▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『アイズ 』
山崎・健二3519

 もしも助けを求めているなら、まずは手を伸ばすだろう。頭と肩からずるりと出て来るから、狩られる羽目になるんだ。
 遠くで誰かが誰かを呼んでいるような声がするが、健二は構わず泡沫の中に沈んでいた。

******************************

 それはいつの頃だったか、今となっては思い出せない。何故、自分がそこに来る事になったのか、誰が連れてきたのかも全て分からない。気が付けば、健二は窓一つない、規則正しく角が四つある部屋の真ん中に居た。
 その状況を自分で思い、考え、悩む事が出来ていたから、物心は既に付いていた事は分かる。だが、健二の思考はこの部屋の灰色の壁から始まっていたから、そこに来る前までの短い過去は、鋏か何かで綺麗に切り取られたかのように、健二の中からは抜け落ちていた。
 …或いは、本当は過去の記憶があったのだけど、思い出したくない何かが、心の奥底に沈み込ませてしまったのかもしれないが。

 窓の無い、音も殆どしない無機質な部屋。日の出がいつで、日の入りがいつだなんて事はさっぱり分からなかった。幾ら人間には体内時計があって、規則正しい生活を送る事が出来るようになっていると言っても、それは身体に太陽の光を浴びてこその本能。薄暗い裸電球一個のみの環境下ではその役目は果たされることなど無い。ましてや、その電球も点いたり点かなかったりするような状態では尚更。
 そんな状況下で、健二が狂気への道を辿らずに済んだのは、同じ部屋に居たもう一人の少年のお陰であろう。
 「人間は、勝手に自分で死んでいく訳じゃないんだぜ。ある日死神がやってきて、そいつの首をデカい鎌で刈るんだ」
 「…死神?」
 この悲惨な状況下で、何故そう言う暗く恐い話に熱中してくのかと言うと、それは、こんな先の見えない希望と絶望の狭間では、明るく楽しい話など、心の慰みどころか更に深い滂沱に噎ぶ羽目になるからなのだろう。自分を自ら追い詰めて、それよりは今の状況はまだましだと思い込む。そうしなければ正気が保てないほど、少年達は密かに追い詰められていたのだ。
 「死神って、目で見えるのかな…」
 膝を抱えた健二が、ぽつりと呟く。自分と彼と、二人しか居ない筈のコンクリの箱に、別の誰かの眼が光っているような気がして、思わずぞっとして背筋を震わせた。
 「誰にでも見える訳じゃない。死神が見えるのは、もうすぐ死ぬ奴だけさ」
 「じゃあ死神を見た奴は、もうすぐ死ぬ奴なんだな」
 「そう言う事だ」
 「見た事、ある?」
 ついさっき、死に瀕した奴が見るものだと聞いたばかりなのに、健二はそう尋ねる。だが、少年の方もその食い違いに気付く事無く「見た事は無い」と素直に答えた。
 「…死神って、何処から来るんだ?」
 「うん?」
 壁の小さな穴を指先で弄っていた少年が健二の方を向く。ああ、と吐息のような返事を返した。
 「目から出てくるんだ」
 「…目から?」
 驚いて健二が聞き返すと、少年は大仰に頷く。
 「これから死ぬ奴の目からぬ〜っと出て来るんだ。なんだか目が痒いな、と思って目を擦ると、次の瞬間には自分の目の前に死神が立っている。自分の目から出て来るから、気が付かないうちに自分の前に現われるのさ」
 「………」
 健二は黙り込む。そんな様子を見た少年が、箱内に沁み渡るような乾いた声で笑った。


 陽の光が見えなくても、二十四時間の間に規則正しく三回出てくる食事の時間で、暫くは一日の見当を付けることが出来ていた。だが、あの死神の話を聞いた日から、次第に食事の間隔が長くなってきたような気がする。元より時計で時間を確認していた訳ではない。食事時間の間隔が長くなっても、それは自分達の感覚がそう感じているだけかと、最初は思っていた。八時間ごとにやって来ていた粗末な食事が、十二時間ごとになり二十時間ごとになり、そのうち、本人達はそこまで理解していなかったが、何日かごとにしか出てこなくなった。当然、育ち盛りの少年達は飢え始める。最初は、腹が空いたと文句を言い雑談を交わすことが出来る程度の飢餓だったが、状況が深刻化していくごとに、少年達はギラギラした目ばかりになって互いに言葉も交わさず、壁の対面に凭れて力を失っていく相手をぼんやりと眺めるだけになっていた。
 ―――それはまるで、自分も干乾び掛けているにもかかわらず、先に力尽きた相手を貪ろうと、その時を虎視眈々と狙う肉食獣のように。
 いつかは助けて貰える、誰かが助けに来てくれる。互いにそう言って励まし合い耐えていた、そんなささやかな希望も、当の昔に忘れ去っていた。そんなある時。
 カタン。
 微かな金属音に、健二と少年はほぼ同時に音のした方へと首を巡らせる。まるで、錆びて動かなくなった壊れ掛けの古い人形の首のよう、関節がゴリゴリと軋む嫌な音がするような気がした。
 「……―――、……」
 先にそれが何かを認識した少年が、気配だけで何かを言う。その直後に、続いて健二の目が僅かに見開かれた。この灰色の箱、その唯一の出入り口であろうと思われる大きな鉄製の扉(開いたのを見た事は無いので、本当に開くのかどうかは分からなかったが)、その下部に雑誌ほどの大きさで切り取られた、蝶番付きの小さな扉がある。そこからいつも、食事の乗ったプレートが差し入れられていたのだが、ここ数日だが数週間だか、ぴくりとも動かなかったそこに、一枚のパンが乗ったアルミの皿があったのだ。
 だが、二人は動けない。身体が萎えて動けなくなっていたのも事実だが、それ以上に、妙な緊張感が二人を壁際に縫い止めていたのだ。二人はしっかと確認していた。皿に乗ったパンは一枚である事。そして、己にそれを半分ずつにしようと提案するだけの余裕は、皆無である事を。
 そうするうち、健二の視線が何故かパンから外れる。健二は、パンと一緒に皿に乗っているものを見つけたのだ。それは、そこにある理由が今ひとつはっきりと分からないもの。刃先の輝きが余りにも非現実的な、よく砥がれた一本のナイフであった。
 何故そんなものがそこにあるのだろう。パンは、ナイフで切り分けねばならぬほど大きなものではない。何故だ、と健二が少年に向かって疑問の視線を投げ掛ける。その瞬間、健二の目が極限まで見開かれ、そのまま硬直した。
 視線を向けるこちらをぼんやりと見詰め返す少年の濁った瞳。薄皮を一枚張ったようなその茶色い瞳の真ん中に、何かが映る。最初健二は、それは少年の水晶体に映った己の姿かと思った。だが、微動だにしない己と違って、目の中で動き出すそれを認識した瞬間、健二はそれが死神である事を理解した。
 「……ぁ、ぅ……ぁ―――………」
 健二が掠れた声を漏らす。悲鳴をあげたかったのか雄叫びをあげたかったのか、それは健二にも分からない。ただ、少年の目の中から抜け出ようとしているそれ、両腕を身体の脇に揃えて肩の幅と同一にし、蛇の真似をする人のような動きで身体をくねらせている。瞼の無い剥き出しの眼球、腐って崩れ落ち、黄ばんだ歯と赤黒い歯根が覗ける口元。ざんばらの黒い髪でその醜い容貌を隠しているようにも見えるが、汚れた髪の隙間から垣間見る方がよっぽど恐怖心を煽るのだと言う事を分かっているかのようにも思える。健二は、死神がどのような姿をしているのかは知らない。だから、今目の前で少年の目から出てこようとしているそれが、本当に死神なのかどうかは分からない。だが、気をつけの姿勢のお陰で、まだ出てきていないそいつの両手、それが現われた時、そこに大きな鎌を持っていたのなら、確実にこいつは死神だ。だが、それを確認するまで待っていると、死神の鎌が少年を殺めた直後、次は自分の首が刈り落とされるような気がした。
 ―――殺ラレル前ニ、………。
 ひく、と健二の喉が鳴り、それが合図になった。

 ぴちょん。粘性のある液体が少し高い位置から滴る音がする。それは次第に遅くなり、そのうち音はしなくなる。粘り気が出過ぎて滴っても音がしなくなったのか、それとももう滴るモノがなくなったのか。答えは両方。死後硬直の始まった少年の遺体からは既に滴る程温かい血液は無く、同時に床に流れた血は空気に触れ、黒く固まり始めていた。
 少年の身体は手足があらぬ方向に曲がり、壁に叩き付けられたまま背中がコンクリに吸い込まれている。致命傷は頚動脈に負ったナイフによる裂傷だが、そこに至るまでに壮絶な格闘があったからだ。干乾びて動かないはずの身体は、中身がない故か大変軽く、まるで己のものではないように自由自在に動いた。直接この手の中で握り潰した生の感触、生臭い血の匂いと温度。赤い手のままで、たった一枚のパンを鷲掴みにして口の中に捻じ込み、咀嚼する。一気に半分に減ったパンの齧り口には、凸凹の歯型が付いている。それと同時、健二の心にも噛んだ歯型が付いていた。

******************************

 「おい、聞いているのか、貴様!」
 その瞬間、健二の周りを覆っていた灰色の景色が、物凄い勢いで後方へと流れていく。痩せた、目ばかりの少年は、いつしか褪めた目の黒尽くめの男になっていた。
 「返事も出来んのか、お前!」
 「…ぁ、ああ……」
 罵倒に軽く健二が頭を振ると、長い黒髪が頬を擽る。今は現在。幾度と無く他人の目に潜む死神を屠ってきた健二にとって、自ら望んだ訳ではなく、かと言ってそれに抗う事もせず、それは生業となっていた。健二が辺りを見渡すと、ここは組織の者達が生活をする居住区の一室。一つの部屋に自分と、自分を呼んだ幹部クラスの男、それと他数人の男女が屯していた。
 健二はゆっくりと首を巡らせ、室内を見渡してから男の顔を見た。首を水平に回すと、ギリギリ錆びた音がするようで余りいい気分はしない。健二の黒い瞳が男の瞳を捉えた瞬間、健二の視線は男の目の中に吸い寄せられた。
 「なんだ、何をじっと見てやが……―――…ッぐぁ―――……!!」
 男の声は、途中から断末魔の叫びに変わる。はっと他の者達がそちらを見ると、そこに男の大きな身体は既に無かった。ただ、元はそいつのものらしき、ナイフが深々と刺さった大きな肉塊が、ゆっくりと床に倒れ込もうとしている所だった。
 「貴様、一体何を!!」
 「…死神、……」
 健二の低い声が、妙に大きく室内に響いた。健二が、“相手の目に映る死神を狩る”暗殺者である事は、当然皆知っている。その健二がそう呟いたと言う事は。
 「…ッ、殺れ!殺られる前に殺っちまえ!」
 怒号が響く。数え切れないほどの死神達が目から抜け出て、一斉に鎌を構えるのが見えた。殺気立ち、沸き立つその場の真ん中で、健二の体温だけが低かった。


 ぴちょん。またこの音か、と健二は遠くに思った。ただ、今回は、滴る音の数が多い。噎せ返るような生温かい血の匂いも、いつも以上に鼻腔を鋭く擽り、突き刺さった。
 一歩片足を踏み出すと、靴の裏がねちょりと粘り付く。膝を曲げて足の裏を覗き込むと、靴の裏から床へと、潰れて固まった赤血球と血小板が長く糸を引いていた。
 「…ッ、クソ………」
 健二が鼻に皺を寄せ、ちっと舌打ちをする。すぐ傍にうつ伏せで息絶えている男の背中を踏み付け、そのシャツで靴の裏を拭った。未だ広がる血溜まりを避けながら歩き、部屋の扉を開ける。そこから、健二の背後で開け放されたままだった窓へと風が流れた。その風に髪を煽られ、一筋が頬に張り付くのを気にも留めず、健二はその場を後にする。さっき拭い損ねた健二の靴底が、点々と血の跡を残しながら―――…。



おわり。


☆ライターより
 この度はシチュノベのご依頼、誠にありがとうございます!はじめまして、ライターの碧川桜でございます。
 ダークに、ダークに…と心の中で呟きながら書き上げましたが、結果は如何なものでしょうか。少々どころか激しく不安が過ぎっておりますが、少しでもPL様の意に添えたノベルになっていれば幸いです(と言うか祈っております…)
 では、またお会いできる事をお祈りしつつ、今回はこれにて失礼致します。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年08月02日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.