
 すすめられるままに酒を飲んでも味などわからなかった。
 週末ということもあって居酒屋は混み合っていたけれど、無数の声のなかにあっても多岐川の良く通る声は葛井の鼓膜をしきりに刺激し続けていた。おかげで話すこともままならず、声をかけられても曖昧な返事をすることしかできなかった。注意散漫もいいところで、一体何度問い返したかわからない。何人かのスタッフにそんなに緊張しなくてもいいのにと声をかけられたような気もするが、それに混ざって多岐川が声を発するたびにますます自分が緊張していくのがわかった。
 次第に酔いがまわってくると誰も葛井のことになどかまわなくなっていったが、多岐川だけが違った。
 元来酒が強い人間なのか、すっかり酔って自分のことだけで手一杯になっているスタッフらとは違って葛井が手を止める度に何かと声をかけてくれるのだ。葛井はその度に酔ってしまえば少しは違うだろうと思ってグラスを傾けるのだったが、酔いがまわるどころか多岐川の声に敏感に反応する神経が研ぎ澄まされるだけで、アルコールの効果は全くないといってよかった。場は盛り上がり、どこか所在投げに置き去りにされていくような気配を感じながらも葛井は早くこの場から逃げ出してしまいたいような気持ちでグラスを空にし、それなりに話題についていこうと必死になっていた。少しでも気を許せばあからさまに動揺が顔に出てしまうような気がしていた。
 少しでも冷静になっていなければいけない。そう思えば思うほどに多岐川の存在を意識してしまう。多岐川が斜め向かいに腰を落ち着けているのが余計にいけなかった。席が近いことを意識してなのか、これからの仕事の捗り具合を意識してなのか、ことあるごとに気を遣ってくれる。そうすれば自ずと自分に向かって声をかけられることになり、平静を装いながらも葛井はこの動揺が露見するのを恐れつつも笑顔を取り繕って接していた。その笑顔はきっと引きつっていたというのに、多岐川は酔いのせいなのか、それとも単に気付かないだけなのか気分を害するでもないようだ。
 時間が過ぎ行き、場もお開きになる雰囲気が漂い始めて葛井はようやく安堵の息を人知れず漏らした。
 それぞれに店を出て行くメンバーの後ろをついて、二次会に巻き込まれないようにそっと帰ろうと思ってはたと気付いた。
 お守り。
 鞄のなかから総てのポケットを探してみても見当たらない。多岐川の声ばかりを気にしていたせいか、どこで落としたのかも思い出すこともできない。ほろ酔いの頭は上手く思考がまとまらず、どこにつけていたのかも判然としなかった。
 はたと立ち止まって背後の店を振り返ると同時に声をかけられた。
「失くし物か?」
 多岐川の声だった。
 それだけで緊張するというにも拘らず、少し前を歩いていた多岐川は脚を止めて二次会先に向かおうとするメンバーに断りをいれて立ち止まったままの葛井の傍に近づいて、同じ言葉を繰り返す。
「はぁ……ちょっと大事なお守りを失くしてしまったみたいで……。あっ!でも大丈夫です。一人でも探せますから多岐川さんは先に行って下さい」
 できるだけ二人きりにはなりたくないという思いのままに早口でそう云ってみたりもしたが、多岐川はそんな葛井の言葉など全く聞いていないとでもいうように今しがた出てきたばかりの店のなかへと戻って行く。その後姿を見送りながら、葛井は一つ溜息をついた。

【?V】

 店員に断りをいれて、つい先ほどまで自分たちのグループが占拠していた座敷にあがり、多岐川は葛井がなくしたというお守りを探していた。葛井も同じようにして反対側の下を覗いては、溜息をもらしている。普段の多岐川ならこんなことはしなかった。葛井が相手だからこそ、二次会を蹴ってまで付き合っているのだ。答えは簡単だ。ちょっと葛井が気に入った。そんな下心だ。
「多岐川さん」
 不意に呼ばれて顔を上げると、申し訳なさそうにした葛井が座卓越しに多岐川を見ている。
「あの、本当、一人でも大丈夫ですから。みんなのところへ行って下さい」
「いや、二次会に行きたい気分じゃないから付き合わせてくれよ。口実するようで悪いが」
「……はぁ、でも、やっぱり申し訳ないですよ。探し物に付き合わせるなんて」
「俺が好きでやってることだから気にするな」
 どこか腑に落ちないといった体の葛井をそのままに、再度探し物のために身を屈めると座布団と座布団の隙間から細い白い紐が覗いているのが視界に入った。すっとそれを引っ張ると、赤色の小さな袋が顔を覗かせる。
「これじゃないのか?」
 多岐川が云って顔を上げ、すっと紐をつまんで葛井の前に差し出すとどこかぱっとしない表情をしていた葛井の顔に明るさが戻るのがわかった。座卓越しに手渡す刹那にサイコメトリー。多岐川には品物などから所有者やそれに関連する人間が見聞きしたものを読み取る能力があった。勿論誰にも口外してはいない。
 ―――お祖母ちゃんからのもらいものか……。
 聞こえない程度の小さな声で呟くと、お守りを掌で受け取った葛井が不意にどうしてという顔をした。
 そして問い。
「俺、そんなことまで話しましたっけ?」
 今度は多岐川がその問いに戸惑う番だった。独り言といっても声に出すか出さないかの小さな声だ。それにざわめく店内においてそれが葛井の耳に届いていたとは思えない。なんとなく言葉を濁して二人、どこか居心地の悪さを感じながら店を出ると、お守りを大切そうに胸のポケットに収めた葛井が問うた。
「祖母からもらってものだなんて俺、云ってませんよね?どうしてわかったんですか?」
 その言葉に正直に答えるのもなんだか策略にはめられるような気がして、多岐川は問い返す。
「俺も、お祖母ちゃんからのもらいものかなんて口に出して云った覚えはないがどうして聞こえたんだ?」
 すると今度は葛井のほうがしまったというような顔をして俯いた。しかしもう戻ることはできない。
 夜闇の静かな通りを二人、肩を並べて歩いているとその沈黙に耐え切れず葛井のほうが先に折れた。
「俺、センサリティ能力があるんです。遠く離れた場所の音や聞こえたり、物理的に聞こえない音まで拾ってしまうことがあるんです」
 突然の告白に多岐川は自分の能力を隠す必要などないことに気付く。秘密を共有するということで距離が縮まることもあるだろうという下心もなきにしもあらずだったが、この際だから打ち明けてしまおうという勢いもあった。
「俺もサイコメトリーができるんだ」
 不意に葛井が立ち止まる。まさかという顔をしていた。話しをあわせてくれているだけだとでも思ったのだろう。それを察して多岐川は、笑って云った。
「酔ってるわけじゃないぞ。本当のことだ。―――だからこれは二人だけの秘密だ」
 刹那の間を置いて葛井は深く頷いた。
 そして立ち止まったまま葛井を待つように立ち止まった多岐川の隣に並ぶとひどく申し訳なさそうな声で、
「少し話さないでいてもらえますか。ちょっと吃驚しちゃって……」
と呟いて、俯いたままとぼとぼと歩き出した。
 無理もない。
 思って多岐川は葛井の云うとおり黙ってその隣を歩くのだったが、真意は終ぞ知らずじまいだった。
 葛井は驚いたわけではない。これ以上多岐川の声を聞き続けていたら自分がどうにかなってしまいそうな気がしたからだった。 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
沓澤佳純 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年08月15日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.