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『母なる海に抱かれて 』
海原・みなも1252

 眼下に広がる蒼い海。そしてその中にぽっかりと浮かぶ新緑の島。
 うたた寝から目覚めた海原・みなも(うなばら・みなも)の瞳に飛び込んできたのは、そんな色鮮やかな世界だった。
 飛行機の小さな窓から覗き込み、徐々に近付いてくる海と森を眺める。
「うわー…すごい……」
 もっと良く見ようと身を乗り出した時、ポーンと軽やかな音が鳴り、眼前のモニターにシートベルトのマークが映し出された。
『皆様、当機はまもなく那覇空港に向けて着陸態勢に入ります。座席を起こして、シートベルトを閉めて頂きますようご案内申し上げます』
 流暢(りゅうちょう)なフライトアテンダントのアナウンスが響いた。それと同時に、くつろいでいた乗客達は座席に座りなおし、次々とシートベルトを締めはじめる。
 みなももあわてて倒していた座席を起こし、シートベルトを締めた。ちょっと窓から離れてしまったが少しの辛抱だ。
 徐々に加わり出す重力に、みなもはぐっと体を固めた。
 飛行機に乗る度に毎回お世話になる瞬間だが、座ったままで気圧の変化や強い重力を感じるのはやはり不思議な気分だ。その変化に耐えきれなかったのか、赤ん坊の鳴き声が一斉にあがった。
「お母さんも大変だよね……」
 必死にあやす母親の姿を眺めながらみなもは小さく苦笑いを浮かべた。
 
 一瞬、機体が強く揺れ動く。次の瞬間、大きなブレーキ音が聞こえてきた。
 みなもを乗せたJAM1911便は無事、那覇空港へと到着した。
 


 ロビーに到着したみなもを迎えたのは、色鮮やかな花々だった。那覇空港の到着ロビーに飾られた南国の花々達は、一斉に花開かせて乗客達を出迎えていた。
 その向こうに見慣れた姿を見かけて、みなもは大きく手を振った。
「お姉様ー!」
 みなもの声に気付き、青い髪の女性が振り返る。
「あ、いたいたー! みなもちゃーん、こっちよー!」
 みなもはベルトコンベアで流れてきた手荷物を素早く取り、急いでゲートをくぐり抜けた。
「お久しぶり、元気そうだねー」
 みなもと同じような青い瞳とつややかな髪をした女性は出迎えるなり、ぎゅっと抱きしめた。
 豊満な胸に埋められ、みなもは息苦しそうに手足をばたつかせる。
「お姉様くるしぃー……」
「ごめんごめん」
 ようやく解放されたみなもだったが、息つく間もなくすぐさまタクシーへと引っ張られた。
「ささ、やることはいっぱいあるよ! お日様が沈む前に明日の準備をばっちり整えておかないとね♪」
「えーっ。ゴーヤチャンプルーとか首里城は?」
「明日ダイビングが終わったら沖縄観光を存分にさせてあげるから、ね」
「……じゃあ、せめて歩道側に座らせて下さい」
「はいはい」
 2人が席を入れ替えたのを確認し、運転手はゆっくりとアクセルを踏み込ませた。
 


 みなもが数日世話になる宿場は海岸にほど近い一軒家だった。
 ここはダイバー達の宿場としても解放されており、定期的に集まり話し合いをする場所としているらしい。玄関先の壁にかけられたボードには、ダイビング仲間の写真が数多く張られていた。
 その中に何人か見知った顔を見つけ、みなもは懐かしい、と声をもらす。
「みんなは今日は泊まりにきますの?」
 荷物整理を手伝いながらみなもは問いかける。
「そうね……明日潜るメンバーがそろそろ来る時間のはずよ」
 いつの間にか時計は午後6時をさしていた。旅行道具の整理や、ダイビングの準備に手間どり、あっという間に時間は過ぎ去ってしまっていたようだ。
 ほどなくして、何台か車が止まった。にぎやかな人の声が外から聞こえてくる。
「みなもちゃん、ちょっと待っててね」
 彼らを出迎えるため主人である彼女は外に出ていった。
 残されたみなもは何とはなしに室内を物色しはじめる。
 と、机の上に広げられた海図を見つけ、みなもは興味深げにそれを眺めはじめた。
 沖縄近郊が描かれた海図には激しい海流や岩礁などの危険区域や、ビュースポットの位置などが細かに書かれていた。
「明日潜るのはー……この辺りかしら」
 沖縄はその殆どがダイビングスポットと呼ばれるほど、美しい海とサンゴ礁に恵まれた地域だ。また、地形も変化に富んでいるため上級ダイバーから初心者まで幅広く楽しむことができる。明日、みなも達が潜るのは与那国海底遺跡と呼ばれる場所で、古代巨石文明の遺跡とも伝説の大陸の跡地だとも言われている場所だ。
 遺跡は与那国島南に位置するため、本来ならば北風の吹く冬が潜りやすい場所なのだが、せっかくの夏休みなのだから、とペンションの主人でもあり、人魚族の末裔のひとりである『姉』がみなもを誘ってくれたのだ。
「この辺りは……ちょっと流れが強いのね。気をつけないと流されちゃいそう」
 人魚姿ならともかく、慣れないスーツと重い装備を背負って海に入らなくてはならないため、みなもは少々不安を感じずにはいられなかった。先ほど試しにとフル装備をしてみたが、脱着の不自由さに困難させられた。
「でもお姉様がついてきてくれるんだし、大丈夫だよね」
 複数の足音と話し声が玄関から聞こえてきた。みなもは広間の扉を開けて、彼らを迎え入れる。
「みなさん、いらっしゃいませ!」



 次の日。まだ日が出て間もない頃より準備を始め、一行は与那国島へ向けて出発した。
 この季節は日差しが非常に強いため、日焼け防止にとみなもは長袖のパーカーを持参して船に乗り込む。
「みなもちゃん、ライセンス持ってる?」
 同行者である男性のひとりがみなもに話しかけてきた。一瞬、間をあけたものの、みなもはにっこりと返事をする。
「はい、もちろんです」
「へぇ……さすがはあの人の妹さんだね。俺なんか大学3年の時にようやく取れたんだ。この海も実はまだ2回目なんだよ」
 彼は初めて海に潜ったときの感想を語りはじめる。海の神秘と深さ、そして巨大な石の遺跡をみた感動。あまり話が上手な方ではなかったが、その言葉のひとつひとつに強い説得力を感じられた。
「で、今日潜るって知り合いから聞いて、参加することにしたんだ」
「へぇ……。何だか面白そうですね」
「みなもちゃんはどの辺りの海によく潜ってるんだい?」
「え……えーっと……も、もっと南の方かな……」
「……となると、東南アジアかオーストラリア海域かな。あの辺りもサンゴ礁が綺麗だよね」
「ええ、とても綺麗ですよ。サンゴの産卵とかは、まるで星空の中とか桜吹雪の中にいるみたいな気分になれますね」
「ああ、あれはすごいらしいね。俺も一度体験してみたいと思っているんだ」
 和やかに会話は弾み、ポイントに到着する時間まであっという間に時間は過ぎていった。
 
「それじゃ、お先に」
 次々とダイバー達が潜っていく姿を眺めながら、みなもはゴーグルをそっと頭につける。気分は大丈夫? と訪ねながら『姉』はみなもの肩に手を乗せた。
「どうしても危ないと感じたら、スーツを脱いで変化しなさい。この辺りの海は急に態度を変えるから、充分注意することね」
「はい、わかりました」
 こくりと頷き、みなもはゆっくりと海中へと身を飛び込ませた。
 
 足下に広がる青い世界。懐かしい景色にみなもは目を細めて微笑んだ。
 上手に海流に乗り、姉の案内のもと遺跡へと向かっていった。
 城門といわれる狭いアーチを越えると、巨大な岩と広いテラスのような場所がみなも達を迎え入れた。
 階段状になっている岩の大きさはその段の1つだけもみなもの胸元近くまであった。この辺りは海流が早いせいか、サンゴや藻がほとんど付着していない。まるで神殿のような堂々たる姿に、みなもはただ圧倒された。
 呆然と眺めていたみなもの腕をダイバーのひとりが引っ張った。いつの間にか少しづつ流されていたようだ。先に進んでしまった一行を追うように2人は急いでテラスを抜けていった。
 遺跡の途中で撮影をしたり、こっそり岩陰に入り込んだりと彼らは時間いっぱいまで遺跡内を探検した。
 日の光が波に揺れて踊るように遺跡を照らし、遺跡に迷い込んだ魚達が岩陰からこっそりとダイバー達を見つめていた。
 南神殿のほうへも行こうという意見も出たが、さすがにそこまでの時間はなく、亀の岩のモニュメント前で記念撮影をし、今回のダイビングを終えた。
 船上に戻った一行は重い酸素ボンベを取り外すと、ぐったりと甲板に座り込んだ。まだ余裕ありといった風に、みなもは元気に彼らにスポーツ飲料を手渡す。
「さすがはみなもちゃん、若いっていいわねぇー……」
 受け取ったペットボトルを飲みながら、ひとりの女性がつぶやく。
「そういやみなもちゃんって何歳なんだい?」
「えっ……えーっと、じゅ、15歳です」
 ちらりと『姉』を横目で見ながら、みなもは慌てたように言った。規定ではCカードの取得は15歳からと決められている。実際年齢なら全く問題ないのだが、一応世間一般的に中学一年生となっているみなもは本来ならばジュニアコースのため、今回の海域には入れないことになってしまう。
「じゃあ最低年齢で取得したんだ。未来のダイブマスター候補なら、初めての海域であれだけ流れに綺麗に潜れたのも納得だな」
 海の中にいたみなもはまるで人魚のようだったと彼らは言う。実際の姿を知ったらどうなるか少し見物ではあったが、みなもは笑顔でごまかした。
「……そろそろ高波が出てきたましたね。潮がかわらないうちに戻るとしましょう」
 運転士はエンジンを吹かすと、滑るように船を走らせはじめた。心地よい潮風が疲れて火照った体を撫でる。
 みなもは甲板に座り、きらきらと輝く海面をいつまでも眺めていた。
 

 
 その夜。姉の許可をもらい、みなもはこっそりと夜の海の散歩をすることにした。
 ぽっかりと浮かぶ満月に照らされた海は、昼間の威厳ある輝かしさとは違う優しい輝きを帯びていた。
 ボートに乗せられ、昼間と同じポイントまでたどり着く。さすがに深夜近い時間ともなると、魚や海カメ達の姿は殆ど見えず、生き物達はすべて眠りについているようだった。
「それじゃ、私はここで待っているから。ゆっくりと楽しんでらっしゃい」
「はい、いってきます」
 一糸まとわぬ産まれたまま姿でみなもは母なる海へと潜っていった。
 水のゆりかごに包まれながら、みなもはその血に流れる種の姿へと変化させる。
 優雅に体を揺らせ、海底遺跡へと潜っていった。昼間きた時より潮の流れがいくぶん早くなっていたが、海の一族の姿となったみなもにはそよ風のような優しさに感じられた。
 今日は運のいいことに雲一つない満月だ。どこか清らかさを感じさせられる月の光が波間をぬって遺跡へ差し込んできている。
 どこまでも深く、碧から紺へと色を落とす海の色と月の光に照らされて白く輝く遺跡のコントラストにみなもはただ感動するばかり。そっと遺跡に手を触れるとスーツ越しからは感じられなかった波動が伝わってくるような気持ちにさえなれた。
 頬をなでる波のゆらぎに身を委ねながら、みなもは目を細めながら今なお謎多い巨石群を眺めていた。
 不意に、光が消えて急に辺りが暗くなりはじめた。どうやら雲が出てきたらしい。波も高くなってきているようだ。
「……そろそろ戻らないとだめかな」
 くるりと身をひるがえし、みなもは急いで姉の待つボートへと泳いでいった。
 わずかに差し込む光を受けながら、遺跡はただ静かに佇んでいた。
 


 沖縄での生活はまさに充実した日々だった。
 おみやげに、と姉から受け取った紙袋を、みなもは大切そうに握りしめた。
「そっちのご家族達にもよろしくね。またいつでも遊びにいらっしゃい」
「お姉様も今度は私の方に遊びにきて下さいね」
「そうね、そうするわ」
 搭乗案内の放送がロビーに流れる。そろそろ時間ね、と姉は最後にみなもを優しく抱きしめた。
 触れた肌から潮の香りがわずかに香る。そっと瞳を閉じて、みなもは母なる海に思いを寄せた。
「それじゃ、また」
 紙袋を抱き直し、みなもは搭乗口へと駆けていく。
 東京まで到着するまで、潮の香りはみなもの体をいつまでも包み込んでいた。
 
 おわり
 
 文章執筆:谷口舞
 
 ※Cカードの規定はカードを発行する団体によって多少異なります。今回は一般的な団体での規定をもとに描写致しました。どうぞご了承願います。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
谷口舞 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年08月09日

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