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『puzzled cat(戸惑う猫) 』
黒鳳・―2764)&威吹・玲璽(1973)

 いつもの夜、いつものざわめき、いつもの顔触れ。ママの店に集まる客達は、大抵いつも注文する品さえ同じである。だからか玲璽も、普段は何にするか等と敢えて聞いたりはしないのだが(いつもと違うものを頼みたい時は先手を取って客が自己申告するらしい)それでも、無表情で黙りこくったまま氷を割っている様子は、いつもの玲璽とは違っていた。
 「どうした、なんか今夜は違うな?店の雰囲気もお前さんも、と言うかどうしたんだ。その額」
 ガシャン!背後で、空き瓶の入ったケースを乱暴に置く音が響いた。カウンターに座った常連客の、冗談交じりの一言に過敏な反応を示したのは玲璽ではなく、何故か黒鳳であった。


 それは今から数週間前の事。

 人は、本当に知りたいと思う事ほど、素直に教えてくれとは言えなかったりするものである。ましてやそれが、己の過去、知られたくない過去や汚点に関わる事なら尚更。
 黒鳳が日本にやってきてママに拾われ、ここに居つく事になった経緯を、玲璽は一切知らない。何か事情がありそうだな、ぐらいには予想は付くが、そんなのは黒鳳に限らず、この店にいる者の殆どが大なり小なり訳ありの奴ばかりだから、敢えて気にした事でもない。ただ、黒鳳とは、他の奴らよりも絡んでいる時間が多いから気になると言えば気になる、と言った程度だ。黒鳳の過去に何があったとしても、それで彼女との関係に変化がある訳でなし、黒鳳に対する印象だって、何一つ変わりはしないとの自信が玲璽にはあった。

 …が、黒鳳としては、そうは行かないらしい。

 黒鳳は、玲璽が己の過去について、いろいろ知っていると思い込んでいる。
 その誤解は偏に、何者をも偏見や先入観で区別する事のない玲璽の性格に起因するものなのだが、それを見抜く為の冷静さが今の黒鳳には欠けていた。では、どうすれば自分の気が済むのだ、と自問自答しても答えは出てこない。何故に自分がそんなにも玲璽の事が気に掛かるのか。その事自体、得体の知れない感情として、黒鳳の中では過去最大級の謎として保留中なのに、それに加算いや乗算されて、疑問は迷い、そして不安へとその姿を変えていく。そして行き着くところは、その諸悪の根源(黒鳳としては、だが)の玲璽に、苛立ちをぶつける羽目になるのだ。

 ある日の昼下がり、開店の時間にはまだ暫しの猶予がある時間帯。ママは何かの用事で出掛けており、いつもなら店内で屯している奴らも、その日に限って何故かいつもの半分以下の人数しかいなかった。
 一通り仕事を終えた玲璽は、店内の小さなテレビでギャングものの古いテレビ映画の再放送を見ていた。今では渋い名脇役として活躍している老名優の、若かりし頃の代表作で、如何にも青臭い演技と明朗快活な筋書きがお気に入りだ。カウンターにあげてあった椅子を一つ降ろして前後逆に座ると背凭れに肘を突いて顎を置き、呑気に眺めている。黒鳳はと言えば、別段する事もなかったので壁に凭れて腕を組み、何とはなしにその映画を一緒に観ていた。
 ブラウン管が壊れ掛けている画面の中では、ハンサムな主演俳優の顔が少しだけ歪んで見える。銃撃シーンのけたたましい音の洪水に、本当の銃はあんな音はしない、と黒鳳は口の中で小さくぼやいた。
 あれは、絵空事の世界。本物の世界ではない。人の手で描かれるものは、いつも嘘ばかり。
 「ん?なんか言ったか?」
 黒鳳の呟きを聞きとがめ、玲璽が首を捻って背後を振り向く。何でもない、と黒鳳は無言で首を左右に振った。
 映画は一つ目の佳境に突入していた。主人公はとあるギャングの中堅に位置し、更に上へ伸し上がるチャンスを掴んだばかりの時に、一度は己を裏切った元仲間を、その才覚ゆえにもう一度仲間として迎え入れようとするシーンであった。
 「ンな訳ねえだろ」
 不意に聞こえた玲璽の声に、物思いに耽っていた黒鳳は、びくりと身体を竦ませ、男の背中を見た。
 「一度裏切った奴なんかを信用する馬鹿がいるかっつうの。んなの下らねえ御伽噺じゃねえか」

 裏切り者なんざ、信じられねえ。今は懐いてる振りしてたって、どうせまたすぐに裏切って、自分の都合イイようにやってくんだろ。

 玲璽の言葉は、黒鳳にはそう聞こえた。
 「オトギバナシなんかじゃない!」
 不意に黒鳳は大声を出す。驚いた玲璽が目を丸くして振り返った。
 「な、なんだ、クロ!?」
 「どうしてお前はそう自分の事しか考えないんだ、人には人の事情ってモンがあるだろ!誰だって、好きで裏切ってなんか…」
 「それはどうかねえ」
 激昂して肩を怒らせる黒鳳とは裏腹に、玲璽はいっそのほほんとして、椅子の背凭れに片方の肘を掛け、黒鳳の方を向いた。口端を歪めて、わざとらしいまでに底意地悪い笑みを浮かべてみせる。
 「大体、裏切るっつー事の意味合いが分かってねえだろ、お前。そっちの方がイイって思うから裏切って寝返るんだろ。誰だって自分の為にそうしてんじゃねえか。そんな奴が、信用するに値するような奴だと思うか?」
 「そんな事はない、ど、どうしようもない理由があったかもしれないだろう!」
 ほんの少しだが、黒鳳の声が震える。それには玲璽は気付かずに、黒鳳の握った拳の訳を、ただの意地張りだと判断した。
 「も、もしかしたら家族を楯にとられて、とか…」
 「それにしたって、結局は自分の為だろ。なんか理由があれば裏切られても仕方がねえって思えるのか、お前は。は、メデテぇ奴だな。だったらお前は、そいつに寝首掻かれてアッサリお陀仏だな」
 くくっと玲璽が喉で笑う。それは、いつものように玲璽が黒鳳をからかう時の笑いだったのだが、今回はそれが妙に癇に障った。黒鳳は手短にあった何かを咄嗟に掴み、苛立ち紛れに玲璽に向けて投げ付ける。それが何かは然程深くは考えてなかったのだが、すっ飛んでいったそれが玲璽の額に当たったのを見て、ようやくそれが陶器の灰皿であった事に気付いた。
 『!?レージ!!』
 「…ッ―――…!!」
 灰皿が急所を直撃していたのなら、さすがの玲璽でも死に瀕していたかもしれない。幸いにもそれは、玲璽の額を掠めながら飛んで行っただけだったので、玲璽は額の一部を切っただけで済んだ。が、玲璽の額から眉間、そして鼻筋へと流れた赤い血の量は、実際の怪我の深さよりも遥かに多く、端で見ていた誰もが、玲璽が大怪我を負ったのだと思った。
 「…ッテー……ンのやろ…何のつもりだ、テメエ」
 「なっ、な……お前が悪いんだろ!」
 血の生々しい赤さに一瞬は動揺した黒鳳だったが、テメエと言われて一度は萎み掛けた興奮が再び沸点まで湧き上がった。
 「大体、レージはいつもいつも…」
 「いつも何だっつうんだ、あァ!?訳分かんねえのはてめえだろうがよ!」
 「そうやって怒鳴ればいいと思ってんだろ、レージは!」
 「するってーと何だ?お前は、気に入らなきゃナンか投げ付ければいいと思ってんのか?」
 端から聞けばいつもの喧嘩なのだが、どうもその遣り取りの間に漂う、空気の張り詰め具合がいつもと違った。戦々恐々としてその様子を黙って見守る周りの様子に、先に玲璽が気付く。チッと舌打ちをすると、未だ額から血を流しながら、自分の意識を保たせるつもりか、自分の頭を手でばしばし叩きながら椅子から徐に立ち上がる。びくっと黒鳳が身体を竦ませ一歩退いた。
 「…クロ、テメエ、俺がお前に手ぇ出すとでも思ってんのか」
 「………」
 「一々マジに反応し過ぎなんだっつうの、お前は。もうちっと頭ン中で考えてからものを言う癖を付けやがれ」
 それは、恐らく玲璽には言霊の力があるから、普段から実際に心掛けている事なのだろう。それを黒鳳も分かってはいるが、今はそこまで考えが及ばない。イテェイテェとぼやきながら店の奥へと引っ込もうとする玲璽の背中に向かって、黒鳳は思わず怒鳴った。
 「レージ、レージはどうせ、俺の過去を知っていて馬鹿にしてるんだろう!」
 今までずっと、聞きたくても聞けなかった、たったひとつの事。それを勢い口に出してしまったのは、それ以上この空気が張り詰めてしまったら、それと一緒に自分まで破裂してしまいそうに感じたからか。だが、それを聞いて振り返った玲璽の表情が、少し動揺しているのを見た瞬間、黒鳳は、空気が予想以上の限界を超えて更に張り詰めていくのを感じ、足元がすっぽりと暗闇に飲み込まれていくような気がした。
 タッ、と黒鳳が踵を変えし、店を出て行く。その背中と翻る赤い髪を見送りながら、ようやく玲璽が我に返った。
 「…アイツ、今…何を言いやがった……?」
 流血の所為だけでなく、ズキズキと痛む額を指先で押さえる。黒鳳の怒鳴り声と、その言葉の意味を反芻する。そしてようやく、黒鳳が店を飛び出して言った理由を理解したのだ。
 「…ッ、だから…もちっと頭で考えてから行動に移せっつうんだよ……」
 ったく、頭イテェよ。玲璽がぼやいた。


 今、玲璽の額には、大判の絆創膏が一枚ぺたりと貼ってある。傷自体は大した事はなかったのだが、流血が思ったより酷かったので、そんな大袈裟な手当てが施してあるのだ。玲璽自身、目立つ絆創膏は何やら己の未熟さのように感じるから凄く嫌だったのだが、黒鳳には、そのわざとらしい絆創膏は、玲璽の厭味のように思えた。それであれから二人は口を聞くどころか、一切目も合わせていない。普段から、顔を合わせれば口喧嘩ばかりの二人だったから、その遣り取りが始めれば周りの人間は、また始まったかとうんざりする事が多かった。が、今、こう言う状況になってみると、静かな事は静かなのだが、店内の空気は、嫌な感じに緊張して張り詰めている。それ故に、玲璽と黒鳳の口喧嘩は、あくまでコミュニケーションの一環であった事をまざまざと知らされ、誰か何とかしてくれと心の中で祈る他なかったのであった。
 尤も、この状況で何とか出来るのはママぐらいしか居ないのだが、当の本人は係わる気は一切無さそうなので、周囲の希望は実にあっさり泡と消えたのだが。

 黒鳳は空き瓶のケースを裏口に出し、そのまま店には戻らずに外の壁に凭れる。溜息を零して空を仰ぐと、腹が立つ程に澄み切った夏空が、いやがらせな程に眩い陽光を無造作に撒き散らしていた。
 あの時、玲璽の表情が動揺していたのは、自分が叫んだ事に対して心当たりがあるからだ、と思い込んでいた。だが、よくよく考えてみると、何となくそれは違うような気がする。もしかしたらあれは、ただ単に自分が怒鳴った事に対しての驚きだったかもしれない。だがそれでは、玲璽の、自分に対する態度の説明が付かない。自分の過去を全く知らなくて、それであの態度で接してきているとするならば、それこそ『メデテぇ奴』と言うものだろう。
 そんな頃、対する玲璽はと言うと。
 客が引けた店内で、カウンターに頬杖を突いて玲璽は天井を眺めている。黒鳳があの時叫んだ言葉を、あれから何回も何回も反芻してみた。やはり黒鳳には何らかの過去があるようだ。そして、あいつはそれに囚われ続けている。その事は分かったが、だがその内容が分からない以上、玲璽にはどうする事もできない。尤も、分かったからと言って何をどうすればいいかはさっぱり思い付かなかったが。

 知りたくないと言えば嘘になる。物凄く知りたいかと言われればそれは微妙だ。知らなくても、玲璽としてはこのままでやっていけると思う。だが多分、黒鳳がそれでは収まらないだろう。…しかし、それを知る方法は、黒鳳にも玲璽にも、たったひとつだけ。
 『…ババアにだけは借りを作りたくねぇ………』
 ああ、厭だ厭だ。とぼやいて玲璽はカウンターに突っ伏した。


 暫くして黒鳳が店内に戻ると、店内には誰も居なかった。いや、正確には玲璽ただ一人だった。ただ、どうやら玲璽はカウンターに突っ伏したまま転寝しているようで、音楽も掛かっていない静かな店内に、玲璽の小さな寝息だけが響いていた。
 「………」
 黒鳳は、足音を忍ばせてそちらに近付いていく。見下ろす玲璽の寝顔は、いつもの憎たらしさは微塵もなく、幼いと言ってしまえそうなぐらい安らかなものだ。憎たらしいと言っても、本当に憎々しい訳ではない。その辺りは黒鳳にはまだよく分からない小難しい感情なので、取り敢えず今は脇に退けておく。閉じた瞼の僅かな青み、少しだけ開いた唇から漏れる、音のない吐息。黒鳳の視線が、そこから上へと移動する。はっ、と何かに気付いて赤い瞳が僅かに見開かれた。
 玲璽の額に貼られた絆創膏。その端っこが、少しだけ汚れて剥がれ、捲れている。
 「………」
 剥がしたい。
 うずうずと黒鳳の中で沸き上がる感情があった。瘡蓋を見ると無性に剥がしたくなる、あの心理に良く似ている。
 剥がしたい。端を摘まんでピッ!と一気に引き剥がしたら、どんなにかキモチイイだろう!このモヤモヤも何もかも、全て綺麗さっぱり消えてしまいそうな気がする!
 剥がしたい。
 剥がしたい。
 剥がしたい。

 ……剥がしたい。

 ピーッ!

 「イッテェ―――!!」
 玲璽が飛び上がった。そりゃそうだろう。気持ちよく寝ていたところを、いきなり絆創膏を容赦なく引き剥がされ、ついでにまだ治り切っていない傷が引き攣られて、灰皿がぶつかった時とはまた違う痛みが頭をぐるりと光速で走ったのだから。がばっと勢いよく起き上がり、額を手で押さえて心なしか涙目で正面に立つ黒鳳の顔を見る。黒鳳はと言えば、たった今引き剥がした絆創膏を指先で摘まんだまま、ビックリしたように目を何度も瞬いていた。
 「てっ、テメエ…俺に何の恨みがあって……」
 「…いや、そんなに痛がるとは思ってもみなかった。と言うか、何の恨みがあるかと言われれば、それはもう数え切れない程」
 素直にそう答えて、黒鳳はこくりと頷く。ばんっ、と玲璽が両手でカウンターを叩いた。
 「クロっ、この恩知らずー!普段、俺がテメエの為にどんだけ気ぃ遣ってやってると…」
 「そんなのお前の勝手だろう。俺が頼んだ事じゃない。第一、この程度の事で悲鳴をあげるとは情けない奴だな、男の癖に」
 今度は黒鳳が鼻で笑う番である。指先で摘まんだ、まだ血が固まって染み付いている絆創膏をひらひらさせながら高らかに笑った。
 「―――…ッ、された事ねえ癖にデカイ口を叩くな!つか、悲鳴っつうな!お前だって同じ事されりゃ、絶対叫ぶに決まってるっつうの」
 「どこからどう聞いても悲鳴だろう。それに俺はお前のような無様な真似はしない。大体、そんな情けない怪我などしないからな」
 「誰の所為だと思ってんだ、ァあ!?」
 その遣り取りは、完全にいつもの通りのものだった。二人の間にあった、目に見えない大きくて深い川は、この猛暑でいつの間にか乾上がってしまったらしい。

 こうして、一歩互いに近付く貴重なきっかけを失ってしまった黒鳳と玲璽だったが、反面、心のどこかでほっとしている事も事実だったのである。


 尤も、今回の事で一番ほっと胸を撫で下ろしたのは、当の本人達でもママでもなく、周りで遠巻きに見ていたギャラリー達だったのだが。




おわり。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年07月30日

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