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『傾国夜話 〜そこに彼女が〜 』
レピア・浮桜1926

 これまでに、どれだけの刻が過ぎただろう。
 自身でも、もはや覚えてなどいない。
 数える事も出来ぬ程、長い時間であった筈だ。
 幾度もの流転を繰り返し、その末にたどり着いた世界…
 ――そこに、彼女が居た。



 視界の端には、青白い光を放つ月が見える。
(月…? ああ…夜が来たんだね)
 徐々にはっきりとしてゆく意識の中、レピア・浮桜は呟くようにそう思った。
 それと同時に、もうひとつ…。
(じゃあ、今夜もまた踊れるんだ)
 未だ覚醒直後のけだるさが残る両腕を持ち上げ、目の前へとかざしてみる。
 動く。動いている。
 陽光の下では血の通わぬ石と化し、一切の自由を奪われる体が、今は確かに自らの意思で動いている。
(…良かった。踊れる)
 胸の裡を充たした歓喜が、知らず口元へと滲み出たその時――

「……どうなってるの?」

(――!?)
 戸惑いと驚きとを如実に浮かべた声が、感覚を取り戻したばかりの耳に届いた。
 自身の体が束の間の自由を取り戻した事への喜びに浸りかけていたレピアの意識が、ここでようやく周囲の状況へと向けられる。
「……」
 ゆっくりと視線を動かしてみれば、目に入ったのは薄暗い室内と、それから壁際に掲げられた小さな灯り。
 そしてその灯りの横に……
「あなたは人間? それとも…?」
 ――そこに、彼女が居た。



 自分が今居る場所が、普段目覚めの時を迎えるあの別荘とは違っている事に、もっと早く気付いてもおかしくは無かったのだ。
 寝かされているベッドも、そしてその他の調度品も、あの王女が所有するものとは明らかに違う。手入れこそ行き届いているが、それでも高級な物ではない。
「ここ…何処?」
 見知らぬ場所に居る事に若干の動揺を感じながら、レピアはベッドの上に半身を起こした。
「店の二階…あたしの部屋よ。何も覚えてないみたいね」
 わずかに苦笑を含んだいらえがある。
 まるで見覚えの無い空間ではあったが、その中でただひとつ、いらえの主である彼女にだけは見覚えがあった。
 逗留する別荘を抜け出し、活気に惹かれ立ち寄った酒場。
 そのステージで踊っていた黒衣の踊り子。
 ……名は確か、エスメラルダと云ったか。
「一緒に踊ってたと思ったら、あなた急に石になっちゃうんですもの…。驚いて部屋に運びたくなったとしても、仕方無いでしょ?」
「気を付けてたつもりだったんだけど、まさか朝になってたなんて気付かなかったから――驚かせて済まなかったね」
 そうだ思い出した。
 昨夜は彼女と共に、黒山羊亭と呼ばれる酒場で踊っていたのだ。
 朝までには別荘に戻るつもりだったのに、楽しさからつい刻を過ごし、そして現在のこの状況に至るらしい。
(成る程…ね)
 レピアの中で、ようやく全てが繋がった。
「朝になると、石になるの…?」
 しかしエスメラルダの側には、未だ驚きや疑問が残っているらしい。壁を離れゆっくりとレピアの方に歩み寄って来ると、黒曜石のような深い輝きを放つ瞳をわずかに見開き、訝しげに問いかけてくる。
 人が石となる――実際にその瞬間を目の当たりにしても、やはり即座には信じ難いのだろう。
(綺麗な瞳……)
 問いかける視線を見返し頷きながら、レピアはその輝きに魅了されていた。
 ――いや、この云い方は正しくないのかも知れない。
 エスメラルダの瞳は確かに美しい。
 しかし、こうしてその瞳を見るよりも前に、もっと強く、レピアの心を捉えていたものがエスメラルダには存在したのだ。
 それは彼女の踊りである。
(まさかこんな舞い手が居たなんてね…)
 黒曜石の輝きを見据えたまま、レピアは昨夜の記憶を辿り始めた。



 喧騒と酒気に充ちた酒場へと足を踏み入れた時、何よりも早くレピアの視線を惹き付けたのは、奥のステージで踊る黒衣の踊り子の姿であった。
「………」
 声も無く、ただ食い入るようにその踊りを見詰める事しか出来なくなる。
「おや姉ちゃん。そんな所に突っ立ってないで、こっち来て一緒に飲まないかい?」
 戸口に立ち尽くしたままのレピアに気付き、近くの席でグラスを傾けていた男が声をかけてきたが、それすら耳に届かぬ程、レピアの意識はステージ上の踊り子へと集中していた。
 戦慄にも似た衝撃が、身の内を駆け抜ける。
 それ程までに、鮮烈な踊りだったのだ。
 耳に届くギターの伴奏は、陽気な活力にあふれた曲である。そして、それに合わせて踏まれるステップや踊り子の表情も、軽やかで明るい。
 だが…その裏に垣間見える妖しさと翳りはどうだろうか。
 ともすれば見落としてしまいそうな程にわずかなものではあったが、それが加味されている事が、彼女の踊りを尚更鮮烈で美しいものに見せている。
(陽気な曲を陽気に踊るのは簡単だけど…)
 哀調を含みながら、しかし明るさを損なう事無く踊るのは容易ではない。
 ざっと店内を見回してみる限りでは、彼女のこの踊りに魅了されている者は多いようである。男だけでなく、女達も。
 だが、その踊りの一体何が、そこまで強く自分達を惹き付けているのか――その源までを正確に見抜いている者は、恐らくひとりとして居ないだろう。
 神をも魅了する程の舞の名手。そう謳われたレピアだからこそ、気付けたのだ。
(凄いわ、この人…)
 舞踊で表されるものは、舞い手の技量のみではない。舞う者の人生その物すらが、そこに映し出される事もある。
 ならばレピアが垣間見た翳りは、あの踊り子の生きてきた道の表れか…。
(こんな踊りが出来るなんて、一体どんな人生を歩んできたの…?)
 そこまでを考えさせてしまう程、眼前の舞いがレピアに与えた印象は強烈なものであった。
 そのままつい思索にふけってしまっていたらしい。
「――ねぇ?」
 すぐ目の前に立たれるまで、自分を呼ぶ声が存在する事に、レピアは気付く事が出来なかった。
「――!?」
 はっとして、顔を上げる。
 すると……
「あなたも踊れるみたいね?」

 ――そこに、彼女が居た。

「あたしはエスメラルダ――良かったら、一緒に踊らない?」
 彼女を魅了していた当人である踊り子が、すらりとしなやかな手をこちらへ差し延べている。
 断る理由など、あろう筈が無い。
 誘われるまま、レピアは差し出された手を取った。



 そうして、昨夜は彼女と踊り明かす事になったのだ。
「じゃあ、あたしが引き止めたのがいけなかったのね…ごめんなさい」
「楽しかったからいいよ。あんなに思いっきり踊れたのは久し振りだし、それにあたしがうっかりしてただけだから」
 済まなそうに首をすぼめるエスメラルダの仕草に、レピアは笑って片手を振る。
 朝になるまで気付かず長居してしまったのは確かに誤算だったが、昨夜は本当に楽しかったのだ。
 大勢の前で自身の踊りを披露する――それは踊り子の本分である。
 別荘の中で王女を前に踊る事も、勿論レピアにとっては楽しい事だったが、本分の通りに踊れる事が楽しくないわけが無い。
 増してや、エスメラルダのような名手と共にステージに立てたのだ。
 久しく感じる事の無かった程の強い充実感が、レピアの内を充たしていた。
「だから、気にしなくていいよ」
 重ねて云うと、エスメラルダの頬にもわずかな笑みが浮かぶ。照れ臭そうな、苦笑いだ。
「そう? …実はあたしもね、あなたと踊れて凄く楽しかったのよ。だから帰ってほしくなくて…今度からは、気を付けるわ」
 ――同じ思いだったのか。
 仄かな灯りに照らし出された部屋の中に、ひそやかな笑い声がふたつこぼれ落ちた。
 ひとしきり笑い合ったところで、ふと、エスメラルダの黒い瞳に、疑問の色が舞い戻る。
「でも…どうして石になってしまうの?」
「やっぱり気になる?」
「そりゃあ…ね。だけど、あなたが云いたくないのなら…」
 語尾が澱んだ。
 何事か事情があると推察し、そしてそれに対するレピアの心情を慮っているのだろう。
(まぁ、気にならない方がおかしいし…わけありと思われるのも、当然か)
 石となり、人に戻りを繰り返しながら、気の遠くなる程に長い時間を、これまでレピアは生きてきた。その長い時間の中で出会った者の内、彼女の石化を知った者は、今のエスメラルダと同様に、皆その理由を知りたがったものだ。
 苦い記憶をなぞり返す事にしかならぬため、これまで殆ど語る事は無かったのだが…
(彼女になら……いいかな)
 ――何故かこの時、レピアはそう考えた。
 重たい筈の石の身体を、こうしてベッドまで運んでくれた礼もある。だが、それとは別に、踊りという互いに共通するものを通して、彼女はエスメラルダを信用し始めていたのだった。
(話そうか。今夜は)
 自身でも由来のわからぬ微かな笑みと共に、そう決意する。
 ベッドの上で居ずまいを正すと、薄い笑みを艶やかな口辺に残したまま、レピアはぽつりと話の口火を切った。

「咎人――だから」

「……え?」
「どんなに踊りたいと思っても、昼の間は石になって動く事すら許されない……それはあたしが咎人だから。『傾国の踊り子』に与えられた、永遠に続く罰ってわけ」
「………」
 刹那、ふたりだけの室内に、息苦しさを伴う沈黙が降り立った。
 今の告白をどのように受け取り、そしてどのような言葉を返せば良いか。それを迷っているらしく、黒曜石の瞳を動揺がよぎる。
「――あたしの踊りを気に入ってくれた王様が居てね」
 そんなエスメラルダの表情から視線を外し、窓の外の月を横目に見上げながら、レピアは遠い昔の出来事を語り始めた。
「それで、色々面倒を見てくれたんだ。あ…別に妾とかそういう意味は無いよ? 資金的な話――ただそれだけ。あたしは誰のものになるつもりも無いんだから。
 でも、その援助の度が過ぎて…結果的に国が滅ぶ事になってね…。その時王妃が云ったんだ。『全てはこの女が原因だ』、『この女こそが我が国に厄災をもたらしたのだ』って――つまり、あたしが王様をたぶらかして、国が傾く程の金を貢がせたんだって…いつの間にかそういう事にされたんだよ」
 一瞬の間。
 それから深い溜息がひとつ。
「どんなに弁解しようとしても、一度決め付けられたものは覆らないんだよね…。あたしは傾国の踊り子として罰を受ける事になり、以来ずっと、この呪縛と共に生きてるってわけ。
 あたしはただ踊っていたかっただけ……そんなつもりなんて無かったのにね」
 月を見上げたままのレピアの唇から、再び溜息が洩れて出た。
 続いて、自嘲にも似た小さな笑い声……
「その呪い…解く方法は無いの?」
「わからない。あたしも探してはいるんだけど、今のところは何も…」
「そう…」
 エスメラルダの瞳が伏せられ、そして押し殺した吐息の音がする。
「でもね――諦めちゃいないから」
 再び重くなり始めた空気を払うかのように、殊更きっぱりと云い放つと、レピアはスッとベッドから立ち上がった。
「別荘の王女に聞いたんだけど、この世界には色んな世界の人間が流れ込んで、それに不思議な出来事や魔法もあるんだってね? それを調べていけば、もしかしたらこの呪いを解く方法が見付かるかも知れないし……だから、諦めてなんていないよ」
 そうとでも思わなければ、これからどれだけあるかわからぬ時間を行き続けるなど出来はしない。
 今のこの言葉はエスメラルダに向けてのものではなく、ともすれば挫けそうになる自分自身に云い聞かせるためのもの――或いはそれが真相やも知れない。
 今の時点では何の根拠も無い、ただの願望……仮にそうであったとしても、レピアはそれを信じる事にした。
 信じなければ、何も始まらない。
「成る程ね…」
 現状で見出した道を信じようとするレピアの視線を受け、ようやくエスメラルダの表情にも明るさが戻る。
「だったら、黒山羊亭に来たのは正解かも知れないわね。ここには異世界から来た冒険者がたくさん顔を出すの。それに、不思議な情報も色々集まるし…ここなら手掛かりが見付かるかもよ?」
「そうだったの?」
 この店のドアをくぐったのは賑やかさに惹かれたから。本当にそれだけの偶然だったのだが、意外な天の配剤もあったものだ。
 その妙に対してか、エスメラルダは黒曜石の瞳を細め、くすりと笑う。
「だから通ってみるといいわ。あたしの方でも、それらしい情報があれば気にかけておいてあげるから」
「…ありがとう」

 その時、階下から賑やかな談笑の声が聞こえてきた。
 どうやら店が開いたらしい。
「行きましょ」
 軽く首を傾げるようにレピアを見ながら、エスメラルダが手を差し延べてくる。
「朝まで…ってわけには行かないけど、今夜も一緒に踊ってほしいの。いいでしょ?」
 昨夜と同じ仕草に、レピアもまた頷き返す。
「勿論――あなたとなら、大歓迎だよ」
 流れ着いた異世界で、踊る幸せを共有できる友を見付けた喜びをかみしめながら、レピアは差し出された手を取った。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
朝倉経也 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2004年07月29日

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