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『『 遠き日の想い出 』 』
如月・縁樹1431


 ドイツの小さなタブロイド社。
 そこの局長の男は寝癖のついた頭を掻きながら部屋に入ってきた。
 雑然と並べられたデスクに、その上に置かれた平積みの書類や本の山。数人の若い奴がノートパソコンに向って手を動かしている。
 局長は自分のデスクに座ると、そこに置かれた記事の原稿を手に取り素早くそれに目を通して気になった所は赤鉛筆でチェックしていく。
 と、素早く原稿をチェックしていた彼の視線が一枚の写真とその写真の横に書かれたその写真に写っている人物に止まり、そしてその彼の手から赤鉛筆がぽろりと落ちた。
「これは…おい、この記事を書いたのは誰だ?」
 いつも穏やかな局長が大声をあげたので、その部屋にいた記者たちは驚いた。そしてその記事の原稿を担当した若者が恐る恐る局長の前に進み出る。
「はい、俺ですが」
 軽く右手をあげて若者。
 その若者の両肩を局長は両手で鷲掴んで言った。
「縁樹、この少女の名前は縁樹というのだな?」
「え、あ、はい。縁樹。如月縁樹です」



 +


 ドイツの小さな地方都市にある小さな画廊。
 そこのオーナーはたおやかな夫人であった。
 アッシュブロンドの髪をアップにして今日も薄化粧の綺麗な顔にたおやかな笑みを浮かべて接客していたが、その彼女が片眉の端を跳ね上げたのはタブロイドの局長をやっている旦那がまだ昼前だというのに画廊に飛び込んできたかららしい。
「まあ、あなた、どうしたの?」
 夫人は亭主に、コップ一杯の水を渡してそう訊いた。
 亭主はそのコップに注がれた水を飲み干して大きく息を吐くと、夫人に言う。
「いいか、落ち着いて聞けよ」
「落ち着くのはあなたです」
「見つかったんだ」
「見つかったって、何が?」
「縁樹だよ」
「エンジュ?」
「如月縁樹が見つかったんだ」
「キサラギエンジュ・・・えんじゅ、まあ、如月縁樹が見つかったと言うの!?」
「そうだよ、縁樹だ。縁樹が見つかったんだよ。君の曽祖父の友達が」
「だけどあなた、縁樹は私の曽祖父が22歳の時に出逢ったのよ。そんな人がまだ生きているとは思えないわ。生きているとしたら100歳を越えている。ギネスブックものよ。残念だけどあなたの勘違いじゃなくて?」
「いや、違う。縁樹だ。如月縁樹だよ。この記事にもそう書かれている」
 そう言って局長は軽く興奮しながら、記事の原稿のコピーと、何かを印刷した紙とを夫人に渡した。
 夫人は首下に下げていた眼鏡をかけると、その眼鏡の奥にある翡翠色の瞳を大きく見開いた。
「まあ、縁樹だわ。間違いなくこれは縁樹よ」
「ああ、そうだ。間違いなく縁樹さ。俺と君が子どもの時からずっと話を聞き続け、そしてどんな人かと想像していた縁樹だ」
 局長と夫人は壁にかけられた一枚の古い絵を見た。
 とても古い一枚の絵を。
 そこには少女が描かれていた。アッシュグレイの短い髪の少女。赤い瞳の少女。黒い服を身に纏い、少し照れたような…それを隠すような落ち着いた穏やかな表情をした少女。肘掛の上に忠実な騎士を控えさせた彼女は小さなキャンバスに絵の具によって描かれて永遠と言う時の中に合っても歳を取る事無くそこに在り続けている。
 夫人はその絵から、亭主に渡されたもう一枚の紙に視線を移した。そこにあるのは新聞のようだった。亭主が局長を勤めるタブロイドの記事ではない。外国の…この文字は確か……
「日本だよ。彼女は今、日本に居るそうだ」
「そう、日本に。そう言えば如月縁樹というのは日本の名前だものね」
「ああ」
「会いたいわ。ええ、会いたい、縁樹さんに。この絵の中の少女…曽祖父の友達であり、そして曽祖父を助けてくれた人に」
「君の曽祖父が息子に語り継ぎ、そしてその息子である君の祖父は君と僕に語り継いだ縁樹の物語」
「ええ。それを縁樹に会って語りたい。そして出来るなら曽祖父の遺言通りにこの絵を彼女に渡したいわ」
 夫人は画廊の金庫の奥にしまわれていた一通の手紙を取り出すと、もう一度絵に視線を向けた。
「この手紙も一緒に」
「ああ、行こう日本に。縁樹がいる日本に」



 ―――――――― 『遠き日の想い出』 ―――――――――



 縁樹誘拐、それによってまた新に増えたボクと縁樹の武勇伝。
 それを報じた新聞の記事はまるで花の蜜の香りが虫を引き寄せるように、懐かしい人を…正確的には懐かしい人の子孫をボクと縁樹の所に引き寄せた。
「ではやはりあなたが縁樹さんご本人なのですね。縁樹さんの血縁に当たる方とかではなく」
「はい、僕が本人です」
 縁樹はどこか泣きそうな顔で手渡された絵を見ていた。
 かつて遠い過去…人の言う月日という時間で言えば遠い昔の記憶を…でもきっとボクと同じように昨日の事のように感じる過去を想い出しながら。



 【手紙】


 ボクと縁樹、そして彼が出会ったのは世界が混迷の渦にあったその時代…混迷の渦を例えば台風に言い例えるのであれば、時代が台風の目に入った頃だった。
「うーん、さてと今日はどこに旅に行こうか?」
『そうだね。だいぶ世界も落ち着いたようだし、次はドイツの外に出るのもいいかもよ?』
「そだね。それもいいかも。だったら次はどこに行こう…かな?」
『どうしたの、縁樹?』
「うん、なんか声が聞こえたんだ」
『声?』
「うん、声」
『声ねー』
「そう、声」
『どこから?』
「こっちから」
 ボクは時折考える。
 この声は一体誰のモノであったのだろうかと?
 例えば・・・
「あ、ハトだ」
 ――――例えば翼を汚して空から大地に落ちた哀れな伝書バト。
『酷い怪我だね』
「うん」
『縁樹、ボクの中から救急箱を』
「なんとか助かったみたいだね、このハト。よかった」
『うん。ご苦労様、縁樹』
「うん。って、あれ。このハト、手紙を持っているね」
『伝書バトだったんだね』
「どうしようか?」
『どうしようと言っても、ねー』
「手紙が届かなかったら、困るだろうし」
『あ、縁樹、見て。このハトのもう片方の足に付いているリングに番号が刻んである。きっとこれ、このハトの持ち主さんの住所だよ』
「よかった。この住所の所にハトを持っていけば、話は無事に終了だね」
『うん』
 ――――例えばこのハトに手紙を託した飼い主・・・



「あ、こんにちは。僕は如月縁樹と言います。えっとそちら様の伝書バトが翼を汚して落ちていて、それを助けたんです。手紙を持っているようでしたので、急いでこちらに伺わせていただいたのですが。このハトはお宅のハトで良いのですよね?」
「あ、すみません。はい、そうです。私が兄に手紙を送ろうと想って飛ばしたハトです」
『んー、でも何で伝書バトなんか? 郵便屋さんに頼めば済む事じゃない』
「こら、聞いちゃダメだよ」
「あ、いえ、いいんです。手紙はすべて父に検査されてしまうんです。私が出す物も。私宛の物も全部。だからこの子(ハト)に兄への手紙を託していたんです」
『お兄さんとお父さんは喧嘩しているの?』
「こら」
「はい、そうなんです。兄は父の事業を継ぐ事を嫌い、そして父が決めた相手との結婚にも反対して、ユダヤ人の女性と一緒に家を飛び出してしまったんです」
『それはまた、すごいエネルギーだね』
「だからこらぁ」
「最初の頃は私の身の回りの世話をしてくれていた娘を通して兄と連絡を取り合えていました。でもその人も結婚してしまって、それでこの伝書バトに変えたんです、兄との連絡の方法を」
「そうなんですか…。って、あ、でも僕らがじゃあ訪ねてきてしまって大丈夫ですか? お父様に何か気づかれるんじゃ?」
「いえ、大丈夫です。今日は父は軍に呼び出されて、仕事の打ち合わせをしていますから」
「軍に………ですか…」
「ええ、軍に。うちの父の仕事は軍に武器や弾薬を納める武器会社だから。それで兄はそんな父の仕事を継ぐのを嫌ったんです。兄は絵を描くのが好きな優しい人だから。そんな兄だからユダヤ人の女性とも付き合えるのでしょうし。最初はさすがに私もユダヤ人の女性だなんて、って反対したんですけどね。でも幸せそうな兄たちの姿を見ていたら………ああ、どうして私は最初から二人を祝福してあげられなかったのだろう???」
「どうかしたんですか?」
「兄の恋人がつい先日亡くなったんです」
 ―――ひょっとしたら亡くなった彼女が縁樹を呼んだのかもしれない。



「えっと、ああ、俺がそうだけど、あんたは誰? どうして俺の事を知っているんだ?」
「あー、えっと妹さんに頼まれたんです」
「妹に?」
 ――――そして恋人を失い、絵も認められず、自暴自棄になって、でも何も捨てられずに苦しむ彼が縁樹を呼んだのかもしれない・・・。
 誰が縁樹を呼んだのだろう?
 ボクは時折それを考える。



【欠けている絵】


「こんな絵を彼は残していたんですね・・・」



 僕は知らない。
 今、この僕の胸をきゅっと締め付ける感情の名前を。
 ねえ、今僕の左胸をものすごくきゅっと切ないほどに締め付ける君は何て名前なの?



 僕は僕を自分の両手できゅっと抱きしめる。
 体を丸めて、沈んでいく。
 過去という名の記憶に。
 想い出と言う名の過去に。


 +


 そこは公園だった。
 何の変哲もない小さな公園。
 その公園の前に立て置かれたキャンバス。そこに描かれているのは鉛筆による簡単なスケッチ。
 僕に絵の知識は無い。
 でも絵に何かを感じる心は僕にだってあった。
 その絵に僕が感じたのは迷いだった。平衡感覚の無い迷い。まるで硝子で出来た糸の上に立っているような安定感の無い迷い。
 先が見えない恐怖。
 焦燥。
 後悔。
 そして・・・
 ――――そして・・・


 なんだろう、この絵に感じるとても大きなモノは・・・
 ――――――これは何だろう?
 この絵からはとても何か大切なモノが欠けている。



『ぅ・・・えんじゅ・・・エンジュ・・・縁樹、縁樹!!!』
「ひゃぁ」
 ―――――突然、耳元で大音量であげられた相棒の声。
 僕は直立不動で背をぴしっと伸ばす。
『どうしたんだよ、縁樹。突然にぼぉーっとして』
「あ、う、ううん、何でもないよ」
『何でもないなら、別にいいけど。でも本当に何でもない? 体の調子が悪いとかじゃない?』
「うん、本当に大丈夫。ありがとう」
 僕はまだ心配そうな表情を浮かべる相棒ににこりと笑ってみせた。それで僕は彼の胸にある不安を取り除けた訳ではないのだけど、でも僕はもう一度彼に浮かべてみせている笑みを深くすると、キャンバスに視線を向けた。
「はい、妹さんに頼まれました。お兄さんにこの手紙を渡してくれって」
 僕は絵描きさんに手紙を渡した。
 彼はその手紙に視線を走らせて、そして大きなため息を一つ吐いた。
 その彼の様子はとても苦しそうで息苦しそうで、僕はなんだかとても切ない気分になった。
「あの、大丈夫ですか?」
「何が?」
「何が、って………あの、何かすごく息苦しそうだから…」
 そうしたら彼は、
「あはははははは」
 突然に大声で笑い出した。
『こら、縁樹が心配してやってるのに、何を大笑いしているんだよ』
 相棒が怒鳴った。
 すると彼は笑いを止めて、僕と相棒を見据えて、それでへっと口の片端を上げた。
「わかったような口を利くからさ」
 そして彼は僕に手紙を差し出した。
 僕は受け取った手紙に目を通した。



 こんにちは、お兄様。
 お久しぶりです。
 お元気ですか?
 絵は描かれていますか?
 うちは・・・うちの方はなんだか殺伐としています。
 お父様はまた最近軍に呼び出される回数が増えてきました。
 私のフィアンセが軍人で、軍の上層部に居る事は前にもお話しましたよね?
 その彼の話によるとお父様は細菌兵器の開発を軍から要求されているようです。
 それでお父様は悩んでいます。
 お父様は変わりました。
 お兄様が出て行ってから変わりました。
 あれだけユダヤ人を毛嫌いして、見下していたのに、今ではそういう素振りを見せなくなりました。
 そしてお兄様の事を心配しています。
 あの人が亡くなってしまった事を知ってからまたお父様が吐かれるため息の数が増えました。
 ならばどうしてまだ手紙のやり取りをハトでやっているのかとお兄様は不思議がりますよね。
 ですがお父様はお兄様と同じで意地っ張りで頑固だから、だからきっとお兄様の手紙を見つけたらそうしたらそれを読まずに破り捨てて、そして私もお兄様への手紙を出すのをやめさせられてしまいます。だから………
 本当にもう、おかしいですよね。
 お父様とお兄様はこんなにもいがみ合っているのに、でも誰よりもお二人が似ていらっしゃる。
 だからこそ私よりもお兄様の方がお父様の心をわかって・・・
 それで・・・
 お兄様は憶えていらっしゃいますか?
 昔、私とお兄様、お父様とお母様とで行った公園を。
 その公園で家族で仲良く遊んでいたあの頃が懐かしいです。
 できるなら・・・そんな家族皆が笑えていた頃に戻りたい・・・。
 お兄様、貴方に手紙を出せるのもこれが最後です。
 次の日曜日に私は彼の下に嫁ぎ、この街を出ます。



「あの・・・」
 僕はキャンバスに向う絵描きさんの背に話し掛けた。
 でも絵描きさんはキャンバスに向ったまま手を動かし、でも………
 ………でも絵を描いていた手を滅茶苦茶に動かして、絵をぐちゃぐちゃにした。
 そして彼はキャンバスを殴り倒した。
 それはどこか癇癪を起こした幼い子どものようで、
 だけど僕はその姿に呆れるというよりも泣きたい気分になった。



 ああ、そうか。
 この人は苦しんでいるんだ。
 とても苦しんでいるんだ。
 絵が描けなくなって。
 そして僕はわかったんだ。その時に。
 彼の絵に欠けていたとても大切なモノが。


 ああ、僕はこの人に何がしてあげられるんだろう?



『縁樹、どうしたの? 何を泣いているの?』



 僕は泣き、
 相棒はおろおろし、
 そして彼は足下に投げ捨てた絵筆を悲しそうな目で見つめていた。



 +


 その公園はとても小さな公園で、
 何の変哲も無いただの公園。
 だけどとても大切なモノがたくさん詰まった公園。
「おや、今朝はあの人がいないのねー」
 僕はそこから動けなくって、ずっとそこにいて、そしていつの間にか昼間から夕方、夜となり、朝を迎えて、犬の散歩をしていた女性がそう言った。
「あの、あの人って絵描きさんですか?」
「ええ、そうよ。あなたもあの人を知っているの?」
「はい。でも・・・もう、あの人はきっとここには来ないでしょう」
 僕がそう言うと彼女は哀しそうな顔をした。
「そうね。そうかもしれない。私は毎朝、ここに散歩に来て彼の絵を見るのが大好きだったの。彼は彼女と一緒にここに居て、そしてここの絵を描いていた。私は彼が描く絵も、そして彼と彼女の笑顔も大好きだった。ここの絵を描いていた理由はここにはたくさんの想い出があって、だからそこに彼と彼女の想い出も増やすためで、そうやって想い出を作りながら描いた絵を妹さんの結婚式に贈りたいって。それでそうやってお父様とも仲直りをしたいと言っていたのだけど・・・でも・・・。大丈夫?」
 女性は優しくそう言いながら取り出したハンカチで僕の頬を拭いてくれた。
 そして彼女はとても穏やかに両目を細めた。
「好きなのね、彼が」
「え?」
 僕は驚いた。そういう感情は僕にはわからない。



 そう、僕は知らない。
 彼を初めて見た瞬間に胸に湧き上がった感情も。
 その感情の名前も。



 僕は彼のために何がしてあげられるだろう?



【公園の絵】


 縁樹が彼のために何かをしてあげたいと想うようにボクだって縁樹のために何かをしてあげたいと想うんだ。
 そう、だからボクは・・・
『昼間からお酒なんて、いいご身分だね? 縁樹はあんたなんかのために一生懸命がんばっているのに』
「おまえは・・・昨日のあの娘の・・・」
『ボクの事なんてどうでもいいよ。それよりもあんたの事だよ』
「俺の事? ふん、俺の事なんておまえには関係無いだろう」
『ああ、関係無いよ。あんたの事なんてちっともこれっぽちも。だけど、だけど縁樹は違うんだよ。縁樹はあんたのために今、がんばっているんだ』
「がんばるって、ふん、がんばるって、彼女が何をがんばるっていうのさ?」
『来ればわかるよ、公園に』
「公園に?」
『そう、公園に』
 ボクはそう言って、そして酒を飲んでいる彼から部屋に視線を移した。部屋には酒の空瓶が転がっていて、それと一緒に絵筆やパレットも転がっていて、それでもその絵だけはとても大事に飾られていた。



 とても綺麗なユダヤ人の女性の肖像画。



『確かに伝えたからな』
 そしてボクは縁樹の下に戻った。
 ―――――彼が彼女の下に来る事を願って。



 +


 おかしな少女とおかしな人形がどうしようが、もう冷めてしまった絵への熱情をどうする事もできないし、
 妹が何を言おうが、妹には悪いが家に帰る気にもなれず、
 そして親父と和解する気にもなれなかった。



 俺は壊れてしまったのだ、
 ――――――彼女を失った時に、取り返しがつかないぐらいに徹底的に・・・



 それでも俺が公園に向ったのは、あの縁樹という少女の赤い瞳に、彼女と同じ物を見たから。
 彼女も縁樹と同じような瞳をしていた。絵がとても下手くそで、どんなに真剣に描こうが、どうしても幼い子どものような絵になって、それでも本当に絵が大好きで、
 俺はそんな絵が大好きな彼女も、彼女の絵も大好きで、彼女の絵に対する気持ちも尊敬していた。
 そう、俺は彼女にいつも言われていた。



 絵を描いてください。
 一枚でも多くの絵を。
 あたしはそこにいるから。
 あたしはあなたが描く風に、
 空気に、
 木々に花に、
 小川に、
 湖に、
 そこにあるすべての物の中にいるから。
 あたしはそこにいるから、
 だから絵を描き続けてください。



 ――――――でも俺は彼女を失って、絵を描けなくなった。
『あ、来たよ、縁樹』
 縁樹の肩に乗っていた人形が縁樹に言った。
 彼女は俺を振り返る。
「こんにちは」
「ああ」
 どうやら彼女は絵を描いていたようだ。俺がそこに置き去りに………捨てた道具を使って。
「何をしている?」
『絵を描いていたに決まっているだろう』
 人形が言い、
 そして彼女もこくりと頷き、横にどいた。
 俺はキャンバスの前に立ち、そして愕然とする。
 その絵は別段上手い訳ではない。下手でもないが。でもその絵からは彼女の絵に対する想いが溢れていて、
 そしてそこには確かに彼女がいた。
 そう、病気で死んでしまった彼女が・・・。



 あたしはそこにいるから、だから絵を描き続けてください。



 ――――俺の描いた絵には彼女は居なかった。
 俺はそれに苦しみ、
 だから絵を描けなくなった。
 世間からも認められず、
 描いた絵にも彼女は居らず、
 だから俺は描けなくなった、絵が。
 だけど縁樹が描いた絵には、彼女が居た。



「どうして縁樹が描いた絵には彼女が居るんだ?」
『はあ、何言っているの? 縁樹が描いたのは風景画だろ?』
 俺は人形を無視して、縁樹の赤い瞳を見つめる。
「僕はただ絵が好きだという気持ちを込めて絵を描いただけです。絵が描くのが好きで、絵が描くのが楽しくって、そうやって絵を描いただけです」
「なるほどな」
 ―――――俺は顔を横に振った。
 俺は・・・俺はそう・・・



 俺は縁樹の横に立ち、足下にあるスケッチブックを手に取り、
 握った鉛筆を動かした。
 手を動かしながら口を動かした。
「俺は焦っていた。世間に認められる絵を描こうと。世間に認められる絵を描こうと・・・そんな想いで一杯で、いつの間にか絵を描くのを楽しめなくなっていて・・・そうだな、最初はただ絵を描くのが楽しくって、好きなだけで、それだけで幸せで。そんな俺の絵を彼女は好きだと言ってくれていたんだ。そしてそういう絵じゃなきゃ、彼女は居てくれないよな」
 そうして俺は久々に絵を楽しみながら手を動かし、
 そしてその完成した絵の中に彼女が居た。



【ラスト】


『ふーん、そうか。彼は絵描きになれたんだ』
 相棒は素っ気の無い声でそう言ったけど、でも相棒がそれをものすごく喜んでいるのは簡単にわかった。だって僕と彼との付き合いは長いから。
「それで絵描きさん………彼は妹さんやお父さんとは?」
「はい。公園の絵を持って結婚式に行き、そこで和解して、幸せに暮したそうですよ。戦争ですごく苦労したそうですが、それでもその苦労は兵器会社を捨てて、絵と……肉体労働で、曽祖父の父親と妹の旦那と一緒に働いて…そういう苦労で、戦争後の混迷もそうやって家族全員で協力して抜け切って、その中で絵を描いて、認められて、曽祖父は幸せな人生を送りました。それにね、曽祖父と言っても、祖父は戦争孤児で、曽祖父は生涯独身だったそうです」
 ――――僕は彼らしいな、と想った。
 絵と彼女が大好きだった彼らしいな・・・って。
「あ、あの、縁樹さん?」
「大丈夫ですか?」
『縁樹?』
「あ、はい、大丈夫です。すみません。もっと絵描きさんの話を聞かせてください」
「はい」
 僕は彼が描いてくれた僕への絵を眺めながら、彼らの話に耳を傾けた。



 ― fin ―



 ライターより

 こんにちは、如月縁樹さま。いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回も本当にありがとうございました。
 今回は『遠き日の想い出』の物語をとの事で、プレイングに書かれた説明文と、イラストを何度も見比べてお話を作りました。^^
 ちょっと最初の導入部分はPLさまのイメージと違う方向で書かせていただきましたが、お気に召して頂けていたら幸いでございます。


 イラストはとてもすごく綺麗で、縁樹さんの表情が本当に切なげで、そういう僕が感じられたイメージを文章化させる事ができて、
 そういうノベルを任せていただけて本当に嬉しかったです。^^
 物語は少し寂しいものになってしまいましたが、それでも絵描きさんもその家族さんも本当に幸せで、それを縁樹さんも自分の幸せと感じられて。
 忠実なる縁樹さんの騎士さまには大変申し訳なく想いますが、今回の物語は縁樹さんの初恋の物語とさせていただきました。
 この世には色んな幸せがあり、そして紛れもなく自分の絵を見つけ出せた絵描きさんを見守っていた縁樹さんは幸せであり、長い時間を超えて彼から贈り物をされた縁樹さんも本当に幸せだったんだろうなーと想いました。
 たくさんの幸せ。これからも多くの旅路の先に縁樹さんに見つけてもらいたいと想います。


 それでは今日はこの辺で失礼させていただきますね。
 本当に今回もありがとうございました。
 失礼します。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年07月30日

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